第11話 邂逅
また一週間がやってきた。
楽しいときは時間は一瞬だが、そうでないときは一日はひたすらに長い。今日もまた長い一日になるに違いない。窓の外を確認してみんなが俺の顔をしていることを確認し、朝の支度をする。
やはり治っていなかった。快復の兆しもない。
元に戻ったのは観覧車でのあの一瞬だけだった。あれ以降ちょくちょく人の顔を見るようにしていたのだが、同じことは起きていない。何がきっかけで戻っただろう。それがわからないと再現も難しい。
階下に向かい、母さんにおはようと声を掛け、朝食の並ぶ机に座る。そのままいつものようにパンにジャムを塗ろうとしたら新品だった。しかもプラスチックのカバーが付いたまま。開けようとするが端が見つからない。よく見るとここからはがしてくださいという説明書きがある。書いてある通りにやったら簡単に取れた。楽でいい。
俺の謎もこのくらい楽だといいんだけどな。
一度整理してみるか。
春乃とキスする前に発症したんだよな。原因は不明。で、今度は春乃とキスする前に一瞬治ったと。
意味が分からない。共通点は春乃と一緒にいたときだが、春乃といないときだって症状が出ている。もし春乃が原因だというなら、これまでならなかったんだから関係ないはずだ。他に変わったことなんて……。
あるな、うん。とびきりでかいのが。
キスだ。どっちもキスの前に起きた現象だった。治し方はさっぱりわからないがキスが何かしらの要因に違いない。確かめる価値はある。問題はキスで怒らせたばかりということだな。
「うーむ」
「今度はどしたのクズ兄ちゃん」
「いや、どうしたらもう一度キスできるかなって」
「このケダモノ野郎」
うわ、これまたひどい罵倒だな……って何だと!?
美香がいつの間にか向かいに座っていた。朝だから油断していた。いつもだったらまだ寝ているはずなのに。うっかり答えてしまった。
「ち、違うんだって。確かめたいことがあってさ」
「何を確かめるの。舌技でも鍛えようとしてるわけですか。とんだ変態、性欲兎男」
そうか、そう聞こえるのか。
さて言い訳の準備だ。いや、もうこれ正直に話した方が早いよな。協力してくれるだろうし、俺より色々思いつくはずだ。妹のほうが頭いいし。俺がボロを出してもそれとなくフォローしてくれるに違いない。
すごいな、考えれば考えるほどメリットだらけだ。
「美香、実は――」
そうだ、話してしまえば楽になる。きっとすぐに良くなるはずだ。治ったら何をしようか。まずは春乃に……春乃、に。
「じ、つは。実は、さ。仲直りのキスって意味なんだ」
駄目だ、言えない。春乃にも話してないのに。
楽になるなんて、ふざけてる。春乃に隠したあの瞬間から、楽になっちゃいけないんだ。
「……んなことだろと思ったけどさ」
美香も納得してくれたようで何より。
そうだよ、俺がクズ兄ちゃんだ。
用意を済ませて玄関を開けると俺がいた。言うまでもないが春乃だ。髪留めもそうだけど、二回目だからな。今日はいないと思っていたので仰け反るだけで済んだ。
気まずい。超気まずい。
「お、おはよう春乃」
「……おはよ」
ちゃんと挨拶してくれたことにほっとする。だがどうにも会話が始まらない。
どうしたものかな。
「なーに固まってんの!」
「うお!?」
バンといきなり背中を叩かれる。なんだ敵襲かと思って振り返ると美香が制服姿で後ろにいた。まじか。遅刻魔がここにいるってことは、もうそんな時間か。
「急ぐぞ春乃。もう遅刻確定みたいなものだけど」
「まだだいじょぶだよ。ディープなキスした初々しいカップルを冷やかし来ただけだからさー」
「え、は、話したの!? 言ったら駄目だよ!」
いや、ほんと。ごめん。申し訳ない。脅迫されたんだ。
一体どういうことだ美香。ついにこんな兄からは引き離した方がいいと動き出したのか。敵襲はあながち間違っていなかった。
どうしよう勝てる気がしない。
「春ちゃん顔赤くなっちゃって、かーわいいー」
「もう! もう! こうなるから駄目ってわかるでしょ!」
ほんとだ可愛い。思わずニヤニヤしちゃう。俺の胸をどんどん叩くとことかね、ほんとかわいいいい痛い痛い痛い。つねるのは駄目だって。止めて左そこ乳首だから。きっとうっかりだけど本当に駄目だって。
「ごめん悪かったって。美香以外に話したりしてないから」
「ほんと、岩崎くんに言ったりしない?」
「それは絶対に言わない」
なんであのエロ魔人に餌やらなきゃならんのだ。野郎には春乃のそういう情報は一切やらん。妄想も禁止する。そういう情報は全部俺のものだ。
妹? 妹はほら。神様仏様妹様だから。
「美香ちゃんには言った癖に。信じられないなー、」
「まあまあ春ちゃん。兄ちゃんにどうしたら仲直りできるのか泣きつかれちゃってね。どいう流れか聞いただけだよ。兄ちゃんすごい後悔してたから、許したげて」
断じて泣きついてないが?
