第33話 融ける心臓
--声が、聞こえた。
俺に何かを話しかけている。上半身を起こし、声のする方へと体を向けた。
「やあ、起きたかい」
「え、あ。う、え、あう」
あれ? おかしいな、言葉が発せない。それに熱い。体中が、皮膚が燃えるようだ。視線を向けた先にいたのは白衣の女性だった。医者、なのだろうか。いや、違うか。俺の様子を見て、毛布を持ってきた。なんでだ。こんなに熱いのに。
「どこか体におかしなところはあるかい」
俺は渡された毛布を投げた。見て分からないのか。
「ん? ああ、そういうことか。なるほど。失念していた」
気づいたのか女はペットボトルの水を持ってきた。
……間違ってはないんだけどさ。もっとあっただろ他に。
水を飲むと、体の中まで熱くなった。なんでだ。ただの水じゃないのか。い、いや。違う。手の触れているところに霜ができている。熱いんじゃない。冷たいんだ。俺の体が氷のようなんだ。
どうして。--いや。そうか、俺は。
「気づいたかい? 今までどうしていたのか。教えてあげよう。君にはその権利があるからね。きっと後悔するだろう。でもね、安心してくれていい。……忘れさせてあげるから」
「あぁあああ!!!」
叫び声をあげながら俺は跳び起きた。
視界が定まらない。冷汗で寝巻が体に張り付いている。腕に走った痛みで自分の腕に爪を突き立てていたことに気が付いた。
「い、痛たた。どうしたのいきな……って何してるの!?」
上半身を勢いよく起こしたからだろう。寝ていた春乃を突き飛ばしていた。
そして血が出るほど爪を突き立てている俺の手を掴んだ。俺は、その腕を振り払った。なぜ手を払われたのか分からないのだろう。唖然としていた。
「……ずっと騙していたのか」
「え?」
「全部、全部嘘だったのか!?」
「落ち着いてどうしたのいきなり」
「やめろ触るな!」
俺の言葉に春乃が目を見開いた。きっと傷ついている。可哀そうに。でもな、でもな。俺はもっと傷ついている。
「思い出したよ。全部、全部! ははは。なるほど、自作自演ならぬ自作他演か。傑作だよドクター! そりゃこんなもの覚えてる意味がねぇもんなぁ!」
「ね、ねぇ。おかしいよ。どうしちゃったの」
「どうもこうもねぇ。最初からこうだったんだよ。最初からクソ野郎だった!」
泣いているのか、笑っているのか自分でも分からない。
この感情をどこにぶつければいいんだ。
「おいドクター! 聞こえてんだろ!? さっさとまた記憶消してくれよ。耐えられねぇよ、こんなもの!」
「や、やめて。やだよ。私、嫌だよ!」
「はは。何を馬鹿な……ああ。そうか。なぁ春乃、いや天川。いいか、よく聞け。お前は俺が好きだって思わされているだけだ。決してお前の恋愛感情じゃない」
「な、名前……い、いや。それよりも、そんなことないよ。君が好きだよ」
「やめてくれ! 自分が哀れになるよ本当に。こんなバカな話は他にないな。この世界は作り物なんだ。お前ら全員、作り物、おままごとだよ。ははは!」
俺は寝巻のまま外へと飛び出した。呼び止める春乃の声も聴かず、止めようとした美香を突き飛ばし、はだしのまま走り出す。目的地などない。ただこの場から逃げ出したかった。
俺はずっと、コールドスリープで眠っていた。病人だったんだ。治療法のない病の。だから治療法が出来上がるまで眠っていた。
そして目覚めてみたらどうだ? 人類は滅んでいたよ。ほんと、笑える。生き残ったのが俺一人だなんて。どうして滅んだか。戦争か? 天変地異か? 答えは感染症だ。最初はただの風邪のようなものだったらしい。そしてその程度のものだと勘違いしたわけだ。世界中に広まった後、それは本性を現した。
症状は激化、その進行速度は凄まじくワクチン開発も間に合わない。考えてみるべきだったんだ。人間がかつて食べるために個の種を絶滅させたように、病の食い物である人間が食いつくされる未来を。
