第16話 ほつれた糸
図書室を後にした俺は校門の前で春乃のことを待っていた。
ただ待っているのも暇なので図書室で借りてきた本を読んでいる。ぺぱ子のおすすめだ。どんな変な本が出てくるのかと思えば、まさかの童話。しかも内容がマイルドにされていない原作に近い童話だ。痛々しい描写ばかりで最初こそ辟易したものだが、今の子どもに聞かされている生温い内容と比べて読んでみると面白くなってくる。時間を潰すのにちょうどよかった。
だがふと頭に過るのはあのスーツの女のこと。あの女をどこかで見たことがある。ただそれがどこなのかがわからない。さっきまで話していたのにその内容もぼんやりとしか覚えていなかった。
ただ一つ確かなことはあの女だけは俺の顔に変わらないということだ。俺の病気は自分の認識に関係があることはぺぱ子で確認済み。一度目にあったときの異質さから人であることを疑ったのだろう。だが言葉を交わして人と認識したはずなのに俺の顔に変わらないとはどういうことだ。それともまた俺の見解が間違えているのか。
「お待たせ。長引いちゃった」
思考の海に沈んでいた意識が引き上げられる。息を切らして春乃がやってきた。
そんなに焦らなくてもいいのにと思う一方、俺のために急いで来てくれたのだと思うと何だか心が温かくなる。愛おしいとはこういうことなのだろうか。
「全然待ってないよ。お疲れ様」
「うん。ありがと。何読んでたの」
「お子様向けの本だよ。ただし昔のね」
歓談しながら俺たちは下校する。外はすっかり夕暮れで少しだけ肌寒い。でも話しが盛り上がれば、そんなの関係なしだ。話題を提供してくれたぺぱ子に感謝しよう。
なんで童話なのかは知らないけど。家に絵本とかあったかな。どれも知ってはいるんだけど、読んでもらった記憶がない。まあ、幼い頃の記憶なんてそんなものだよな。せめて写真か何か……。
ああ、そうだ。アルバムだ。思い出した。
遊園地に行ったときに帰ったら探そうと思ってたんだ。色々あったせいで忘れていたけど、どこにあるかな。母さんに聞いて見ないとな。
でもなぁ、たぶんなぁ。
ちらと春乃を見る。俺の顔だ。そう、写真の俺の顔が今の俺の顔に見えてしまう気がする。でも今朝の漫画のキャラクターの顔が俺に変わらなかったことを踏まえると、もう写真では顔が変わることはないんじゃないかとも思える。
お、ちょうどいいところに選挙ポスターがあった。うん、やはりもう写真でなら大丈夫なようだ。え、ちょっと待て。と、いうことはだ。
「春乃!」
「え、どうしたの急に」
「はいチーズ」
「え!? いきなり!?」
パシャリとスマホで写真を撮る。
やっべ、ちょっと不細工に撮れちゃった。でも、ど不細工じゃない。俺の顔じゃない。何ということだ。治ってからの楽しみとは言いつつも治らなかったらと悲観していたはずの写真が解禁されている。感無量だ。
「ほらもう。こうなるからいきなり撮らないでよ。ちょ、ちょっとまだ撮るの」
すごい! 画面越しなら春乃の顔がわかる!
