第3話 息出した光景

「う……うぅ」


 まぶたが開いて飛び込んできた場所は暗い中に小さな焚火の光の灯る、石で作られた橋の下だった。少女は意識を覚醒(かくせい)させるとすぐ、視線を火の方へと向ける。

 火元では掛け物を被せ温まるニトの姿。

 体を起こそうすると少女。体に違和感を覚える。

 その時少女は自分が暖かな茶色の掛け物に包まれていることに気付く。ニトに掛かっている物と同じ。


「まさか……」


 さとしながら目の前の光景にギョッと目を見開く。

 驚いたことに水路すいろに飛び込み気絶した少女を不格好に身を乗り出し、挙句の果てに少女以上に苦悶くもんするはめになった青年——ニトは、


「私の命を助けれた?」


 感謝の気持ちを感じる反面、あんな泳ぎでよく助けれて、助かったなと少女は吃驚(きっきょう)した。

 でも笑えない。

 目を吊り上げて、苦しそうに潜って、自身の命をかえりみない青年の気持ちに少女は助けられた。

 だからそれがどれだけ無様な格好かっこうであったとしても笑わない。

 そう考えるとすぐに、お礼を……と思って立とうする。


「……あっ、の……うっ!」


 でも力がまだ上手く入らない。立とうにも立てなかった。少女は派手に転ぶ。

 転んだことにニトが気付いた。


「ああ。目、覚ましたのか……」


 言うと疲弊した足が倒れないようにゆっくりと立ち上がり、それからスタスタと少女の元に歩き——そのまま少女の頬を打つ。


「——いっ!」


 何が起きたのか分からなかった。

 後ろに倒れ込む少女。そんな少女に浴びせられたのは『ごめん』の一言では無く酷く優しい暴言だった。


「どうして! どうしてあんなことをしたんだ! 自殺なんて! 何があったかは知らないけど生んでくれた親とかに悪いと思わねーのかよ‼ お前だって死んだら、泣いてくれる人は居るだろ⁉」


 視界が滲みながら怒鳴りつけるニト。打たれたほおの痛みで涙を浮かべつつ、ニトの目をじっと少女は見つめる。

 黒髪で彼女より幾分か高めで普通の男性の一般身長くらいの背丈の青年——そんな彼の純粋かつ潤ったひとみは、少女に答えを求めているようだった。

 彼女は頬の痛みを一回忘れ、考えてみた。


 ——大切な人……。


 考えた結果、少女には親も大切な人、友人なども居なかった。思いつかなかった。これっぽっちも。綺麗さっぱり。

 嫌、それどころか——記憶が無い。

 少女は取り合えず首を横に振ることにした。


「居ないんだったら、俺が泣いてやるよーーーー⁉」


「えぇーーーー‼」


 率直そっちょくに言って始めてあった他人に泣きつかれても困るのですが……と思った。でもそれを彼女が口に出すことはなかった。

 本当に抑えることを止め泣き出してしまったから。


「今まで一人だったから死にたくなったのか。だったら大丈夫だ。これからは俺が居るからな、俺の嫌いな青みがかった白髪の少女よ!」


 ニトより幾分か小さめでそれでも幼くは無く綺麗な顔立ちで青みがかった白髪と美しいネオンカラーを発する瞳が特徴的な女の子。スラーとした体形で出る所は出ていて引っ込む所は引っ込んでいる。

 そんな少女の過去が過酷で、色んな目にあったから死のうとしているのだと勘違いしている。

 さすがに一言言ってやろうと思う少女であったが、ニトは感情の高ぶったまま、揺さぶりを全く止めてくれず話をさせる機会を全くくれない。


「……わっ。私には記憶が無いのーーーー!」


 重すぎる思いに思わず大きな声が出てしまった。少女は肩に乗っていたニトの手を振り払いじーっと睨む。


「……えっ、記憶が無い?」


 自分が勘違いしていたことが恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にしてしまうニト。その間、少女は「こほっ! こほっ!」と咳を二回行い落ち着かせ——


「そう、私にはこの世界で何をして生きて来たかも、農民として畑を耕してきたさえも、将又、貴族として美味しい貴族飯を漁り、道楽に現を抜かしてきたのかさえも分からない」


