第3話 開幕のインフェルノ

 登校中は外がやけに新鮮に思えた。日差しは眩しいが、朝のすがすがしい風が暑さを和らげてくれる。公園の前では青々とした木々のざわめきが耳に心地よかった。

 素晴らしいな。自然ってやつは。

 ……断じて通りがかり人の顔から目を背けていた訳じゃない。


 学校に到着してすぐ、俺は猛烈な眩暈に襲われた。脳が理解を拒んでいる。

 右を見ても俺、左を見ても俺、そして隣の彼女も俺だ。

 頭がおかしくなりそうだ。これまでは服装が違うため、まだ自分と違うものという認識ができた。だが制服となるとどうだろう。

 まるで俺が分裂したみたいだ。こんなことなら髪を個性的にまとめておくんだった。そうでもなければ個性を確立できない。案外金髪に染めてたヤンキーたちも同じ気分だったのかもしれない。

 双子や三つ子ならまだしも、全校生徒俺だぞ。なんなら校門の強面教師ですら、覇気のない俺の顔だ。

 駄目だ早くも吐き気がしてきた。


「どうしたの?」


 春乃が心配そうに顔を覗き込んできた。いつもならときめきを感じる首を傾げる仕草だ。二度とやらないでくれ。俺はナルシストではないが、自分のことはあんまり好きじゃない程度だった。今は大嫌いだ畜生。


「あ、朝から食べ過ぎたからからかな。調子悪くて」

「へぇ。朝は何も食べたくないくらいって言ってたのに、珍しいね」

「そ、うだな。えっと、母さんが作りすぎたみたいで」

「無理しちゃ駄目だよ」


 俺の彼女は優しいなあ。気持ちだけもらっておく。だから顔覗き込むのはやめてくれ。


「おーす。お二人さん。朝からラブラブですなあ」


 背後から声がかけられ、振り返ると俺がいた。

 やめろ。わかんねぇって。喋る前に名前と所属と階級を言いやがれこの野郎。

 ……いや待てよ。おちゃらけた感じは。


「い、岩崎、か?」

「え、なんで疑問形?」


 ナチュラルに確認してしまった。隣に春乃がいるってのに何やってんだ俺は。

 何か、何かないか。髪、普通だ。服装、普通だ。顔、俺だ。駄目だコイツ何もないぞ。ふざけやがって。

 くそ、何も思いつかねぇ。


「な、なんか雰囲気ちがうなって、思って」


 苦しい言い訳だ。だがどうにか乗り越えるしかない。


「お? わかっちゃう? オーラってやつ、出ちゃったかー」


 え、マジで? これでいけるの?

 なんだ。一体何が違う。でも一見して分かるようなものはないはず。新しいバックにでもしたのか。なら普段から見てるわけでもないし分かんないよな。


「ついに飲んでみちゃったのさ、プロテインってやつをね!」


 ……は?


「いやーもう。筋肉が喜んじゃってる的な? 今日も朝から一杯ね。はー、もう飲むと飲まないじゃ天と地の差っていうかさ、あるわけでね」


 棒切れみたいな腕でなーに言ってんだこいつは。

 筋トレしてから飲んでるんだよな。まさか、飲んで満足してないよな。


「もう、私がシャンプー変えても気づかないくせになんで岩崎くんのときは気づくのかなー。傷ついちゃうなー」

「え?」


 嘘だろ春乃。俺がそんな微細な変化に気づくわけない。偶然に決まってんだろ。そもそも変化してないぞこいつ。


「もー。可愛い恋人がいるくせして。俺様のこと好きになったらダ・メ・だ・ぞ?」

「あ”あ” ?」

「ご、ごめんて。そんな怒ることないだろ」


 すまん岩崎。俺の顔でそういうことされると殺意が沸いてくるんだ。

 あと俺にそっちの気はない。

 とはいえ、彼氏として弁明しないといけないな。周りに見せつけておく意味でも。なんたって春乃は絶世の美女だ。俺の目がとち狂ってるだけで、周りからはそう映っている。仲違いしているようなら奪ってやろうとする輩ばかりだ。


