ソロトリッパー

常盤木雀

ソロトリッパー


 天気は良い。

 家族の誕生日ではない。

 何かの記念日でもない。

 顔色も悪くなく見える。

 だから、今日が旅立ちの旅立ちの日だ。



 今から十年ほど前、『ソロ旅立ち』が認められた。はっきりとした言葉で表すならば、孤独死の権利が認められた。

 最初は、安楽死や尊厳死を検討していたらしい。死を認められたい人々と人権や生きる義務を重視する人々では意見は平行線のままで、一向に話はまとまらなかった。その中でふと誰かが口にしたのが、一人で旅立つ権利だった。

 それまでの日本では、孤独死が問題視されていた。家族に看取られて死ぬのが最上のこととして、一人暮らしの部屋で死に、時間が経ってから発見されるのは不幸なことだった。孤独死を防ごうと、地域に見守り委員が造設されたり安否確認のサービスを売り出す企業が出たりした。それでも孤独死は減らなかった。

 その状況下で、意見が上がる。孤独死はそれほど悪いことだろうか。動物は死期を悟ると姿を消すものがある。人間でもそう思う人があっても良いのではないか。孤独死の問題は、時の経過した遺体がみつかることと、それに伴う周囲の人の感情だ。安心して旅立てるような設備を整え、安心して一人で死ぬ権利を行使できるようにしてはどうか。

 尊厳死の討論に疲弊していた専門家たちは、提案に同意してしまったらしい。それまで孤独死を求めて声を上げていた人などごく少数であっただろうに、なぜか案の検討が進み、法整備までされてしまったのだという。

 事件性排除のために警察と医師が常在する施設の一室で、最後の時を迎える。家族や知人には死後に連絡を行ってくれる。イメージ戦略か、孤独死ではなく『ソロ旅立ち』と呼ばれ、世の中に広まっている。「まもなく死ぬ」と感じた人間しか利用できないため、『孤独死』はそれほど減っていないが、『ソロ旅立ち』は年々増えているそうだ。


 成立までの経緯は怪しいが、私にとっては良い制度である。

 病気がみつかったのは、数年前のこと。体調が思わしくなく実家に戻ったのが、一昨年。急激に悪化して入院したのが半年前。

 現代の医学は優秀だから、病気は治るものだと思っていた。治らなくても、コントロールして不便なりに生きていくものだと思っていた。しかし、半年前の入院中に、どうもそうではなさそうだと分かった。悪化が想像以上に進んでいた。どうやら近いうちに死ぬらしい。

 母は顔を合わせる度に優しくなった。父は辛そうに目を逸らした。本来、もう少ししたら私が両親を看取る身だっただろう。私はどうしたら良いのか分からなかった。

 死を意識した時、怖かった。純粋な死への恐怖とは別に、その瞬間を両親に見守られるのを想像するだけでいたたまれない気持ちになった。死にたくないと叫べば良いのか。満足げに微笑めば良いのか。ふざけて笑わせれば良いのか。両親の悲しみを見るのか。無理をした笑顔を見るのか。

 できることなら一人で死にたい。看取られるのが怖い。病室で鬱々としていた中で、テレビから『ソロ旅立ち』について流れた。

「ソロトリッパーと呼ばれる『ソロ旅立ち』を目指す人と、『ソロ旅立ち』に反対する人権団体との間で、トラブルが多発しています」

 これだ、と思った。


 それからは気力を振り絞って、頑張った。

 『ソロ旅立ち』を両親は反対するだろう。最後まで一緒に過ごそうと言ってくれるだろう。だから、両親の目を欺かなければならなかった。

 私は元気に振る舞った。どれだけ身体が辛かろうと、笑顔で動いてみせた。ただの意地であるから、当然検査結果は良くない。しかし、反対する病院には、

「残り少ないなら自宅で過ごしたい」

と訴えて、退院を勝ち取った。

 自宅でも、気力で動き回った。両親は、奇跡的に元気になってきたのだと喜んだ。時々は近所の公園に散歩に出かける姿を見せた。正直なところ、辛かった。両親の目の届かないところでは力尽きて、無理をした結果苦しんだ。悪化しているのは自覚している。

