第30話 毒親、極まれり
春乃を泊めるために家へ連れてきた。
明かりがついている。母さんも美香も今日は家にいるようだ。
これはどういうことだ。上江が手回しをしていたんじゃなかったのか。考えられるのは俺が上江の目的に沿うつもりがないから邪魔をしてきたというところだろうか。全く、馬鹿馬鹿しい。恋人たちの睦言を強制させるなんてあってたまるかってんだ。
上江はデリカシーを通り越して人間性がない。
「私帰ったほうがいいかな」
春乃は俯いている。声が震えていた。その表情は伺えない。
温かみのある家族を見たくないのか、それともその中に入ること自体を引け目に感じているのか。
おそらくは両方だろう。その感覚を払拭する手段を俺は知らない。本人の気持ちなど本人以外には所詮計り知れないものだ。どんな美辞麗句を並べ立てたって耳当たりのいい言葉でしかない。
俺にとって春乃はもう家族みたいなものだ。愛という単位なら家族以上の存在だと言っていい。その彼女が苦しんでいるのに放っておくなんてできるはずがないじゃないか。
「俺が一緒に居たいんだ。春乃は、俺のわがままに付き合ってくれてるだけだよ」
「……ありがとう」
「ほら、行くぞ」
「うん」
彼女の手を引いて玄関まで向かう。インターホンを鳴らすとすぐに扉が開いた。
「おかえり。兄ちゃん」
「ただいま。珍しいな、美香が出迎えなんて」
「て、あれ? 春ちゃんもいるんだ?」
「こんばんわ。えっと……」
「春乃をしばらく家に泊めようと思うんだ。母さんにはこれから許可をとるよ」
俺がそう言うと美香は目を丸くした。
春乃の問題に対してこんな手段をとると思わなかったのだろう。何も知らなければ俺もそうしていたかもしれない。だが知ってしまったからには放っておけなかった。
こんなに驚くかだろうか。上江と協力関係にあるならこうなりそうだ、くらい教えてくれたりするだろうに。
どうも美香は上江と協力関係にある割に意思疎通が取れていないように感じる。賢い美香が色々見落としてるのも不思議な話だ。最初に俺が上江の名前が浮かばなかったように何か細工があるのだろうか。
騙されてなければいいのだが。
「そっか。じゃ、しばらくよろしく春ちゃん」
「よろしくね。美香ちゃん」
……春乃は俺以外にはあの卑屈そうな顔を見せないんだな。
信頼されていることは嬉しい。俺だけってのはなんだって特別だ。でも、春乃には俺以外にも頼れるものが必要じゃないだろうか。
美香でもいいし、あるいは趣味でも。
そういや春乃の趣味って何だろう。料理とかはしているみたいだけど料理というとまた違うような気もする。多分あれは仕方なく身についたものだ。だとしたら趣味ではない。
好きなものとか嫌いなものは知ってるのに趣味を知らないのは彼氏失格だよな。
「兄ちゃん、いつまで外に突っ立ってるの?」
「あ、ああすまん。ボーっとしてた。そうだな。母さんに話を通さないと」
何があったのかを伝えると母さんは二つ返事に許可を出してくれた。たんまり春乃との関係を繰り返し聞かれたのはげんなりしてしまったが、おおよそ順調だ。
俺は最も重要なことに取り掛かる。春乃の母親への電話だ。これだけはしっかりしておかなくてはならない。美香に協力してもらって春乃は美香の部屋にいる。大丈夫、会話は聞かれないはずだ。
おそるおそる電話を掛ける。するとコール音二回で電話に出た。
「はい。どちらさまですか」
「こんばんわ。初めまして。あなたの娘さんの恋人です」
「ああ、あなたですか。どうしましたか」
「どうって、春乃のことが気にならないんですか。昨日帰らなかったでしょう」
「あら。そうだったかしら」
こ、こいつ。
春乃の母親なのはわかっているが、ぶん殴りたい。そうだったかしらって、心配すらしなかったのか。畜生、ふざけやがって。
「そうそう。あなたに言いたいことがあってね」