 最後に「まあ、きっと後者の方は無いだろうけど」と紡ぐ。


「私の服装からしてそれはないと思う……。だって普通女の子なのにこんなボロボロな服装はないと思うよ……」


 茶色い掛け物と大差ない色をしたその全身スカートの裾をひらひらとさせる。

 その冗談にクスリと嘲笑するニト。


「まあ大体の事情は分かったよ。後、お前が貴族ではないと言い張る理屈にも大賛成だ」


「それは少し失礼では……」


少女は貴族では無いと言われた所に「大」と付けられたのが少し気に障った。


 ニトをじっと睨みつける。


「だって自分で言ったんじゃん」


「まあ、そうだけど……」


「だろっ?」


 なぜか満面の笑みを浮かべるニト。自分で言っておいて何だが、ニトに笑われっぱなしというのはしゃくな気もする。でも沈んだ顔をされるよりかは何倍もマシだ。

 ふと少女は辺りを見渡した。


「えっと……。この国は中世ちゅうせいの国ですか?」


 見慣れない石造りの橋に時空移動タイムスリップの可能性を思った。その答えにニトは詰まる。


「え……っと。中?」


「あー、中世ちゅうせいっていうのはね?」


 この世界がもし本当に中世ちゅうせいの時代だったらそれを示す未来の言葉が分かるはずがない、と慌てて言葉を上手く説明しようとする。

 だが、すぐに「大丈夫」とニトに訂正を入れられる。


「大丈夫、分かるよ。それとその問いの答えだけど。いいや、この国は一応その時代から相当後の時代だ。更に言うならば、それに六四七と六〇〇年? が足された位の時代だ。さん紀元きげん三〇〇年と呼ばれる、つってもその感じからして分からないか。それで今年は百人ひゃくにん戦争せんそうの起こる年だ」


「……さん紀元きげん? ……百人ひゃくにん戦争せんそう?」


 分からない単語が混雑して彼女は目を回す。


「あー、そうか。よし、説明してやろう……」


 少女の頭が付いて行けていないことにすぐに気付いたニトは、機転を利かせ説明することにした。


「ペラペラペラペラ」


「……?」


 ニトは説明が物凄く下手だった。


「要するに百人戦争の数、一、二、それで今年で三と足して行ってさん紀元きげん。それと百人ひゃくにん戦争せんそうとていうのは百人の魔法まほう使いたちが自分たちの求める世界。つまり、過去か未来かどちらかの世界で生きていくかを決める決定権を求めた戦いと。そう言う訳ですね?」


 どうにかしてなん不解読ふかいどく文字もじの長文を読解訳した。本当はこれの一〇倍くらい下手で一〇倍くらい長い。


「まあ、有り体に言えばそうだな。うん、さすが俺の説明。簡潔に纏まっている」


「——」


 少女は何も言葉が出てこなかった。内心そんな訳ないだろ、とは思っていたが。


「うう~。それに寒くもなって来たな」


 ニトはさっきから自分の腕を擦り、その摩擦まさつで保温調節をしていた。

 見えていなかったわけではないが彼女は特別気にもめていなかった。


「そろそろ暖炉が恋しくなるな……」


「そうね~」


 ニトは辺りを見渡す。


「そろそろ夜か……。仕様人の奴らがきっとお坊ちゃまはどこへ行ったの? ってバカ騒ぎ出す頃だな」


「ふーん? 王子……」


 橋の下、ここからは見えないが通りに出ればどこからでも、小川に特攻ダイブしようとした少女からでも見える大きな城のような建築物。


「ねえ君……?」


 考えて見れば名前を知らない。


「あー、ニトだよ。ニト・クレイシス」


「じゃ……ニト? 君……。ニト君って本当に王子様なの?」


「あっ、はは! まあ嘘だけど。——正確に言うと、今は違う」


 今は違うという小言に少し引っ掛かる、が彼女は話を止めることが無く、それを聞くタイミングを逃してしまう。


「でも、王子ーー! は無いにしても、兵はちょっと心配しだすかな」


「本当かな」


 今度は騙されないぞと言わんばかりに怪訝な目つきでニトを少年は見つめる。勿論ふざけている。


「嫌、嘘じゃないって」


「……」


「嫌、ホントだって!」


「……」


 焦燥するニトにそれでも無情むじょう無心むしん、無言(むごん》のこの三つを貫く少年。


「……うう、分かった。なら。見に来いよ、城の中」


「え……ッいいの!」


 実は家が無くこの後どうすればいいか考えていた少女。

 嬉しさのあまり思わず前のめりになってしまった。今までクールぶっていた分、欲丸出しの行動を行ったことに恥ずかしくなった。少女は顔を赤面させる。

 家に泊まってもいいと言われる。彼女にとってこれほど嬉しいことは無い——でももう少し自重すべきだった。


「その……まあ。気にするなよ」


「うぅ……」


 優しさは時に人を傷つける。

 だけどこのくらいの浅い傷で寝所を手に入れられたのだから対価としては上々だ。

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