第9話 Two heads are better than one. Ⅳ

「レージ、いっしょに寝よう」

 その夜、ジネヴラは珍しくレイジの寝室へと訪れた。少しだけ恥ずかしそうな顔をして、意を決したように歩みは堂々と、だ。

「え、なんで?」

 男の疑問を跳ね除け、ジネヴラはベッドへと侵入する。彼が被っていたタオルケットを奪うと、爽やかなハーブの香りがした。

「つきあかりがまぶしくて眠れない」

「カーテンを閉めればいいじゃないか」

 少女は口を尖らせてじっとりと睨め付ける。察しろ、と金と灰色の目が訴えかけていた。

「狭いぞ。いたたた」

 横になっていたレイジを壁側に押し付けて、ジネヴラは枕の半分を占領した。その拍子にツノが彼の頬に刺さる。

「せまい。冷たい」

「すんませんねぇ。自分のベッドあるんだからそっちで寝ろよ。急にどうしたんだ。また怖いの居たのか?」

 ジネヴラは首を左右に振る。うつ伏せになって、それでも視線はレイジをしっかり捉えていた。

 彼女は大きなあくびを一つして、ふわふわと低いトーンで話し始める。

「お父さんと子どもは、いっしょに寝るのがふつう、なんだろ……」

 レイジは何も答えられなかった。小さな子どもの背中にタオルケットをかけなおし、仰向けになって天井を見上げる。

「レージ。おはなしして。レージがジーネのくらいのときのはなし。そしたら、ちゃんと寝るから」

 ジネヴラは目をこする。また一つあくびをして、男の口が開くのを待つ。

 レイジは険しい顔をした。彼の瞳は明るい灰色の輝きを放っている。ジネヴラは、見る角度によって色が変わるのは羨ましいと思った。自身の瞳は面白みのない黄色だ。片方の目はよく見えておらず、濁った灰色をしている。

 男の目は正面から見れば空と大地の色。ジネヴラは彼の瞳を覗き込むのが大好きだった。

「先にジーネの話、してあげようか」

「オレは」

 レイジはジネヴラの言葉を遮った。無感情で、疲れていて、少女が呼吸をするたびに吹き散らしてしまいそうな細いトーンだった。

「ジネヴラと同じくらいの歳には、大きな家に住んでいた。父親と、母親と、弟と、たくさんの人だ」

「……かぞくがいっぱい、いたのか」

 男は目を閉じる。細く息をついて、全身の力を抜く。ベッドが軽く沈んだ。

「そうだな。家族、なのかな」

 ジネヴラはどうしてか、次の言葉を促すことができなかった。なんだか聞いてはいけない話を無理に話させている気がする。でも、そういうものこそ聞いてみたい。誰にでもある感情だ。先ほどまで落ち着いていた心は騒めき、鼓動が速くなる。

「オレの両親はたくさんの人を養っていた。稼いだお金をなるべく平等に与えて、ご飯もみんなに行き渡るようにしたり。オレは長男だったから、親の跡を継ぐことが決まっていたんだ。二人の期待を裏切らないように頑張った。失敗しないように、たくさん勉強して、たくさん努力して、ときに取り分で喧嘩をする人がいたらそれを止めていたりした」

 レイジは幼いジネヴラにもわかるよう、なるべく易しい単語を選びながらゆっくりと語り続ける。

「でもな、やっぱりおじさんには期待に応えられるだけの能力なんてなかったんだ。いろんな人との約束を破って、嘘つき呼ばわりされて、だんだん人は離れていって、ついにひとりぼっちになった。毎日がつらくて、苦しくて、明日なんて来なければいいのにって思ってた」

 レイジが発する低い声は、いつのまにか抑揚が消え失せている。ジネヴラは相づちを打つのも忘れてじっくりと聞き入っていた。

「でもな、そんなオレにも頼れる大人がいたんだよ」

 レイジの声色が変わった。あどけなさを含んだ、優しげな雰囲気をまとう。

「『パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。怖いとき、困ったとき、勇気を出したいときにはこの言葉を唱えなさい』なんてな」

 男はクスリと笑った。ジネヴラもつられて口角を上げる。カーテンの隙間から月明かりが溢れ出た。レイジの灰色をした髪の毛が明るく照らされる。

「教えてくれた人は不思議な雰囲気の人だった。あとは、花を育てるのが得意でな」

「はな?」

 レイジはこくりと頷く。「花だ。ジネヴラも見ただろう。市場にあった花屋さん。あれよりも綺麗な花を育てていた」

 ジネヴラは男の言葉を反芻する。花、花か。広い青空の下で大輪の花がいっぱい咲いていたら、それはとても素敵な光景なんだろうな、と思った。

「大きな花畑を見せてくれるって、約束してたんだ」

「はなばたけ、みたのか」

「いいや。約束は、オレの方から破っちまった」

「そうか」

 二人の呼吸音が交互に聞こえる。

「ジーネ、花を見たのは初めてだった。あいつらがジーネの宝石をきれいだって言う感覚がわからなかったけど、もしかして『きれい』っていうのは光っていなくても『きれい』なのか」

「そうだ。『きれい』を感じるのは人それぞれだよ。ジネヴラは花が綺麗だと思ったんだな」

「うん。花はキラキラしていないのに、あんなにもきれいだった。いつか……いつか、大きな花畑を見てみたい。こんどは、ジーネと約束をしよう」

「そうだな。いつか見せてやるよ」

 レイジは目をつむる。何か言わなければこのまま眠ってしまう、と感じたジネヴラはさらに食い下がった。

「ゆびわ、つけてるな。けっこんしてるのか」

 男はまぶたを閉じたまま眉根を思い切り寄せた。口をムッと閉じ、しばし時間を置いてから不機嫌な声色でため息ともつかない返事をする。

「くすりゆびにゆびわって、けっこんしてる証なんだろ。どんな人? なんでいっしょに住んでないんだ? ジーネのほかに、レージの子どもはいるのか?」

 溢れた好奇心は止まることを知らない。

 雲が出てきたのだろう。レイジを照らしていた月明かりは遮られ、寝室は闇に包まれた。

「なあ、レージ」

「もう寝ろ」

 ジネヴラは喉をぐっと鳴らした。これ以上口を開くな、という無言の圧力が少女を押しつぶす。

 怯えた子どもの感情を察知したのか、レイジは慌てて咳払いをして、今度は優しく言った。

「おじさん眠いんだよ。歳とるとすぐ眠くなっちゃって」

 わざとらしい口調だ。それでも、いつもと同じ、少し疲れた優しい声だった。

 なにかの間違いだろう。きっとレージは、眠いとぶっきらぼうになるんだ。ジネヴラは自己解釈をする。

「わかった。寝る。おやすみレージ」

「おやすみ」

 ジネヴラは納得したふりをしてまぶたを閉じる。男もそれ以上話しかけてはこなかった。少女はベッドの上で丸まると、無造作に伸ばされたレイジの手を握った。

 冷たい。初めて触れられたとき、あまりの冷たさに驚きの声も出なかったことを思い出す。

 レージの手は、いつも氷みたいに冷たいんだな。

 滑り出そうになった言葉を慌てて飲み込む。今度こそベッドから追い出されてしまうかもしれない。

 男は少女の手を握り返さなかった。

 夜が更ける。月は顔を出すことをせず、地を這う人口の星が瞬いていた。

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