忘れ物

増田朋美

忘れ物

忘れ物

今日は雨の日で、土砂降りの雨が降っている日だった。最近は暖かくなってくると、大気の状態が不安定というキーワードが盛んに報道されるようになった。気温が高くなったとか、そういうことだけではない。もっと根本的なことが、変わっていかないと、今までの良き時代というか、平穏な時代を取り戻すのは、難しいような気がする。

そんな雨の中、杉ちゃんは今日も水穂さんの世話をしていた。いつも通り、着物を着換えさせ、ご飯をたべさせて、憚りの世話をする。別にそれで報酬が出るというわけではないけれど、杉ちゃんは、できることなら、なんでもすると言って、いろんな雑事をこなした。

その日は土砂降りの雨が降っていたが、なぜか製鉄所には何人か利用者がいた。社会で働いている人もいるし、学生として学校で勉強している人もいる。利用者は大体そのどちらかに分けられるのであるが、それ以外の人もたまに現れる。つまりどういうことかというと、学生と社会人を両方をやっている人である。

杉ちゃんと水穂さんが、いつも通りに、食事をしていると、ひとりの女性利用者が、息を弾ませて四畳半入ってきた。

「何だ、一体どうしたの?」

杉ちゃんがそういうと、

「はい、とてもいい話です!なんでも、うちのテレビ局で、この製鉄所の事を、取材させてもらいたいと要請が入ったんですよ!」

と、女性利用者が言った。水穂さんなどは、そういわれて、驚きすぎてせき込んでしまったほどである。

「そういうことはお断りだ。水穂さんはもう芸能活動からは身を引かせて貰うぜ。その誓いを破るわけにはいかないよ。」

杉ちゃんが言うと、

「いいえ違いますよ。テレビ局のひとに、製鉄所の事を話したんですよ。そしたら、現在の教育体制について討論する番組のプロデューサーが、ぜひ取材させてくれって、お話ししてくれたんですよ。」

と、彼女は答えた。彼女が勤めているのは、静岡県のみで放送されているローカル番組をつくっていいることで有名なテレビ局である。ケーブルテレビを契約していないとみることはできないけれど、その番組は、結構有名な番組なのだった。

「ダメダメ、テレビなんか僕は大嫌いだからね。そんなものに水穂さんを出させるわけにはいかないよ。そういうことだから、僕も協力したくありません。まあ、プロデューサーに何を言われたかは知らないが、お前さん、断ってきてくれ。」

と、杉ちゃんに言われて、彼女は困った顔をする。

「でも、プロデューサーには、しっかり、契約とってきてくれといわれてしまいました。あたし、どうしたらいいだろう、、、。」

「そんなこと言わなくていいの。ただ、単純に断ればそれでいいのさ。まあ、仕事は仕事だと思うけどさ、仕事がなんでも成立するとは限らない。それよりも、断られることが多いの。今回は、プロデューサーに無理やり言われたかもしれないけど、それは、冗談でプロデューサーは言ったのかもしれないよ。それはちゃんと、しっかり考えて真に受けないほうがいいよ。」

彼女がそういうと、杉ちゃんはあっさり答えた。

「まあ、大体芸能関係とかそういうやつらはね。大体の事は冗談で言って、実現なんかしないことの方が多いんだ。其れは、仕方ないことだ。まあ、真に受けると、水穂さん見たいに成っちまうの。」

「杉ちゃん、僕を悪い例にしないでも。」

水穂さんはそういったが、

「だってそうじゃないか。其れは、事実なんだからちゃんと話をするべきだよ。」

と、杉ちゃんはにこやかに笑って言う。

「それでは、直ぐにテレビ局に言って、取材はお断りだとちゃんと行ってきてくれよ。まあ、大体冗談で言っていると思うから、さらっと流されてしまうと思うけどね。」

「ええ、わかりました、、、。」

と、彼女は言った。でもその顔は、まだ未練があるような、そんな感じの顔だった。杉ちゃんの方は、それを無視して、水穂さんにご飯をたべさせることを再開したのであるが、、、。

その翌日。翌日は良く晴れていて、のんびりした日であった。大雨がふったのが、憎らしくなるほど、晴れていた。

「今日は、着物を取り換えような。着物は銘仙ばっかりだけど、たまにはほかのやつも着ないとだめだよ。それでは、着物を取り換えよう。」

杉ちゃんは、箪笥の中から着物を一枚取り出して、水穂さんに着替えさせた。確かに、水穂さんの着物は、銘仙ばかりだ。「貧しい人が着るもの」と定義されている銘仙の着物は、最近若い人にはかわいいとか言われているようだけど、やっぱりどこか差別的な印象があった。着替えたのは、葵の葉が入った、紺色の着物である。

