第25話 ほころびは幸せの中に

 家出した彼女をうちの家に泊めることになった。

 もう一度言おう。家出した彼女をうちの家に泊めることになった。


 俺の頭は沸騰しかけている。家に春乃がいるのだ。ドキドキが止まらない。俺の顔のせいで吐き気もするが、そんなことは今更だ。

 不謹慎なのはわかっている。家出なのだ。気分よくお泊りにきたわけじゃない。彼女の気を組むべきだ。

 それはそれとして家に彼女を上げるのが始めてで緊張している。妹を覗けば女の子も初めてだ。ん? 母さん? 母さんは女の子って年じゃないから。言ったらぶん殴られるけど。

 ていうか、そうだよな。母さん居るんだよな。どうしよう。すげえ気まずい。


 春乃を連れ、家の前まできたはいいものの、果たして母さんが納得してくれるかどうか。


「ごめん。迷惑だったら、私ホテルにでも行ってくるから」

「迷惑だなんて思ってないよ。母さんがいるだろうから、どうしようかなって」

「どうしようって?」

「茶化されたくないっていうか、なんていうか」

「ほーら嫌でしょ。美香ちゃんにキスの話したのはどの口かなー」

「ごへんなはい」


 悪かったって。口の端を引っ張らないでくれ。


「ま、まぁ一先ず入ろうか」

「はい。お邪魔します」


 普段は家の前で待っているから、変な感じがすると春乃が笑う。

 うーん、前々から感じてはいたけど、やっぱ彼女を家に迎えに来させてるって感じがするよな。今度から俺が迎えに行こう。

 そんなことを企てつつ、玄関をくぐる。ただいまと声を掛けるが返事はなかった。


「えっと、誰もいないの?」

「あっれぇ……?」


 今朝には母さんが朝食を作ってくれていたはずだ。出かけたのか? わざわざ雨の中を、この短時間で?

 美香に連絡を取ろうとするが、そういえばもう授業が始まっている頃だろう。電話はかけずにメッセージだけ送ることにした。


「とりあえずシャワー浴びよう。春乃、先に入って。タオルと着替え持ってきておくから」

「え、駄目だよ。君が風邪引きそうだったから来たんだよ?」

「あったかいもの飲んどけは大丈夫だから。気にせず入って」

「そういうわけには……」

「じゃあ、一緒に入る?」

「へぇあ!?」


 うっそだろ。春乃からそんな提案されるなんて……いいんですか!?

 いや駄目だ駄目だ。ただでさえ強制禁欲生活の影響が残っている今、春乃と一緒にシャワーなんて浴びてみろ。絶対我慢できない。何よりまだ俺の顔なのが嫌だ。

 初めてのキスは許そう。だが初体験は許さない。

 そんな一生ものはいらないんだ。そもそもまだ高二だし、ほら、ゴムもないし? 駄目だろ色々。早いって俺たちには。


「ほら。シャワー浴びよう。風邪引いちゃうから!」

「待って春乃ほんとに待って。まだ早いって」

「何言ってるの。あ、君のはどこにあるの?」

「え、どこにって、何が」

「水着に決まってるでしょ」


 ……はい?


「水着なら別に恥ずかしくないしょ?」


 恥ずかしく……ないか? そんなことはないと思う。わざわざ言わないけど。

 だって、水着ってスク水だよな。遠目に授業やってるときにチラッとしか見えないあれだよな。見えていないものが見えるという点ではそれはもはやパンチラに近い。特別感があるね。

 嫌いじゃない。全然嫌いじゃない。


「……ねぇ。なんで鼻の下伸ばしてるのかな」

「え、いや何でもないよ」

「まさかとは思うけど、スク水が好きなの?」

「はい、好きです」

「そこは否定するところじゃないんだ……」


 馬鹿野郎、嫌いって言って着てくれなかったどうしてくれるんだ。


「ま、いっか。シャワー浴びよ」

「いいんだ!?」

「抱きたいなら抱いてもいいよ?」


 頭から湯気が出ていたと思う。

 どうしたんだ今日の春乃は一体。開放的すぎないか? 前から確かにからかって誘ってくることはしてきた。でも今回のは別にからかいでも何でもない。ただの許可だ。さっきから頭の中じゃ「いいんですか」とか言っちゃってるけど、正直平静を装うために小爆発を起こしているだけで本気じゃない。

