第10話:ご主人さま、たすけてくれたから

 細い通路を抜けた先、しばらく曲がりくねった道をぬけると、かなりの広さの部屋にたどり着いた。壁には巨大な鍾乳石が立ち並び、一種の神殿のようですらある。どれくらい高いのだろうか、魔導灯デービーランプの明かりは、ほとんど天井に届かない。


 部屋の奥に向かって、棚田のような「リムストーンプール」が伸びていて、幾重にも重なる神秘的な段差を形作っている。その階段状のプールを迂回するかように、さらに奥に洞窟は続いている。


 リムストーンプールから流れてくる水は、この部屋の半分ほどを水没させていた。

 溜まっている水は恐ろしく透明度が高く、数メートルはありそうな底の砂利まで、はっきり見える。だが、魔導灯デービーランプの明かりでは、水没している洞窟の奥までは、暗くて分からなかった。


 例の三人組は、やれやれといった様子で水を飲んで一息ついている。

 ただ、森林族ガーヴェンの男は、なにやらかまどの準備を始めていた。一服するための湯を沸かすことにしたらしい。俺も湯を求める代わりに茶葉の提供を申し出ると、実に歓迎された。


 とりあえず水袋で水を汲んできて、セファの傷を洗う。すでに酒で洗ってあるが、改めて、固まりかけの血を洗い流す。


「しゅー君の愛を感じる」


 セファが、ワンピースをお腹の上までたくし上げているのを、目をそらしつつ洗ってやっていると、セファがわけの分からないことを言ってくる。

 まあ、コイツのたわごとはいつものことだ。


「馬鹿言ってないでほら、向こう向け」

「しゅー君、お腹よりおしりが好き? ヘンタイ」

「……さっき腰まで粘獣に噛みつかれてただろ」

「そーだった。私のためって言い訳して、女の子の生おしりを叩くヘンタイさんだった」


 あーもう、勝手に言ってろ。

 その、真っ白でつややかなまろい肌に水をかけると、赤黒い血の汚れを洗い落とす。


「しゅー君、そんなにセファのおしりなでるの、好き?」

「あのな」

「しゅー君のヘンタイ」


 ペちん。


「ほら、おしり叩いた。ヘンタイさんだー」

「もう知らん、勝手にしろ」


 さすがにイラッとしてセファに背を向けると、チビを呼ぶ。


「……しゅー君、怒った?」


 声でわかる。いつもの、からかうような声。振り返ればどうせまたヘンタイだの何だの言うに違いない。無視だ無視。


 恐る恐る寄ってきたチビに、頭を洗う旨を伝えて水をかけてやると、その髪をほぐすように洗ってやる。

 固まりかけた血でゴワゴワしている毛。それを解きほぐすように、少しずつ。


 水でも沁みるかもしれないが、それでもきれいにしてやりたい。まだ粘獣の死骸も取り切れていないだろうし、なによりコイツのおかげで俺たちの被害が少なかったのだから。


「ひうっ……!」


 チビが顔をしかめるが、固まりかけの血で赤黒くなってしまっている顔を、少しずつ洗ってやる。

 ――洗い始めて、俺は、あることに気がついた。


「チビ、お前……ホントは白かったんだな」


 何気ない俺の言葉にチビは驚いたようで、目を見開き、耳を伏せ、そして顔を押さえてうつむいてしまった。


「顔を伏せるな押さえるな、洗いにくいだろ? せっかくキレイになってきてるんだから、こっち向け」


 あらためて水をぶっかけてわしわしとこすると、血と共に汚れが洗い流され、今まで茶色っぽかったチビが、何かの冗談みたいにどんどん白くなっていく。

 ヴォルフェンの体毛は黒から褐色だから、白いというのは珍しい、というか見たことがない。


 頭、首、肩――


 徐々に、褐色の毛並みが、白くなってゆく。チビが、まるで生まれ変わるかのように。格別に泥にまみれていた、というわけでもないのに。

 これほど景気よく汚れが落ちるなら、水袋からちびちび水をかけているのが馬鹿らしくなってくる。


「チビ、おいで。こっちで綺麗にしよう」


 チビのヤツ、俺と池を見比べてあからさまに尻込みしてみせたが、俺が歩き出すと観念したらしく、後ろをついてきた。

 それまで、黙って座って見ていたらしいセファも立ち上がる。


「……しゅー君、なんだか今日は冷たい」

「かもな」

「しゅー君、……やっぱり怒ってるの?」

「さあな」

「しゅー君、ひょっとして、犬が好き?」

「コイツは命をかけて俺達の役に立ってみせたからな」

「しゅー君……セファも役に立ったよ?」

「あーそーだなえらいえらい」

「だったら、そのコみたいに頭なでて?」


 付き合いきれない。

 セファはほっといて、水を前に足をすくませるチビに、前に進むよう促す。