「さて、着替えたら、また横になってくれてもいいし、座っていてくれてもいいよ。」

と、杉ちゃんに言われて、水穂さんは、布団に横になった。杉ちゃんは少しの間でもいいから、座っていてほしいと思っていたようであるが、水穂さんは、体力がなさそうであった。

そんなことをしていると、玄関先から声がした。

「こんにちは!満腹邸です!川田亜紀さんの紹介で参りました!」

「満腹邸?誰だ其れ?川田亜紀さんは、あの利用者の女性の名前だけど、、、?」

杉ちゃんと水穂さんは、顔を見合わせた。

「まさか、本当に取材をしに来たのでしょうか?」

水穂さんがそういうと、

「まったく、女ってのは、口が下手な奴が多いなあ。なんで断れなかったんだんだろうな。まあ僕が断ってくる。」

と、杉ちゃんは車いすを動かして、玄関先へ移動していった。

「何だよ。こんなところに、本当に取材に来るとは思わなかったぜ。一体テレビ局が、こんな辺鄙なところに来るなんてどうかしてるよ。何の取材で、こっちに来たの?」

杉ちゃんがそういいながら、玄関先に現れると、スーツ姿の女性と、テレビカメラを持った男性が、そこに立っていた。

「お前さんたちは、何者だ。其れをはっきり話してくれないと、こっちは何もできないので。」

と、杉ちゃんが言うと、

「はい。私たちは、テレビ天海で、現在満腹邸という番組をやっております、大西真美と申します。こちらはカメラマンの小菅です。よろしくお願いします。」

と、彼女は答えた。つまり、この人が、川田亜紀を雇っていた、プロデューサーということになるのだ。

「テレビ天海とは、どういうテレビ局かなあ。」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。テレビ天海は、静岡の教育にまつわる自主製作番組を撮らせていただいている、ローカルテレビ局です。満腹邸は、名前こそ、ユニークですが、静岡の教育制度や、新しい教育機関などを取材して、その様子を静岡県内のみんなに、伝えていく番組として、現在人気をいただいています。」

と、大西さんは言った。

「そうかあ、じゃあなんで、僕らのこと、いや、この製鉄所を取材しようなんてバカバカしい事を考えたの?」

「はい、ここに通っている、川田亜紀さんから、ここの評判は聞いています。学校や家で居場所がなくなった若い人たちが、居場所としてここを使っていると、彼女から聞きました。」

「あのねえ、製鉄所は、ただ集まって勉強したり、仕事したりする場所を提供しているだけで、それ以外の機能は別にないんだけどねえ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「それでも、箏曲演奏家の花村義久先生や、クリスタルボウルの演奏家の、竹村優紀先生等、そういう偉い先生方が、ここを絶賛しているそうじゃありませんか。其れは、その通りなんですから、何か秘密があるはずでしょ。ですから、それを取材させていただきたいんです。」

と、大西さんは言った。その時、応接室のドアがガチャンと開いて、ジョチさんが杉ちゃんたちのところにやってくる。

「ああ、どうも初めましてです。私、テレビ天海の大西真美と申します。静岡のローカル番組である、満腹邸の企画と制作をしています。こちらは、カメラマンの小菅です。よろしくどうぞ。」

杉ちゃんにした通りの自己紹介を大西さんはいったが、

「その小菅さんというひとが、なぜ何も言わないのかが不思議な所ですね。」

と、ジョチさんは、首をかしげていった。

「ええ。其れは、関係ないじゃありませんか。それよりも、私たちの番組制作に協力していただけませんでしょうか?撮影内容は、製鉄所の利用する様子を撮影することと、理事長さんへのインタビューと、利用者さんのインタビューだけです。ここを、どんな思いをもって利用しているのか、利用者さんたちにお話をお伺いしたいのです。」

大西さんはそう取材の概要を言った。

「だからあ、取材なんてしなくてもいいじゃないか。答えなら僕が言ってあげるよ。家とか学校とかに居場所がない奴らや、一寸家族と離れたところで勉強や仕事をしたい奴らがここにきて、自分たちの作業をやっている。みんな受験勉強したり、学校の宿題やったり、会社の仕事したりしているが、中には、雑誌の新人賞を狙いたくて、一生懸命小説とか、そういうのを描いてるやつもいるよ。そういう奴らが利用している。そういう事。これでわかったよ。帰んな帰んな。」

