ピアス

「白崎さん、少しいいですか」

 放課後、第二音楽室へ向かおうとすると、担任に呼び止められた。

「先に行ってるねー!」

 理奈がそう言って、私の横を通り過ぎる。

 珍しい。提出物の遅れは無いし、授業中に注意を受けた覚えもない。

「なんでしょうか」

 担任はどこか困ったように微笑んだ。周りに人がいないことを確認すると、担任は言う。

「練習は捗ってますか」

「お陰様で」

 練習は順調だ。三曲目も終わりに近づいてきて、余裕も見えてきた。あと二週間もあれば全曲を仕上げられるだろう。

「文化祭までもう少しですね」

「そうですね」

 脈絡が掴めない。まさか他愛ない話をするだけ、なんてことはないだろう。

 担任は言い淀んでいるように見えた。言葉は発しようと口を動かすも、なかなか声にならない、そんな様子だ。担任は気まずそうに頭を掻く。

「あれから、どうですか」

 あれから。それが何を訪ねているのか、理解するまでに少し時間が掛かった。

 菜乃花を秘密裏に第二音楽室に連れ込んでいること、ではないだろう。他に何があるかを考える。思い当たる節は一つ。菜乃花と共に練習をする為に、担任に迫ったこと。同時に担任と交わした約束を思い出す。

 話が繋がる。担任なりに気掛かりだったのだろうか。

「変わりないですよ。やましいことは何もしてません」

 そう言って、あやふやになっている啓太のことが頭に浮かぶ。

 金銭と身体だけの関係。そんな関係を終わりにしようと、突然された告白。あんなに女は面倒だとか、ついて行けないとか口にしていたのに。無論、答えは出ている。それでも、いざ伝えるとなると、どうにも気後れしてしまう。

「それはよかった」

 担任はどこか嬉しそうに言う。

 大人なのに、お人よしだと思う。そんな真っ直ぐなところが、他の教師と比べて好きだったりする。

「本番、先生もよかったら聞きに来てください」

 担任は驚いたように面食らうと、

「はい。都合が合えば必ず」

 そう言って微笑んだ。相変わらず啓太に似ていると思った。

「呼び止めてしまってすみません。それではまた明日」

「はい」

 担任に背を向ける。教室を出て、喧噪の残る廊下を歩く。

 私が菜乃花と心中した後、担任は何を思うだろうか。

 なんておかしなことを考えてしまう。

 理奈も、綾部さんも、クラスメイトも、担任も、祖母も、

 きっとすぐに忘れて、いつも通りの日々を過ごすだろう。

 それは一時の台風のように。少なからず被害があっても数ヶ月後には、ああ、そんなこともあったね。なんて、他愛ない話の一つとなるだろう。

 きっとそうだ。そうであってほしいと願う。


 第二音楽室に着くと、すでに練習の準備が整っていた。

「お待たせ」

 第二音楽室の扉を開けると、三人の視線が集まる。制服姿の菜乃花が何の違和感も無く馴染んでいることが、なんとなしに嬉しい。

「先生なんだって?」

 ドラムセット越しから理奈が言う。

「練習は捗ってますか、だって」

「何か大切な話をしてるのかと思っちゃった」

 第二音楽室に足を踏み入れる。室内は空調が効いていて心地良い。物置にしている一番下の段差にスクールバックを置く。

「あの人、りんりんのこと気に入ってるよねー」

「そう?」

「何かと気にしてる気がするー。よくりんりんのこと見てるよー」

 それは初知りだった。視線なんて感じたことないし、そもそも接点も少ない。

「男の人?」

 菜乃花が聞いてくる。

「そう。婚約済み」

「もしかして、脈あり……?」

「理奈?」

「嘘です」

「りんりんモテモテー」

 綾部さんを一瞥して、準備室へ向かう。隅の日陰にあるギターケースを手に取り、皆の元へ向かう。

「今日は、最後まで通したいね」

 ドラムスティックでストレッチをしながら、理奈が言う。

「もう少しでいけそうだよねー」

 綾部さんがベースを鳴らす。

 三曲目の『四つ葉』

 アップテンポで明るい曲。

 CLOVERSというバンド名にぴったりの曲だ。

 モチーフは、五年前、別れ際に菜乃花から貰った四つ葉のクローバー。

 約束と再会をテーマに作詞した、前向きな歌詞。作詞をする時は、いつも物語を頭に描く。それは自分の経験を元にしつつも、自分とは切り離したもの。だから、気恥ずかしさは特に無い。

