第27話 虚飾を暴くとき

 上江の言った通り、夜になっても母さんも美香も帰って来なかった。

 昼も夜も春乃の手作りで俺は満足だが、美香は教科書とか家なのにどうするつもりなのだろうか。別にあいつに教科書が必要とも思えないが、流石に読み上げとか指名されたら無理だろうに。

 まぁ、家族はどうにかするだろう。父さんは滅多に帰って来ないしな。

 そんなことより飯だ。飯がうまい。料理ができることは知っていたが、こんなにうまいとは。

 母親が作ってくれないから自分で作っているという悲しい背景を感じなくもないが、彼女の料理がうまいのは純粋に嬉しい。男は胃袋掴めば落ちるという話は本当だと思う。下手でも俺は落ちてたけど。


「夜ご飯は何がいい? 冷蔵庫にあるものでになるけど。肉じゃがとか作れるよ」

「うーん、そうだな。肉じゃがか。そういや、なんで女の人は男は肉じゃがが好きって思うんだろうな」

「嫌いなの?」

「いや、好きだけどさ。不思議だなって」


 家庭の味ってやつだからだろうか。言うほど母さん肉じゃが作らないんだがな。

 仮定の味にしてもレパートリーはもっといろいろある。から揚げとかカレーとかさ。でもよく聞くのが肉じゃがなのは謎だ。


「ふふ。好きなら変なことでもないでしょ」

「それもそうだな」

「お昼のときもだけど、冷蔵庫の中のもの勝手に使っちゃってるけど本当にいいの?」

「大丈夫だよ。母さんはその程度じゃ怒らないから」

「そうだね。お母さんは……」


 春乃が口をつぐんだ。やってしまったと俺も思わず口を塞ぐ。

 全く、俺って奴は。


「食材だっておいしく調理されたいだろうしな」

「……そんな遠回しに褒めなくてよくない?」

「最高。俺には勿体ない。愛してる」

「ふり幅すごいね。ふふふ」


 笑ってくれるなら俺はピエロにでもなれる。エロはしないけどな。

 全く、俺の顔で何言いがるってんだよ。


「じゃあ、ちょっと待っててね」

「ありがとな。俺のできる料理って卵かけご飯しかないから助かるよ」

「君のそれは料理と呼べないと思うんだけどな」


 なんでだろう。

 ちょっと毒舌になったくらいの春乃の方が好きだな。

 おかしい。優しい方が嬉しいものじゃないのか普通。少しくらいの喪失感は仕方ないと思っていたのに今のところ全く問題ないぞ。

 これはあれだ。美香に罵倒された弊害だろう。きっと慣れ過ぎて罵倒がないと物足りなくなってしまったんだ。妹に開発されたっていうとなんか卑猥だな。て、駄目だ駄目だ。我慢してるからか変なことばかり頭に浮かんでしまう。


 二階のトイレで用を足し、すっきりしてでてくるとふと美香の部屋の前で足が止まった。春乃に着せる服のために少しだけ漁ったが、そういえば美香の部屋に何があるのかは調べたことがない。

 春乃は調理中。少しくらい時間潰してもいいだろう。

 美香の部屋に入ると相変わらずすごい量のヘアピンが並べられている。ちょっとしたヘアピン屋さんだ。こんなに要らないだろう絶対。


 机の上には少し前に家族で撮った写真がある。俺も映っていることに安堵した。

 アルバムの件から、もしかしたら家の写真に自分はいないんじゃないかと危惧していたのだ。

 何か面白いものはないかと棚の本を手を取ると、不思議なことが書かれていた。

 ソクラテスとは何者か、という本だ。

 はぁ? いつも賢い美香がなぜこんなことを気にしているんだ。確か、哲学者だろう。上江も言っていた。例の無知の知なんかは確かこの人の言葉だったか。前人の知恵とは何ともありがたい。

 そのメモ帳というか、日記というか、研究書のようなものを読んでいると気になる一文がある。


 かつてあった偉人の言葉、と。


 かつてあった、ってなんだよ。偉人はみんなかつてだろうが。

 この言葉遣いがやけにひっかかり、俺はスマホで検索してみることにした。ソクラテス、と。

 すると、出てこない。ヒットしないのだ。


「いや、そんなはずないよな」


 誰に言う訳でもなく俺は独り言を繰り返していた。

 どんな検索法を試しても、無知の知という言葉を打ち込んでもヒットしない。

 あの不審者が言った台詞が脳裏に浮かぶ。

 この世界は作り物だと。


 仮説として、仮説としてだ。

 本当にこの世界が作り物だとしたら、本物はどこへいった?


