第8話 Two heads are better than one. Ⅲ

 今日もレイジは狩猟に向かう。害獣を倒し、金を受け取り、毛皮、肉、骨を剥いで質屋に持っていく。

 それだけでは生活資金は当然足りない。週に二、三回、レイジは街の端にある牧場に赴き、忙しい牧場主に変わって牧羊犬とともに家畜の放牧に勤しんでいた。

 ジネヴラも彼の後をついていく。頭の宝石は目立つため、レイジが近くにいない際にはフードを目深にかぶり、おとなしく男の仕事を見守っていた。

「レージ、つかれてないか」

「いやあ、いつもこれぐらい働いていたし」

「もしかして、ジーネのせい?」

 レイジは眉根を寄せる。ジネヴラの頭を掴むように撫でて、低い声で言った。

「違う。ジネヴラのせいじゃない。おじさんはちゃんとした仕事についていないから、こうやっていろんな人のところで雇ってもらってるの。それに、いろんな仕事ができるって結構楽しいんだぜ」

 とは言いつつ、一日中立ちっぱなしなのも体にこたえる。今日はマッサージを念入りにしなければ、とレイジは考えた。

「ふうん。一つのところに定まらないのか。レージはじゆうなんだな」

 ジネヴラは寄ってきた牧羊犬の鼻っ面を撫でた。仕事はいいのだろうか? 少女は辺りを見回した。羊たちはのんびりを草を食んでいる。まだ厩舎に戻る時間ではない。

 のどかな時間は空をゆく雲のごとき和やかさだ。ただ一人、レイジを除いて。

「どうかしたのか? やっぱり働きすぎだ。ジーネも、なにか手伝う」

 ジネヴラは硬い表情をするレイジの頬をつねった。男は我に帰ると、彼女の手をそっと外してフードを目深に被らせる。

「そうだ。オレは自由、だからな」

 レイジは手を後ろに組むと、ぼうっと蒼穹を仰ぐ。

 ジネヴラは幾度か彼の名を呼んだが、生返事が返ってくるばかりで、男の意識はそこにはなかった。


 夕陽が灰色の雲に潜る。馬車から降り、レイジたちは帰り道を歩いていた。途中で差し出された印刷物をジネヴラは断りきれず受け取ると、匂いを嗅ぐ。インクと紙の燻りに顔をしかめて、鼻頭にしわを寄せる。

「新聞もらったのか。文字は読める?」

「よめない。これよんで」

 レイジはくしゃくしゃに握り締められた紙を見ると、彼女から新聞を受け取り、黒い羅列に目を這わす。

『マグナヴェッタ帝国、ローン・ポリ王国に進軍』

 神妙な顔をして記事を読み進める。ジネヴラは興味深々といった表情でレイジを観察していた。ただの紙切れに、ここまで真剣な顔色を浮かべる者を見たことがなかったのだ。

「レージ、レージ! なんて書いてあるんだ?」

 ジネヴラは我慢できずに、苦い表情をする男へと質問を投げる。彼はハッとしたように首をもたげると、通行人の邪魔にならぬよう道の端へと移動した。

「大きな国が別の国に進軍したって書いてあるのさ」

「シングンってなに?」

「軍隊、兵の集まりを進めること。マグナヴェッタっていう国の王様は、自分の国を大きくしたいから、他の国に入って土地を横取りするんだ」

「ふうん。満足の気持ちが入るうつわが大きいんだな」

「強欲って言うんだよ」

 レイジは皮肉げに吐き捨てた。ジネヴラは彼の顔を覗き込む。この男が誰かの悪口を言ったことに驚いたのだ。

「ごうよく。ゴウヨク。強欲だな、おぼえた」

 男はぐしゃぐしゃと軽い音を立てて新聞を握りつぶす。近くにあったゴミ箱に叩き込むと、レイジは低い位置にある子どもの頭を撫でる。普段よりもぎこちない手つきは、ジネヴラの疑問を掻き立てるのには十分すぎた。