 軽くチューニングを終わらせる。譜面台に楽譜を置き、準備を完了する。

「よし、始めよう」

 意識を切り替える。今日こそは最後まで通したい。進むに連れて終わりが近付いてくる。それは妙に清々しくて、ほんの少し寂しい。

「あ、あのさ」

 突然、理奈が声を上げる。皆の視線が理奈に向く。

「練習、いいところまで行ったら、土曜日、皆でパフェ食べに行かない?」

「また太るよー」

「い、いいの! それに、増えてないから!」

 理奈と綾部さんのやり取りを見ていると、菜乃花と目が合う。

 私は大丈夫だよ、と菜乃花は視線で訴えているような気がした。

「いいよ。菜乃花は?」

「私も賛成」

「やったー! よし、がんばろ」

 自分を奮い立たせるように、理奈が言う。

「がんばろー」

 気怠そうに綾部さんが言う。不思議とやる気が伝わってくる。

「最初からいくよ」

「カウントするねー!」

 場の空気が引き締まる。少しの静寂の後、理奈がドラムスティックでカウントを始める。1、2、3、のカウントと共に、私達は音を奏でた。


 帰る頃には、空が灰色になっていた。

 今にも降り出しそうな天気。自然と足早に帰路を歩く。

「もう少しで完璧だね」

 隣を歩く菜乃花は、どこか楽しそうに言う。

「そうね」

 本当に驚くほど順調だ。皆のやる気や練習の雰囲気も良い。初めてバンド活動を始めて、こんなに上手くいくなんて思わなかった。バンド結成当初は問題児だと危惧していた綾部さんも、ここまで真剣になるなんて思わなかった。

 信号待ちで足が止まる。車通りは多く、忙しなく街を走り抜けていく。

「土曜日はパフェだね」

 嬉しそうに言うものだから、つい気になる。

「甘いもの好き?」

「普通。嫌いじゃないよ」

「好きなのかと思った」

 菜乃花は小さく首を横に振る。

「皆でお出かけするの初めてだから」

 その声色は確かな寂寥を含んでいた。

 CLOVERSの四人で出かけるのはこれが初めてだ。前回パフェを食べに行った時に、菜乃花は居なかった。あの時は、まだ菜乃花との繋がりが不確かで、連絡先を知れたことが奇跡のように思えた。菜乃花と一緒に来たかった。と終始思っていたことを今でも覚えている。当たり前になってゆく。もう見慣れた連絡先も、携帯でのやり取りも、一緒に歩く帰り道も、日が経てば経つほど、日常に浸透していく。そんな日々が愛おしいと思う。それは終わりがあることが決まっているからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、確かなのは、私たちは死へ向かっているということ。練習の日々も、楽しい一時も、その為の通過点でしかない。

 信号が変わる。横断歩道を渡り終えて歩道に入ると、ゆっくりと菜乃花が振り向く。

「そういえば、ピアス、出来たよ」

 一瞬、何のことだか分からずに立ち止まる。ピアス、出来たよ。心の中で一度繰り返してようやく思い出す。菜乃花にお願いしたハンドメイドのピアス。ぱっと胸が明るくなる。勢いよく菜乃花の手を握る。

「本当!?」

「びっくりしたあ。明日持ってくるね」

「うん……ありがとう。嬉しい……凄く」

 もう日がないから半ば諦めていたのに。嬉しさが胸に染みる。あまりに昂ぶりすぎて、涙が出てきそうだ。

「そんなに喜んで貰えるなんて思わなかった。よかった」

 ふにゃっとした菜乃花の笑顔が胸に染みる。ああ、幸せだ。

 思わず笑みが零れる。

 どちらからともなく、歩き始める。

 手は繋いだまま、私達は帰路を歩いた。

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