第13話:お前の望むままにヤってやる

「……で、ええと、はしけーれ、だっけ?」

「ハシェキールェです、ご主人さま!」


 ばっさばっさとしっぽを振る。

 即座に訂正してきたけど、チビ、と呼んでいた時より格段に嬉しそうだ。

 間違えたとはいえ、俺に名前を呼ばれたことが、そんなに嬉しいのか? だが、それにしても呼びにくい名前だ。


「ええと、……はしけーりぇ」

「ハシェキールェです、ご主人さま!」

「はしけーるぇ、ええとだなお前らの……」

「ハシェキールェです、ご主人さま!」

「……チビ、」

「ハシェキールェです、ご主人さま!」


 名前を呼ぼうとしたことが、こんなに期待値を上げることになるだなんて。

 俺が正しく発音してくれることを期待してだろう、キラキラの目で、何度も訂正を要求される。


「……ハーシェ。お前は今日からハーシェだ」

「え?」

「ハーシェ。お前はハーシェだ。誰がお前を何と呼んでも、俺はお前をハーシェと呼ぶ。いいな?」


 呼びにくいならニックネーム作戦だ! コイツが俺をご主人さまよばわりするのなら、俺がコイツにニックネームを付けたっていいだろう?

 とりあえず元ネタの名前は尊重してるぞ、それで勘弁してくれ!


 ところがチビのやつ、うつむいてしまった。

 あ、しまった。気に障ったか? いや、あくまでニックネームだ、名前自体を変えるって意味じゃないってことを伝えてやらないと――


 そう思って慌てる俺に、チビはさらにキラッキラに輝く目で俺に飛びついた。バランスを崩してしりもちをついた俺にそのまま飛び乗って、ばっさばっさとしっぽをちぎれんばかりに振り回す。


「ご主人さま、ボクに、名を下さったんですね!? うれしい……うれしいです!」


 一生変わらぬ想いを貫きます、などと叫びながら、俺の顔をベロベロ舐めまわしてくるのを何とか押しのける。


「……チビ――ハーシェ。お前らの流儀では、とにかく一発ぶん殴って、相手に負けを認めさせれば、それでいいんだな?」

「はい! たとえ本人が納得しなくても、周りが納得させます」

「……俺が負けたら、ハーシェ、お前は群れに……」

「ご主人さまが負けても、ボクがご主人さまの敵を討ちますから。ボクが勝てばご主人さまの勝ちと同じですから、どっちみち負けることはあり得ません!」


 ものすごい勢いで俺の顔を舐め続けるチビに、俺は愕然とする。

 ……俺、わざと負ける気満々だったんだけど?

 負けて解放したうえで、今度は食糧か何かを餌に雇えば、今度は積極的に協力してくれそうじゃん?

 それなのに、負けても賭けの対象が襲い掛かって負けを無効にするって、そんなのイカサマじゃねえか!


「大丈夫です。ご主人さまは負けません。ボクが負けにしません。ボクに薬を使ってまで助けてくれて、今もボクに名を贈って下さったご主人さまのご恩に、必ず報いますから!」


 ……いや、アレ、ちょーっと度数が高すぎるだけの、ただの酒だから。消毒だから。薬じゃないから。名前だって、ただ呼びやすくするためのニックネームだから。


「チビは黙って離れて。しゅー君を負けになんて、絶対にさせないから。魔素マナ全部を使ってでも、あの生意気な黒チビを消し飛ばしてやるんだから」


 いや、セファはセファで不穏なことを言うな。

 お前が魔素マナを使い切ったら、それ、お前が――。

 もう二度とあんな思いはしたくないんだ、無茶を平然と口にしないでくれ。


「……んふーっ、しゅー君の愛、やっぱりセファが一番?」

「分かったから印を描くな」


 人間ではない――ハイヴォルフェンとはいえ、女の子と戦うというのは気分がいいものじゃない。ましてそれは、俺から婚約者を取り戻そうとする戦いなのだから。完全に俺が悪役。

