03_上

◇◇◇



 銃の原理は知っている。

 狭い場所に押し込められた弾丸のお尻が叩かれると、火薬の爆圧によって弾丸が発射される。弾丸の威力は、人間の肉体を容易に貫通し得る。


 銃はパパの形見。

 だけど銃に関して、パパの教えはない。


 遺品の中から私が勝手に形見として選び、身につけていたからだ。ガンベルトもホルスターも。そして、そのことに誰もなにも言わなかった。使うこともなかった。なのに、持っているべきだと思った。


 火薬が破裂して、銃弾が吐き出されて、弾頭がティリー先輩のお腹を貫いた。


 こんなことのために、こんなものをずっと持っていたの?

 半分はそう思った。でも、半分だけ。


 何故なら――、


 銃創からこぼれ落ちるモノの方が、人を撃ったことよりもずっと衝撃的だったから。そこにあったのが、出血と死ではなかったからだ。


 、と。

 、と。


 無数の歯車が、ティリー先輩のお腹から……亀裂の入った砂時計みたいに、こぼれ出して、地面に落ちていくのだ。


「カエ。ル。帰る。チェル、シア、ここは、チェ、ルシ、ア――」


 、と。

 、と。


 落ちていく歯車など知らぬとばかりに、同じ笑顔のままで、ティリー先輩は歩いて――いや、歩こうとしていた。


 けれども脚は動かず、その場に倒れてしまう。

 お腹からこぼれ落ちた無数の歯車の上に。

 きっと、同じ顔のままで。


「……――っ!」


 呼吸が止まりそう。息を吐こうとしても、吐き出すだけの空気がない。だから息を吸おうとするのに、空気が入ってこない。

 浅く咳き込むような掠れた音だけ、私の口から響いている。

 早く、早く、息をしなきゃ。

 でも、こんなものを前にして、呼吸なんて、できるわけ――


「銃声で他の連中に気づかれたな」


 と。

 当然のように――ティリー先輩が見せていた「いつも通り」とは全く異なる平常心で、ローグさんが呟いた。


 いつの間にか彼は私の真後ろまで近づいており、構えたままの銃に手を伸ばして、さっと取り上げてしまう。

 ローグさんの手の中で銃がくるくると回り、手品みたいに私のガンベルトのホルスターへと銃が収められた。


「なにしに来たのか、って訊いたよな?」


 目の前に倒れているナニカのことなんてどうでもいい、とばかりにローグさんは私の肩へ手を置き、言う。

 その口調があまりにもあんまりで、私は呼吸を忘れていたことを忘れてしまう。


「……訊きました、ね」


 そうだ、ローグさんがなにをしに地下都市へやって来たのか。それを訊こうとしたらティリー先輩が現れたのだ。

 っていうか……


 つい先程の言葉を反芻する。そんな私に、赤い鱗のサラマンダーはとぼけるように眉を上げ、ティリー先輩が歩いてきた方向を――それは私が来た方向、と表現してもいい――指差した。


 なるほど、注意深く耳をすませば、少なくない足音が響いてくる。岩のブロックが作り出す迷路みたいな場所なので、姿までは見えないけれど。


「放っておいてもチェルシアに危険はないだろう。連中はおまえを守るために存在している。しかし、俺と一緒にいると引き離そうとするようだな。そこで倒れてるにーちゃんみたいに」


