第4話 うかつな男気

 体育の時間は散々だった。

 炎天下で野球ほど気が滅入ることはない。運動は嫌いじゃないが、物事には程度がある。体育教師様は日陰からご指示とは、全くよいご身分だ。

 ただでさえ腹が立つのに、その顔は俺の顔に見えているので二割増し。

 加えてプールの方に目を向けているとバカでかい声で注意を受ける。しかも名前とともにだ。勘弁してほしい。絶対に女子の方にも声が聞こえている。そして変態のレッテルを貼られるのだ。岩崎が名前を呼ばれていたが、周知の変態なので大丈夫だろう。

 結局俺はスク水女子を見ることはできなかった。畜生。


 体力を使い果たした後に4限の授業はきつかったが、皆が俺の顔をしていることは不思議と気にならなくなっていた。慣れてきたというより、感覚が麻痺してきたのだろう。

 良い兆候というべきか悪い兆候と言うべきか。


「調子戻ってきたみだいだね」


 中庭で弁当を食べていると、隣に座った春乃がそう言った。

 きっと俺がもりもり食っているからだろう。自分のお弁当のから揚げをあーんと食べさせくれた。うまい。けどな、これはやけ食いっていうんだぜ。

 周囲の視線が痛い。代わって欲しいか。ならまずは俺と同じ症状になれ。話はそれからだ。


「おいしい?」

「うまい」

「でしょ。うまくできたんだー」

「え、手作り!?」


 初めての彼女の手作りをやけ食いで胃に収めてしまった。もっと味わいたかったのに。どうにか胃から取り出せないだろうか。でもなあ、吐いたように見えるかもしれないなあ。ああ、時を巻き戻したい。

 なんだろう。短い期間にものすごい勢いで業を背負っている気がする。

 彼女からは貰ってばかりだ。何か返せるものはないか。例えばアクセサリーとかいいかもしれないな……って、今朝渡したな。髪飾り。あれもなんだかんだで春乃のことを思ってのことというより、自分のためのような気がする。

 つくづく救えない男だ、俺は。

 あのとき、明かしておけばこんなに後ろめたさを感じる必要もなかったのに。

 いや、それも俺が楽になろうとしているだけなのだろうか。


「春乃、どこか行きたい場所とかないか」

「え? ど、どうしたの急に」

「いや、なんかさ。春乃を喜ばせたいっていうか、なんというか」

「えっと、つまり、その。デートのお誘いってことでいいのかな」


 デートかぁ。うん、言われてみれば確かにデートだな。え、デート?

 ちょっと待って。俺と春乃って付き合ってから一緒に出掛けるのって初めてじゃないか。というか、そうだよな。反応的にも、記憶的にもそうだよな。

 駄目だ駄目だ。お前はまた、そんな大事なイベントを雑に扱いやがって。      

 一つ咳ばらいをして、制服を整える。そして春乃の手をとった。


「わ、どうしたの」

「春乃、俺とデートしてください」

「え、あ、う。は、はい」


 春乃は目をぐるぐるさせて顔を赤くしている。

 俺の彼女は可愛いなあ。俺の顔のせいで台無しだけども。

 この症状で一ついいことがあったとしたら、全く緊張しないことだろうか。いつもだったら恥ずかしさが勝って、うまく誘うことはできなかった。今なら強盗に鉢合わせても物おじしない気がする。悪いことばかりじゃないな。いいことの比率のほうが圧倒的に低いことに目を瞑れば。