「なんですか」
「アレとは別れなさい。他にお相手がいないというなら私が見繕ってあげるわ」
「あ”?」
「だって、ほら。あなたは特別な人でしょう? 凡人以下の娘には高値の花が過ぎるからね」
「……んな」
「あら。何かしら」
「ふざけんな」
もう我慢の限界だった。自分の娘のことをアレと呼ぶか。上江みたいなことまで口走りやがる。何だ、何だってんだ。俺が特別だ? どこが特別なのか教えてくれよ。俺に言わせりゃ、春乃の方がよっぽど特別な人間だ。
相手の話を聞いてくれるところも、心配してくれるところも、最高の彼女だ。
それを、別れろだ? 到底受け入れられるものじゃない。
「あんたが見てくれないから、春乃は苦しんでる。親としてそれでいいのか?」
「子どもが親を語るものじゃないよ。私はちゃんと娘の面倒を見ているとも。学費だって払っている」
「義務の話をしているんじゃない。責務の話だ」
「ふふ。聞いていた通り、口が達者だね。で、どうするんだい。何か言いたいことがあるんじゃないの」
聞いていた通りか。やっぱり上江の関係者だったんだな。
それならなぜ春乃は上江を知らないんだ? まさか、記憶を消したのか。好き勝手やりやがる。なんでもありかよ。
「ああ、言ってやる。言ってやるよ。あんたのところに春乃は帰らない。あんたといたら春乃は駄目になる。俺がもらっていく」
「駄目になる、ね。娘は元から駄目なんだよ。習い事は何一つうまくできない。勉強だって駄目だ。一般人のふりがうまいだけさ」
「黙れ」
「黙らないとも。アレとの子どもができたとして、きっと落ちこぼれだ。世の中に必要なのは有能な人間だ。いらないじゃないか、そんなの」
いらない、だと?
ブツンと頭の中で何かが切れた。
優劣のみで判断して、優秀な人間だけの社会でもつくるつもりか。
「あんた、最低だよ」
「いいや。最低じゃないとも。私は成功している。金も人望も学もあるんだ。どうだ正しいのがどちらか一目瞭然だろう」
「金があったら幸せなのか?」
「金がなければ不幸だろう?」
「権力があったら幸せなのか」
「権力があれば蹴落とされる側にはならないからね」
「極論だ!」
「同じ言葉を私も返そう。君の幸福論は実に薄っぺらいよ」
ブツンと電話が切られた。言いたいをこっちがいっていたはずなのに、結局は相手の手のひらの上だ。
くそ、やっぱり美香に意見を求めるべきだった。
俺一人じゃ手に負えない。
はらわたが煮えくり返るってこういうことをいうのか。くそ、こんな思いを春乃はずっとしてきたんだろうな。俺だったらとっくにハゲてるところだ。
ストレスは個人によって受けられる量が違う。春乃はきっとストレスに強いのだろう。でも、だとしたってこんなの耐えられないはずだ。
「どうだった?」
「お、おい。春乃はどうした」
「お風呂入ってるよ。次入る? あ、でも湯は飲まないでよ」
「お前は兄をどんな変態だと……」
「それより、どうだったのって」
「……駄目そうだ」
「やっぱりねー」
美香は腕を組んでうーんとうなる。
これは美香にも解けない問題だった。なら俺に溶けるはずはないよな。
「なあ、美香。春乃のお母さんのことを知ってるか?」
「……うん。知ってる」
「何の人だ」
「上江さんと同じ人だよ。研究所の」
「研究所? おいおい。この前は教育委員会の人って」
「そりゃ、嘘に決まってるでしょ」
嘘かよ。全く、どうして皆嘘をつきたがるんだろう。話してくれないと分からないこともあるのに。春乃の母親は嘘をついていない気がした。あれは本心だ。でも、嘘であって欲しい。
いや、本当でもいいんだ。
春乃の前では頼むから、嘘でも愛してると言って欲しい。俺は切実にそう願った。
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