「ティリー先輩みたいに……」


 名前なんて知らねぇけどな、とうそぶき、足音の方向へ注意深く視線を向けながらローグさんは続けた。


「この地下都市の記録を調べた。おまえと楽しくお喋りした後、都市の中枢に潜り込んでな。連中の注意はおまえだけに向いてるから、難しい仕事じゃなかったぜ」


「調べた――」


「『空の上』から来たって言ったろ。生き残ったサラマンダー種は、に住んでる。でも考えてみろよ、空の上になにがある?」


 彼の言う『空の上』は、のだ。

 私たちの『空』の上は、地下の上。

 彼の言う『空の上』は、文字通りの意味。


「宇宙ですか?」


「大当たりだが全然違う。答えは『なにもない』だ。自分たちの居場所の中で、食い物からなにから、全部賄う必要がある」


 ジリ貧さ、と肩をすくめる。

 けれどその態度に諦めはなかった。


「人口を維持するので精一杯。だから移住先を探してるってわけだ。まだ機能してる都市があれば最高だが、まあそう上手くは行かないもんさ」


 ――砂漠の真ん中にあったシェルターや、高原に作られた甲殻都市。それらの場所は大半が廃墟と化して――


 そう、そんなことを話していた。

 彼がなにをしているかなんて、とっくに聞かされていたのだ。


「この地下都市のことは、もう廃墟になっちまった別の場所を調べてたときに手掛かりを掴んだ。ようやく探し当てたら、初日で人間に出会った。やったぜ、この都市は人間を生かしておけるだけの機能がある……って、思ったんだがな」


 はぁ、と息を吐くローグさん。

 私も同じようにした。


「調べて判ったのは、ここ二十年間での死者が二人だけ。都市機能は三十年以上前から大半が死にかけてる。今は人間一人を食わせるだけでいっぱいいっぱいだ」


「私のこと、ですね」


 今更の話だ。

 考えてみれば、本当に、今更。


 ローグさんと話しているのがとても楽しかったのは、そういうことだ。私にとって彼とのお喋りは、あまりにも新鮮すぎた。

 だってみんな、いつも同じ顔で、同じことを言うんだもの。


「人間一人を生かすために維持されている、機械人形たちの地下都市。それがこの場所の正体だ。もちろん俺たちの避難場所になんてなれるわけがない」


 ハズレだよ、と笑う。

 私は笑えない。


 足音が近づいてくる。

 たくさんの、機械仕掛けの住人たちが。


 思っていたよりもずっとずっと狭かった世界が。

 もう、目の前に。


「――なあ、チェルシア」


 ローグさんは、言う。



◇◇◇



「おまえの目の前にはふたつの道がある。見たことを全部忘れて、俺のことなんかも忘れちまって、元の日常に戻る道」


 いつもの朝、いつもの配給所で、いつものおじさんからお弁当を受け取って……ああ、そのおじさんが、いる。

 みんなが私の名前を呼んでいる。


 チェルシア、さあ、戻るんだ、帰るんだ、こんなところにいてはいけない、チェルシア、帰ろう、チェルシア、戻ろう――。


 何故?


 どうして戻らなければいけないのか、どうして帰らなきゃいけないのか、どうしてこんなところにいてはいけないのか。

 答えを、みんなはくれない。

 パパみたいに教えてもくれない。


「もうひとつは、俺と一緒に外の世界に行く。もういっぱいだって言ってんだけど、まあ一人くらいならどうにかなる。俺たちはまだ諦めてない。また探すさ」


 本当に気楽そうに、笑って言う。

 そんなの、選ぶまでもない。

 だって、もうこの世界は狭すぎる。


 ――世界は、知っているよりは広い?


 知ることで世界が広がるのは、世界が整理されるからだ。理解が世界を圧縮する。だから、空いた分だけ世界が広がることになる。

 全てを知ることが誰にもできない以上、世界は常に広がる余地を残している。けれどもやっぱり、この世界は、思っていたよりもずっとずっと狭かった。


 私は、もっと知りたい。

 だから問う。


「どうしてローグさんは、私を連れて行こうと思ったの?」


 だって、彼らの世界もぎりぎりだって、ローグさん自身が言ったのだ。生産力が限界で、人口を維持するので精一杯。私なんてただのお荷物。


「決まってる。子供を見捨てて自分たちの避難場所を探し回るなんて、面白い人生じゃねーよ。嫌な気持ちのまま生き延びて、もし『居場所』を見つけたとして、どうやったら笑って暮らせる? 絶対おまえの顔を思い出すだろ」


