第5話 【閑話休題】恋人たちの前日譚

 昔話をしよう。昔話と言ってもつい一ヵ月ほど前の話だ。当時の俺は恋愛を毛嫌いしていた。

 恋愛などしなくても生きていけるし、また映画のような美しい恋愛物語は存在しない。それに誰も彼も恋愛というものに理想を抱いている。

 そんないいものじゃないはずだ。どこかで恋愛とは病気のようなものと聞いた。若さゆえの間違いだと。恋の病に罹らなければ、恋愛などできない。しかし冷静な頭をもってしなければ相手の熱が冷めてしまう。そして冷静な頭で恋愛などできないのだ。


 まあ、長々と語ってみたが、ぶっちゃけてしまえば俺はモテなかった。告白する勇気も情熱もなかった。恋愛など縁のない話で、へそを曲げて恋愛なんて興味ないとふて腐っていたわけだ。

 そんな俺に転機がやってきた。二年生になったばかりの頃だ。俺にモテ期が到来したのだ。

 モテ期なんてあるはずがない。そう思っていた俺の元にだ。

 きっかけはなんだったか。

 ああ、思い出した。ちょっとした事件が起きたのだ。


 あの日、学校に不審者が入り込み、避難警告が出た。三階から降りようとしていた俺は、階段の中腹で運悪く鉢合わせてしまった。なんで追われてるのに上に登ってくるんだと呆れたものだ。加えて他の生徒は俺を置いて逃げ出すもんだから、たまったもんじゃなかった。

 不審者は人類がどうだの、文明がなんたらかんちゃらと喚いたいたっけか。そこに教師たちの走る音が聞こえてきた。

 不審者は俺を突き飛ばして上に逃げようとしたのだが、俺の背後には大きめの窓があった。さらに運が悪いことにその窓は開いていた。ちょっと寄り掛かった程度では落ちないだろう。だが押されたのならその限りではない。後ろに壁があると思っていたので反応も遅れた。

 そのまま宙に投げ出されそうになった俺を救ったのは、なんとその不審者だった。……いや、救ったも何もそいつに突き飛ばされたんだけども。まあ、何はともあれ救われたのだ。不審者はそのまま逮捕されていった。


 で、ここからが本題だ。どういうわけか、不審者を捕まえたのは俺だということになっていた。

 否定も謙遜と見なされ、学校中の噂になる始末。最初は辟易していたのだが、女子にもてはやされては気分もよくなってくる。当然、俺は調子に乗った。話す回数が増えればそれだけ仲良くなる。鼻の下伸ばして、みんなにいい顔だ。周りに女子を囲んで「これが本当の八方美人」などと自己優越感に浸っていた。

 思い返して見ると実にゲスい。

 皆が俺の話を聞きたがった。「どんなやつだった」「窓から落とされても這い上がったってマジなの」「空飛んだんだろ」「実は人間じゃないんじゃないの」「不審者ってやっぱ黒ずくめなの」「膝固めで捕まえたって本当?」「柔道部に入らないか」とエトセトラエトセトラ。

 俺はどうすれば盛り上がるか分かっていた。あえて嘘を重ねればいい。ただ嘘をつくだけじゃ飽きられる。なら内容を更新してやれば何度だって聞きたがるわけだ。今日も面白可笑しく語ってやろうとしているといつもと違うことを質問された。


「大丈夫だった? 怪我しなかった?」


 それが天川春乃だった。

 あの日、天川は風邪で休んでいて、事の顛末を全く知らなかったのだ。

 ただ気遣ってくれただけ。それだけのことに俺は呆気に取られてしまった。心配されるなど想定していなかったからだ。心配してくれた人もきっといただろう。何ともないように振る舞っていたので声をかけなかったに違いない。春乃はある意味、空気を読めていたなかった。

