第2話 現実はナイトメア
けたたましい目覚ましの騒音で覚醒した。
布団から這い出て、窓の外を見る。すると道行く人々全てが俺の顔をしていた。サラリーマンは勿論のこと、登校中の小学生もご老体も誰も彼もだ。
「うわぁ……」
見ろ、人がゴミのようだ。ランドセルのツインテールで俺の顔とか筆舌に尽くしがたい。
やはり昨日の出来事は夢じゃなかった。
帰宅する最中も道行く人が皆、自分の顔になっていたのだ。あまりにもおぞましい光景に気を失いそうになりながら帰宅したのだが、出迎えた母さんも俺の顔をしていて卒倒した。すぐに意識を取り戻したが、心理的負担が想像以上だったことを再認識できたのは僥倖だったという他にない。
何故なら今日は金曜日。高校の授業がある。
休みたいのは山々だが、春乃に心配をかけるべきじゃない。何と言って休んだとしても体調不良のときにキスしたと思われるのは嫌だ。……いや、全くもってその通りなのだが、まあ、それは置いておくとして。
一日寝ても治らないのだ。いつこの症状が治るのか皆目見当もつかない。学校を休んでも治らなかったら余計学校に行きづらくなる。
ならば無理を押し通してでも登校し、この状況に慣れるしかない。幸い一日行ったら土日と休みなんだ。病院なんかはそのときでいい。
二階の自分の部屋から出ると洗面所で顔を洗い、リビングで朝食をとる。いつものルーティンのはずなのだが、体が鉛のように重かった。
「ねえ、今日は休んだ方がいいんじゃないの?」
向かいに座った母さんが頬に手を当て、そんな提案をしてきた。
まあ、当然だろう。昨日帰ってきてすぐ倒れたら、心配もする。だが、俺の症状を明かしたりはしない。どこから春乃に情報が洩れるか分からないからだ。その辺、母さんは信用できない。井戸端会議で広められなどしたら最悪だ。
それにしても遺伝子を引いているはずなのに俺の顔になると母さんの面影が全くない。ちゃんと血繋がってるか心配になる。まあ、流石に考え過ぎか。
「いや、大丈夫。ちょっと貧血だっただけ。昨日寝付けなくてさ」
「そう? じゃあ今日は多めに食べていきなさい」
正直、胃に何も入れたくないぐらいなのだが、仕方ない。腹八分目に抑えるところをしっかり満腹にしてから支度をして玄関で靴を履く。すると今頃になって二階から降りてくる影があった。
「おはよう、兄ちゃん」
「お、おう……おはよう。遅刻するなよ」
可愛がっていた妹まで俺の顔だ。母さんのときも辛かったが、これはまた別のベクトルのダメージがある。
駄目だ。玄関で心が折れそうになった。
もうこれ、行かない方がいいんじゃないか。この調子だと春乃と顔合わせたときにボロが出そうだ。そもそも顔が俺になったから制服姿だと区別難しくないよな。手を振ってきたときにわかんなかったらどうしよう。
駄目だ駄目だ。雑念を捨てろ。そうじゃないとこの先、やっていけないぞ。
両手で頬を張る。力を入れ過ぎてバチンといい音がなった。
「うわ、びっくりした。何してんの」
「い、いや。ちょっと、気合入れようと」
「流石に自分を殴って欲求解消するのは、いくら兄ちゃん相手でも引く……」
「違うぞ? そんな高度なMじゃないからな」
「あ、じゃあMなのは認めるわけですか」
「おいふざけんな。違うからな。違うからな?」
「兄ちゃん早く行かないと遅刻するよ」
「いや、お前が言うなよ……」
なんだが行く前から疲れたけど、いつもと変わらない調子に少しだけ気が楽になった。ありがたいな妹ってやつは。ビバ妹。こんな妹欲しかった。いや、実在するんだけども。
「あ、そうだ。妹さんよ」
「何さ。兄ちゃんさんよ」
「髪留めくれないか。できるだけ特徴的なやつ。学校でつけても怒られないぐらいのがいいな」
「え、何。本当にどうしたの。女装趣味まで目覚めたの」
「違う違う。説明しにくいんだけど、ちょうど今必要なんだ。頼む。兄ちゃんを助けると思って。今度お礼するからさ」
「うぇえ……たくさんあるから、別にいいけどさあ」
「めんどくさいな」と言いながらも妹は部屋に戻って髪留めを持ってきてくれた。前髪留めで一見すると一般的なものだが、よく見ると黒色の中に独特な文様が刻まれている一点もので実にオシャレだ。流石だな。普段から付け過ぎて髪留めがメインになっているだけはある。
「ありがとな」
「いや、兄ちゃん。それ本当に何に使うの? 兄ちゃんでも変なことに使うのは許さないよ」
「どうやってこんなもので変態的なことができると……? いやでも用途的には変な使い方をすることにはなるのか」
「殺す」
「まてまて違う違う」
「殺されたくなかったら、返して」
「ああもう、解決したら説明するから。じゃあな」
このまま言い合いしていたら本当に遅刻してしまう。目的は果たした。勢いよく玄関を開けると扉の前に俺の顔。
「うおぉおおおおお!?」
誰だ!? 玄関前に立ってたのか? 変質者か?
