第21話 信じるもの
美香が上江と接触していたのではないかと気づき、まず美香と話そうと考えた。朝に教室に行ってもいないだろうと思い、一限が終わってから教室に行ったのだが姿が見当たらない。その後の休み時間もちょくちょく見に行ったり話を聞いて見るのだがいないのだ。
担任に尋ねてみると、どうやらボイコットをしたらしい。これまで遅刻はしてもボイコットだけはしなかったと言うのに。避けられているのは明らかだった。
妹は敵ではない。
これまで何度も俺を助けてくれた。春乃と喧嘩したときだって仲を取り持ってくれたし、今朝だって心配してくれていた。敵なはずがない。
だが俺に上江との関係を伏せていた。
昨日、俺は話している。上江が電話の向こう側で人を殺していたかもしれないと。俺は上江について何か知らないかと直接訪ねたりはしていない。しかし、そのとき上江について知っていることを話してくれたって言いはずだ。何も後ろめたいことがないのならば。
きっとあるのだろう。後ろめたいことが。
妹が失敗したところなど見たことがないので、もしかしたら俺に関わることなのかもしれない。
話さないということはきっと知ったら後悔することなのだろう。
だが聞かなくてはいけない。人を殺し、春乃の記憶を消すという横暴がまかり通る理由を。俺は知らなくてはならない。
春乃には記憶が消されたことや消された記憶について全て伏せることにした。騙しているようで気が引けるが、そうしなければまた記憶が消されてしまう。
俺は非力だ。
自分で決めたことを押し通すことができない。俺は春乃に何も隠したくない。なのに環境がそうさせてくれない。これは俺の言い訳なのだろうか。
「どうしたの難しい顔して」
「……春乃にはどんな髪型が似合うかなって思って」
昼休み、中庭で二人で食べる弁当も今日は味がしない。一緒に居るだけで満たされていたはずが、今は一緒に居ると息苦しかった。
「どんなのが好きなの?」
「俺の好みを知ったってしょうがないだろ」
「しょうがなくないよ。彼女なんだよ、私」
ああ、畜生。可愛いな。俺の顔なのに。
こんなに健気な彼女がいるのに、俺は危険なことに首を突っ込もうとしている。なんて馬鹿馬鹿しい。
どうしてこうなってしまったのだろう。
あのとき春乃の顔が俺に見えていたことを明かしていたら、違ったのだろうか。一緒に謎を探したのかもしれないが、そうならなくてよかったとも思う。もしそうなっていたら、春乃も聞くことになっていたかもしれない。人が死ぬ瞬間の音を。
「好きだよ。春乃」
「へ!? 何いきなり」
「言葉にしておこうと思って」
もしかしたら、最後かもしれない。なんて言えないけど。
「わ、私も好きだよ」
「大好きだ」
「だ、大好きだよ」
「大大大好きだ」
「え、ちょ、ちょっと続けるの?」
「駄目か?」
「だ、駄目ではないけど」
ははは。周囲の目が痛いぜ。そりゃ学校の中心でこんないちゃつかれたら腹立つよな。羨ましかろう。謝らないよ。
「なんか、今朝からおかしいよ?」
「そうだな。よく覚えておいてくれ」
「忘れられないよ、もう」
忘れさせられるかもしれないけどな。
ああ、くそ。嫌だなぁ。忘れたくないなぁ。
腕を引いて春乃を抱きしめる。始めこそびっくりしていたが、俺の動きに体を任せていた。なんだろう。慣れてきてるのかな。それはそれで初々しさがなくなって残念なような……。まあ今はそんなことどうでもいいんだけど。
「俺は、忘れないから」
「そんなに心配しなくても私も忘れないって」
背中を撫でられたその感覚に、妹も同じことをしてくれたことを思い出した。あいつの優しさは本物だったと信じたい。
どうして今、美香は隠れてしまったのだろうか。
春乃から離れたときの寂しさが、やけに後に引いていた。
「やぁ、昨日は災難だったね」