杉ちゃんが急いで答えを出してしまうと、大西さんは、さらに好奇心いっぱいの目をして、

「そうなんですけどね。私はただ文章を話してもらうのではなく、そういうことを、映像化して、みんなに伝えたいんです。」

と答えをだした。

「そんなことしなくたっていいんだよ。映像化なんてしなくたってね、こういうところは、ちゃんと機能するから変な宣伝はしないでもらえないかな。利用者さんたちはね、みんな傷ついたり、挫折したりしている人たちでしょ。それを、あんまり公開したくないんだよね。だって、其れを話させるというのは、彼女たちにとって、つらいことだろうからね。其れは、やっぱりね、してほしくないんだよね。できれば、彼女たちをそっとしておいてほしいなあ。」

杉ちゃんがそういうと、大西真美さんは、

「ここの利用者さんは、女性がほとんどなんですか?」

とさらに聞いてくるのだった。

「ええ、お答えしましょうか。その通りです。女性の方が、こういう集団に集まるにはたけているということもあり、利用者の八割は女性が占めています。そして、女性のほうが、立ち直りにも時間がかかります。彼女たちは、お互いの抱えている問題を、ほかの利用者に話したりして、解決の糸口を探していますが、それを見つけるというか、そういうことは、男性の方が早く見つかるということは間違いありません。」

と、ジョチさんがそう説明した。二人とも早く大西さんには出て行ってもらえないかなと思うのであったが、そういうわけにはいかないらしい。大西さんは、二人の話をさらに興味深そうに聞いている。

「そうなのかしら。だからこそ、取材をさせていただいて、ほかの人たちに彼女たちの想いを伝えていけばいいと思うんですけど、それは、いけないことなんでしょうか?私別に、悪い意味でここを取材させてもらいたいと言っているわけではありませんよ。それはちゃんと分かっているんです。ただ、ほかにも、問題のある子供さんや若い人を抱えている家庭はあると思うんです。そういう方々が、テレビの映像を見て、ああ、こういう場所があるんだなと少し楽になってくれるかもしれないじゃないですか。私たちは、それを狙っているんですよ。」

と、大西さんはそういったが、そうですね、と、ジョチさんも杉ちゃんも考え込んでしまった。

「そうかもしれないんですけど、不特定多数の人にテレビで配信するというのは、一寸困ると思うんですよね。その映像がテレビで放送された場合、悪事に使おうというひとだって絶対現れると思うんですよね。僕たちがあつかっているのは、ものじゃないんですよ。パソコンみたいに、指示されなければただの箱というものでもありません。利用者さんたちは、人間なんです。時には、誤解でおかしくなったりする事もあると思います。そうなったら、あなたたちのせいということになりますけど、あなたは、責任取れないでしょ。テレビは、単に楽しませるだけじゃないんですよ。其れを、考えてから取材に来てくださいね。」

ジョチさんは、一寸考え込む仕草をして、そういった。

「まあ確かに、障害者施設の、ドキュメンタリー映画を撮るとか、そういう事も流行っていますが、それだって中には悪用する人もいると思いますよ。映像というのは、誰が見ているかわからない、それが致命的な弱点でもありますよ。それをちゃんと考えて、制作してほしいと思いますね。」

「まあ、そういうことなので、今回はお断りだ。製鉄所の様子を撮影なんて、僕たちは、そういうことはしないでもらいたいな。僕たちは、彼女たちの事を大事に思っているので、外部の人に知られたくはありません。彼女たちの事をそっとしてあげたいんです。その気持ちは、しっかりわかってあげてください。」

杉ちゃんがデカい声でそういうと、彼女、大西真美さんは、困った顔をした。

「それでは、今週の満腹邸の放送、何を放送すればいいのでしょうか。」

「馬鹿だなあ。それを製作するのはお前さんたちの仕事なの!さ、今日はここまでで、帰った帰った!」

杉ちゃんが猫を追い出すように、彼女に言った。

「でも、もう今週の特集は、ここの製鉄所の事を放送するつもりだったのに。」

「あの。」

ひどくしわがれた声で、誰かが言った。

誰の声だろうか。男性の声としては、かなりキーが高く、男性らしくないいい方だった。

「今のは誰だよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「も、う、お、わ、り、」

と彼は一言、一言切るようにいった。発言したのは、小菅と呼ばれた、あの男性である。

「そんなこと、」

と大西さんは一寸悔しそうに言った。

「あの、小菅さんとおっしゃっていますけど、少し事情が違うのでは?もしかしたら、別の姓を名乗ってはいらっしゃいますが、」

とジョチさんは、彼女に聞いてみた。どうやら彼女たちは、単なるテレビのプロデューサーと、カメラマンの関係ではなさそうな気がする。大西さんは、化粧でかなりごまかしているようであるが、実の年齢は、かなり高齢であるようで、目じりにしわが寄っていた。

