第32話 楽園の楔

 春乃に病気のことを話すと決めたはいいもののどう説明してよいのやら。俺自身この病気についてよくわかっていない。ただ人の顔が俺の顔に見えるということだけが確かだ。そもそも病気なのにコントロールできるのもよくわからない。今ではちょっと意識を切り替えるだけで人々が俺の顔だ。いらねぇ。

 俺と同じ病気だった不審者の男が生きていれば話を聞けたのに。


 上江に相談してもいいが、気が乗らない。美香が敵ではないと明言しても人殺しなのは確かだ。殺した相手を人間だとも思わない。俺は人間だとかいうけど、そんな相手にわざわざ相談しに行けるか。どうして逮捕されないんだアイツ。

 そういえば上江は俺の顔に変わらない唯一の存在だ。そこを突き詰めれば解明できそうなものなのだが。


「ねえねえ。今日は一緒に寝ようよ」


 俺の心配など露知らず、ベットの上に春乃が寝転がって笑っている。少し大きめのパジャマがよれて胸元が見えていた。最高。いや、襲われたいのか己は。いや、実際そうなんだろうけど。

 先ほどの妹に土下座していた件は妹の部屋を勝手に漁って服を用意したからということで誤魔化せた。嘘ではない。実際漁って怒られてるところもあるし。私のためにしてくれたことだから許してあげてって仲介までしてくれて。本当に優しいぜ俺の彼女は。でも誘惑するのは止めてくれないかな我慢できなくなるから。


「妹も母さんもいるからやめとこうかな」

「んー? 別にエッチなことしようなんて言ってないよ?」

「なっ……!?」


 何てひっかけ問題だ。そんなのひっかかるに決まってるだろ。

 美香か? 美香仕込みなのか?  


「俺の理性が持たないかな……」

「この間一緒に寝た癖して何言ってるの」


 

 だって俺の顔だったし。

 欲情しねぇよ、んなもん。グラビアに可愛い子の写真貼るならわかるけど俺だぞ。がっかりだわ。超がっかり。


「あの時は春乃を落ち着かせるためで……」

「あーどうしよう私唐突に不安でいっぱいになっちゃった。一緒に寝て?」

「よかったな仲良し美香ちゃんがいるよ」

「もー!」


 おお、春乃が牛になった。牛にしてはスタイル良すぎるな。逆に胸もそんな……やめよう。うっかり口にしたら殺されそうだ。

 正直、俺だってしたい。治ったら何をしようと楽しみにしてたんだ。たった数日間だったとはいえ、そんだけ辛い日々だった。確かにそういうこともしたい。けど病気と状況がいつだって邪魔をする。もどかしい。


「こうなったら君のエロ本探して机に並べてやる」


 そ、それは卑怯ではないかな?

 世の中である悲惨な母親の所業として知られているものだ。幸いうちではそういうことはないが、彼女にやられるのは嫌だよ。

 ちょっと前に岩崎と取引で得たエロ本だってある。絶対不機嫌になるだろ。


「わ、わかった。一緒に寝よう。でも最初に言っておくけどしないからな?」

「……本当は、体の病気だったりしない? 大丈夫?」

「うぇ!? い、いや。そんなことはないよ」


 馬鹿な。美香が俺の病気を知っていただと? なら話は変わってくる。ああくそ。いったいどこでバレたんだ。


「やっぱり……機能不全って言うんだっけ。私も協力するから頑張って治そ?」

「おいちょっと待て。誰だそんなこと言った奴は」

「あれ、違った? 岩崎くんとの会話が聞こえてきちゃって」


 岩崎ぃ! だからいったろうがよぉ!?

 おい嘘だろ。春乃の周りにだって人だかりができていたのに聞こえたのかよ。

 まさか話してると見せかけて聞き耳立ててたとか言わないよな? だったら女子組に俺、そっちの病気だと思われてる?