 タチが悪いのは、その婚約者とやらのチビが俺のことを主人と仰いで、元の群れに帰る気がないという点だ。俺は適当に戦ったあと、わざと負けて、帰ってもらう気満々だったってのに。


 どうやったら、負けたことにしてチビを群れに返せるのだろうか。もう、「帰れ」っていうだけじゃ帰りそうにない空気なんだよな。

 とりあえず危ないからと、離れるように言う。


 セファはチビの手を引きながら何度も振り返り、ついには「しゅー君が危なくなったら、すぐにアレを【次元断層転送】するから安心して」と、とてつもなく物騒なことを言ったので、俺が何かを求めない限り絶対に何もするな、と厳命する。 




「絶対殺す、ニンゲン!」


 黒頭のヤツ、やいのやいのと後ろではやし立てる仲間にあおられてか、俺に対して勝つ、じゃなくて殺す気満々なようだ。あーもう、面倒くさい。こうなったら、決闘が始まった瞬間に敗北宣言ギブアップしてやろうか。


 投げやりなことを考えながら、ザックの中から武器になりそうなものをあさっていた時だった。


「ご主人さま!」


 駆け寄って来たチビが、ぎゅっと、俺の顔を胸にうずめるように抱きしめたのだ。

 ――チビのくせに、だ。


「ボク、ご主人さまを信じてます」


 不思議な柔らかさ――もふもふの毛並みだから、だけでは説明がつきそうにない、不思議なふくらみを感じる柔らかさ。子供の体だからだろうか?


 どうしようもなく、場違いな苦笑いがこみあげてきてしまう。


 勝て、でも、がんばれ、でもない、『信じています』の言葉。

 俺は『信じられている』――それが、すごく、心を奮わせる。


 洗いたての、若干の湿り気の残る、でも柔らかな白い毛並みを堪能すべく、俺も抱きしめて。


「あ……ん」

「ハーシェ、ありがとうな。ちょっと、やる気が出た」


 ――期待をされるってのは、じつに気分がいい。

 その観客ひとりのために、俺は、勝たなきゃいけないような気になってくる。


 戦うのは得意じゃない。まして勝つなんて。ただ生き延びるだけよりも、難しい。

 ……でもお前は今、勝てと言わなかった。信じていると言ってくれた。

 その小さな体で、未来を俺に託して。


 その胸から顔を離すと、目が合ったチビは、柔らかく微笑んだ。

 微笑んだ――確かに微笑んだのだ、チビは。

 まるで慈母のように。


 ――俺は信じられている。

 今はチビ、お前のために――お前の望むままにってやる!




 俺はあらためてザックに手を突っ込むと、洞窟冒険者ダンジョンダイバーになってから最も愛用してきたものを手にした。


「……なんだそのふにゃふにゃ棒! ティワティン馬鹿にするか!」


 俺がザックから引っ張り出したもの――ワイヤーで繋がれた棒の塊を見て、黒頭の奴が憤慨してみせる。


 ――ふにゃふにゃ棒、か。


 多数の短い棒がワイヤーで繋がる多節棍にみえるコイツは、この世界で、ダンジョンで生きていくと決めたときに、最初に特注した逸品だ。


 地面に先端を放り投げると、もう一端――手に握ったその後ろから伸びているワイヤーをつかみ、一気に引っ張る。


 ガチャチャチャッ!