「あ、ごめんね。驚かせちゃった」
なんだ春乃だったか。心臓止まるかと思ったぞ。
「あれ? 春ちゃんじゃん。どしたの」
「おはよう、ミカちゃん。久しぶりだね」
俺が混乱していると二人で和気あいあいと話し出した。息を整えて、問いかける。
「ふ、二人とも面識あったのか」
「何言ってんの兄ちゃん。学校に通ってたら皆知り合いみたいなもんでしょ」
いや、それはおかしいだろ。全校生徒何百人いると思ってんだ。
「ミカちゃん顔が広いから生徒会の手伝いしてくれてるんだよ。寝坊ばっかりだから生徒会に推薦しても落ちちゃったけどね」
え、ほんとなの? ほんとなの?
「春ちゃん聞いてよ。兄ちゃんが――」
「春乃、プレゼントしたいものがあるんだ」
妹が怪訝な顔をしている。すまん。今は話を合わせてくれ。
「え? 何だろう」
「こういうのってどういうのがいいかわからないから妹に選んでもらったんだけどさ。髪留めをね。つけてくれると嬉しい」
「え、いいの。ありがとう! ミカちゃんもありがとうね」
「んー、うん。そだね。どいたしまして」
妹よ。言わんとすることは分かる。そんな即興で用意したものを渡すなっていいたんだろ。でも、仕方ないんだ。春乃は綺麗な黒髪をしているが、特徴的な髪型ではない。身長も高いわけでもなく、低いわけでもない。皆が制服を着る中で春乃を見分けるのは至難の業だ。そこで髪留めだ。特徴的な髪留めを付けていればいい。
普段なら何もなくても分かるんだけどな。
髪留めを付けてニマニマしている春乃を見ると心が痛む。ごめんな。こんな目的で渡すべきじゃないんだけど、許してくれ。
「あ、そうだよ。遅刻しちゃうね。行こっか」
腕時計を確認するといつも家を出る時間より十五分も遅くなっていた。
「うわ、もうこんな時間なのか。急がないとな」
さて、登校だ。ただ家出るだけで時間かけ過ぎだ。
「兄ちゃん」
呼ばれて振り返ると口バクで何か言っていた。
さ・い・て・い。かな? ははは、こやつめ。
……はい、その通りです。
「ミカちゃん?」
「いってらっしゃいってなかったからさー。そんだけ」
「お、おう。いってきます」
やっぱりそうだよな。最低なことをしている自覚は持ち続けなきゃ駄目だ。
美香は正しい。できた妹だ。俺には勿体ないな。
さて、まだ一日は始まったばかりだ。取り合えず乗り越えよう。それができなきゃ始まらない。ネットでも調べてみたけど、どうにもこういった病気はわからない。図書室に何かいい本はないだろうか。
そんな考え事をしていると春乃が「ねぇ」と声を掛けてきた。
「どうした?」
「ミカちゃんも学校あるのに、置いてきてよかったのかな」
「あ……」
まあ、うん。なんだ。
今に始まったことじゃないし、ね?
でも、あいつのそういう気負わなさってやつを俺は見習う必要があるのかもしれないな。
そんなことを想いながら、俺だらけの一日目が始まった。
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