後編

 雑魚を退け、ボスを倒し、次のダンジョンへ。


 雑魚を退け、ボスを倒し、次のダンジョンへ。


 雑魚を退け、ボスを倒し、次のダンジョンへ。



 エンディングまで辿り着けば、あたしはゲーム世界から現実に戻れるはずだ。あたしとリンちゃんはそう信じ、次々と勇者(=あたし)に振られるミッションをクリアしていった。




 それにしても、リンちゃんのゲーム進行は滅茶苦茶だ。


 お金があれば全部武器につぎ込んでしまって、防具や回復アイテムを整えない。敵と戦う時は攻撃一択の力押しで、スピードUPや敵防御力DOWNなんかの補助魔法を全く使わない。特別な攻略法が存在するボスキャラに脳筋プレイをかまし、罠にはまってゲームオーバー。


 観察も計画も皆無なリンちゃんの行動に、あたしは何回も何回も殺され、――遂にキレた。




「もう! リンちゃんは何で無鉄砲で、無計画で、勝手な事ばかりするのさ! あたし、リンちゃんに振り回されて迷惑かけられてばっかり!


 一週間前のあの時だってそうだよ! あたしはリンちゃんの友達でいたかったのに、どうしてあんなこと言ったんだよ!」




* * * * *




 一週間前、リンちゃんに校舎裏に呼び出された。どうせまた何かに興味を持って、それをやりたいって言いだすんだろう。彼女のいつもの発作。慣れたものだから、何でもない気分であたしは彼女のいる場所に向かった。でも、今回、リンちゃんが口に出した「好きな事」は、あたしの全く想定していないものだった。


「恋人同士になろうよ」


 空に広がる青と陽気と、校舎の影が作る黒と涼しさ。通りがかったどこかの野良猫。友達だったはずの人からの不意打ちに、あたしはしばらく声を失う。


「冗談?」


「ううん。本当! 本当!」


 やっと搾り出した戸惑いの言葉を、リンちゃんは快活な笑みで否定する。


「これまで、撫子の事は友達だって思ってたけど、昨日、唐突にレールが切り替わるみたいに、キスしたり、ギュってしたりしたい存在になった。


 だから撫子、私と恋人同士になろう!」



 率直な気持ち。訳がわからなかった。突然足元が崩れ落ち、奈落の底に落とされたような感覚に包まれた。


 女の子の事が好きな女の子がいることは知っている。別にその事に忌避の感情はなかった。人は誰でも好きになったものを好きになればいい。


 あたしの戸惑いは、あたしとリンちゃんの関係性を、彼女の好意で一方的に変えられてしまうことへの戸惑いだった。キスやギュっをしたい「好き」は、友達よりもより深い場所への侵入を許すことになる。あたしはあたしに向けられるリンちゃんの「好き」を、心のどこに置いたらいいのかの判断が出来なかった。



* * * * *



 リンちゃんがコントローラの前からいなくなった。あたしが彼女の無鉄砲さに腹を立てて怒ったから、ゲームを進めるのを放棄したのかもしれない。操作する人間を失ったあたしはただ、ワールドマップの真ん中でポツンと一人突っ立っていた。何の変化も起こらない視界の中で、空だけが一定周期で朝から昼に、昼から夜に、夜からまた朝にと変わっていった。


 アルゴリズムをなぞる天候の変化を見上げながら、以前にもリンちゃんに置いて行かれたことがあったなと思い出した。


 彼女に無理矢理、初日の出のために連れ出されたあの時だ。



* * * * *



 山頂まで後四〇〇メートル。そう書かれた案内板が見えた地点で、あたしの脚は止まった。リンちゃんは近くにいない。あたしを置いて、一人で頂上に行ってしまった。午後六時半の暗闇に、あたしはただ一人取り残された。


 ――今回ばかりは、リンちゃんに文句を言ってやる。


 そう決めた。その感情だけに突き動かされ、あたしは残りの道程を進んだ。残り三〇〇メートル、残り二〇〇メートル、一〇〇メートル、五〇メートル、一〇メートル……。


 ――着いた。


「遅かったじゃん。もたもたしてると、世界、明るくなっちゃうよ?」


 山頂にあるのは、小さな展望スペースだった。リンちゃんはそこに敷かれた木製の柵に身体を預け、こちらに微笑みを向けていた。


 ――さあ、文句言うぞ。あたしは背筋を伸ばし、両の拳を握りしめた。その瞬間だった。


 世界が晴れた。


 日の出の時間だった。リンちゃんの寄り掛かっている柵の向こう、ここと向かい合う山の頭から陽が顔を出す。辺り周辺に張っていたぼんやりとした黒が剥がされていき、代わりに清らかな光で満たされた。眼下に広がるいつもどおり見慣れた街も、高い彩度でこれまでと違って見えた。