放課後に図書室で受付をしていると上江が現れた。驚きはしない。何となく来る気がしていた。
「記憶を消すなら先に教えて下さい。俺はいつあなたと知り合ったんですか」
「……この前知り合ったばかりだろう」
「消された記憶の方ですよ」
そういうと上江は首を傾げた。
え、嘘だろ。違った? 断言しちゃったよ俺。
「どうしてそう思うんだい」
「え、だって、あんな馴れ馴れしい話しかけ方するから……」
「む……そうか。そこでか。迂闊だったな」
あ、あってるっぽい。
なんだよ。もっとここ緊張する場面だろ。なんでそんな軽い感じなんだよ。
「そ、それに上江さんとは初対面な気がしなかったですし」
「ふむ。やはり部分的な忘却には限界があるということか」
全消去できるかのような口ぶりだ。恐ろしい。実際できるんだろうけど。というか、やはりってことは結構な人数の記憶を消してきたということだろうか。
「さて。君はどうしたい」
「え、選択肢あるんですか」
「当たり前だろう」
何が当たり前なのだろう。
理解できない。デスオアダイとでも言いたいのか。
「じゃ、じゃあなんであの男を殺したか教えてくれませんか」
「ほう。自分のことじゃなく、それが最初に聞くことか」
「人死にのほうが大事ですから」
「ああ、それなら気にしなくていい」
「え、殺してないんですか?」
「アレは人ではないのでな」
背筋が凍る。話が通じそうだと思った自分が迂闊だった。
確かにあの不審者はいい奴ではないが、落ちそうになった俺を掴んだ奴の手にはぬくもりがあった。殺されかけもしたが命の恩人でもあったんだ。あいつは間違いなく人だった。
「あんた何様なんだよ。神様のつもりか?」
「いいや、私は神じゃない。そう呼ばれることもあるが、違うと断言する。私には神がすでにいるからだ。私にとっての神は君だな。人こそが私の神だ」
「人が神だ? 言っている意味がわからない! あんたが殺した奴だって人だっただろ」
「アレはまがい物だ。自分を人を思い込んだイレギュラーなのだよ」
駄目だ。話が通じない。
何より恐ろしいのは上江には悪意が一切感じられないことだ。善意で動いていることが理解できる。その善意で人を殺したのだ。
こんなにおぞましいことが他にあるだろうか。コイツの目には狂気の色が混じっていた。
「俺と奴の何が違うっていうんだよ。俺もあいつも同じだ。病気までお揃いだ! さあ、殺してみろよ」
「それが神の意志とあらば、と、言いたいが病気とは何だい?」
「何を白々しい。だからこそしたんだろ」
「君に病気など私が気づかないわけがない」
「ああ、そうかい。俺は世の中の人が皆俺の顔に見えるよ! あんたの顔はちっとも変りやしない。あんたこそ人間じゃないな」
俺の言葉に上江はうなっていた。なんだ、一体何を考えているんだ。
「アレとはどういうきっかけで同じ病気だと」
「手を握られた。そしたらわかったんだよ」
「ほう。興味深い。初めて見るケースだ」
なんだよ、そんな医者みてぇな聞き方しやがって。
ああ確かに似合うだろうよ白衣が。白衣姿の上江の姿を想像したとき、頭痛が起きた。内側から押されているかのような痛みだ。その痛みとともに上江の白衣姿がはっきりと思い浮かぶ。否、それは実際に見たもののような気がしてきた。
「せ、んせい?」
俺はうっかりそう呼んでしまっていた。
何が先生だ。あれが医者だって? 笑わせてくれる。人を人とも思っていない奴が、人を救っているなんておかしいじゃないか。
「なるほど、理解した。アレと君の記憶が戻る原因はそれだったのか」
口の端が避けるように笑った。
「やはり、人間は素晴らしい」
愉快に笑う上江に俺は心底吐き気を覚えていた。
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