写真のフォルダが急激に埋まっていく。
ああ、俺の彼女は可愛いなぁ。ずっと俺の顔だったから、一人で彼女がいる妄想をしている気分だった。俺の病が治るときは意外と近いのかもしれない。
「こら! いい加減にしなさい」
スマホが没収されてしまった。可愛い彼女の顔が見たかっただけなのに。畜生。なんだその面は。芋虫みたいな眉毛しやがって。馬鹿にしてんのか。
「どうしたの、いきなり写真撮って」
「俺の彼女は可愛いなーって」
「い、いつもと変わらないでしょ」
「いつも可愛いよ」
「……キスしたいとでも思ってるの?」
なんだとこの野郎。
おっと、いけないいけない。また声で威圧するところだった。あと顔は俺になってるけど女の子だぞ。野郎はいけないぜ、野郎は。
「ご機嫌取りだなんて心外だな。俺は思ってることを口にしただけなのに」
「え、う……うん。ありがとって、コラ! また写真撮ろうとして!」
チッ。
流れでいけるかと思ったのに。
でもいいムードにしすぎるとキスだからな。結果オーライだ。確かに検証したいけどさ、俺の顔なんだよ。一度キスしたら二回も三回も変わらないと思うか。
いいや違うね。小指をタンスにぶつけることに慣れる奴がいるか? いるわけがない。気づいていないだけであのとき小指が折れていることもあるそうだ。春乃とキスすると後ろめたさがえげつない。そのとき俺の心はごりごりに削られている。目に見えないところでハートに罅が入っているのだ。
だからせめてキスのする必要のあるときだけにしたい。そうだな、まずはスーツ着てもらってこうちょっとポーズとってもらって撮影会してから……。
「そんなに撮ってどうするの」
「そりゃ後から見るんだよ」
「んー……そうじゃなくてね、そんなに多く撮る必要はないんじゃないかなって」
何言ってんだ。この感動の奇跡の瞬間をだな、ってそうか。もし症状が悪化したらまた写真が俺の顔になる。そしたらこの写真全部俺の顔になるわけだ。
やばい。俺の顔で一つフォルダが埋まるとか最悪だ。
こんなに要らないわ。
「まあ、確かに」
「でしょ。あと写真撮るときは許可をとってから! ちゃんと可愛く撮ってよ」
許可さえあれば撮っていいらしい。言質とった。会話の流れで一言「うん」と言わせてしまえばこっちのものだ。よし。スーツのときいっぱい撮らせてもらおう。ワクワクしてきた。
「わかった。ごめんな、ちょっとテンション上がっちゃって」
「もう。びっくりしたよ」
びっくりしたで許してくるところ、好きだぜ。
写真の彼女を見る。超かわいい。キスしたくなっちゃうね。なんで画面の外だと俺の顔になっての。逆だろ、こういうのってさ。どうにかなりませんか神様。
写真関連で話していると何か口を滑らせてしまいそうだ。具体的にこんなポーズをとって欲しいんだけど、とか欲望が漏れ出してしまいそうだ。この辺りにしておこう。何か別の話題にしようか。
「そういえば今朝のスーツの女の人にあったよ。ちょうど春乃が行っちゃった後、図書室で」
「え、そうなの。教育委員会の人なんでしょ。大丈夫? ちょっと怖い感じの人だったよね。嫌なこととか思い出させようとしてきたりしなかった?」
「んー、そういえばそんなことを聞かれたような? あんまり覚えてないけど」
そうだ。不審者の男のことで何か聞かれていたはずだ。
事件性の部分では警察に洗いざらい話した。あと話したことが、何かあったはずなんだ。えっと、なんだっけか。確か、確か。
「お前もか」
「え、何いきなり」
「ああ、いや。なんか不審者がそう言ってたなって」
「どういう意味かわからないけど、駄目だよ。不審者の言葉に耳を貸したら。君は誰かを突き飛ばしたりする人じゃないでしょ」
「ありがとう、春乃」
まあ、確かに戯言だ。不審者と俺の同じところなんてない。
大体なんだよ、お前もかって。何が、俺と同じだっていうんだ。体格は違った。身長だって俺よりも高い。あの不審者が俺と同じことなんて何もない。
「はぁーったく。わっかんねぇ。わからないよ。無知の無知だ俺は」
「無知の無知って何?」
「……なんだっけか。誰かが言ってたんだよ」
「君はいつも忘れてるね」
俺もそう思う。
勘弁してくれよ。まだボケる年じゃないんだぜ。
「春乃はないのか。何かを忘れてるってとき」
「私は覚えられないことは多いけど、そんなに簡単に忘れたりしないかな」
「……そっか。じゃあ俺と春乃、足して割ったくらいが普通だな」
「そうだね。私たちは、普通じゃないね」
春乃が皮肉気に言った。でも否定する気にはなれない。
俺たちはきっと普通じゃないが、おかしくもないだろう。それも普通の人間なんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます