第29話 覚醒

 教室に入って早々、俺たちは互いにクラスメイトたちに囲まれていた。俺も春乃も流石に苦笑いになる。エサに群がる鯉かお前ら。


 クラスのカップルが二人揃って休んだのだ。そりゃ気になるのも分かるが、遠慮ってものがないのか。こういうのって触れにくいから何となく置いておいてくれるもんだろ。すげぇ聞いてくるじゃん。

 「どこ行ったの」まではわかるが、「どこまで行ったの」には別のニュアンスが含まれているのを感じる。当然、無視だ無視。


 しかし病気が治ってからクラスメイトの顔を見ると不思議な気分だ。みんな俺の顔に見えてたからな。こういう顔してたんだなこいつら。同窓会とかこういう気分なんだろうな。こんな奴いたっけって感じ。

 俺が話す気がないとわかると野郎どもはさっさと散っていった。春乃のほうはずっと人だかりだ。


「大変だな春乃は……これが人望の差か」

「いやぁ、社会性の差だろコレ」

「いたのか岩崎」

「お。今日は俺様ってすぐわかったな」

「わかるだろ、そりゃ」


 こいつは独特のムカつく話し方をするから病気だった頃もすぐわかったしな。

 まあ、喋んなかったらわかんないけど。


「にしてもよぉ。もう少し気を回してやるべきだぜ。お前」


 岩崎の言葉に首を傾げる。

 何を言ってるんだこいつは。どこに気を回せってんだ。今日だけ別々で登校したらその方が変だろ。


「やっぱわかってなかったな。全く……」

「うぉおおお!?」


 岩崎は後ろから俺の襟の中に腕を突っ込み、何かを噴射した。あまりの冷たさに思わず仰け反る。慌てて岩崎の腕を掴むとその手に握られていたのは制汗剤のスプレーだった。


「いきなり何しやがる。俺臭かったか?」

「いや別に」

「じゃあ何だよいきなり。俺冷たいの嫌いなんだよ」

「あ、そうなのか? そりゃ失礼。いやな、匂いを変えておこうと思って」


 匂いを変えるって、なんで? 自分の匂いにしたいとか言わないよな。

 怪訝な顔をしていると岩崎が小さく耳打ちしてくる。うわやめろ。顔近づけるんじゃねぇ。俺の顔じゃなくても嫌だ。


「風呂でも貸しただろ。春乃ちゃんからお前と同じ匂いがする」

「へ?」


 人の彼女の匂い嗅いでるんじゃねぇと言いたいところだが、しまった失念していた。気づかれたら間違いなく変な憶測される。というか岩崎には多分されてるだろう。ニヤニヤしやがって……。


「た、助かる」

「気が抜けてるねぇ。で、どうだった?」

「うるせぇ馬鹿」


 やってないと言ってもいいが、それはそれで春乃とうまくいってないと思われかねない。コイツの扱いはこのくらいでいい。

 あと多分だけど岩崎って結構経験あるんじゃないかと思う。

 さっきの対応手慣れてたし。岩崎の方が先に進んでるのか。……そうか……そうか。


「いや、何凹んだよ」

「何でもねぇよ……」

「ああ、もしかして勃たなか」

「ちげぇよ!?」

「そんなマジに否定しなくてもいいんだって。仕方ねぇよ。俺だってあるさ、そういうときも。春乃ちゃんだって時間が経てばわかってくれるさ」

「待て待て本当に違うから待ってくれ。春乃にEDとか勘違いされたらどうしてくれんだお前」

「お、おう。本当に違うのか。悪かったて。そんな睨むな」


 あ、危ねぇなコイツ。

 なんてこと言い出すんだ。春乃はこっちの会話は聞こえてないだろうけど爆弾発言しやがって。どうすんだ病気だったのにごめんね、みたいな空気になったら。あながち病気だったから間違いでもないけどさ。


「ま、なんにせよ最近は調子悪そうだったのに今朝は元気そうで安心したぜ」

「あれ? そんなわかりやすかったか」

「まるわかりだな。俺と春乃ちゃんくらいにしかわからんだろうけど」


 うげぇ嫌だ。なんでお前までわかるんだよ。やめろ決め顔するな。なんだよ、男の友情とでも言いたいのか。


 というか、そうなんだな。春乃は俺の様子がおかしいのに気づいて察してくれていたのか。それを隠せてると思い込んでいた俺って……。ま、まぁ、凹むのは後だ。とにかく不安にさせた分、春乃に何かしてあげよう。