 虚構を紡ぎあげようとしていたのに、全て頭から吹き飛んだ。気づけば、ただただあったことを彼女に話していた。


 つまらない話にそれまで集まっていた人たちは去っていった。疎外感を覚えるはずの状況を俺は何とも思わなかった。皆が背を背ける中、俺と彼女だけが向かい合っていた。


「怖かったね」「大変だったね」


 月並みな言葉だった。でもそれがやけに身に染みた。

 肝試しなら怖い話も聞きたがるだろう。だが俺を突き飛ばしたのは実体のある人間だった。訳も分からないまま突き落とされそうになったなんて、そんな話をわざわざ聞いて追体験したい奴なんて普通はいない。

 だから、彼女の月並みは異常だった。聞かないようにしてたのに、と周囲からは非難の視線が向けられている。

 でも俺は救われていた。あんな体験をして、何も感じないはずがない。強がっていただけ。


 本当に、怖かったんだ。

 何を考えているか分からない相手を前に足が竦んでいた。どこかに刃物や凶器を隠し持っていてもおかしくない。相手はいつでも襲い掛かることができた。そんな状況下で意味の分からない話を聞かされていた。

 相手は結局何も持っていなかったし、結果としては押し飛ばされただけだ。でもそんなことが分かるはずもない。意図的ではなかったとしても、落とされそうにもなった。

 あの出来事があってから生活に現実感を感じられない日々。

 本当はあのときに俺は死んでいて、自分に都合のいい夢を見ているんじゃないかとさえ思えた。

 嘘を重ねたのも本当にあったことだと思いたくないからだ。だが嘘を重ねても意味はなかった。それどころか歯止めが効かなくなって、虚栄心が膨らむばかり。

 誰かに止めて欲しかった。

 面白がって誰も俺を留めなかったし、俺も止まれなった。そうなったのは俺のせいだし自業自得ともいえる。話している間は楽しんでくれるものだから、こっちも気分がよかった。でも終わるとすぐに虚しさが押し寄せてくる。俺の話を聞きに来る奴らを喜ばしくも疎ましく思っていた。誰かが悪いわけじゃない。ただ集団の強制力のようなものが生まれていた。

 春乃はそれをいとも簡単に壊したのだ。

 取り巻きはいなくなったが、晴れ晴れしい気分だった。曇っていた視界が鮮明になって、窓からの風や太陽の光とったありふれたものが新鮮に思えるほどにだ。

 俺の体験談を話し終わって、会話が途切れそうになる。何か話題はないかと探してみるが何も思いつかなかった。


「天川……さんはもう風邪大丈夫なのか」

「さんはいらないよ。何なら下の名前で呼んだっていいんだよ?」

「そういうのは彼女になってからだろ」


 あのときの俺はピュアだった。高校二年生にあるまじき事態だ。だが俺の同志は世の中にたくさんいるだろう。……いるよな?


「それって、えっと。プロポーズ?」

「は、はあ!?」

「そ、そうだよね。違うよね。ごめんごめん」


 後から知ったことなのだが、春乃はこういった発言を天然でかましている。彼女のような容姿でそんなことを言ってしまうとどうなるか。当然、遊び慣れている人だと思われてしまう。そういう噂を聞きつけてやってきた本物のプレイボーイどもは軒並み振られることから、いつしか大人の相手しか相手にしないと言う根も葉もない噂が広まってしまったとか。

 ピュアな俺はそんな噂のことは知らなかった。どうにも俺に恋愛の話を振るとキレるからしなかったという。妄想エロトークは参加させてくる癖して岩崎の野郎はどこで線引きしているのやら。

 そんなことはさておき、ピュアな俺はそこで何をとち狂ったのか春乃の言葉を聞いてチャンスはここにしかないと思った。


「ち、違くない。あ、天川さん。付き合ってください!」


 そうだ。今思い返しても悶える。周りにはさっきまでいた取り巻きたち。そのど真ん中でプロポーズだ。

 振られて笑い者にされる。冷静な頭で考えればわかったことだった。


「わ、私でよければ、その。よろしくお願いします」


 男子たちの絶叫と女子たちの歓声の中、俺たちは付き合うことになった。

 冷静なままじゃ恋愛なんてできやしない。

 どこかの誰かの言葉に、俺は静かに首肯した。



 




 

 

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