CLOVERS

「どう? 着替えられた?」

 放課後の第二校舎、二階にある女子トイレ。

「うん。なんとか着替えられたよ」

 扉越しからの声は、どこか不安そうだ。

「開けて良い?」

「ちょっと待って」

 慌てたように菜乃花が言う。

 菜乃花に内緒で注文した、可美原高校の制服。

 身長もウェストも、私の問いに、菜乃花は素直に答えてくれた。お陰様で、怪しまれること無く、菜乃花に制服を用意することが出来た。

 制服を渡した時の、驚いたような菜乃花の表情を思い出すと、今でも頬が緩みそうになる。

 通信制の生徒は、私服でスクーリングに通っている。

 折角の十七歳。一度くらい制服に袖を通したって、悪いことは無いだろう。

 カチャリと、扉の鍵が開く。

 恥じらうように、ゆっくりとトイレの個室から出てきた菜乃花の姿に、思わず目を奪われる。

 綺麗な茶色の長い髪。高校指定のセーラー服から覗く、細くて白い腕。控えめな胸元には青いスカーフ。

 息を呑む。着慣れた制服が、どこか特別な物に感じる。

「似合ってる」

 じわじわと劣情が押し寄せてくる。

「これって、コスプレ……だよね?」

「年齢的に問題ないと思う」

 明らかにそわそわしている菜乃花。どうにも落ち着かない様子で、自身の姿を忙しなく見ている。

「サイズは、少し大きかったね」

「ううん」

 と言いつつも、袖は菜乃花の手の半分を覆っている。

「凛花ちゃん、これって」

「私のお下がり」

「……絶対嘘」

 菜乃花の表情が曇る。更に表情を曇らせないように、菜乃花の細い腕を掴む。

「三階にある第二音楽室まで行くよ」

 ひんやりとした冷たい体温が心地良い。

 気にしなくて良いと言っても、きっと菜乃花は気にするだろう。

 だから言うことは無い。共に自殺するまでの数ヶ月間、菜乃花の為に、私は自分に出来ることをするだけ。

「ばれないかな」

「大丈夫。第二校舎は人気が少ないし」

 手を引いて、廊下を進む。階段を上り、第二音楽室を目指す。

「……せたかった」

 聞き逃してしまいそうな小さな声。立ち止まり、後ろを振り向く。

「どうした?」

「……ううん。ありがとね、凛花ちゃん」

 首を横に振って返事をする。礼なんていらない。

 誰にも遭遇すること無く、無事に、第二音楽室の前に辿り着く。

 音楽室からドラムの重低音が聞こえてくる。理奈が肩慣らしをしているのだろう。

 扉を開ける。音楽室の一番奥にあるドラムセットから、理奈が顔を伸ばす。手に持ったスティックをスネアドラムの上に置き、すぐに駆け寄ってくる。

「いらっしゃいー! ようこそ菜乃花ちゃん」

「お邪魔します」

「よろしくー」

 携帯を片手に手を振る綾部さんに、小さくお辞儀をする菜乃花。

 菜乃花は明らかに緊張している。

 理奈とは一緒に昼食を食べたあの日、以来。綾部さんとは今日が初めてだ。緊張するのも無理はない。

「無事に潜入成功だね」

「はい。凛花ちゃんに制服まで用意してもらって……」

「菜乃花の為だけじゃなくて、私の趣味だから」

「どういうこと……?」

「菜乃花ちゃん可愛いもんね~。似合ってる似合ってる。凛花も見る目あり!」

 菜乃花の顔が赤くなる。きっと菜乃花がクラスに居たら、男子からモテること間違いなしだろう。

 華奢で小さな身体。大きい瞳に、整った顔立ち。守ってあげたくなるような女の子らしさ。何処を見ても、モテる要素しか見つからない。理奈のような、五年前の明るさと人懐っこさがあれば、きっと菜乃花に敵は無いだろう。

「そういえば、菜乃花ちゃんのキーボードはどうする? 使えるのは、あそこにあるピアノしか無いみたいなんだけど」

 理奈の視線が、私に向く。

「本番、ピアノを体育館に運ぶのは難しいと思う。家にあるキーボードを持ってくる。菜乃花もそれでいい?」

 投げかけるように、菜乃花に視線を送る。すぐに菜乃花が頷く。

「決まりだね! 改めてよろしくね、菜乃花ちゃん!」

 差し出された理奈の手を、菜乃花が握る。

 しっかりと握手を交わして、二人の手が離れる。

「そして、今日は、これから活動する私達の――」

 理奈は両手を口の前で合わせると、

「バンド名を決めたいと思います!」

 嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。


「やっぱ、英語がかっこいいと思うんだよね~!」

 理奈に賛同したように頷くと、綾部さんが口を開く。

「確かにー。全然思い浮かばないけど」

 第二音楽室の一番低い位置にある段差に四人で腰掛けて、会議は進む。

 バンド名なんて、まったく考えてなかった。それは、菜乃花と自殺する文化祭の日より後の日々を、考えていなかったからだろう。

 残された理奈は何を想うだろうか。もしかしたら案外さっぱりしていて、少し気に病むくらいで終わるかもしれない。綾部さんは驚くことはあっても、悲しむことは無いだろう。

「何かいい案ある?」

 理奈の顔が私に向く。話題を振られても、正直、困る。

「四人にまつわる名前がいいとは思うけど」

「それいいね」

「……全然思い浮かばない」

「だよねー……いざ決めるってなると難しいなあ」

 理奈が項垂れるように、膝に顔を埋める。

 隣に座る菜乃花の視線を感じ、振り向く。

「何かありそう?」

 菜乃花の視線が泳ぐ。困ったように微笑みながら、

「CLOVERSとか……?」

 菜乃花は不安そうに言うが、それは名案だと思った。

「四つ葉のクローバーに見立てて……」

 自信の無さを示すように、菜乃花の声が小さくなる。

「いいと思う。ぴったり」

 五年前の別れ際、菜乃花がくれた四つ葉のクローバーを思い出す。

 今でも、初めて母から買って貰ったギターの教本に挟んである。

「いいねーそれ! 素敵!」

 理奈の顔が上がる。

「もう、それしかなさそうー」

 理奈の隣の綾部さんが、携帯を弄りながら言う。

 彼女に同意するのは癪だけど、彼女の言うとおり、これ以上のバンド名は存在しないと思えた。

『CLOVERS』菜乃花らしくて、素敵なバンド名だ。

「決定?」

「そうだね! 異議のある人」

 勿論、手は上がらない。

「よし、今日から私達はCLOVERS!」

 そうして、私達のバンド名は決まった。

「ということで、とりあえず」

 突然、理奈がポケットから携帯を取り出す。

 照れくさそうに微笑みながら、理奈が言う。

「皆、連絡先交換しよう?」

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