CLOVERS

担任

 授業後の喧騒を掻き分けて、理奈の元へ向かう。

 席に座る理奈の周りには、クラスメイトが二人、理奈と楽しそうに雑談を交わしていた。

「理奈」

 後ろから声を掛けると、理奈の友人の視線が私に向く。驚いたように背筋を伸ばして理奈が私の方を振り向く。

「びっくりした。どしたの?」 

「バンドのこと」

「おっけー。ごめん、ちょっと行ってくるね!」

 友人に別れの挨拶を交わして、理奈が席を立つ。よくよく考えれば、今、話さないといけないような内容ではない。菜乃花のことでつい気持ちが先走ってしまい、罪悪感が込み上げてくる。

「白崎さんって」

 去り際の私を呼び止めたのは理奈ではなく、その隣。ショートヘアーの似合う活発そうなクラスメイト。

「理奈とバンドやるって本当?」

 日に焼けた浅黒い肌は、彼女が運動部だということを物語っている。

 理奈とよく一緒に居て、名前は……思い出せない。

「ええ。曲を作って演奏するつもり。よかったら……聞きに来て」

 ○○さんも聞きに来て、と脳裏に浮かび、口にすることが出来なかった言葉を呑み込む。どうしても彼女の名前が思い出せない。

「えーいくいくー。楽しみにしてるね」

「私もー。どんな曲か楽しみ」

 またも、名前を思い出せないクラスメイト。それでも楽しみだと言って貰えることに悪い気はしない。

「頑張るから期待しててよね!」

 理奈がVサインを掲げて、今度こそ私達はその場を離れる。

 窓際の隅、私の席の近くまで移動する。

「それで、どうしたの? あ、リズム隊の音なら大方出来たよ。今夜にでも凛花にファイルを送るね」

 まだ数日しか経っていないのに。理奈の行動力には毎回驚かされる。

「早いね、さすが理奈」

「えへへ。それで話って?」

「菜乃花をバンドメンバーに加えることにした」

「え!? 菜乃花ちゃん?」

 理奈が驚いたように声を上げる。

「菜乃花ちゃん……大丈夫なの?」

 理奈が驚くのは無理も無いと思う。第二校舎でバンドの話をしたときの菜乃花の反応を、今でも鮮明に思い出せる。それでも、

「大丈夫。私が保証する」

「それなら何も言うことは無いよ。むしろ大歓迎だよ!」

 理奈の嬉しそうな表情に、思わず笑みが零れる。

「それで、練習場所の話はどう?」

「担任の守先生から、吹奏楽部も使っていない、第二音楽室なら使ってもいいって話はついたんだけど……」

 ばつが悪そうな理奈の言い方に、以前、担任に言われた言葉を思い出す。

「校内では、接触しないように」

「そうなんだよー……だから、四人で練習するなら別の場所を探さないと」

「……説得する」

「説得……できるかなあ」

「するしかない」

「お金掛かるけど……スタジオを借りるって手もあるよ……?」

 勿論、それを考えなかった訳では無い。

「どうしても、菜乃花と校内で練習したい」

 菜乃花のスタジオ代を出すことは容易だ。

 ただ、どうしても私は、菜乃花と思い出を作りたかった。

 同じ制服を見に纏い、見慣れた校舎で音を奏でる、そんな一時を。

 目が合う。理奈が困ったように微笑む。

「わかったよ。放課後、一緒に説得しに行こ」

 頷いて返事をする。教師からの評判も高い理奈が隣に居てくれたら心強い。

「あと、ありがとね」

 突然、感謝を告げられて、思わず理奈を見る。

「なにが?」

「明美達と話してくれて? あはは、何言ってるんだろ私」

「私も分からない」

 理奈が窓から顔を出し、背を向ける。

「ほら、凛花は明美達を避けてたというか……言い方が悪いけど邪険にしてた気がして」

 思い当たる節は、多々ある。現に私は彼女達の名前すら知らない。

「そう……気を付ける」

「気にしないで。とにかくありがとね」

 振り向き際に、小さく微笑む理奈。感謝の言葉は、妙に胸を掻き乱す。

 私の中で、何かが変わったのだろうか。

 窓から外を眺める理奈のポニーテールが揺れる。

「絶対、一緒に死んでね」

 頭を過ったのは、昨日の菜乃花の言葉。

 忘れないようにと、まるで釘打つように、菜乃花と交わした約束が頭から離れなかった。


 日に焼けた子が、池谷明美。

