未定稿
加賀美 龍彦
第1話
この年になってファンレターを書くことになるだなんて思いもしなかった。少し前に出張先で立ち寄った古本屋に一際目を引く表紙の小説があった。この手の見た目に力を入れている小説は大抵中身がないという偏見があったが、それはそれで頭を使わないで良さそうだなと思い購入した。道中の新幹線で暇つぶしに読んでみると、物語に出てくる価値観や物事に対する見方は悉く自分のそれと酷似していることに気付いた。今まで言語化さえしてこなかった細かな感覚を的確に捉えられており、関心すらした。気が付くと読み耽っており、目的地を乗り過ごすところだった。当初の目的である会議の出席も、出席したのはいいもののずっと上の空であった。帰りの新幹線でも同様に読んでいると、終に読み終わってしまった。少年の頃、初めてテレビゲームをした時のように熱中してしまった。未練がましく最終頁の著者の他作品の紹介を眺めていると奇妙なことに気付いた。四半期ごとに作品を出版しているのだ。とんでもないほどのハイペースだ。作品の作りだめでもしているのだろうかと訝しんだが、それだけ自分は好きな作品を楽しめるのだと思うとすぐに興味は削がれた。
その著者の作風は大抵お決まりのものとなっており、厭世的にボーイミーツガールが描かれるのだ。物語のなかで紡がれる価値観や世界観は作品ごとに異なっていたが、そのどれもが私の中のそれらと分かちがたく結びついていた。私にはこれらの物語を愛することさえできると思う。
しばらくは子どものように飽きることなく毎日読み続けていた。読み過ぎて仕事が手に着かないこともあった。とにかくその著者は多産であったため、少しでも読むことを止めると、あっという間に置いていかれてしまうのだ。しかし物語を読むことに一切苦労はなく、布が水を吸いとるように読んだそばから自分に馴染んでいった。
あとこの一冊で未読の本は無くなるというところで、著者に関する噂のようなものが偶然、インターネットを通して私の目に入った。著者は難病に侵されていて、明日をも知れぬ身らしいとのことだ。可哀想にと思ったが、この著者の作品がこれから読めなくなるのはとても困ることであった。この世界から好きな色が一色消えるような心地になる。
ファンレターを送ってみようと思った。あなたの作品を好んで読んで執筆活動を応援している者がいると伝えることによって、精神的なところでも良いので著者の健康に寄与できればと考えた。
”はじめまして…” 、”こんにちは”、”私はあなたの作品のファンで…” 、など全てありきたりなもので魅力的な書き出しは私には書けなかった。もとより作文をすることはこんなにも難しいものであったかと再確認することになった。否、相手が好きな作品の著者であるため、どうしても気を惹きたくて素敵な文章を書こうとして躓いているのだ。しかし、全くの素人である私には土台無理な話だ。なので、もう白旗をあげて素直な気持ちで子どもみたいな文章のファンレターを書くことにした。
著者のメールアドレスは知らなかったので、紙にボールペンで文章を認めた。それを封筒に入れて、いつでも郵送または手渡しできるようにした。
インターネットで調べてみると著者は意外なところにいた。私が住んでいる町の隣町にある病院に入院しているとのことだった。もっともそのインターネットの情報の最終更新が1ヶ月前だったため、もう既に著者は他界あるいは転院しているかもしれないが。
家族でも知り合いでもない私は当然、面会は許されない。ただ入院している患者である著者が小説家であることは病院内でも有名であったようで、窓口で著者の名前を出して、用件を伝えたところ、すんなりそれは通った。ファンレターは無事著者に渡ったところであろう。その後も度々私はファンレターを書いては、著者に渡した。生きているうちにと思って。
何回目か、ファンレターを渡しにいった時、窓口で著者の担当の看護師より著者から私に対するファンレターの返事を紙の文章で渡された。
未定稿 加賀美 龍彦 @Taka6322
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