「お前、ひきょう! その棒、いつ出した!」

「見てたろう? ――今だよ」


 そう、コイツは、いつでも『十一フィート棒ダンジョン探索必携の品』になるんだ。




「あーあ、始まっちまったかい。あのボウヤ、ガキとはいえハイヴォルフェンに勝つ気なのかい? そもそも、特級とはいえ銀の実力なんだろう? それも洞窟案内人ダイバー。戦えるのかい?」

「しゅー君、はっきり言うと、弱い」


 女法術師の質問に、セファが即答する。


「私に負けるくらい」

「ダ~メじゃないのヨそれ! 女の子、それもチミみたいなカワイ子ちゃんにも負けるくらい弱い男が、子供とはいってもハイヴォルフェンと戦うなんてーっ! あーヤダヤダもう、血の雨が降りますよーっ! 坊主ーっ! 痛い目見る前に早いこと降参してしまいなさいよーう!」


 うるせえよ森林族ガーヴェン男。


「……殺す!」


 黒頭が踏み出した、その瞬間だった。

 信じられないスピードで突っ込んできた黒い影を、かろうじて身をよじってかわす。

 棍棒を振り下ろすその風圧を、肩で感じながら。

 即座に奴は地を蹴り壁を蹴り、とんでもない角度から飛び込んでくる!

 ――迎撃が間に合わない!


 かろうじて棒を地面に突き立て横に飛びのくと、奴は棒を蹴って反転、着地後すぐに距離を取った。

  十一フィート三・三メートルの間合いから離れようということか。

 クソッ! 三角蹴りなんて、漫画か格闘ゲームの世界だけに許された攻撃だぞ、ちくしょうめ!


「……殺す!」


 再び棍棒を振りかぶり飛び込んできた奴を横っ飛びに避けると、奴はそのまま着地後、即、身をよじってこちらに飛び込んできやがった!

 慌てて前にヘッドスライディング! 左こめかみのすぐそばを、盾代わりにした棒に棍棒が弾かれる音がかすめるのと同時に、再び奴が距離を取る。


「ねずみみたいに! 殺す、お前殺す!」


 クソッ、このままじゃマジで殺される!

 あの飛び込みの勢いで振り下ろされる棍棒なんか頭に食らったら、たとえヘルメットをかぶってても頸椎骨折で死ぬ未来しか見えない!


「殺す!」


 こちらの体制が整わないうちだった、奴の飛び込みは。

 ――ヤバい! 死ぬ――!?




「……チビ……?」


 俺を突き飛ばしたのは、チビだった。

 黒頭の棍棒を肩に受けながら。

 俺の棒は、防御に間に合わなかったのだ。


 地面にたたきつけられたその白い体は、そのままわずかに跳ねて転がり、俺の上に覆いかぶさる。


「え、えへへ……ボク、役に、立った、でしょ……?」

「……チビ、……おい、チビ! 無事か!?」


 俺は身を起こすと、動かなくなったチビを抱き上げ揺すり、声をかけ、もう一度揺する。


「チビ、……チビ! おい、ハーシェ! 起きろ! 冗談はよせ、死ぬな!!」


 もう一度揺すろうとして――ゾッとする気配に、盾を構えたその瞬間、すさまじい衝撃!

 自分が盾を構えた腕に自分の胸を殴られる形で地面に叩き付けられる!

 背中へのすさまじい衝撃、息のできない瞬間!


「ハーシェ呼ぶな。ハシェキールェ、それくらいは平気。でもハシェキールェ痛い思いしたの、お前が悪い。お前のせい!」


 後方に飛びすさった黒頭の勝手な言い草。

 抱えていたチビは、動かない。


『ボク、お役に立ちますよ』


 嬉しそうに尻尾を振っていたチビ。

 ――コイツ、こんなにもふもふだったんだな。

 場違いな感想が頭をよぎる。 


『ご主人さまが負けても、ボクがご主人さまの敵を討ちますから』


 バカ、お前がやられてるじゃねえかよ……!

 お前、自分の婚約者にぶん殴られて、このありさまになってんだぞ……!


「……何が平気だ、俺のせいだ! てめえ、自分の婚約者までぶん殴っておいて、よくもそんなことを言えるな!」

「しつけ。だいじ。お前のせい。全部お前悪い。全部お前のせい。お前――殺す!」


 ――クソッ! 何がしつけだ! 今どき、女からのDVだって見過ごせないレベルになってるんだぜ!

 俺は奥歯を噛み締めると、むせつつも立ち上がった。

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