「さて、どこにいきたい。俺はどこでも連れていくよ」

「ほ、本当にどこでもいいの?」

「男に二言はないよ」


ネズミの王国だろうが銀行の名前みたいな場所だろうがどんとこい。


「じゃあ、近くの遊園地に行きたい。来週には廃園になっちゃうんだけど、これから潰れる場所に行くのは縁起も悪いし、古いし、行きたくないかなって思ってて」

「近くの遊園地?」


 あれ? 近くに遊園地なんてあったかな。スマホで調べてみると確かにある。でも名前も知らない遊園地だ。


「や、やっぱり駄目だよね」

「え? ああ、違う違う。行ったことない場所だったから、案内はできないなって思っただけ。行こうか。情けないけど、案内任せてもいいかな」


 春乃はぱちぱちとまばたきをした。断られると思っていたらしい。

 信用がないな。春乃にお願いされたら余程のことがなければ断らないのに。今、俺の顔で上目遣いされたりすると逆効果かもしれないが。


「うん、うん。任せて!」


 無邪気に笑みを浮かべる春乃を見てホッとする。誘って良かった。

 話し込んでしまったようで、昼休憩が終わるチャイムが鳴る。いそいそと弁当を閉まって教室に向かう。上機嫌で先を歩く春乃の後ろで、俺はふと気が付いた。

 土日を休むために今日、頑張ったんじゃなかったっけ。

 笑顔の彼女の後ろで、俺は顔を青くした。



 午後の授業は明日をどう乗り越えるかを考えていたらあっという間に過ぎていた。

 普通にデートを楽しめばいいのだろうが、それだけで済むだろうか。いや、確実にそうはならない。今日だって甘く見積もっていた。すれ違う他人にまで気にしてしまうとは思わなかったし、自分の顔で痴態を晒されると自分のことのように心がざわつく。春乃は今朝渡したヘアピンを付けてくるだろうし、見分けがつかないことはないはずだ。それでも、もし何かの拍子でヘアピンを落としてしまったら、それが原因で見分けられなかったら。

 失敗を未然に防がなければならない。

 甘い考えは捨てなくては。


 取り合えず、手を繋いでいればヘアピンを落としたとしても見分けがつかなくなることはない。そもそも服装を覚えていれば、同じ服で尚且つ同じ髪型の人が現れない限り間違える心配はない。フラグじゃないよな?

 迷子の子どもとかがいるかもしれない。流石に子ども相手にメンチ切ったりはしないが、俺と同じ顔だったら反射的に舌打ちくらいはしかねないからな。子供が嫌な奴だったら、優しくしてやらなくても……いや、駄目だ。春乃が見ているんだ。それに子供は成長過程だからな。例え性根から腐っていたとしても将来は分からない。

 あと危惧すべき事態はなんだ。お化け屋敷とかはあるかもしれないな。お化け屋敷を出た後、春乃の顔を見て驚かないようにしよう。ふざけた発言に聞こえるかもしれないが、俺は至って真面目だ。お化け屋敷の脅かし役は確実に俺の顔をしている。例え人形だとしても人の顔ならば俺の顔に見えるだろう。校長の銅像で確認してみたが、やはり俺の顔に見えた。。どうやら顔と認識したものが俺の顔に見えるらしい。お化け屋敷を出ても、隣を見て「まだいるじゃねぇか」と驚く可能性がある。


 ざっとこんなところだ。本当に大丈夫だろうか。

 春乃が一緒に返ろうと言うので、図書室で調べものもできなかった。ネットで調べてみると身体醜形障害というものが目に留まったが、これは自分の姿形に過度な嫌悪感を感じる症状だ。同じ症状に陥りそうになってはいるが、俺の症状と合致はしない。解離性障害がそれらしいかとも思ったのだが、何か違う気がする。俺のこの症状はいつ治るのやら。


「ねぇねぇ。どんな服が好き?」


 俺の心の内を知る由もなく、春乃は上機嫌だ。おてて繋いじゃって、まあ。俺の手、さぶいぼ立ったりしてないよな。

 おかしいな。いつもなら手汗を気にしているところなのに。

 さて。どんな服が好き、か。難しい質問だ。だがSNSやネットのおかげで俺は乙女心を欠片ぐらいは理解している。どんな服でも似合うよ、なんて言うのは悪手だ。女の子はそんなことは分かっている。二つ服を持ってきたら、どっちも似合うけど俺はこっちの色合いの方が綺麗だと思うな、と言うのが吉だ。

 とはいえ、どんな服が好きと聞かれるなんてな。

 つい欲望に従って「暑いからホットパンツを」とか言い出しそうになって口を塞ぐ。彼女は今、俺の顔だ。そんな状態で自分の趣味全開の服をされたらどうなる。今後その服を見たら、自分の顔が思い浮かんでしまうのだ。


「え、っとぉ……」


 やばい。選べなくなってしまった。

 どんな答えを言っても不幸になる気がする。なら、どうすればいいんだ。

 俺は深い葛藤の後、答えた。


「ど、どんな服でも似合うよ」


 ……悪手って言ってごめんなさい。



 

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