 彼の顔は逆光で見えなかったが、どんよりと鉛色に染まった空が男の心情を露見させているような気がして、ジネヴラはなんだか悲しい気持ちになったのである。

「……この街は、周りに深い森と海があるから、そう簡単には攻められない、とジーネは思うぞ」

「はは、そうだなぁ。一安心だ」

 違う。この男はこんな言葉が欲しいのではない。ジネヴラはそれを直感で感じていた。

 わざとらしいほどの明るい声色で返したレイジに、ジネヴラは口を堅く閉ざした。


◇◆◇


 香ばしいベーコンの香りが起床を促す。柔らかな耳をピクリと動かすと、ジネヴラは飛び起きた。ツノにシーツが引っかかって首が上がらない。唸り声をあげて粗雑に振り払う。

 嫌な音がして布が破れた。

「おはよう、ジネヴラ。またシーツ破ったのか……」

「おはよ、レージ。ごめんなさい。あ、今日はベーコンだな」

 寝癖で跳ね上がった前髪を気にすることもなく、ジネヴラは早速キッチンに向かう。皿に乗せられたカリカリのベーコンと山羊乳でできたチーズ、そして黄金の目玉焼き。ジネヴラ専用の皿に乗った物は、黄身が二つだった。

「目ん玉二つ! いいのか?」

「ああ。顔洗っておいで」

 朝っぱらから疲れた顔をしたレイジは、片方の口角を力なく上げる。彼女のツノに絡まったシーツの残骸を取ってやると、やれやれと掴むように小さな頭を撫でた。

 

「こら、野菜も食べな」

 レイジはトマトを端に寄せるジネヴラを見て、渋い顔をした。ジネヴラはというと、口を尖らせて物言いたげに男を注視する。

「そんな顔してもダメだ。ほら、椅子から足も下ろして、行儀よく食べるんだよ」

 ジネヴラは膝を抱えて食事をする。偏食も激しい。レイジは彼女のあまりにも凄惨な過去を恨みながらも、これからのことを思ってしっかりと教育していくことを心に決めた。

「これは……これは癖だ。ジーネの癖。レージが嘘つくときに、腕を後ろに隠すのとおんなじ。だからしかたない」

「行儀の悪い癖はやめろっての。そもそもおじさんにはそんな癖ありません」

 あるもん、とさらに口を尖らせてそっぽを向く。ベーコンにフォークを突き刺して、鋭い犬歯で噛み付いた。

「今晩はシチューにしようと思ってたけど、足も下ろせない、トマトも食べられないなら野菜スープに変えちまうか」

 途端に椅子から足を下ろし、トマトを口に含んだジネヴラに、レイジは笑いをこらえることができなかった。

「良い子だな。さすがジネヴラ」

 ふんす、と鼻から息を吐き出して、ジネヴラは残りのトマトを食べる。食感が苦手なのか、もそもそと口を動かしスープで流し込んだ。


「美味しかった。トマト以外な。昼ご飯はなんだ?」

「朝メシ食ったばかりだろう。あとで市場に行って決めるから」

 レイジが剥いたリンゴをほぼ一人で食べ尽くした少女は、出かける準備を始めた男の背中にまとわりついた。

 ジネヴラもいつもの緑色をしたマントを羽織る。フードをしっかりと被って、レイジの右側に立った。

 初夏の陽気が二人を誘う。直射日光に当たればじんわりと汗ばむ季節になってきた。

 レイジは目深くフードを着用した少女に声をかける。

「暑くないのか」

「あつい。でもツノ、見えるのやだ」

「尻尾はいいんだな」

 不機嫌に頷き返した子どもに、レイジは帽子でも買ってやるかと意気込む。

 週末の市場はたくさんの人で賑わっていた。つい昨日まで働き詰めだった男にとって、ジネヴラとの買い出しは一大イベントである。

「今朝とったばかりの魚だよ! 刺身にしても煮付けにしても美味しいよ!」「週末限定で安くなってまーす! 新鮮なフルーツはいかが?」「安くておいしい脂の乗った霜降り肉! ちょっと大声では言えない珍しい肉! なんでも揃ってるよ! 今晩のメインディッシュにどうだい?」

