大人

「お待たせ」

 彼の声と同時に白いSUVに乗り込むと、ふわりと煙草の匂いが鼻についた。

 スクールバックを隣に置いて、シートベルトを締めるとすぐに車が動き出す。

 後部座席には物一つ無く、ミラーには芳香剤がぶら下がっている。綺麗に片付けられた車内は、無駄が嫌いな彼の性格が表れていると思う。

 助手席に座らないのはただの気まぐれ。

 パーマのかかった黒髪。細いフレームの眼鏡から覗くのは、切れ長の目。ミラー越しの彼が大きな欠伸をする。

「凛花からなんて珍しいね」

「本当、担任に似てる」

「だから知らないってその人」

 いつものやりとりを交わすと、ミラー越しに目が合う。

「飯は?」

「いい。啓太は?」

「まだ。コンビニ寄ってもいい?」

「うん」

 信号に捕まると、啓太は煙草に火をつけた。いつものことなので気にしない。

 啓太が煙を吐いて、同時に運転席の窓を開ける。

「何かあった?」

「特に」

「一ヶ月ぶりくらい?」

「そうね」

「誰かとした?」

「知らない」

 素っ気なく返答すると、啓太はそれ以上追求してこなかった。

 窓の外に視線を向ける。流れるように変わる景色を呆然と眺める。


二十九歳、独身、恋人は無し。介護施設で若いながらもフロアリーダーを務めているこの男とは中三の秋に出会った。

 その日は、妙に人肌恋しく、投げやりな気分だった。

 私は冬が近づくと、宛も無く夜の町を歩きたくなる。

 好きな音楽に浸かりながら、町の景色と夜空を眺め、ただ歩き続ける。

 小学生の頃から、両親の言い争いが絶えない日は、そうやって夜の町を歩いていた。特に秋冬の澄んだ空気が好きで、その季節になると殆ど毎日のように夜の町を歩いていたことを覚えている。

 啓太と出会ったのは、見知らぬ町の小さな公園。仕事終わりに公園の前を通りかかった啓太と目が合い、声を掛けられたのがきっかけだ。

 中学生の私に声を掛けたことは、事故だと啓太は言った。

 そもそも高校生だと思っていたと。下手したら成人している女より、物事を割り切っていて大人っぽいと。

 それはきっと、啓太にとって都合が良いという意味も含まれているのだろう。

 それは私も同じ。啓太との関係は都合が良いから続けている。だから下手に干渉しすぎないし、過度な期待もしていない。

 出会ってから一年と半年。一回二万円。その値段で私と啓太は身体の関係を続けている。

 といっても、私は金銭が目的で啓太と身体の関係を結んでいる訳ではない。

 土日は家から近くのコンビニでバイトだってしているし、欲しいものだって今は特にない。もちろんバイトは、高校に無断で隠れて。

 身体の関係を続けているのは都合が良いから。それ以上でもそれ以下でも無い。

 気持ちいいのはお互い様なんだから、お金なんて良いのに。

 そう言うと啓太は、お金の使い道が無いから、口止め料も兼ねて、なんて私を言いくるめてお札を握らせてくる。

 なにか趣味でも作れば、お金の使い道が出来るのと思うのに。

 そう思うのは私がまだ高校生だから、時間に余裕があるからなのだろうか。


 景色が変わる。国道を抜け住宅街に入る。

 車内に流れている、有名なロックバンドの曲に耳を傾ける。

 激しいギターソロ。聴いていて心地の良いベースライン。 

「ねえ、啓太」

「ん?」

 音楽に触れて頭を過るのは、菜乃花のふにゃっとした笑顔。

 やっと会えたのに。やっと約束を果たせると思ったのに。 

「今日はめちゃくちゃにして」

「おっけー」

 目を閉じる。沈んだ心を埋めるように、身体が反応しだす。

 菜乃花の頬の感触を思い出す。初めてのキスの感触を思い出す。

 もう二度と、貴女に会えない気がして怖かった。 

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