イッシンジョウノツゴウニヨリ ~逆ハーレムを築いていますが身を守るためであって本意ではありません!~

やなぎ怜

(1)

 ――今日、背負い投げしたお客様。あれが神様だったのかもしれない。


 騒然とする場に座り込んだまま、レンはぼんやりとそう思った。




「あー納得行かない……」


 冬の気配を感じさせる夜風を身に受けたレンは、かすかに身震いをひとつしたあと、己を慰めるように不満を口にする。言葉として形作られた胸に渦巻く不安。それが唇から出た途端、今日の出来事がひどく理不尽で屈辱的に感じられ始めるのだから、言葉というものは不思議だ。


 身長一八〇センチメートルを超える長身に、痩せぎすの身体。一度も染めたことのない、ちょっと野暮ったい黒い髪をショートカットに。垂れ目がちの瞳は糸のように細い。加えてぶかぶかのアノラックパーカーに細身のジーンズという格好をしているから、レンはハタから見れば男と勘違いされても仕方がなかった。


 ややサイズを持て余しているアノラックパーカーを脱いでも、レンの胸はささやかである。そんな胸部は「絶壁」と評するに相応しい。それで特に困ったことはなかったが、しかし豊満な胸部に憧れはある。


 一瞬だけ先輩であった彼女も、その胸部は豊かであった。顔もレンと違ってくりくりとした瞳が愛らしかったし、ヒップだってそれなりに出ていた。彼女の姿がレンの目に魅力的に映ったように、の酔客にもそう見えたのだろう。可愛らしい先輩の印象はレンがどう思い返しても引きつった笑み以外に引き出しがなかった。


 対するレンは糸のように細い目をしているせいで、ねめつけているなどと勘違いされることはこれまでの人生で数知れず。の酔客もそうだった。人生で初めてのアルバイトを開始して三時間。迷惑な客のあしらい方などよくわかっていなかったレンは、困っている先輩へ気遣わしげな視線を送ることしか出来なかった。


 それをの酔客は己にケンカを売っていると解したらしい。あれよあれよという間にレンは酔客の次のターゲットにされてしまった。困り果てたレンは日本人らしい曖昧な笑みを浮かべて微妙な相槌を打つばかり。それがどうにも酔客の気に障ったらしい。


「なあににやついてんだこの野郎!」


 レンは「野郎」ではないのだが、この際どうでもいいことだろう。とにかく酔客はレンの胸倉を乱暴につかもうとした。レンはその行動を気に入らない相手を殴りつけるためのモーションだと勘違いした。


 その結果、気がつけばレンは酔客に背負い投げを決めていた。


 どっかりと床に尻餅をついて大股を開いた酔客は、酔いが冷めたような顔をしてレンを見上げる。レンはその間の抜けた顔を見て溜飲を下げるより前に、「やっちまった」と思った。


 当然のように騒然とする店内からは好奇心旺盛な視線が四方八方から飛び、挙句の果てにはスマートフォンを取り出す客もいた。そこでようやく店舗の責任者たる店長が現れる。面接を受けたときの第一印象は「ちょっと神経質で嫌味っぽそう」だった店長は、その場でレンにクビを言い渡した。


 三時間という数字は「バイトクビRTA全一全国一位」にはなれないだろうが、きっとランキングの上位に食い込めるはずだ――。レンは神妙な顔の下でそんな現実逃避に走ったが、それがなんの意味もないことは考えるまでもないことだろう。


 ただの世間知らずなオタク大学生であるレンは、店長の言葉になすすべもなく素直にうなずく。こうしてレンの初バイトはクビという形で幕を閉じた。


「あー納得いかない……」


 先ほどと同じセリフを口にして、牛のように反芻する。すると胸中からむくむくと怒りの感情が湧いて出てくる。しかし当然のようにその感情には行き場がない。


 スマートフォンからチャットアプリでだれかに愚痴をこぼそうかと考えたが、そんな相手はいないことに気づく。家族との関係は非常に淡白で、「温かい家庭」なるものはフィクションのものしかレンは知らない。大学には入学して一年以上経つというのに、親しい友人はいなかった。


 もっとも親しいのはネット上の友達だ。だがテキストで親しく言葉は交わすけれど、プライベートなことはあまり話さない。それにレンだって大人ぶって――一応ちゃんと成人しているが――格好をつけたい年頃である。アルバイトで失敗したことを告げるのは、なんだか恥ずかしかった。「お客様」を背負い投げしてクビになりました――だなんて、余計に言えない。


 となれば逃避先に飲酒が浮かぶのは「一応は大人」であることの証であろうか。覚えたばかりの酒でも飲んで、盛大に酔っ払って一晩眠ればそれなりにスッキリするだろう。それで不満が魔法のように消えるわけではないが、まあ気持ちを切り替えるのには酔っ払うのもいいかもしれない。レンはそう考えてコンビニへ足を向けることにした。