 はたとジネヴラの足が止まる。手を繋いでいたレイジも同じく止まると、彼女の視線は肉屋に釘付けだった。

「シチュー。わすれてないからな」

 色の違う両眼がレイジをじっと見つめる。男は少女の手を強めに引くと、歩みを進めた。

「肉は帰りに買わないと腐っちまう。ちゃんとシチューにするからさ」

 絶対だぞ、ジーネはもうシチューなんだからな。と、わけのわからない言葉を吐きながら、ジネヴラは渋々男に手を引かれていく。

 正午前。傷みそうなもの以外はあらかた買い終わった。ジネヴラが起きるときに破ったシーツ、ジネヴラが髪を拭くときに誤ってツノに引っ掛けたバスタオルと、同じく服を着るときにツノで穴を開けたシャツの替え、ジネヴラが歯が痒いと喚いて齧った木のスプーンとフォーク、三本目だ。

「ジーネのかいものばかりだな」

 申し訳なさそうに尻尾と耳が垂れ下がる。レイジは気にするなと言いたげに、背の低いマントに手を置いた。

 すると、ジネヴラの歩み遅くなった。

 子どもの視線の先には、たくさんの花が飾られた出店がある。

「あれはなんだ? いろんな色がある。ちょっときついけど、やさしいにおいがするのもある」

「ただの花屋だ。見たことないか?」

「ない」

 雑踏が激しくなってきた。名残惜しそうなジネヴラがさらわれないないよう、レイジは歩みを進める。

 少女は何度も花屋を振り返っていた。

 二人で荷物を半分ずつ、特に重いものはレイジが運ぶ。人混みの波に逆らわず肉屋に向かっていると、恰幅のいい女性がレイジの顔を覗き込んできた。

 驚いた男が目を見開くのと、ジネヴラが彼の背中に隠れるのが同時だった。女性は表情を明るくさせると、レイジの肩をバシンと叩く。

「アンタ、レイジじゃないか! 最近ウチの店に来てくれないから寂しかったんだよお? 後ろにいるのは娘さんかい? やっぱりアンタ子どもいたんだねぇ」

 からからと気前の良さがにじみ出ている。レイジも彼女に笑って返した。

「やあ女将さん。ここのところ忙しくてさ。親父さんは元気かい?」

「相変わらずさ。昼はまだ? サービスしてくよ。よかったらどうだい?」

「ほんと? じゃあ頂こうかな。ジネヴラ、この人は俺の元雇い主さんさ。美味しいご飯を作ってる。挨拶しな」

 ジネヴラはびくりと肩を跳ねさせる。フードの裾を持って下を向いた。そんな彼女の様子を見て、女将はしゃがみこんだ。

「やあ、ジネヴラ。あたしはレティシア。あすこのレストランで夫と二人で店を出してるんだ。まあ、元雇い主でレイジの料理の先生だった、ってところかね」

 赤い唇をニッと引き締めて、レティシアは茶目っ気たっぷりにウインクをする。

「さあさあ、今日のオススメはニワトリとウサギ肉のオーブン焼きだよ。レモンとオレガノをたっぷりかけてね」

 肉、という単語に反応したジネヴラは、勢いよく上を向いた。目があった女将はきょとんとした表情を浮かべる。

「あらあらまあ。可愛い顔してるじゃないか。お母さん似かい? 表情はレイジそっくりだけども」

 レイジはとたんに青い顔をして、「今日のおすすめはなに?」と話を逸らした。

 

