昼下がり

 チャイムが鳴って訪れた昼休み。喧騒の中、私はいつものように自分の席に腰掛けた。

 晴天の空を眺める。差し込んだ温かい日差しが、心地良い。

 昼休みが訪れてすぐの購買は人だかりが出来ている。私は食が細い方で、食に対する関心も薄い。人気の落ち着いた購買で余り物のパンを一つ購入すれば、お腹は十分膨れる。だから急がなくてもいい。

 入学当初は祖母が毎日お弁当を作ってくれた。到底食べきれず、毎日のように残してしまう罪悪感に耐えきれず、祖母には断りを入れた。それ以来、昼食は購買で済ましている。

 視線を下げる。ぽつぽつと敷地内を私服姿の生徒が歩いている。

 近くのコンビニに昼食を買いに行くのだろうか。毎週月曜日と木曜日。恒例のことなのに、通信制の生徒が疎らに私服で敷地内を歩く光景が、妙に浮いて見える。

 あれから、菜乃花からの連絡は無かった。さすがにショックだった。帰宅してからずっとスマートフォンに張り付いていたのに。漠然と、もう二度と会えないような気がして怖くなる。やっと会えたのに。再会できたことが嬉しいのは、私だけなのだろうか。

 ふと、昨日の会話を思い出す。菜乃花は、まだあの家に住んでいると言っていた。にわかには信じがたいが、菜乃花が言うならそうなのだろう。

 もしかしたら、あの変わり様は一時的だったのかもしれない。放課後、一目見に行こう。そんなことを考えていると、

「何してるのー」

 背中に体重が掛かり、細い腕が首回りに巻き付いてきた。ふわりと理奈の甘い香水の匂いが漂ってくる。

「いい匂いね」

「な、何言ってるのもう。香水だって」

 明らかに動揺している理奈。無性に意地悪をしたくなる。

「この前、担任に柔軟剤って言い訳してなかったっけ」

「む……、間違えたの。柔軟剤!」

 理奈が私の傍から離れる。窓から身を乗り出し、空を見上げる。

 理奈の同性へのスキンシップは激しい。クラスの男子が、そのやりとりをまじまじと見つめているのをよく見掛ける。

 今だってそう。理奈に好意を抱いていると噂されている佐竹と目が合い、気まずそうに視線を逸らされる。よくあることだ。

「今日もいい天気だね~」

 まるでお婆ちゃんのような口調で言う理奈に、私はそれとなく訊く。

「友達はいいの」

「うん。今日は凛花のところにお邪魔します」

 どこか嬉しそうに言う理奈。

 私と違い、理奈には友達が沢山居る。明るくて気さくで、それでいて気の利ける理奈はクラスの中心人物だ。

 それに比べて私は無愛想で、クラスに友達と呼べる人は理奈だけ。

 入学当初は男女問わず、よく声を掛けられたが、聞こえない振りをしたり話しかけるなオーラを醸し出すようにした結果、声を掛けられることは大分減った。

 憂いは無かった。結果は望み通りの物だし、想定外な理奈がいるものも、学校生活は恙なく充実していた。

 理奈が私に構うのが気に食わなかった理奈のお友達も、今ではこうして理奈と私が一緒に居ることを受け入れている。きっと私に迷惑を掛けないように、理奈が計らってくれたのだろう。

「色んな人がいるね~」

 恐らく通信制の生徒のことを指しているのだろう。窓から身を乗り出しながら理奈が言う。

「そうね」

「ねえねえ、みて。あの子可愛い」

 窓の外に視線を向ける。確かにと、理奈の言葉に納得する。

 敷地外に出る通信制の生徒とは逆に、敷地内に立ち入ろうとする少女。茶髪の綺麗なストレートの髪。淡いピンクのパーカーに――

 咄嗟に立ち上がる。理奈と同じように窓から身を乗り出し、茶髪の少女を目で追いかける。食い入るように少女を見る。俯きがちで不安そうに辺りを見渡しながら、正門から敷地内に足を踏み入れる少女。間違いない。

「――菜乃花」

「んー?」

 気付けば身体が動いていた。

「り、凛花!?」

 どうして可美原高校に。理由は一つしか無い。それでも、今まで菜乃花は一度も通信制のスクーリングに来たことが無い。それは確かだ。菜乃花を見落とすことなんて絶対ない。 昇降口を目指して、廊下を駆け抜ける。教師の注意する声が聞こえる。同級生の視線が刺さる。どうでもいい。全速力で駆け抜けて、昇降口でローファーに履き替える途中で、

「はぁはぁ……凛花……待ってよー……」

 息を切らした理奈が、下駄箱に寄りかかっていた。

「無理。ごめん」

「どうしたの急に」

「居たの」

 不思議そうに首を傾げる理奈。

「ずっと探してた、ピアノの子」

 そう言い残して、再び走り出す。これ以上、足止めされるわけにはいかない。

 昇降口を出てすぐの正門付近に、菜乃花の姿は無い。

 他に当てがあるとすれば一つ。本館の隣、通信制の生徒に開放されている第二校舎。

 そのまま足を止めずに走り続ける。渡り廊下を抜け角を曲がる。第二校舎の昇降口が見える。見つけた。綺麗な茶髪の髪が揺れている。

 下駄箱の前で、不安そうに辺りを見つめる彼女の手を掴む。

 びくっと彼女の身体が強張った。取り繕う間もなく、その場で息を整える。

「凛花ちゃん……?」

 胸に染みる菜乃花の声。呼吸を整えながら顔を上げる。

 うまく喋れない。ただ、もう二度と会えないかもしれない、そう抱えていた不安が、薄れていく。

「ごめん……ちょっと待って」

「う、うん……大丈夫?」

「やっと追いついたよもうーー」

 息を切らしながら、理奈が追いついてきた。

 握った菜乃花の手が、微かに強張る。

「ごめん、急に」

「ううん。びっくりした……けど」

 不安そうに私の後ろを見る菜乃花。

「こっちは友達の理奈――」

 菜乃花に紹介しようと理奈の方を振り向くと、理奈はまるで驚いたようにその場で立ち尽くしている。

「理奈?」

「ああ、ごめんごめん」

 呆然と立ち尽くしていた理奈が動き出す。

「理奈です。よろしくね!」

「初めまして。藤宮菜乃花です」

 小さくお辞儀をする菜乃花。釣られるように理奈も小さくお辞儀をする。

「菜乃花がうちの通信制に通ってるなんて知らなかった」

「えっと……初めてスクーリングに来たの」

 困ったように微笑みながら、菜乃花は自身の髪に触れる。

「それより、そんなに急いでどうしたの……?」

「菜乃花が居たから」

「私……?」

「連絡くれなかったでしょ。だから、もう会えない気がして」

「あ……ごめんね……」

「立ち話も何だし」

 会話を遮ったのは理奈。辺りを見回すと、通りすがりの私服を見に纏った生徒の視線が集まっていた。

「空き教室でお昼にしようよ」

 理奈は照れくさそうに、自身の腹部を撫でた。

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