 仮にやっちまったとしよう。俺が満足するだけだ。駄目なんだそれじゃ。


「……それは、その。まだ早いかな」

「そっか」


 俺がまごまごしているうちにちゃっちゃと春乃は水着に着替えていた。着替えるところ見逃した、とか外道なことも頭に過ったが俺の顔なことで異常な嫌悪感がある。簡単に言うとグラビア写真の顔に俺の顔が張り付けられている気分だ。

 くそったれ。こんな生殺しがあってたまるか。


 萎えた俺はパンツいっちょで水着を持ってきた。心配していた俺の息子は俯いている。よかった。よかったか……?

 風呂に二人でシャワーを浴びる。俺の顔のせいでぜっんぜんエロくない。がっかりだよ本当に。まぁ、公共の倫理に反しているような背徳感はある。雰囲気も悪くはないんだ。ただ春乃の顔が俺の顔なんだ……。


「ねぇ。なんか、好きって言ったくせに反応なくない?」

「緊張しちゃってるんだよ」

「平静な顔でよく言うよ。これで、どうかな!」


 背中からぎゅっと抱きついてくる。大胆だなオイ。てか、凄いな。水着の感触の中に柔らかさがある。柔らかいものをわざわざ包むことに意味があるのかと思っていたが、考えを改めないといけない。隔てる壁じゃない。際立たせるための香水のようなものだった。

 うん。最高だよ。エロい。でも俺の顔なんだよ。

 俺の薄い反応に春乃がむくれている。いや、本当に今で逆に助かったよ。普段なら普通に一線超えていた。


「そんな顔するなよ。男のアレってたまに自分でコントロールできないんだ。ならなくていいときに元気だったりするし」

「ふーん。ま、そういうことにしといてあげる」


 ぱっと春乃が手を離す。ああ。もうちょっと感じていたい感触だったのに。

 魅力がないわけじゃない。ただ視覚情報が腐っているだけなんだ。


「ほら、もうあったまっただろ。上がろ」

「なんか余裕そうなのムカつくんだけど……もしかして経験あるの?」


 おお。口の悪い春乃、新鮮だな。ありだ。普通に。妹の罵倒を経験してるとただ口が悪いとか可愛いもんだ。


「経験なんかないよ。まぁ、一緒に風呂なら幼い頃なら妹と……いや、あったかな?」

「いや、どうしてそこで疑問形なの」

「うーん。やっぱ俺、昔の記憶が思い出せないんだよな。どうにもさ」


 春乃にこういうのは覚えてないの、だのなんだの質問されているうちに俺たちは乾いた服に着替え終わっていた。ちなみに春乃の服は妹の部屋から拝借している。あとで殴られよう。

 繰り返される春乃の質問には俺は全て覚えていないと返していた。腕を組んで春乃がうーんとうなる。そんなに変なことだろうか。子供のころの記憶なんてすぐなくなるものだろうに。


「なんか君さ。忘れてるっていうより、そんなことは最初からなかったって感じだよね」


 その一言に、ガツンと頭を殴られた気分だった。

 そうだ。なかったのだとしたら腑に落ちる点がいくつもある。例えばあのまろ遊園地。家の近くに遊園地があったのに、行った記憶がなく存在も知らない。

 そうか、なるほど。思い出せないのではなく、思い出そのものがなかったか。


 自分の頬が引きつっているのがわかった。

 そんなはずはない。俺はリビングに向かい、アルバムを開く。妹と遊んでいる写真がある。ほら、やっぱり俺の記憶違いじゃないか。安心できたはずだった。しかし写真に写る自分の姿に、違和感があることに気づいてしまった。

 その違いを探そうと目を凝らすとわかってしまった。


 写真の中の俺だけ、光の当たる向きがズレている。

 俺は知ってしまった。自分のことを母親でさえ騙そうとしていた事実を。


 

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