 寒気がする。まさか、まさかとは思うが、そうなのか?


 上江は言った。俺は人類だと。ソクラテスという名を、俺は上江に聞く前から知っていた。

 美香は記した。かつてあった偉人だと。

 つまり、つまりだ。


 本物の世界は、俺の生きていた世界は一度滅びているのではないだろうか。


 そしてその後にこの世界ができた。いや、世界と呼ぶのは止めよう。限りなく以前と近い形で修復したのだ。

 これまで興味もなく、調べもしなかったことを調べてみる。

 世界地図だ。

 その形状は、俺の知っている形よりもやや変わっていた。


 ああ、確定か。

 この世界はかつてあった世界を復元したものなのだ。

 上江の持つ技術は俺の世界の未来で生まれたものだろう。だからあんな催眠ができる。

 全ての点が線でつながった。しかし、まだわからない。俺はどうしてかつての世界のことを覚えている。俺以外にも覚えている人がいるはずだ。なのに俺のように気づいたものが記したものがない。

 これは一体、どういうことなのだろう。


「……妹の部屋とはいえ、女の子の部屋を漁るのはダメでしょ」


 いきなり声を掛けれて慌てて振り向く。まさか美香が返ってきたのかと脂汗が滲んだが、そこにいたのは春乃だった。お、驚かせやがって。


「ていうかさ、美香ちゃんとは血が繋がってないって話だったよね」


 あ、あれ? 何この空気。

 おかしいな俺の頭で警告音がなっているぞ。さっき衝撃の事実を見つけたときにはなっていなかったのに。

 原因は分かっている。春乃の嫉妬だ。


「は、春乃? 落ち着こうか。妹だぜ?」

「もしかして、私を抱かなかった理由って……」

「待って待ってそれは本当に違うから」


 どうしてそうなる。

 ああ、もう。春乃はこういうときだけめんどくさ……いや、何を言おうとした俺。駄目だぞ。そういうのが一番駄目なんだからな。


「ま、冗談だよ。ほら、ご飯できてるから」


 あ、あれ?

 随分あっさりと引いたな。そんなに怒ることでもないと思ったのかな。


「話は食べながらにしよっか」


 ……どこが冗談なんだ。

 作り立ての湯気の上がった食事がひどく冷たく感じたのは初めてだった。




「へへ、ふふふふ」


 春乃がだらしない笑いをしながら俺のベットで寝転がっている。

 どうして上機嫌かと言うと、一緒に寝ることになったからだ。

 ……まずい。実にまずい。


 なぜかいきなり美香に敵対心を燃やし始めた春乃は美香と添い寝したことがあるなら私ともできるよねと詰め寄ってきた。小さいときだったからと断ろうとしたが泣かれそうになったら折れるしかない。

 ずるいよ春乃、それはさ。泣き落としとかは覚えちゃダメな奴だって。


「ほーら、こっちこっち」


 手招きする春乃に少しだけムラムラする。

 いや、駄目だぞ俺。顔は俺だし、子供出来たら大変だし。


「そ、そんな急ぐなって」

「やーだ。今日は言うこと聞いてもらうんだから」


 弱みを握られた男は弱い。

 俺のは弱みでも何でもないのに。ちょっと横暴が過ぎるよな。

 横で寝転がると春乃は俺の腕を引っ張る。何か用かと思ったら、腕を上にぐいぐい上げ始めた。


「ちょちょちょ、それは何」

「腕枕、して?」

「あ、ああ。そういう」


 お望み通りに腕枕してやると、満足そうに頭を擦り付けてきた。

 いや、猫かよ。


「ふふ。なんか幸せ」

「満足ならよかったよ」

「君は違うの? やっぱり美香ちゃんに……」

「違う違う違う。嬉しいに決まってるだろ。ただちょっと我慢できなくなりそうで」

「いいよ?」

「良くないんだって」

「もう。君はもっと盲目に生きた方がいいよ」


 ……どこかで春乃は俺の様子がおかしいことに気づいていたと言う訳か。

 全く、叶わないな。春乃の前髪をかきあげて、額にキスをした。俺の顔だからこれで勘弁してくれ。互いに視線を合わせ、ふふと笑い合う。この世界に自分が異物のように思えていた。でも春乃は受け止めてくれる。俺の存在を、許してくれる。

 そのことが俺を癒やしてくれていた。春乃は本当にかけがえのない存在だ。

 ……でも脱ぎ出そうとする春乃を止めるのはたいへんだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る