第17話 薄氷で踊る

 日も暮れてきていたので、春乃を家まで送ってから俺は帰宅した。


 春乃は朝いつも迎えに来てくれている。なのに俺は送ったことがないなんて格好が悪いと春乃を納得させたのだ。だが自己満足だったのかもしれない。家の光がついているのに自分で鍵を開けている後姿を、俺は見えてないように演じていた。


 春乃の家庭問題は根が深い。安易に触れていいものじゃなかった。

 薄暗い気分を抱えたまま、俺はソファに沈み込む。どうにかしてあげたいけど、どうすればいいのか見当もつかない。


「おかえりクズ兄ちゃん。今度はどしたのさ」


 リビングでゲームをしている妹が問いかけてくる。顔はテレビに向けたままだ。

 見なくても分かる当たり流石だ妹様。冷たいやつだと言いたいところだが、今の俺の目に映る顔は漏れなく俺の顔だ。そのままでよろしい。


「どこまで踏み込んでいいかわからなくてさ」

「春ちゃんのことかな。重い話てことはご両親のこと?」

「いや、なんでわかるんだよ」

「なんとなく?」


 親のことなら春乃は誰にも話さないだろうに。でも俺が察せるぐらいだし、妹にわからないはずもないか。

 そもそも春ちゃんとか呼ぶくらいだし、仲いいんだろうな。


「どうすればいいんだ。意見が欲しい」

「私に聞いたこと実践して解決したら、何も考えつかなかった兄ちゃんは満足するの? まあ春ちゃんのためになるわけだし、それでもいいのかもね。で、失敗したときは私のせい?」

「……前言撤回だ。悪かった。自分で考える」

「わかればいいよ」


 妹に諭される俺って……。

 でも美香の言う通りなんだよな。俺がどうするかを決めなくちゃいけない。いくら妹が優秀だからって間違えるときもある。


 さて、気分を入れ替えよう。今は考えても思いつきそうにない。そうだ、アルバム。探そうと思ってたんだった。

 棚を片っ端から開けてみる。何だここ皿しか置いてねぇぞ。


「どうしたの?」

「み……母さん。アルバムってどこにあるかな」


 俺の顔だから一瞬、美香とどっちか迷ってしまった。バンバン銃撃ってる音がするから母さんってわかったけど、本当に不便だこの病気。

 

「ああ、アルバムね。いきなりアルバムが見たいだなんて珍しい。お母さんたちの部屋にあるから持ってくるわ」

「まあ、ちょっとね。お願い」


 そっか。そこにあったか、そりゃ見当たらないわ。

 用がないと入らないし。一度も入ったことがないまである。覚えてないだけだろうけどさ。

 すぐに見つかったのか、三十秒も経たず母さんが二階から降りてきた。おお、なんか随分きれいに保管してるんだな。新品みたいだ。母さんに一言言ってからアルバムを開く。

 ……やっべぇ。微塵も記憶にねぇ。

 幼い頃の俺なんだろうなって奴のが色んな場所で遊んでいる。山、海、川……おいあるじゃないか、あのまろランド。なんであんなインパクト強い場所覚えてないんだよ俺。


「母さん、この前廃園になった遊園地のこと覚えてる?」

「そりゃ覚えてるわよ。美香が迷子になっちゃって大変だったわ」

「あー……確かに案外広いしな」

「あ! さては、この前の土曜日行ってきたのね。彼女さんと」


 言ってなかったのに、気づかれてしまったか。というか多分ばらしたの美香だな。全く、自分が誰かと付き合ったことないからわからないんだ。親に話すことじゃないんだよ、誰と付き合ってるとかさ。将来的には話すけど今じゃないんだよ。


