第9話 初デートはハードモード その4

 ジェットコースターに乗った後、俺たちは昼食をとることにした。

 選んだのは無難にホットドック。廃園直前に加えて、アノマロカリスを主役に沿えるような遊園地だ。どんなゲテモノが売っているのかと身構えたものだが食べ物に関しては普通だった。避ける財源もないのだろう。むしろグッジョブだ。隣の売店にあったマスコット人形と思わしき地球外生命体は見なかったことにする。

 肝心の味は可もなく不可もなく。春乃はおいしいというが、多分一緒に食べているからだろう。チープな味も彼女と一緒なら三ツ星レストランだ。次の来店はない。

 デザートにクレープでも食べたいところだが、売っていなかった。仕方ないので売店でカップアイスを購入したのだが、ガチガチに固まっていてスプーンが刺さらない。新幹線のアイスは相当固いと噂に聞くが、こっちは確実に売れ残っていたからだろう。何年も放置されていたのなら一大事だ。賞味期限を確認すると大丈夫ではある。しかし本当に食べても大丈夫だろうか。


「懐かしいなぁ。昔もこうやってアイス買ったんだ」


 まあ、春乃はご満悦なので良しとしよう。俺はアイスはあんまり好きじゃない。おいしいとは思う。けど冷たいのが駄目だ。歯に染みるわけじゃないが、寒気がする。冷たいんだから当たり前なんだけども。

 炎天下とあってアイスが解けるのも早い。もう端からドロドロになりつつある。ドロドロというとおいしそうに感じないかもしれないが、固形よりもこういう部分をすくって食うのがうまいのだ。


「春乃はよくここに来てたのか?」

「ううん。実はほとんど連れてきてもらえなかったんだ。その頃は色んな習い事していたから」


 言葉の端に影がある。まだ付き合い始めて長いわけじゃないが、習い事をしているというのは聞いたことがない。していた、というのは、今はしていないということなのだろう。

 繊細な問題だ。一見、完全無欠な美少女の春乃だが周囲との間に大きなズレがある。感性もそうだが習い事をしなくなったということから察するに、できなかったから辞めさせられた可能性が高い。春乃は投げ出したりはしないだろう。


「聞きたい?」


 顔が俺だとしてもわかった。春乃の目の奥に、深い闇がある。春乃が聞きたいと言ったのは、きっと親のことだ。おしゃべりな春乃も親の話だけはしない。もしや暴行されているのかと逡巡するが、プールに出たりしているのだから体に痣はないのだろう。だが心に対する暴力を受けているに違いない。

 殴られなくても、怒鳴られなくても、暴力は存在する。今の春乃は言葉少なだ。あんなにおしゃべりなのに。これが素なのかもしれない。おしゃべりの理由は気を惹くためなのだろう。なぜそうなったのか、考えられる原因は一つ。無関心、おそらくそれが春乃が受けている暴力の名前だ。


「俺は、聞かない。言いたくないことは言わなくたっていい。どんな話だったとしても俺は変わらない。だから話さなくたって同じだよ」


 恋人なら相手のことを全部知りたいのは当然のことだが、俺は知らなくていいこともあると思う。俺だって皆の顔が俺に見えることを隠しているのだから。


「せっかくの初デートなんだ。嫌なことは一切しなくていい」

「……そっか」


 顔を逸らした春乃は小さく返答した。選択を間違えたのだろうか。


「アイス、溶けちゃったね」


 春乃に言われて手元のアイスに視線を下す。ドロドロを通り越してもはや液体だ。そんなに話していただろうか。

 顔を上げたとき、春乃はこちらへと向き直っていた。あの闇も瞳の奥に隠れてしまっている。俺の顔だというのに笑顔が眩しい。この眩しさの奥には底の見えない井戸のような闇がある。そのことに少しだけ寒気を覚えた。



 アトラクションを制覇した頃、外は夕暮れに染まっていた。カラスも鳴いて帰宅を促している。

  鏡の館にオパビニアのびにあくんを置いたことを俺は許さない。四方八方からエイリアンに囲まれている気分だった。お化け屋敷は普通に人間の幽霊置いていたのに、あっちの方が数倍ホラーだ。むしろなぜお化け屋敷にいないんだマスコットどもは。ツッコミどころはたくさんあったが楽しかった。心の底からそう思う。潰れてしまうのが残念だ。