 完全な真顔だった。

 ほんのわずかな冗談の気配もなかった。

 ああ――と、私はまた世界の広がりを感じる。

 だから私は、彼と話をするのが楽しかったんだ。


「連れて行ってください」


 と、私は言った。



◇◇◇



 ローグさんの動作は、速くて力強かった。

 頷いた私に笑みを見せた次の瞬間には、引っこ抜くみたいにして私の身体をひょいと持ち上げ、お姫様抱っこの形に収めてしまう。


 それから、人を担いでいるとは思えない身軽さで岩ブロックの上へと飛び上がり、ちらりと『住人』たちを一瞥してから走り出した。

 走るというより、むしろ飛び跳ねるような移動だ。

 バッタとかノミみたいに、一歩分で稼ぐ距離が大きすぎる。


 あっという間に『住人』たちを引き離し、ほどなくして地下都市の果て。

 そこにあるのは、世界の壁。

 地面を抉った後を金属とコンクリートで補強してあり、所々に巨大な柱がそびえ立っている。『空』の明かりはかなり遠く、さっきの場所よりもなお暗い。


 ローグさんは私を地面へおろし、柱のひとつに近づいてレバーらしきものを思いっきり引っ張った。奥側でごりごりと歯車の回る音が響き、何処かから排気音が聞こえる。柱の正面が開かれ、空洞がさらけ出された。


「あれこれ準備させてやる余裕がなくて悪いが、すぐに出るぞ。連中がああなっちまった以上、都市機能がどうなるか判らん」


 言って、柱の横に置いてあったらしい荷袋から安全ベルトを取り出し、ローグさんは慣れた調子で私の腰へ取り付けた。次いで自分のフライトジャケットに付けられている金具とベルトを接続させ、ぎゅっとベルトを締める。


 なんていうか、結果的にローグさんの胴体に張り付くような形になった。そういえばパパに抱きついた記憶がないな、なんて関係ないことを考える。


 ジャケットの内側にある赤い鱗。

 見上げればローグさんの顔がすぐ近くにある。

 そのローグさんは、私ではなく全然別の方を見ていた。

 そちら側には、たぶん『住人』たちがいるのだろう。


「いいか、これから柱の中を通って地上へ出る。中に入って扉が閉まったら、十秒だけ目を瞑ってろ。呼吸もするな。なにか言いたいことはあるか?」


 頭の上に乗せていたゴーグルをしっかりと装着し、ローグさんはそんなことを訊いてきた。たぶん、優しさで。


「その……大きい声を出していいですか?」


 ふと、思った。

 一瞬だけきょとんと目を丸くして、でもローグさんは普通に頷いてくれた。

 ので、私は『彼ら』に向かって思いっきり叫ぶ。


「――さよなら!」


 挨拶は、元気よく。



◇◇◇



 柱の中は思った以上に広く、人が手を伸ばしてもまだ十分に余裕があるくらいだった。幾何学的に組み重ねられた鉄骨が柱の内壁を構成しており、何処かから歯車の音が響いている。


 扉が閉まる直前、ローグさんの肩の後ろから炎の翼が生えてくるのを私は見た。

 闇が訪れた柱の中――燃え盛る翼。

 今度は私が目を丸くする番だったけれど、扉が完全に閉まったことで約束を思い出す。瞼を強く閉じ、息を吸ってからちょっと吐き出して呼吸を止め、ローグさんの身体に手を回してぎゅっと縋りつく。


 ごつごつした彼の手が背中にそっと回された次の瞬間、衝撃と共に世界がひっくり返った。打ち出されたロケットみたいに飛んだのだ、と予想はできたけれど、目を瞑っているので確認するわけにもいかなかった。


 遠く、甲高い音が響く。

 絵本に登場する子煩悩な怪鳥が鳴いているような。

 毎朝、同じ時間に聞いていたような、排気音。


 私は胸の内でカウントをとる。

 三秒、四秒、五秒が過ぎ、九秒を数え、十に至る瞬間、背中を優しく叩かれた。


 目を開ける。

 肌を焼くような熱と、痛いくらいの光量。

 思わず光源から視線を外すと、眼下に広がる真っ白でふわふわしたモノに気づいた。それが地上を覆っている雲なのだと理解するまで、十秒以上はかかっただろう。


 見上げれば一面の青。

 白と青の狭間で、炎の翼を広げた精霊種サラマンダーが私を抱えている。


 本当の『空』の中に、私たちはいた。

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空の下、空の上 モモンガ・アイリス @momonga_novels

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