 その隣の綺麗な髪の子が、内田奈美。

 理奈から教えて貰ったクラスメイトの名前を忘れないように、授業中も休み時間も、ふとした時に、脳内で繰り返す一日だった。

「行こう、凛花」

 放課後、私の席まで来た理奈が、明るく言う。

 席を立ち、教卓の前でクラスメイトと話す、担任の下へ向かう。

 私と理奈に気付いた担任が、不思議そうに首を傾げる。

「それじゃ、先生またー」

 入れ替わりになるように去るクラスメイトを眺めながら、あの子はなんて名前だったっけ、そんなことを考えてしまう。

「先生、話があるんですけど」

「どうしました?」

 理奈の言葉に、担任はいつも通りに答える。

 目が合う。相変わらず啓太と似ている。

「第二音楽室のことで相談が」

「なんでしょう?」

 担任は本当に意味が分からないようだった。いつまでも理奈に頼る訳にはいかない。

「通信制に通う友人がバンドに加わることになりました。なので、一緒に練習したいです」

 まどろっこしいやり取りを省き、ストレートに伝える。

「それは、藤宮さんのことですか?」

 担任が菜乃花の名字を認知していたことに驚きながらも、頷いて返事をする。担任が困ったように両手で眼鏡のテンプルを持ち上げる。

「少し、場所を変えましょうか」

 担任の後に続き、まだ喧騒の残る廊下を歩く。

 向かう先は恐らく第一音楽室。担任は何かとそこに居ることが多い。

 渡り廊下を渡り、第二校舎へ。階段を上り、予想通り第一音楽室へ向かう。

 第一音楽室の扉の前の、準備室の扉が開く。漂うのは微かな珈琲の匂い。中に入り、担任が席に座る。私達に向き合い、担任は続ける。

「南さんから、八月の文化祭の為に第二音楽室を借りたいという話は聞きました」

「はい。凛花と歩美と私。三人の予定だったんですけど」

「そこに藤宮さんが加わると言うことですね」

 担任が唸るように、何かを考える。

「理奈から聞きました。五年前の文化祭で、全日制の生徒と通信制の生徒がバンドを組んで演奏したんですよね」

「そういった前例があったことは、僕も知っています」

 淡々と答える担任。

「結論から言うと」

 息を呑む。緊迫した空気の中、担任は続ける。

「放課後、藤宮さんを交えて校内で練習することは許可できません。文化祭に関しては、恐らく大丈夫かと思います。なので、別の場所を借りるなどして――」

 それは、予想通りの答えだった。遮るように私は口を開く。

「文化祭は大丈夫なのに、校内での練習は許可できないなんて、おかしくないですか」

「通信制の生徒は年齢にも幅がありますから、校内で接触することは――」

「菜乃花は同じ歳です。それなら文化祭を共同で開催するのはおかしいですよね。どうして頑なに校内で関わることを禁止するんですか」

「凛花」

 理奈が私をなだめようと、控えめに肩を掴む。

「白崎の言いたいことは分かります。旧知の仲だということも知っています。それでも白崎さんや藤宮さんのことだけを特別視することはできません」

「どうしたら許可して貰えますか」

「決まりですから……出来ません」

 沈黙に包まれる。為す術も無く、私も理奈も、その場で立ち尽くす。

 菜乃花との約束が頭を過る。より強く想うのは、一緒に死ぬという約束では無く、五年前交わした約束。

 これが最期なのだ。菜乃花と一緒に死ぬまでの数ヶ月間、せめて記憶に残るような思い出を残したい。

「理奈、先生と二人で話がしたい」

「え……でも」

「お願い」

「……分かった。教室で待ってるね」

 教室を後にする理奈。担任は何も言わなかった。

 二人きりの準備室。どこか申し訳なさそうに担任は自身の手元を見ている。

 息を呑む。夜の街を佇む、あの頃を思い出す。

 行き場を無くした、困った少女。

 夜の街、喧騒の中、声を掛けられるのを待つ時に見に纏った、あの雰囲気。

 どうしようもなく女なのだと思い知らされる。

 それでも、菜乃花の為なら躊躇いは無い。

 息を吐き、気持ちを切り替える。

 ゆっくりと担任に歩み寄る。そっと手に触れ、指を絡ませる。

「白崎さん?」

 驚いたように担任が顔を上げる。

「先生、私、セフレになってもいいですよ」

