第34話 少年から見た世界は

 輝かしい日々が灰色に見えた。

 ハロに用意させた高級ホテルで食べたことのないような料理を頬張っても味がしない。足裏や腕に残った痛みだけを感じていた。


 こんな気分は初めて、とでも言いたいところだが覚えがある。

 昔話をしよう。

 かつて過ごした世界の話を。



 俺はどこにでもいる子どもだった。生んでくれた母は死んでいて、後妻の義母から疎まれいじめられている、どこにでもある問題を抱えた子どもだった。だが俺は父親からは愛されていた。欲しいものは与えてくれる、やりたいことはやらせてくれる、そんな人だ。

 愛してくれていた。愛してくれたが、義母から俺を守ってはくれなかった。

 いじめられて少しでも反発すると義母が父に泣きつき、その父に俺が殴られる。俺は父がわからなかった。でも父親に嫌われたくなくて、いつも俺が謝る。それが日常。世界は灰色だった。

 そんなくそったれな日常の、ある日のことだ。


 俺が倒れて、病院に運ばれた。救急車を呼んだのは義母。

 少しでも愛情を感じてくれていたと思っていたが、ただの保身のためだったとすぐにわかった。病室で俺が目を開けたときに義母はどんな顔をしたと思う?


 残念そうな顔をしていた。血反吐を吐いた俺を心配してくれたのは後から駆け付けた父だけ。少年は来てくれたことを嬉しがった。でもすぐにわかった。汗の一つもかいていなかったから。

 俺の顔だけ見に来たのだ。

 そのとき俺は、この人の愛情は形だけなことに気が付いた。


 極めつけは弟だ。義母の子どもで勉強のできない奴だったが、どうすれば自分が良く思われるかだけは分かっていた。俺の見舞いにきて、思ってもないことを周りに聞こえるように言って、周りに笑顔を振りまいていた。

 それを見ていた俺の気持ちがわかるか。全ての言葉が逆に聞こえた。

 思ったより元気そうだね。よかった。

 --想像以上にボロボロだ。ざまぁねぇな。

 早く病気が治るといいね。

 --そのまま死んじまえ。

 心配で夜も寝れないよ。

 --お前が家に帰らなくなって、夜はぐっすりだ。

 耳障りで仕方がなかった。なのに周りは感心する。自慢の弟だろうと言われたときは吐き気がした。

 義母は弟の出来が悪いから俺を目の敵にしたのだろう。それを見て育った弟も俺をいじめていいと思ったに違いない。その渦にガキの頃の俺は気づかなかった。義母も弟も仲良くなれるなんて勘違いをして、いじめられても我慢してしまったんだ。

 だから失敗した。

 いじめられたときに逃げ出していれば違った未来があったかもしれない。

 あんな父でも話は聞いてくれるのだから、父から弟に何か言ってくれればマシになっていたのかもしれない。


 俺は家族が嫌いだった。

 かくして性格は捻じ曲がる。愛情なんてまやかしで、家族なんて価値がないと。



 その後は知っての通りだ。不治の病だったのでコールドスリープへ、そして北極で廃棄された。

 考えてみれば父に恨みのある誰かの犯行だったのかもしれない。だがきっと優しい人だ。コールドスリープから目覚めたら死んでしまうことが分かっていた。それでわざわざ北極だったのだろう。


 目覚めたとき、人類のいなくなった世界を見て俺は笑った。

 灰色だった世界に色が生まれ、自然と涙が零れた。人類は生かすべき人間を間違えたに違いない。ハロも俺の泣いた理由を人類が滅びたからだと思っていた。

 ハロが世界を再構築すると言ったとき、俺は止めさせようか悩んだ。人類の言うことにはハロは絶対だった。創造主に服従するというプログラムでも仕込まれているのだろう。もはや主は俺一人だった。

 人類再構築を渋る俺にハロが提案したのが俺の望む世界を実現することだったのだ。それも、記憶を消して。


 その話を聞いて、喉の奥が震えたのを覚えている。あの灰色の世界を忘れることができるから。決して自分が味わえないと思っていたぬくもりを知ることができるから。家族を、愛することができるから。