「後でな」

「……しゅー君、やっぱり今日は冷たい」

「かもな」

「……しゅー君、やっぱり今日怒ってる」

「怒ってるよ」


 そのまま、セファの返事は止まった。珍しいことがあるものだ。

 とりあえず静かになったセファはそっとしておくことにして、水を怖がるチビのために靴を脱いで、一緒に水に入ってやる。

 おっかなびっくりといった様子で見ずに足を突っ込んだチビの足を洗ってやると、思った通り、褐色だった毛は、たちまち白くなった。――いや、白さを取り戻した。


 気をよくして、折り畳み鍋コッヘルで水を汲んで頭から掛けてやり、もう一度、チビを頭から洗ってやる。

 ひどく硬直しているのは、水が怖いからだろうか。これ幸いと、ざぶざぶと水をかけて手早く洗っていく。


 腕、背中。

 胸、腹。

 腰、脚、そしてしっぽ――


 さすがに急所にも関わる胸から下――とくに腰まわりやしっぽあたりは抵抗されたが、こっちもなかなか興が乗っていたから、結局全身を洗ってやった。


 ただ、内股の辺りで、まだ生きて張り付いていた粘獣がいたのは驚いた。

 噛まれて気づいて、慌ててその辺の石になすりつけたうえで、すり潰してやった。


 まさかまだ生き残りがいたとは思っていなかったから、酒を取ってくると、もう一度、粘獣の生き残りがいないかを探すことにする。


 内股、尻、尻尾の裏など、もう一度酒を振りかけながら、毛をかき分けるようにして探すと、さらに何匹も生きたヒル状の粘獣が見つかった。

 チビの内股に食いついていた奴も腹立たしかったが、特にしっぽの根元の毛の中に埋もれるようにして隠れていた二匹は、実にまったく、即座に引っ掴んで石に叩き付けて赤いシミにしてやったほど、腹立つくらいまるまると太っていやがった。


 嫌がるチビに腰を突き出させて、尻尾の裏側のふわふわな毛の奥まで確かめた甲斐があったよ、まったく!


 一通り探して、もういなさそうだと確認できた俺は、改めてチビの全身を洗っていく。茶色の水彩絵の具が溶けて流れるかのように、面白いように色が抜け落ちる。


 チビはやっぱり急所であろう胸や腹、下半身やしっぽを洗われることに抵抗があったみたいで、身をよじってみせたのだが、犬のくせに生意気な真似をするな。おとなしく洗われていろ。綺麗にしてやっているんだから。


 ――で、世にも珍しい、全身が白いヴォルフェンが出来上がった。


「チビ、こうして見るとお前……本当にキレイだな」


 したたる水滴が魔導灯デービーランプの明かりに照らされて、犬のくせに妙に艶めいて見える。


 基本は白い体毛。

 ただ白いだけでもなく、うなじあたりから背筋、そしてしっぽの先まで伸びるやや黒ずんだラインが、アクセントになっている。


 今は濡れネズミ状態だけど、乾いてフワフワになれば、タイリクオオカミのような風格の、幼くはあるだろうがなかなかのイケメンになるんじゃないだろうか


 ただ、俺がキレイだと言ったら、急に体を腕で隠すようにして耳を伏せ、困ったようにもじもじして目を泳がせ始めたのがどことなくユーモラスだった。それさえなければ、さらにカッコいいんだけどなあ。


 そうやって見ていると、チビの額のあたりがジクジクと、赤っぽくなってきているのに気づく。

 そうか、血が固まりかけのところを洗ってしまったから、また血が滲んできてしまったか。


 両の頬に手を添えるようにして、その赤く染まってきた額を確認する。

 可哀想だけど、やっぱりあちこち、血がにじんでいた。

 頭から粘獣を被ったから、そこが一番傷が深いんだろうな。なのに血が固まりきってないところを洗ったものだから……悪いことをしちまった。


「まだ痛むか? 悪かった、無理に洗ったせいで」


 ほかにもないかチェックしていた俺の言葉に、チビは小さく首を振った。

 犬の顔の表情なんてよく分からない。けれど、どこか嬉しそうに見える表情で、俺の顔をまっすぐ見ながら、はっきりと言った。


「いえ、ご主人さま、たすけてくれたから」


 そう言って、たしかに、笑ってみせた。

 さっき粘獣の生き残りに噛まれて、再び血をにじませた、俺の親指を舐めながら。


――――――――――

■リムストーンプール

鍾乳洞で見られる、棚田(段々畑)状のプール。秋吉台の「百枚皿」などが有名。

https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16816700426137334591

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