 そして、ついに、気を抜けば間もなく死期を迎えるだろうと分かった。



「お母さん、ちょっと散歩に行ってくるね」

 台所の母に声を掛ける。しばらく元気な様子を見せているから、散歩を疑われることはない。

「行ってらっしゃい。無理しないようにね」

 母の声も聞き納めか。感傷的な気分になりそうなところを、数秒目を閉じてやり過ごす。外出中の父には、朝「行ってらっしゃい」のやり取りをした。

 体形の隠れる服を着て、歩きやすいスニーカーを履く。身体の負担になりにくい小さな肩掛けカバンには、ソロ旅立ち施設の同意書と利用料をしのばせてある。顔色が悪く見えないように、しっかり化粧もした。


 バス停まで歩き、市役所行きのバスに乗る。

 この地域では、ソロ旅立ち施設は市役所の中から入る形になっている。誰が施設に入ったか分かりにくいように配慮されているらしい。

 バスの車窓から外を眺めながら、私は「これでやっと旅立ちだ」とほっとした気持ちでいる。施設は一週間しかいられない。悪用する人が出ないよう、一週間経過後も生きている場合、まだ生きるように外に戻されてしまうのだ。だから、一度で成功するよう、死にそうな限界まで耐えてきた。

 もうすぐ市役所に着く。市役所の建物に入ってしまえば安心できる。反対にいえば、建物に入るまではまだ気が抜けない。

 平日だからか、仕事をしている人しか見かけない。だが、油断してはならないだろう。ソロ旅立ち施設は、『孤独死』を不幸なものだとする人権団体から狙われている。その人たちに施設を利用しようとしていると知られれば、捕まって阻止されてしまう。それどころか、六か月ほど彼らのリストに載り、行動を注視されてしまうらしい。もしもそうなってしまえば、監視の目をかいくぐって再挑戦するのは難しい。

 だから、私は家を出てからも健康を装っているのだ。


 バスを降りる。

 後は数百メートル先の市役所に入るだけ。街路樹から、鳥がぴよぴよさえずっているのが聞こえる。

「すみません、少し良いですか」

 急に声を掛けられて振り返ると、男性が五人と女性が二人、私を見ていた。

「え、あ、あの、私、急いでますので」

 用件を聞くまでもなく、捕まったらまずい人間だと分かる。反ソロ旅立ち派でなかったとしても、平日の昼間にこんな人数で通行人に声をかけるなど、ろくな話ではないはずだ。

「何を急いでいるんですか。どこに行く予定か教えてもらえませんか」

「市役所に、市役所に住民票を取りに行くんです」

「何のために?」

「何だって良いでしょう。もう行きますから」

 腕を掴まれた。

「離してください!」

 弱り切った身体では、振り切ることができない。

 大勢に囲まれ、女性にカバンを開けられた。

「あ、やっぱりあった。これ、同意書」

 施設の同意書を奪われる。別の女性に写真を撮られる。私の抵抗など、あってないようなものだった。

「若いのに、命を無駄にしちゃだめでしょ。家族が悲しむよ」

「家族に知らされたくなかったら、おとなしく家に帰りなさい」

「家まで送ってあげるから」

 なぜこの人たちは私に説教するのだろう。なぜ私を施設に行かせてくれないのか。家族が悲しむなんて分かっている。悲しみを見たくないから来たのに。命を無駄になんて、無駄って何なのだろう。死ぬのは変わらないのに。

 この人たちのせいで、私は、死ねないのか。ソロ旅立ちをするには、またあと六か月、この苦しい無理を続けなければならないのか。そもそもそのうち通院の日になれば、悪化を理由に入院を勧められてしまうだろう。そうなれば、私は一人で死ぬことはできない。


「……分かりました」

 小さな声で答えれば、「分かれば良いのよ」と声が降る。腕の力も緩んだ。

 隙を見逃さない。

 市役所に向かい、駆け出す。

 走るなんて、久しぶりだ。無事に施設に辿り着けるよう、負担の大きな動作はしないようにしていたが、もう構わない。同意書なんてなくても、その場でまた書かせてくれるはずだ。とにかく、今は、市役所に入ることだけを考えよう。市役所に入ってしまえば、この人たちはきっと追いかけて来ないだろう。

 自分が本当に走れているのか分からない。しかし、彼らの手がかからないということは、とりあえず進むことはできているのだろう。

 市役所の自動扉。貼ってあるのは納税ポスター。

 あそこに着くまで。

 




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