 さて、後は帰るだけだな。最後に門前の化け物を拝みに行くとしよう。

 すたこらと出口へ向かおうとすると春乃に引き戻される。


「ちょっと、出口はまだ早いでしょ」

「あれ? まだなんかあったけ。端からぐるっと回ってきたよな」

「なんかって、全く君は。もう」


 何か言いたげに春乃がモジモジしている。なんだ。俺の顔でそんな仕草されてもトイレ行きたいようにしか見えないぞ。


「ん」


 言葉にもせずに春乃は遊園地の中央へと指を指した。

 そこにあるものを見て、俺は戦慄する。あんなにでかいものを見落としていただと。あり得ない。だがあり得てしまっている。最初から目に映っていたのに。そうか。脳が必死に存在をなかったことにしようとしていたのだ。

 遊園地の大目玉。カップルたちのど定番。

 観覧車がそこにあったのである。

 赤面する春乃を前にすれば、俺は乗るしかない。


 カップルのど定番と言っているだろうに、受け付けのお兄さんは鬼の形相だ。馬鹿野郎、最終日だからって曝け出すな。隠せ隠せ。お兄さんの顔も当然俺なので俺に睨まれて観覧車に乗り込むことになっている。なんだこれ。

 確かにお兄さんの視点では可愛い彼女との観覧車だ。羨ましいよな、わかるよ。でも俺の目には彼女が俺の顔しているんだ。そしたらどうなると思う。俺と俺でキスだ。人は見た目じゃない、見た目じゃないよ。でも自分の顔でもないだろ。嫌だよ。せっかく可愛い彼女がいるだから彼女の顔でキスしたいよ俺。


「はーい乗り込んで下さい」


 無情にも俺はお兄さんの手で押し込まれる。春乃にはお姫様を乗せるほど丁寧なのに俺は下手人の扱いだ。そんなんだから潰れるんだぞ遊園地。

 ドアが占められて観覧車がゆったりと回り出した。何とろとろしてんだ、こいつ。


「もう、緊張しちゃって。何期待してるの」

「い、いや。期待なんてしたないよ」


 本当にしてないよ。

 落ち着け、落ち着け俺。カフェでも向かい合ってた話して平気だったろうが。キスぐらい、な、なん、なんともないし。

 立ち尽くしたままだったので一先ず向かいに座ろうと動いたら観覧車はぐらりと揺れる。え、なにこれ。こんな揺れるの。

 前に体重がかかりすぎだ。慌てて後ろに体重を戻すが勢いがつきすぎた。……て、まずい後ろには。


「わ」

「げふっ」


 背中に思ったより衝撃があったが、春乃はさっと避けたようだ。よかった、避けてくれて。初デートで彼女を背中で押しつぶしたとか消えないトラウマになるところだった。

 

「大丈夫? なんか災難だね今日」


 惜しい。今日だけじゃないな。ここ三日ぐらいだよ。


「頭も打たなかったし、大丈夫だよ」

「やっぱり期待してた?」

「だ、だからしてな……」


 言いかけて、俺は言葉を失った。目の前の光景が信じられらなかったからだ。

 春乃だ。春乃がいる。

 いや、そりゃ春乃はいるんだけど、違う。そうじゃない。春乃の顔だ。俺の顔じゃない、春乃の顔になっている。なっているというか戻っていると言うべきか。

 長いまつ毛に、少し垂れた目。筋の通った鼻筋に艶やかな唇。

 ずっと、この顔が見たかった。もう、俺の目は戻らないんじゃないかと。


「どうしたの? そんなぼーっとして。外きれいだよービルばっかりだけどさ」

「……見惚れてた」

「ど、どうしたのいきなり。さっきからかったお返しのつもりかな?」

「キスしていいか」

「へ!? ちょ、ちょっと待ってよ。まだ心の準備が」

「ごめん、待てない」


 春乃の静止も待たずに俺は彼女にキスをした。

 顔が分かるようになったからって現金な奴だと思うか。結局見た目かと俺を笑うか。分からないだろう、俺の苦しみは。解放された喜びが。それこそ俺にでもならない限りは。

 二回目のキスだった。痛い。歯が当たって切ってしまったのだろう。血の味がする。でも関係なかった。ファーストキスの喪失感を取り戻すように、俺は情熱的にキスをしていた。抵抗していた春乃も次第に力を抜いていった。


「……ぷは」


 肺が限界を迎え、離れて酸素を取り入れる。熱暴走を起こしていた頭が覚めてきた頃、春乃も冷静さを取り戻していた。口を拭い、赤面し、わなわな震え、そして俺の頬を思いっきり張った。

 いってえ!?


「待ってって言ったでしょ!」


 その直後扉が開き、春乃が出て行った。慌てて追いかけようと外に出てて、お兄さんの顔を見て思考が停止する。


「あちゃー。彼女さん怒らせちゃって。このままホテルでも連れて行く気だったんすか。あはは。残念でしたねー」


 その顔は、俺の顔だった。目が覚めたのは一瞬で、ドアを開ければ地獄がつづいている。俺の悪夢は終わらない。

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