病はあらゆる生き物にも感染した。渡り鳥にも感染し、離島や島国までも覆い尽くす。もうどうにもならないと感染していない人々は自分たちだけは助かろうとした。まあ、その人々の中に感染者が紛れていたわけで。人類はあっけなく滅んだ。
文明の英知を残して。
それが上江波呂、いや。上江教授に作られた人類保護AI、HELLOWに。
通称ハロは生存者を探した。そして俺を見つけたというわけだ。
俺のようにコールドスリープをされた人間だっているはずなのに、どうしていないのか。簡単な話だ。コールドスリープのための電力が足りなかった。ハロ自身拡張して電力を確保できるようになるまでまともな保護ができずに辛うじて残っていた人類を死なせてしまっている。
では何故俺は生きているのか。これが笑えるんだ。俺は物好きな医者にコールドスリープの最中人体実験に利用されていた。コールドスリープした人間を北極で保管してみようってな。どうしてそんなことができるかというと、感染症が広まるずっと前に俺の身内が誰もいなくなったから。金が払えないならどう扱ってもいいという
ハロは俺を治療しワクチンを投与すると、俺の細胞を基に病に負けない体で世界を再構築するというのだ。そして世界が再構築されるまでの間、俺はまた眠りについた。
細胞を提供した俺がした取り引きは簡単だ。
俺の望む環境をつくること。可愛い彼女と可愛い妹、優しい母に、煩わしくない父親。そういうものが欲しかった。だが、そのことを知らずに 。偽物だと知って興じられるほど俺はできていない。だからハロに記憶を消させた。
なのに。なのに。
「あはははははははは!」
滑稽だ。俺は自分の考えた妄想の中に生きていた。
どうして春乃が俺を選んだのか。簡単だ。俺を選ぶように仕組まれていたんだから。美香の憎めない性格だって、ただの俺の趣味だ。気色悪い。罵倒されたいとか頭おかしいんじゃねぇの。それを演じる美香も大概だったな。
家族ごっこも、恋愛ごっこも楽しかったよ。けどもう、楽しめる気がしない。
手当たり次第、目に入ったものを壊した。
店のガラスを割り、広告の旗を折り、自転車は蹴飛ばし、車も傷だらけに。
この町が好きだった。人々が好きだった。いじめも、病気も、春乃がいるこの世界が好きだった。
愛して、いたんだ。
それが全部作り物だったなんて、あんまりじゃないか。
計画した俺はこんなことになるなんて思わなかった。
ただ真っ白な病室の中で願った世界を実現したかっただけなんだ。
疲れ果て、見知らぬ土地の交差点で俺は倒れ込んでいた。
足裏が痛い。きっと血が出ている。でもそれもまあ、どうでもいいことだ。
どうせ忘れる。この辛さも、痛みも、全部。
こんなことなら昨日、春乃を抱いておくんだった。何も知らないうちに。幸せなうちに。あんなに幸せだったのに、俺は今深い絶望の中にいる。
知らなかったんだ。こんな結末だなんて。
知ったら後悔する、じゃわからない。もっと止めてくれないとわからねぇよ。
「こんなところで寝てたら轢かれるぞ」
噂をすればという奴か。ハロが俺を見下していた。
スカートの中が見えるが、人間じゃないって知ってると全く嬉しくないな。
「よお。遅かったな。待ってたんだぜ。早く記憶を消してくれ」
「それがね、できないんだ」
「はぁ?」
「できないんだよ」
俺は起き上がった。
何を言っているのか、わからない。
「君だって覚えがあるだろ。忘れさせたって思い出すんだ」
「な、なあ。嘘って言ってくれよ。嘘だって言ってくれよ」
「すまない。でもわかってくれ。私が君の味方だってことは」
俺はハロの服を掴んで喚いていた。
その姿はきっと、ただをこねるガキだった。
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