 リンちゃんへの不満は、気付くとどこかに消えていた。


 あたしの右側の頬を、あたしの目からいつの間にか流れた涙がつたっていた。



* * * * *



「お待たせ、撫子! ……あれ、何で泣いてるの?」


 気付いたら、あたしはRPGの世界で泣いていた。そんなあたしに向けて、いつの間にか戻ってきたリンちゃんが言った。


「……どこ行ってたの?」


「ああ、ごめんごめん。今日、ハマってる漫画の最新刊の発売日だって思い出してさ。でも、あの作品、アニメ化してから超人気じゃん。何軒回っても売ってなくて。隣町の駅前の小さな本屋まで行って、やっと見つけて買えたんだよ」


 喧嘩中だったことを誤魔化すためじゃなく、本当に漫画を買うために離籍したんだとわかる口調だった。そもそもリンちゃんに、あたしと喧嘩していたなんていう認識はないんだろう。


 リンちゃんがあまりに平常運転過ぎたから、あたしは涙を拭い、呆れて笑った。



* * * * *



 買ってきた漫画を読みたがるリンちゃんを説得して、あたしたちがゲームを進めた。そしてやっとラストダンジョンに辿り着き、――魔王を倒してエンディングを迎えた。


 人類を苦しめる悪の魔王。旅立ちの時、王様からはそう聞かされていた。けれど、今あたしの目の前にある光景は、スタート時に想像していたものと少し違っていた。


 あたしのとどめの一撃で地に伏せた魔王。その魔王に駆け寄り、彼の息子だという少年が膝をついて泣いている。ここで初めて、魔王の目的が明かされた。


 彼の目的は息子の延命だった。息子は病に侵されており、特別な瘴気の中でしか生きられない。籠の中で、その柵越しに見られる風景だけで生きていくことを定められた鳥。魔王は息子を憐み、瘴気を世界に広げることに決めた。だが、瘴気は魔族にこそ生命力を与えるが、人間にとっては身体を蝕むものだった。それで、人と魔族の間で争いが勃発した。


 安い話だ。あたしはそう思った。


 けれど、伏した父にすがる息子を見て、あたしは涙を流していた。


「また泣いてる。まったく。撫子は泣き虫だなぁ」


 リンちゃんの声から天から響き、コンマ一秒だけ意識が途切れた後、あたしは現実の、自室のベッドの上に横たわっていた。




「ほら、チケット二枚、入手してきた! 私、準備いいでしょ!」


「……何それ?」


「映画だよ、映画。私と撫子が週末に見に行くやつ」


 ゲームの世界から戻って翌日、登校するといの一番にリンちゃんが話しかけてきた。


「また勝手に決めて……。いつ一緒に映画を見に行くなんて決めたのさ」


「昨日の夕方。……いいじゃん、彼女と彼女になって最初のデート。付き合ってよ」


 ニカっと笑ってそういうリンちゃん。あたしはバッグを机に下ろし、ハァと溜め息を吐いた。


「ちょっと。あたしまだ、リンちゃんとそういう関係になるなんて承諾してないんですけど」


「えー、おっそいなあ。私、撫子とは恋人同士だってもう決めちゃってるんですけど」


 ……また、勝手なことを。


 いつも通りに引く様子はないので、渋々とあたしはチケットを受け取る。映画は単館系の見たことも聞いたこともない作品で、一番近い上映館でも県を越えなければならなかった。


「もう、面倒臭いなぁ。……この映画、面白いの?」


「ん? 知らない。感想とか調べてないし。たまたま動画サイトで予告編を見て、なんか興味を惹かれるシーンがあったからさ」


「……ちょっと、面白いかどうかもわからないものに、人を巻き込むのはやめてよね」


 唇を尖らせるあたしを、リンちゃんが宥める。


「つまらなかったら、それもまた良きかな。全てを『そうだ』と決めてしまう前に、私は自分の五感で確かめに行きたい。……その時は撫子も一緒だよ」


 リンちゃんはいつもそうだ。無計画で、無鉄砲で、自分勝手で、無敵だった。その隣にどういうわけか組み込まれてしまったあたしは、始終それに振り回されていた。


 これまでも、これからも、強引に手を引かれてリンちゃんに連れ出された世界で、あたしはきっと必ず、また涙を流すのだろう。


 あたしは彼女が押し付けてきたチケットを、そっとポケットの中にしまった。

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