「でも違うっていうのなら、また違う問題ってこと? 安心して。身体的特徴で笑ったりしないから」

「違う違う。より悲惨な方向に舵を切らないでくれ。大丈夫だから安心してくれ」

「そう? じゃあ見せてよ」

「仕方ないな……ってなるかコラ」


 うっかりベルトカチャカチャ鳴らしちゃったよ。

 絶対この話術美香仕込みだ。俺の性格を熟知してるからできる芸当だこんなもの。のらりくらりと躱しどうにか腕枕で我慢してもらう。

 不満気だったが腕枕が好きなのかニマニマしていた。さて、問題なのは俺の理性だ。くそ。やるしかないのか。そうしないと大人の階段を飛ばして昇って親の階段まで届いてしまう。でもやだな。わざわざ可愛い彼女の顔を自分の顔で見るなんて頭おかしい。


「この前、一緒に寝たとき。本当に嬉しかったんだよ?」

「そうなのか?」

「誰かと一緒に寝たことなんてなかったし」

「中学とかの旅行とかであっただろ」

「君ねぇ……」


 恨みがましく春乃が見つめてくる。そんなおかしなこと言ったかな。

 ……はい、冗談です。茶化しました。なんか重い話になりそうだったから。


「えい!」

「うおお!?」


 春乃が腕枕をしたまま抱きついてきた。

 顔をずらして胸板に耳を付けて心音を聞いている。春乃にはきっと破裂しそうな心音が聞こえているに違いない。服の上からあばらがなぞられるの背骨がぞわぞわする。足だって絡めてきて……あれ? なんかエッチじゃない?


「春乃、駄目だって。ほら、嫌だろ。美香とかに聞かれたりしたらさ」

「嫌、なの?」

「そんなことない! 人に聞かれるの恥ずかしいし、できちゃったら大変だしさ!」

「いいの。欲しいの赤ちゃん」

「ああ、そうなの。それは知らなか……え?」


 おい今なんていった?

 春乃、まさかその気なのか。大変だぞ俺たち高校二年生だぜ。養う金も職もない。そんなの母さんだって反対するだろ。春乃の母親だって……いや。あの人は口出しはしてこないか。

 でもどういうことだ。気持ちが離れていくだの言っていた件なら説得したはずだ。なのに、どうしてまた。そのときには子どもなんて話は……。

 いや待て。子ども?


「まさか、上江に何か言われたのか」

「……」


 くそ。いつだってあいつが諸悪の根源じゃないか。

 どのタイミングで接触した。俺が春乃と離れたときなんて……まさか、美香が俺の部屋で話していたときか? 畜生、どうして家の中に簡単に入り込んでやがる。


「そろそろ君が気づいてしまうからって。そうしたらもう会えないって」

「会えないって、それは知ったら殺されるってことかな」

「ううん。きっと君は壊れちゃうって。だから、そうなったら記憶を消すって。まっさらな状態で全部やり直すって。そしたらもう会えないの」


 ……善意という名の狂気だ。

 俺が知ってはいけないから、知ったら消すなんて。確かにあと少しのところまで来ている。ピースはかなり出揃っている。


 上江を見て、ドクターと呼びそうになったこと。

 この世界の在り様。微細であれど大きな地殻の変動。あのまろランドも思えば変な話なんだ。あんな生物たちがそんな昔から注目されていたはずがない。それが遊園地に取り上げらるなんて。だが、この世界は復元した世界と考えると納得がいく。

 どうして俺はここにいる? タイムマシンか、それとも……。


「ねぇ。お願い。もうこれ以上知らないでよ。私だって知らないの。一緒に知らないままでいよう。一緒に幸せでいようよ」

「……」


 俺は何も言わなかった。言えなかった。

 痛い、痛いよ。心が痛い。

 春乃は楔だ。満たされたこの世界に留めるための、楔。

 利用されているのだろう。だがこれは彼女の本当の気持ちだ。嘘偽りのない、心だ。俺はその心をきっと踏みにじる。好奇心だけじゃない。これは言わば呪いだ。俺は知らなくちゃいけない。あの不審者が死んだ理由を。俺の病気の真実を。元の世界が滅びた理由を。俺が人類という言葉の真意を。


 俺は春乃を抱き寄せた。

 何も言わず、何も答えず。けれど行為には至らなかった。それをしてしまったら春乃のところに戻れない気がしたから。

 春乃は何も言わなかった。涙も流さない。俺が傷つくと知っているから。

 互いに我慢をした。ただただ耐えるしか、なかったんだ。



 

 








 

 

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