 右脚を股関節へ。重さの増えた椅子が軋む。繋いだ手を胸元に当てる。

「誰にも言いませんし、いつ呼び出して構いません。だから、だめですか?」

 顔を近づける。唇が届く距離で静止する。

 相変わらず啓太に似ている。清潔感も問題ない。大丈夫、やれる。

 繋いだ手が解ける。ゆっくりと担任が立ち上がると同時に、椅子から片脚を下ろす。

 肩を掴まれると同時に目を閉じる。

 ああ、成功した。

「白崎さん」

 それは、まるで叱りつけるような口調で、


「物事の価値を見誤ってはいけません」


 向けられた言葉は、想定外の物だった。

 身体が固まる。壁掛け時計の秒針を刻む音が、妙にはっきりと聞こえる。

「普段からこんなことをしているんですか」

 状況に追いつけない。言葉が出てこない。

「聞いてますか、白崎さん」

 向けられたのは、大人のキスでも、荒い息遣いでもない。

「抱かないんですか」

「抱きません」

「誰にも言わないですよ」

「それでもです。あなたはまだ学生で、未成年です。守られなければいけません」

 担任の目は、真っ直ぐと私を捕らえている。

「誰からですか」

 苦し紛れの反論。

「悪い大人からです」

 掴まれた力が弱まる。担任は小さく息を吐き、傍の椅子を私に寄せる。

「とりあえず、座ってください」

 為す術も無く、言われたとおりに椅子に座る。

 失敗した。彼は私を抱くつもりがない。自分の力ではどうにでも出来ないのだという圧倒的な絶望感に、俯くことしか出来ない。

 夢に描いていた光景が遠ざかっていく。自分の無力さに唇を噛み締める。

「どうしてそこまでするんですか」

 叱るわけでも無く、尋ねるように担任は言う。

「必要だからです」

「それは、自分の身体を差し出す程のことですか?」

「構わないです。先生、私、本当に誰にも言わないですよ。ばれないように私も気を付けます。だから、抱いていいですよ」

「抱きません」

「どうして……」

「あなたがまだ学生で、未成年だからです」

 埒が明かない。学生、未成年、今更そんなものが何だというのだ。

 大人達は、私を抱いた。リスクを心配する大人もいたけど、それでも私が幾らか押せば、簡単に私を抱いた。中学の時からそう。高校生と偽り、何度も身体を重ねてきた。父と身体を重ねることを考えれば、幾らでも我慢できた。そうやって私は、母が家を出てからの数年間を生きてきた。

 啓太だってそう。目が合って、すぐに私に声を掛けた。むしろ啓太はそこまでリスクを恐れていないように思える。それが大人だ。私が今まで見てきた大人だ。

 それなのに、どうして。

「スタジオを借りる手もありますよ。何も校内に限らなくても」

「それじゃ、だめなんです」

「それはどうして?」

「それは……」

 言葉に詰まる。どうしても、菜乃花を言い訳に説得するのは気が引ける。

「私のわがままです」

 沈黙に包まれる。担任を説得する言葉を懸命に探すも、何も答えは出てこない。

「もしかして、藤宮さんの為ですか?」

 思わず、担任の顔を見る。目が合う。真剣に私を見つめる担任の表情に耐えきれず、視線を逸らす。

「旧知の仲だという話は、以前聞きました」

「……そうだと言ったら、先生は納得してくれますか」

「認めることは出来ません」

 行き止まりだ。もう、私にはどうにも出来ない。

「一つ訊いてもいいですか」

「はい」

 担任が息を吐く。

「金輪際、こんなことをしないと誓えるのなら、考えがあります」

「考え、ですか」

「許可は出来ません。ただ、黙認することは出来ます。いえ……それしかできません」

 担任に内密に、菜乃花を第二音楽室に連れ込む。それは、私にとっての最終手段だった。第二音楽室を使用する許可を得てくれた理奈に、迷惑を掛けてしまう可能性を案じ避けたかったことでもある。答えは一択。

「わかりました」

「約束できますか?」

 担任の真っ直ぐな瞳が私に向く。

「もう、しません」

 疑われないように目を見て、私は担任に頷いた。

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