「もしかしたら、お前さんたちは、親子さんではありませんかな?」

杉ちゃんにそういわれて、大西さんは、口をつぐんだ。

「無理しなくてもいいですよ。息子さんを何とかして外へ出させるために、こういう番組を作って、こういう取材をさせているんでしょう?その理由は、息子さんがしゃべれなくなったから。違うか?」

「あ、あの。」

小菅と呼ばれている男性は、何か言いたそうだった。でも、金魚みたいに口をパクパクさせることしかできないらしい。どうやら彼は、場面緘黙症のようなものを持っているらしいのだ。

「まあ確かに、彼の障害は精神的なものとは思いますが、僕たちも精神疾患のある人たちを抱えています。そういう女性たちを、取材して、映像化することの難しさは、あなたならよくわかるはずですよ。そういうことですから、僕たちも、取材はお断りさせていただきたいんです。其れはわかって下さい。」

ジョチさんが彼女に頭を下げてそういうが、彼女はまだ、悔しそうな顔をしているのだった。まだあきらめきれない感じの顔で、二人にこういった。

「でも、そっとしているばかりでは、何もうごきません。誰かが、動いて、現状を訴えなければ、世の中は私たちのような存在がある事を気が付いてくれることはないでしょうし、それにどう対応するかも考えてはくれないんです。其れなら、問題のある人たちを映像化して、世間に訴えることも必要なのではないでしょうか?」

「いや、どうですかね。其れは無意味だと思いますよ。世の中は、そういうことに感動する人なんて、数人もいないと思いますね。もし、それができてればとっくに動いていると思いますよ。其れが今まったくないことが答えです。みんな、自分の事で精いっぱい。そんな、社会的弱者の事に手を出してやれる暇はない。」

ジョチさんは、大西さんの発言にはっきりといった。そうだそうだと杉ちゃんも相槌を打つ。大西さんが、悔しそうな目つきをして、反論を考えているような顔をすると、四畳半から、川田亜紀の声がした。

「ちょっと誰か来てくれませんか!水穂さん、水穂さんがせき込んで苦しそうです!」

「はあ、又かいな。また、出すもんを詰まらせたな。」

杉ちゃんが急いでそういうと、小菅と言われた男性が、直ぐに靴を脱いで製鉄所の建物内に飛び込んでいった。杉ちゃんがおい、待てと言ったが、彼には聞こえないようだった。お母さんも、これは大変と言って、そのあとを追いかけた。杉ちゃんもジョチさんも、本当にすぐ手が出るやつらだなと言いながら、二人の後をついていく。

小菅はしゃべれないはずであったが、意外に動きは敏捷で、直ぐに四畳半にやってきた。川田亜紀が、激しくせき込んでいる水穂さんの体をさすってやったりしているが、その効果はなかった。小菅は川田亜紀の体を振りほどいて、水穂さんの背中をたたいてやったりして、中身をはきださせた。そして、枕元にあった吸い飲みをの中身を水穂さんに飲ませてあげると、せき込むのはようやく止まってくれた。

「ありがとうございます。おかげで、助かりました。」

ジョチさんが、小菅に礼を言って、お礼として、お納めくださいと、お金を彼に渡したが、小菅と呼ばれた男性は、それを受け取らなかった。むしろ、びっくりしたのはお母さんのほうだ。息子がこんな事をやってのけたとは、信じられない顔をしている。お母さんは、杉ちゃんに掛け布団をかけてもらっている、水穂さんの着物を見て、

「まだ、救いようのない人が、こうしているとは思いませんでした。貧しさゆえに、医療を受けることはできなかったんでしょうね。同和問題は当の昔に終わったと思っていましたのに。」

とだけ言った。

「いやあ、同和問題も、障害者も似たようなものですよ。日本の社会がどうのと偉い人は、いいますけど、変えられるのは社会ではなく、個人の意識だけですからね。其れを忘れてはいけないんですよ。」

ジョチさんは、水穂さんと、彼を心配そうに眺めている、しゃべれない男性を眺めながら、お母さんにいったのであった。






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忘れ物 増田朋美 @masubuchi4996

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