 全て俺が望んだことだった。

 そして全部、自分で壊した。


 ボロボロと涙が出てくる。思いだすなんてことがあるなんて知らなかった。

 こんなものを思い出すはずがないと思い込んでしまったんだ。


「大丈夫かい?」


 いつの間にか隣にいたハロが俺の涙をハンカチで拭った。あれほど気味が悪いと思っていた存在がまさか命の恩人だったとは思わなかったな。


「大丈夫じゃねぇよ。記憶は消せない理由ってやつは何なんだ」

「説明の必要はないだろう。君は気づいているんだから」

「……やっぱ病気のせいなんだな」

「病気じゃない、才能だ」


 訳の分からないことを言い出したハロに俺は顔をしかめた。

 人の顔が自分の顔に見える才能ってなんだ。馬鹿じゃないのか。


「コントロールできるようになったんだろう」

「なんで知ってるんだよ」

「春乃くんにドギマギしていたそうだからね。美香には治ったとは聞かされてない。ならばコントロールできたとするのが普通だろう」

「いや、普通ではないだろ」


 人工知能様は賢いことで。

 きっとこういった情報を得るために美香を妹に添えたんだな。

 

「世界にはかつてオーラが見える人間がいたという」

「オーラ?」

「気だとか様々な言い方がされているが、このオーラを私はその人物を構成する一部だと考えている」

「……えーと?」

「つまりだね、君は人々に自分の欠片を見い出したのだと思う」


 はあ。俺の細胞を元に再生したから、俺の一部だってことか。

 そんな馬鹿な話があるかと言いたいところだが、記憶を消すだのなんだのやってるからな。


「でも俺はこれまでオーラなんて感じる人間じゃなかった。見えるようになったタイミングも意味不明だし、それに人だけじゃなくて絵や動画でさえ人の顔が俺になっていたんだぞ」

「みんながみんな自分の顔に見えたから錯覚したのだろう。覚醒したタイミングはきっと何か衝撃があったに違いない。物理的なものでなくともいい。精神的なインパクトで才能が開花したわけだ」


 いや、まあ。思い当たる節はあるな。

 春乃とのキスのとき、俺の心臓ははちきれんばかりだった。よくその顔をみたいと目を見開いていたと思う。


「それじゃ、あの不審者はなんだったんだよ」

「アレは失敗作だといっただろう」

「どういう意味かしっかりと説明しろ」

「ふむ。あの不審者だが、おそらく君と同じ才能に目覚めたということだろうね。気づくのがもう少し早ければ処分しなくともよかった。人類たる君と同じ体質。つまり人類に限りなく近い存在だったのに」


 ハロが残念そうに爪を噛んでいる。こうやってみるとハロも十分人間だな。

 ああ、やっぱりアイツ死んだのか。

 どうでもいいことだけど。あいつと手が触れたときに感覚を共有したのも俺の才能とやらが関係しているのだろうか。


「おっと。話が逸れたな。どうして記憶を消せないんだ」

「その才能のせいだね。おそらく私には効いていないんだろう」

「まあ、人間じゃないしな」

「そのことで私に対する認識阻害が働かなくなってしまってね。私という存在に疑念を抱けてしまうんだよ」

「ふーむ」

「簡単に言うと怪しまれてないようにできないわけだ」

「ああ、なるほど」


 怪しむなというのはなかなか難しい話だ。どうやったって無理だろう。


「そもそも君の才能で他の人が自分の顔に見えてしまうだろうからね」

「そうか。確かに記憶消したらコントロールもくそもないか」


 また記憶を無くして誰だコイツコントをやる気にはならない。


「ただ、まあ。あるにはあるんだ。記憶を消す方法」

「なんだ!? 教えてくれ」

「一斉消去だ。記憶を全て消すことになる。もはや君と呼べるかさえわからない」


 全てを消す、か。

 それが正解なのかもしれないな。全部忘れよう。忘れた分は手回しして色々付け足してくれるだろう。


「準備しておいてくれ」

「……承知しました。わが主よ」


 ハロが本来のように畏まる。久しぶりに見たな。

 さて。記憶を失うってことは死ぬと同じことなんだろうか。最後の人類が選んだのは自殺になるわけだ。


 人類としては避けて欲しい道に違いない。だが俺はそれを選ぶ。

 一般論だとか、そんなものはどうだっていいんだ。選ぶのは俺なんだから。自由なんだ。どうしようが、何をしようが。

 でも、なんだかなぁ。

 自由って残酷だ。


 ホテルの窓から外を見渡した。世界は灰色に満ちていた。 


 



 


 

 


 

 


 

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