第26話 開け放たれた鳥籠の中で

 アルバムに移った子どもの自分が後から合成されたものだと俺は気づいた。


 なるほど。これが美香が隠しておきたかったものか。

 驚きや悲しみよりも納得が先だった。


 恐らくだが、俺はこの家の子どもじゃない。

 美香はそのことを知られまいとした。きっとそこには上江の協力がある。こんな写真は妹でもつくるのは一苦労だろう。やたらアルバムが新しいのも最近用意したからだ。用意周到な美香にしては急ごしらえなことがやや引っ掛かるが、俺がこの家の子供じゃないことはまず間違いないだろう。


「どうしたの。いきなりリビングまで降りてって」


 振り返ると春乃がいる。降りてくる足音がしていたはずなのに気づかなかった。俺がいきなり部屋から飛び出していったから見に来たのだろう。

 その姿が視界に入ったとき、俺は衝動的に春乃を抱き締めていた。


「ちょ、へ!? どうしたのいきなり」

「ごめん。少しだけこのままで」

「え、うん。い、いいんだけどね、理由をさ」

「いいから」

「……もう。私が慰められる側だったのになー」


 そう言いつつ春乃は背中をさすってくれる。温かい。涙が出てくる。自分の家族でさえ、俺に嘘をついていた。俺はどうやら自分で感じている以上にショックを受けていたようだ。

 上江の言葉を思い出す。知らなかった方がいいこともある、と。

 これが謎を求めた代償か。母さんのことをもう母さんと呼べる気がしない。母さんだけど、母さんじゃなかった。これまで育ててくれたのは確かでも、俺と血のつながりがあると偽っていたことが辛かった。アルバムを用意したのは美香だろうが、渡してきたのは母さんだ。母さんもグルだったと言ってもいい。


「春乃、もう二人でどこか遠くへ行こうか。俺、働くからさ」

「ほ、本当にどうしたの? この短時間に何があったの」

「俺、この家の子どもじゃないかもしれない」


 背中を撫でていた手が止まる。何を馬鹿なことを言いたげな目線だ。

 俺だって嘘だと思いたいが、先日の美香の態度から察するに事実だと思う。なるほど、こうなるから知られたくなかったんだな。知ったところで変わらないと豪語しておきながら、このありさまだ。情けない。


「……そっか。じゃあどこ行こうか」

「景色が綺麗な場所がいい」

「私、海が見えるところがいい」

「じゃあ、キレイな海がある場所だな」

「沖縄とか?」

「悪くないね」


 ソファに座った俺たちはそんな話を延々としていた。

 互いに分かってる。夢物語だと。

 春乃は母親がそれを許さない。俺は美香から逃げられない。きっと見つかってしまう。美香から上江に伝えられて、記憶を改竄されてもおかしくない。

 でも気づかないふりをする。

 互いに嘘だとわかっているから、どんなことでも言えた。

 どんな家に住みたいか、どんなペットを飼いたいか。犬か、猫か、はたまた水槽で何か買ってみようか。

 夢を語ると、いつか叶いそうなことも叶わない気がしてくる。吐き出すほど虚しい妄言。でもやめられなかった。


「ねぇ、本当にしないの」

「……しないよ」

「……いくじなし」


 どうしてか、春乃はやたらと誘ってきた。そういう気分だったのだろうか。でも俺は断り続けた。

 雰囲気だけでするもんじゃない。もしできちゃったら、俺たちに育てられないから。そんなの子どもが可哀そうじゃないか。もしかしたらどこかに養子に出すことになるかもしれない。親を誰だか知らず、育て親を本当の親と思い込む。

 ……俺みたいに。

 世の中くそったれだ。何が正しくて、何が間違っているのか、さっぱりだ。

 