まあ、そこは置いておくとして流石は妹様だ。口が達者でいらっしゃる。
舌絡めるってどんな感じなのとか、どう動かすのだとか事細かに聞いてきやがった癖に、俺を出しにして自分の株を上げるとは。でも助かるからこの助け舟に乗るしかないんだよな。
こういうことなら先に言ってくれ。心臓に悪い。
「うーん、でもなぁ」
「兄ちゃんばっか悪くないでしょ。春ちゃんだって期待してたんでしょ」
「しっかり何があったか聞いてるじゃん!」
「へー、そういう反応するってことはそうなんだねー」
「あぅ……」
やばい震える。
わかってることを鎌かけたことにして知らなかった風に装うとか手練れすぎだろ。本当に生徒会に一度お邪魔する必要があるのかもしれない。生徒会裏から牛耳ったりしないよな。
「わ、私も悪かった、です」
「春ちゃんよくできたねー。ほら兄ちゃんも」
「お、おう。俺も悪かったよ」
「はーい、仲直りの握手ー」
美香が俺たちの手を繋がせる。すごい、いつの間にか和解している。そりゃ生徒会もお手伝いお願いするよな。
「よし、じゃあついでにキ、ぐわっふ!」
提案しようとしたら美香の肘鉄が俺の腹部に深々と突き刺さる。
痛ぇ……なんか今日殴らればっかだぞ。
「おいクソ兄。せっかく綺麗にまとまりそうだったのに何しようとした」
「あ、悪手だったかな。握手だけに」
「やかましいわ」
うん。流石に今じゃなかった。今ならいけるかなって思ったけど違うわ。だって難しいんだもんキス。投げキッスでどうにかなんないかな。
春乃に聞こえないようにひそひそ話していたからか春乃がまたむくれている。
「彼女ほっといて妹と遊ぶのは楽しい?」
「楽しくないよ、怖かったよ」
「兄ちゃん、帰ったら覚えててろな」
ヒェッ。
三人で登校するのは初めてだったが和気あいあいとしていた。
邪魔者になりそうな妹だが、しっかり話さない方がいい場面を弁えている。会話が途切れそうになれば話題を提供し、どちらかに不利益になりそうなことがあればうまく逸らす。
いや、知っていたけど、すげぇなオイ。
聞き上手どころじゃない。話させ上手だ。俺はそうしていることを知っていて見ていたからわかるが、分からないままやられると話させられていることに気づかない。末恐ろしい。
校門の前に来たとき、ふと一人の人物が目に入った。髪の長いスーツを着た大人の女性だ。あんな人学校にいたかな。顔もすっごい美人だ。鼻筋高いし、目元も釣目でかっこいいな、って。
「え」
俺の顔じゃない。
どこもかしこも俺だらけの中でその人の顔をしている。本来当たり前であるはずのそのことに、俺は何故だがひどく寒気を感じた。
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