 その途上に神社があることに気づいたのは、それが初めてだった。無骨な木で出来た着色されていない鳥居は、境内に繁茂する木々の葉に覆いかぶさられて、宵闇迫る中にあっては埋没して目立たない。だから、そこが神社の入り口であることを知らせる鳥居にレンが気づいたのは偶然だった。


 当たり前だが鳥居を見たとてそこにどんないわれがあり、どんな御利益のある神社かだなんてレンにはわからない。わからないが、神社は神頼みをする場だという程度の認識はあった。


 レンは破れかぶれな気持ちになって、境内へと続く石階段を乱暴に蹴って上る。鎮守の森に囲まれた夕暮れどきの境内は、ハッキリ言って暗くて不気味だ。けれども今は内からふつふつと湧いてくる怒りのほうが、恐怖に勝った。


 ジーンズのポケットに入れっぱなしだった五円玉を賽銭箱へ投げ入れると、色落ちした太い紐を引っ張って、頭上にある大きな鈴をガランガランと鳴らす。作法なんてよくわからないレンは、テキトーに二度拍手を打って合掌したまま目をつぶった。


 ――なにかいいことありますように!


 はじめは「あのジジイどもに天罰を!」と願掛けでもしようとしたレンであったが、直前になってヒヨった。急に天罰――みたいなもの――が怖くなったのだ。信心深いわけではないが、レンはオタクらしくオカルトじみたことも好きなのだった。だから、直前になって急ブレーキを踏んで、当たり障りのない願望を心の中で口にしたのだ。


 そしてそうしたあとでもっと具体性のある願いのほうがいいのかもしれない、と思い直す。


 ――えーっと……じゃあ、一生に一度でいいからモテモテになってちやほやされますように!


 レンの、邪念一〇〇パーセントの願いであった。邪心しかないその願望、思えばそれがいけなかったのかもしれない、とのちのレンは回想する。


 願掛けを終えて細い糸のような目を開いたレンの耳に、ドッと音のが洪水のように流れ込んできた。めまいを覚えるような騒音に、レンはくらくらとした感覚に陥る。


 なぜか視界は白飛びしたようになっているし、音の洪水は止まらない。パニックに陥ったレンは、ひとまずその場にへたり込んだ。


 すると徐々に荒れ狂う音の奔流は騒がしい店内程度に収まり、ホワイトアウトしていた視界も景色を正確に捉え始めた。


「え?」


 そこでレンは気づいた。今いる場が名前も知らぬ神社の境内ではないことに。それどころか見知らぬ場だ。階段状に設置された座席は木製で、その奥にある壁や天井などは石造りである。見上げれば天井はかなり高いことがわかる。振り返れば大きな黒板がかけられており、そこに白いチョークで書かれた線は見たことのない文字なのに――レンには意味がわかった。


「……え?」


 騒然とする場の音をレンの耳が拾い始める。


「ハートネット! なにをした!」

「いや、知らねえっす!」

「アレックスはちょっと術式変えてただけですよ! 『カワイイ女の子がきますように』って!」

「あ、おいバカ、チクんなよ!」

「ハートネット……先ほど、あれほど、注意したにもかかわらずお前というやつは――」


「ハートネット」と呼ばれた赤い髪をした少年を前にした年かさの男性は、怒りか呆れか、いずれにせよ声を震わせてそう言ったあとそれは深い深いため息をついた。


 そしてそんなやり取りを見ながら未だ座り込んだままのレンはようやく床に目をやる。つるつるに磨き上げられた木目が美しい床が目に入るが、今レンが座り込んでいる場は石で出来ているらしく、ひんやりとしている。そしてその石造りの部位には、白いチョークで描かれたのだろう円内に複雑な模様があり――レンの知識から言えばそれは「魔法陣」というやつに見えた。


「だれか学長を呼んで来い!」


 白髪混じりの年かさの男性が鋭い声を上げる。そこまできて、レンは己の周囲を彼女より三つか四つは年下の少年たちに取り囲まれていることに気づいた。少年たちは同じ服を身に纏っている。黒いブレザー、グレーの下地に黒いチェックが入ったズボン。行儀良くネクタイを身につけているのを見れば、ここがなんらかの学校らしいことには早々に気づける。


 問題は――それに気づいたとして現状、レンの理解を助ける役には立たないということだろうか。


 目を丸くして、あるいは好奇の目でこちらを見る少年たちに取り囲まれたまま、レンは「もしかしたらこれはくだないことを願った天罰かもしれない」などと、ため息をつくしかないのであった。あるいは、今日背負い投げした「お客様」が神様であったか。


 いずれにせよ、この展開はなんらかの天罰を疑いたくなるほどに理不尽なものであることを、のちのちのレンは知ることになるのである。

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