 春乃は俺の肩に頭を乗せて寝てしまった。疲れていたのだろう。

 ベットで寝たほうがいいんだが、まあここでもいいだろ。ソファにちょうど毛布があったのでかけてやる。でもこれ、家族が返ってきたら嫌だな、この状況。

 ああいや、違ったな。家族じゃ、なかったな。

 大げさに欠伸をして俺も瞳を閉じた。

 頬に伝った涙は、きっと眠かったからだ。




「がっかりだよ、君には」


 目を覚ますと眼前に上江が立っていた。

 脳がそれを理解するのに数秒かかり、反射的に逃げ出そうと体が動く。しかし肩に触れる温かさに肩に春乃がいることを思い出す。ビクッと動いてしまったが、起こさずに済んだらしい。だが担ぐには隙が多すぎるし、置いていくわけにもいかず、俺は動けなくなっていた。

 クソ、こいつどっからは言って着やがったんだ。人の家だぞ。


「どうしてやってやらないんだね。機能不全か?」

「違う。やらないのは男だからだ」

「……? わからないな。男であることがどうして生殖行動の妨げになる」


 本気言ってるのかこいつは。

 いちいち回答してやる義理もないので無視して、上江から逃げる算段を立てる。とはいえ喋らなくても何か手を出してくるかもしれないので、一先ずは状況を探るために会話はしておくことにした。


「どうして家の中にあんたがいるんだ」

「それは私がセッティングしたのに君が無駄にしたからだ。いい雰囲気だったのだろう。どうして抱いてやらないんだ。ああ、心配しなくとも美香たちにはホテルを用意しておいてある」

「はぁ?」


 意味が分からない。

 母さん……と呼んでいいものかわからないけど、まあいいか。

 母さんがいなかったのはこいつの計らいか。学校に行った美香が手回しをするのは流石に難しいとは思っていた。……やりかねないけど。


「で、どうしてそんな下世話なことにまで手を回すんだよ」

「何を言う。生殖は真っ当な生物の活動じゃないか」

「あんたなぁ……」

「単刀直入に言おう。君には子どもを作って欲しいんだ。別に春乃くんじゃなくてもいい。何なら相手はこちらが用意しよう。君はただ生殖活動だけしてくれればいい」


 馬鹿げた提案に、俺はあんぐりと口を開けていた。

 何を言い出すかと思えば、子どもを作れだと。そんなもの他人に言われてつくるものじゃない。というか、相手は用意するってどういうつもりなんだ。まあ、俺に彼女も女友達もいなかったら喜んで了承したかもしれない。

 でも今は違う。春乃を裏切ってそんなことをするつもりはないのだ。

 俺の確固として受け付けない態度を見て、上江はため息をついた。


「……駄目か。やはり美香に言われた通りだったな」

「美香はなんて」

「君は一人の女の子しか愛さないと」


 流石だな。わかってるじゃないか。

 妹、というか義妹だけど家族だったからな。


「どうして春乃くんを選んだのだね」

「本人の横で言うのは恥ずかしいんだが」

「安心したまえ。しばらく起きないよ。起きても記憶を消してあげよう」

「……それはやめろ。これ以上、春乃の記憶を奪うな」

「春乃くんのためにしたことでもかい」

「それでも傷や痛みだって春乃のものだ」

「そうかい。なら君はどうなんだい」

「俺は、まぁ、受け入れる」


 言ってからほんの少しの後悔があった。もし家族と血が繋がっていないことを忘れられたら、どんなにいいだろう。母さんのことを何の疑問もなく母さんと呼び、美香を妹として可愛がる、あの日常がもし取り戻せるのなら。

 だが、そんなことはしない。どうせ何度だって見つけてしまう答えだ。


「さて。じゃあ先の質問に答えてもらおうか」

「……春乃だけが俺を心配してくれたからだ」

「周りにもいただろう、心配してくれる人は」

「いたよ。でも誰も声を上げなかった。でも春乃は声を上げた。その姿を見て憧れた」


 声に出してみると、春乃の存在がどれだけ自分にとって大きなものだったか染みる。かけがえのない存在だ。だからこそ、上江の誘惑に負けてはいけない。


「全く、どうして君はよりにもよって失敗作を選ぶんだい」

「撤回しろ。どんな欠点があろうが関係ない。俺の守るべき彼女だ」

「ああ、そうかい。もっといい子がいることは覚えておいてくれよ」


 最低の一言を言い放って出て行った上江に嫌悪感を抱く。

 何か言ってやりたかったがすぐに浮かばない。上江が言った失敗作という言葉が妙に気になっていた。

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