「ごめんな春乃。二人の時間を邪魔されて岩崎がいつもより邪悪に見えたんだ。俺の目に他の奴は移らないよ」


 だって皆、俺の顔してるからな。目移りしようがねぇよ。

 何なら彼女の顔さえ見たくない。


「ひゅーお熱いねぇ。ていうか待て。なんだ邪悪って。聞いてんのかコラ」

「やだ、もう恥ずかしいな」


 春乃が顔を赤く染めながら体をくねらせている。俺の顔だと実に気持ち悪い。くねくねすんな。昆布かてめぇは。

 見せつけはこんなもんで十分だろ。

 周囲の羨望の眼差しが気持ちよく……ねぇな、うん。

 だって四方八方から俺の顔で睨んでくるんだもん。普通に怖い。頼むからお前ら今度にしてくれ。


 そんなやり取りをしつつ教室に入るとひしめく俺の顔、顔、顔。

 思わずたじろいでしまう。


「うわぁ……」


 さっきもいっぱいいたのに集合するとより気色悪い。テントウムシとか一匹だとかわいいのにうじゃうじゃいると気色悪いのと同じ原理だろうか。俺は一匹でも気持ち悪いんだが。

 ときにテントウムシは感じで天道虫と書く。お天道様に向かって飛ぶからだとか。そのことから神様の使いと思われていたそうな。神様、どうか俺の病気を治してください。


「何突っ立ってんだ。早く入ろうぜ」


 現実逃避していると岩崎に背中を押された。

 そうだ。こんなところで挫折してたら体がもたない。そう思って顔を上げると、もう誰が岩崎なのかわからなかった。


 ……やはり駄目かもしれない。



 一限目、二限目の授業はまるで頭に入ってこなかった。

 一限目は希少な面白い授業をしてくれる国語の先生だったのに、自分の顔をしているだけで気が逸れてしまう。俺の顔なだけなのに。いや、ちっともだけじゃないんだけども。生活に支障はでないと思っていたが、そんなことはなかった。大損害だ。

 なんだコレ。こんなに俺がいるなら俺いらなくないか。

 二限目に関しては美人教師だったのに、俺の顔なものだから微塵も嬉しくない。俺の顔で鼻の下伸ばす野郎どもを端から叩き潰したい衝動を必死に抑えるので精いっぱいだった。何より、あの先生見てるときの俺の顔ってこんななんだと見せつけられて何とも言えない気持ちになっていた。


「もう帰りたい……」


 予想外の方向から精神がゴリゴリ削られていく。気にしないでいればいいとか思っていた今朝の自分をぶん殴りたい。このままでは精神崩壊まっしぐらだ。さっさと母さんに打ち明けて病院に行くべきだった。

 机に突っ伏していると岩崎と思われる鳴き声が聞こえてきた。


「おいおい。今帰るなんて正気かお前」

「うっせえ。話しかけんな馬鹿」

「今日はいつにもまして当たり強くないか? それより、わかってんだろ。忘れちまったのかよ。今日は水泳なんだぜ」

「あー涼しくていいな、そりゃ……って、今日は女子の番だろ」


 高校生ともなると出るとこでるから仕方ないだろうが、交代制のせいでプールに入る回数も半減だ。それは女子も同じことだが、こうも暑い日は羨ましい。


「だから、いいんだろうが」

「このご時世に覗きか。命知らずだなお前」


 勝手にやってろ。いつもだったら興味ないねといいつつ気になって仕方がないところだが、あいにくみーんな俺の顔なんですわー。むしろ見せないでくれと懇願するところだね。

 そういや、あいにくって漢字で生を憎むだよな。まさしく俺は今、生けとし生けるもの全てを憎んでいる。お似合いな言葉だぜ全く。生きとし生ける人間をだけども。あれ、でももしかして人間に近い生き物も俺の顔に見えるのか? 人面犬とか出ても俺の顔とか言わないよな。まさか天井のシミまで?

 頭の先からつま先まで鳥肌がたった。こうなったら家に引き籠る他にない。


「覗きじゃねぇよ。わかってる癖してとぼけちゃって。うちのプールは室内、そしてガラス張り。その隣には運動コート。わかるか? つまり覗いてるんじゃない。あいつらが見せているのだから問題ないのさ!」


 問題……ないか?

 あるよな絶対。


「でも水中眼鏡とかかけてるから顔が隠れてるみたいなところはマイナスだよな」

「俺、体育大好き!}


 付けると不細工になりがちの水中眼鏡に俺は生まれて初めて感謝した。







 






 




 

 

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