「レージのしりあいは、良い人ばかりだな」

 ジネヴラはニワトリの肉をフォークに突き刺して頬張った。膝を抱え込まぬよう神経を集中させているため、味はよくわからない。

「そうだな。優しいよ」

 レイジも肉を口に入れる。レモンの風味が肉の脂と合わさって、とても食べやすかった。家のオーブンで焼いても、ここまで美味しくはなるまい。

「ほら、デザート。お、顔がよく見えるね。やっぱりお母さん似だ。フード取ってたほうがモテるよぉ。ツノも綺麗だし。あたしも昔はモテたもんさ」

 レティシアは皿に乗ったパイを差し出しながら、アハハと声高々に笑う。後ろから線の細い男がボソリと呟いた。

「ああ昔はモテてたさ。結婚した途端に化けの皮剥がしやがった。こいつはエサのいらないネコを飼ってやがったんだ」

「エド! 馬鹿言ってないで、飲み物を用意しなさいよ」

「レイジ、お前さんは尻に敷かれるなよ。敷かれてないよな……? 竜の嫁さんなんて気が強そうで俺ぁ心配だよ。まだ若いのに頭が白っぽくて気にしてたんだ。もしかしてストレスか?」

「他人の髪より、自分の髪を心配するんだね!」

 レティシアは、旦那の寂しくなった頭皮を睨め付けながら鋭く返す。

「けんかしてる」

「二人はいつもああなんだ。本気の喧嘩じゃない。仲良しの証だよ」

 ジネヴラはそうか、と納得したように独白する。居心地が悪そうに椅子へと座り直すと、目の前でコーヒーをすするレイジを遠慮がちに見入った。

「コーヒー、飲みたいのかい。苦いぞ」

「匂いがやだ。そうじゃなくて……」

 ジネヴラは口籠った。細く白い喉を鳴らして数秒置く。レイジは辛抱強く彼女の言葉を待った。

 男は少女が話し始めるまで、なるべく自分から話さないようにしている。こういう状態のジネヴラは、頭の中で話すべきことを整理しているのだ。

 ジネヴラは意を決して酸素を吸い込み、とても小さな声量で発言した。

「ジーネは、レージの娘、なのか……」

「ああ、そういうことにしてる。嫌か? おじさんがお父さん代わりって」

 たしかにお父さんって身なりじゃないけどな。レイジは頭をかいて照れ臭そうに視線を逸らした。その方が色々と誤解が少なくて済むし。

「レージが、お父さん」

 ジネヴラの桃色をした唇から微笑ましい単語がすべり出た。レイジの自虐的な考えを一瞬吹き飛ばすほど、甘美な囁きだった。

 うーん、参った。面と向かって言葉にされるとめちゃくちゃ恥ずかしい。

「ふふ、お父さん、お父さんか。レージは、ジーネのお父さん。うふふ」

 少女は頬を染める。レイジはコーヒーを飲み干した。運ばれてきたデザートに手を伸ばし、ぶっきらぼうに豪語する。

「今更お父さんなんて言わなくていいからな。レージでいい。わかったな?」

「なんで? はずかしいのか?」

 ジネヴラはニヤリと笑った。オレンジジュースを口に含み、飲み干す。

 男は鼻から息をついた。勢いに任せてパイを口に放り込む。途端に目を見開いてむせかけた。

「女将さん! このパイ、シロップ入れすぎだぞ!?」

「何言ってんの。これくらい甘くないと美味しくないんだよ! 歯磨きはちゃんとしなね?」

 レイジが珍しく文句をつける。竜の少女は恐る恐るフォークでパイをつついた。じわりとシロップが溢れて、かなりの甘味が風とともに運ばれてくる。

 ジネヴラはレティシアの体格とデザートを交互に見やり、失礼だとは思いつつも人知れず納得する。

「焼いたベーコンを乗せても美味しいかも! エドモンド! さっきベーコン焼いてたよね?」

「もうやめてくれ、レティシア……」

 エドモンドは薄くなりつつある頭を抱えた。

「あの二人は、いつも創作料理に精を出してる」

 レイジはジネヴラにそっと耳打ちをした。少女は内緒話を心の中にしまいこんで、にへらと微笑んだ。

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