揺らめき
理奈と綾部さんが苺パフェを食べ終わり、一息ついた頃。
「それで……本題なんだけど」
襟を正した様子で、理奈が話を切り出した。
「私達のバンドは、八月の文化祭を目指そうと思ってます」
八月。実際に口に出すと、それは不思議と現実味を帯びた。
「三ヶ月くらい?」
指で数えながら、綾部さんが言う。
「無理くない? あたし、ブランク凄いし」
「歩美は中学の頃から全く触ってない?」
「うんー。押し入れに眠ってる」
「でもほら、ベースラインは簡単なの、私が考えるから!」
「考える?」
「うん。オリジナル曲」
綾部さんの目が開く。
「誰が作るの?」
「もう、作ってあるの。それをバンド用にアレンジするんだよ。曲は凛花の!」
作詞作曲した曲を人に聴かせたのは、理奈が初めてだ。
テーブルの上のマグカップを手にする。まだ温かいコーヒーを口に含むと、あの時のことを思い出す。
理奈と話すようになったのは、高校一年生の夏。エレキギターの弦を買いに街中の楽器屋に立ち寄った時に、偶然顔を合わせたことがきっかけだ。
丁度、理奈もドラムのスティックを買い換えようとしていた所だった。すぐにお互いが音楽をしていることは理解できた。
そのまま連絡先を交換し、ただの同級生という括りだった私達は校内でも話すようになり、そして、初めて二人でスタジオに足を運んだ。
スタジオを借りるのは初めてだった。理奈から紹介されたスタジオは設備が整っていて、そこで初めて理奈のドラムの音を聴いた。
生で聴くドラムの音は、とても迫力があって、胸の奥まで響いてきた。両手両足をそれぞれ違う動きで動かすことに、私は感動した。どうしたらそんな風に動かせるのかと理奈に詰め寄った。素直に凄いと思った。
理奈も、歌うように音を奏でるエレキギターの音に感動していた。その流れで、私はエレキギターで弾き語りをした。誰かに曲を聴かせるのはそれが初めてだった。理奈は私の曲を褒めてくれた。テレビで流れてもおかしくないと、誰にも聴かせたことが無いなんて勿体ないと、そう言ってくれた。
だから、理奈には少なからず感謝している。
理奈と出会わなかったら、きっと私は自分から曲を誰かに聴かせようなんて思わなかった。なにより、菜乃花に胸を張って曲を作ったと言えなかっただろう。
「暗そう……」
あからさまに怪訝そうな綾部さんの表情に、むっとする。
マグカップをテーブルに置いて、一息つく。
「綾部さんが作ってくれてもいいけど」
綾部さんと目が合う。
返ってきたのは嘲笑うような笑み。頭に血が上る。
視線を離さず、睨み付ける。心底馬鹿にされているような気がして堪らない。
「あ、あのさ……二人とも仲良くしようよ~……」
泣きつくような理奈の声に、理性を保つ。
「それで?」
二人の視線が、私に向く。
「綾部さんはやるの? 気に食わないなら帰ってもらって構わないけど」
癪に障ったのか、綾部さんの表情が変わる。
「……やりますけどー。文化祭の時に、暗い曲で観客を引かすのだけはやめてよねー」
「そっちこそ、当日に弾けませんでしたって泣きついてくるのだけはやめて」
「ストップ、ストップ!」
身を乗り出して、二人の間を取り持つ理奈。
「私も歩美と一緒に練習するし、ちゃんと文化祭で演奏できるように頑張るから、ね?」
「それに」と付け足して、
「凛花の曲、本当に素敵だから心配しないで。凛花、あとで歩美に曲送ってもいい?」
「構わないけど」
「とりあえず聴いてみるー」
「別に聴かなくて良いけど」と、言いかけた言葉を呑み込む。これ以上、理奈を困らせるのは申し訳ない気がした。
「それでね、今決まっているメンバーは、凛花と歩美と私なんだけど……」
歯切れが悪く、理奈が続ける。
「うちの文化祭、全日制と通信制共同で行うのは知ってるよね」
頷いて返答する。普段の学校生活では関わりを禁止しているにも関わらず、共同で文化祭を行う。一貫性の無い決まりに心底呆れる。
「それで、調べてみたんだけど……五年前の文化祭で、全日制の生徒と通信制の生徒がバンドを組んで、演奏したんだって」
「……それって」
理奈と目が合う。真っ直ぐ私を見つめて理奈は言う。
「菜乃花ちゃんと、四人で文化祭のステージに立つことが不可能では無いってこと」
それは、酷く魅力的で、心から惹かれる光景だった。
「誰それ?」
「ほら……中学の六組のピアノの子」
控えめな理奈の声。
上手く言葉が出てこない。素直に喜んで良いのか、私には分からない。
ピアノを弾けないと言った菜乃花。一緒に文化祭のステージに立てるかもしれないという淡い期待とは裏腹に、今の菜乃花に理想を押しつけることは許されないと、葛藤に駆られる。
構わずに理奈は続ける。
「文化祭までまだ時間はあるから、急いで決めなくて大丈夫だと思うの。もし、菜乃花ちゃんの気が向いたら……そういう可能性があるってことを凛花に伝えておきたかったんだ」
どこか控えめな理奈の笑顔が、不思議と胸に染みた。
以前から理奈には、菜乃花とのことを話していた。
どうしても、あの時の約束が忘れられないこと。
約束が叶うまでは、誰かと音楽をするつもりが無いこと。
もしかしたら理奈は――、そんな私を気遣って、過去の文化祭のことを調べてくれたのかもしれない。
「……わかった。ありがとう」
テーブルの上のマグカップを再び手に取る。
コーヒーを飲み切り、マグカップの底を眺める。
脳裏に過るのは、文化祭のステージで演奏をする菜乃花の姿。
火を灯した蝋燭のように、一度淡い期待を抱くと、それは胸の中で灯り続けた。
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