 それと……。


「なんか、その。ありがとな岩崎」

「いらねぇよ礼なんざ。俺たちはソウルメイトだろ」

「フレンドあたりで止めといてくれ」


 全く、気のいいやつだ。

 考えてみると男友達コイツしかいねぇしな。うん。コイツだってある意味替えの聞かない、とかいうの嫌だな。腐れ縁でいいわ。


 向こうはどうなってるのかと春乃の方を見ると目が合った。……なんか照れくさい。何となく互いに笑うと、春乃の周りの女子はさらにキャーキャー騒ぎ出し、野郎どもは恨めしい視線を送ってきた。


「……やっぱやったろお前ら」

「う、うるせぇ。授業始まるぞ」

「へいへーい」


 右手をぷらぷらと振って岩城は前の席へと歩いていく。その後姿が一瞬霞んだ。

 ん? なんだ。目にゴミでも入ったか。


「ああ、そうだ。今日小テストだぜ」


 そう言って振り返った岩崎の顔が俺の顔になっていた。

 ぎゅっと目を瞑る。ああくそ。もう、か。でも今回は長かった方だ。今日みたいな日がまた来るさ。ああ、でももう少し見たかったな。


 再び俺が瞼を開けたとき、岩崎の顔は元に戻っていた。


「……え?」

「はは。なんだよ、絶望したと思ったら急に呆けて。そんなにびっくりか?」


 な、なんだ。何が起きた。

 確かに再発したはずだ。岩崎の顔は俺の顔になっていた。見間違いということはないはず。でも、どうして戻ったんだ。一時的な快復があるなら、一時的な発症もあるということか?

 駄目だ、わからない。

 そもそもなんなんだこの病気は。

 幸せな日々の矢先に再び立ちふさがった病に、俺は苛立ちを募らせていた。




 最後の授業終わりのチャイムが鳴る。今日は一日がやけに長かった。そしてわかったことがある。


 どうやら俺の病はコントロールができるようだ。


 岩崎の顔が元に戻ったときを参考にして目を瞑って念じてみた。俺の顔になれと。最初は失敗したのでコントロールはできないものだと思ったのだが、見ようとすると俺の顔に変わることが判明した。

 不思議な話だ。実際に顔が変わっているわけじゃない。俺の視界がおかしいだけだ。だから変われと念じても変わらないのは、まあ、わかる。おかしいのはそこじゃない。見ようと思えば見えてしまうこと自体がおかしいのだ。


 こんなこと普通不可能だ。風邪を引きたいから風邪を引くようなものだろう。風邪ならわざと体を壊しやすい環境にすればできるかもしれない。でもそれも時間がかかるはずだ。

 なのに、俺の病気は見ようと思えばすぐできる。こんな病気他にあるのだろうか。


「今日は生徒会の仕事休めって言われちゃった。一緒に帰ろ?」

「お、おう」


 思考にふけっていると春乃に声を掛けられた。元の顔で笑いかけられるとドキドキしてちょっとどもってしまう。

 ちょっと、俺の顔で見ておくか? いや、駄目だ。実験してみたときももし戻らなかったらと不安だったのに。わざわざ不要なリスクを冒す必要はない。そもそも彼女の顔を俺で見たいだなんて狂っている。

 学校から遠ざかった頃、俺は言った。


「今日は何か買ってから帰ろう」

「う、うん」


 言葉の意味を理解してくれたようだ。

 今日は家に母さんも美香もいるだろうが、それでも俺はしばらく春乃を家に泊めたい。春乃の家に一報入れないとな。昨日は連絡しなかった。正直、したくない。娘が一晩家に帰っていないのに春乃の母親は捜索願いや電話も何もしなった。

 これで帰ったときに何も反応がなかったら、春乃は傷つくだろう。

 どうにかしないといけない。でも、どうすればいい。


 春乃のことをしっかり見てやってくださいと言うのか。そんなもので解決するなら春乃の実の父親が解決しているだろう。なら、あなたの娘をもらっていくと言えばいいのか。さあどうぞとされたら、春乃をまた傷つける。

 ああ、一体どうしたら。


 俺は何も言わず、春乃の手を握る。戸惑っていた春乃も、ちゃんと握り返してくれた。この手の温かさを、俺は失いたくなかった。


 

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