「まぁね。それでちょっと思い出に浸りたくなって」

「そういうことだったのね。アルバムはリビングに置いておくから好きなときに読みなさい」

「うん。ありがと――」

「ところで、付き合ってる子ってどんな子なの?」


 ……おいゲームしてないでこっちを見るんだ美香。これが親に彼女がいると知られるということだ。




 母さんから事細かにどんな子か聞かれた後、俺は少しげんなりしていた。

 どこが好きなのとか、どこがいいの、だとか言いたくない。普通知りたくないだろうが。ずかずかと聞いてくるその辺り本当に親子だよ美香。俺の血逆輸入してくれねぇかな。

 とはいえ、母さんが料理に戻っていったので手持無沙汰になってしまった。こういうときに趣味がないというのは辛い。今日の夜ご飯は少し後になるだろう。

 バンバンとトリガーハッピーやってる妹で時間を潰すことにでもしようか。


「おーい美香、今朝の校門にいたスーツの女の人、あれ本当に教育委員会の人なのか? 言っちゃ悪いが、かなりの変人だったぞ」

「え?」


 美香が素っ頓狂な声を出して振り向いた。その瞬間、ゲームのキャラクターの頭が撃ち抜かれる。美香は画面に顔を戻し、やっちゃったと呟いた。

 ……それさっきもやってたよな? 目を離した隙にやられるようなゲームしながら会話してたのかよ。確かFPSっていうんだったか。器用なもんだ。動きが早いわ目が回るわでさっぱりわからん。話しかけちゃ悪かったかな。


「ご、ごめんな?」

「別に謝らなくていいよ。ポイント的にはプラスだったし、ランク下がってないし」

「俺はそういうのよくわかんないけど、大丈夫ならよかったよ」

「兄ちゃん。どうしてあの人のことを?」

「ん? どうしてって、変だったからかな」


 俺の返答に美香はヘアピンを弄りだした。その位置を付け替えてるのあんまり意味なくないか? 癖なんだろうけどさ。


「何か、変なこと言ってた?」

「言ってたよ。俺を突き飛ばした不審者は何か言ってなかったかって。今どきの教育委員会は警察の真似事もするらしいぞ。聞いてどうすんだっての」

「色々聞かれたんだ。大丈夫だった?」

「平気だよ。そりゃいい気分じゃないけど、食い入るように聞いてきたわけではないし。あんまり話した内容覚えてないけどさ」

「……そっか。ならよかった」


 別に良くはないんだけどな。

 でも妹も心配してくれたということなのだろう。いつもは悪態ばっかのくせして可愛いやつめ。……まぁ、悪態をつかれたのは春乃に髪留めプレゼントしてからだから自業自得なんだけどさ。


「……兄ちゃん。無知の知って知ってる?」

「無知の知? なんだそれ」


 どっかで聞いたような、聞いてないような。

 ああそうだあれだあれだ。ははは、やはりまだ美香も子供だな。


「そっか! なんでもな――」

「無知の無知と勘違いしてないか。美香も間違えるんだな。逆に安心したぞ」

「……え」

「え?」


 何だよ。俺、何か間違えてたか。恥ずかしい勘違いしてないよな? なんか美香がよくわかんない表情してるんだけど大丈夫だよな?


「に、兄ちゃん。どうして」

「ごめんなさい知ったかぶりしました。無知の無知の説明できないです」

「あ……そなんだ。でも、どうしてその言葉知ってるのさ」

「誰かが言ってたんだよ。なぜか思い出せないんだけど、もう喉まで出かかってるんだけど、いざ誰が言ったのかと聞かれても答えられない」

「……私じゃない? 兄ちゃんの周りに言いそうな人私しかいないじゃん」


 うーん、そうかな。そんな気がしてきた。

 何より自分で無知の知だとか言ってたもんな。


「そう、だな。じゃあ改めて無知の無知について教え――」

「ごめん。それは知らない」


 なんだよ。さっきの本当に恥ずかしいやつじゃん。

 誰だよ無知の無知とか言いやがったのは。さてはムチムチしてやがるな。それとも厚顔無恥か? 妹の前で恥かかせやがって。

 もう駄目だ。兄貴の威厳は地に落ちたんだ。


「ああ、凹まないで兄ちゃん。きっと言い間違えとかだって!」

「そう? そうかな?」

「もう、んなことでうじうじしないで!」

「おう。そうだな……」


 思えばヘアピンの件ですでに威厳もクソもなかったわ。


「じゃあ無知の知はどういう意味なんだ?」

「知らないことを知ってるってことだよ」

「……よくわからないんだけど」


 腕を組んで美香がうーんとうなる。

 おお、妹が悩むほどとは。余程賢い人のお言葉だな。


「知らないことを自覚してるってとこかな」

「ただ知らないのとどう違うんだよ、それ」

「ま、自覚してるから調べる気があるってことじゃない?」

「わかるような、わからないような……」

「わかんなくていいって。知らなくても困んないなら、知らなくてもいいんだし」


 本当にそうだろうか。

 知らないことをそのままにしておいたら、前に進めない。俺は前に進みたい。病気も治したいし、そしたら春乃との関係だってもっと先に。

 俺が何も言わないのを見て、妹が少しだけ悲しそうな顔をした気がした。

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