第9話:「しゅー君の熱いのを顔にぶっかけられてなさい」
「な、なにやってんだい! ボウヤ、ほっときな! アンタが食われちまうよ!!」
女法術師が金切り声を上げるが、俺は泣き叫ぶ犬頭のチビに駆け寄ると、手掴みで粘獣どもを剥がしにかかった。
たちまち、食い破られた手袋の先から、さらに粘獣のカケラどもに食いつかれる激痛が走る。
「しゅー君! だめだよ、やめて……!」
セファも、足を引きずるようにしてこちらにやってこようとする。
「だめだ、セファは来るな! コイツから剥がしたヤツが、お前にまた食いついたらどうするんだ!」
俺の制止に、セファが顔をゆがめる。
「やだ……、しゅー君が痛そうにしてる方がいやだよ! わたしなら大丈夫だもん、しゅー君より強いし丈夫だもん! しゅー君……しゅー君!」
だめだ、セファの無防備すぎる服装だと、またすぐに襲われかねない。足のあの赤黒い斑点、それはすべて、さっき粘獣のカケラどもに食われた跡なんだから。
だから来させてはいけない。来るな、とにらみつけると、セファは立ちすくんだ。
チビの頭、首、肩から、ぬめる粘獣を引きちぎる。指に食いつく粘獣を引きちぎり、振り払いながら。
ああ痛いさ。ものすごく。でも、このコイツだってこの痛みに襲われているんだ。
それでもこのチビは、こうなることを予見しながら俺たちをかばい、突き飛ばし、そして、今だって一人で苦しんでいた。
俺は、俺達は、コイツに助けられた。
だったら、今度は俺が助けてやらないと!
「馬鹿なことを! おやめ、アンタが食い殺されちまうよ! 粘獣だって、その一匹を食い尽くすまでは動かないだろうからさ、その間に焼き払うんだよ!」
「コイツは俺たちを助けようとしたんだ! 見殺しになんかできるか!」
「手で引き剥がしたって、すぐにまた食いつかれるってのに! ああもう、何やってんだいこのスカポンタン!」
女法術師は、そういうと俺にナイフを寄こせと要求した。
余裕もなく鞘から抜いて投げて渡す。
「人の親切にはていねいに応えるもんだよ!」
言いながらも、女法術師は両腕をまっすぐ突き出し、右手で柄をしっかりと握り、左手の指を全てまっすぐそろえて刃をはさむように持った。
「――邪を焼き払う神聖な剣を我に与えよ!
直後、左手が青い光に包まれ、女法術師は、まるで見えない鞘からナイフ抜くように、ゆっくりと腕を広げてゆく。
左手で覆われていた刃は、赤熱するように赤く、白く、輝き始める!
「ほら、犬っコロから剥がしたヤツは、コイツで焼きな! そうしないとキリがないよ!」
――渡されたナイフの刃からは、チリチリと、焼けるような熱さを感じる! ヒートウエポンってやつか! 初めて見たぞ!
確かに、この魔力付与をされたナイフの威力は絶大だった。近づけるだけでも熱を嫌がるのか、粘獣どもがすごい勢いで剥がれ落ちていく。あとは落ちた奴を踏みつけて確実にすりつぶせばいい。
「ああもう、コイツは貸しにしとくからね、あとで返しとくれよッ!」
女法術師が、同じくヒートウエポン化した杖の先で、逃げ惑う粘獣の破片を焼き始めた。ありがたい! だが、通路が狭すぎて、その後ろにいた男たちは、何もできずにじれったそうにしている。
俺は慎重に、確実に粘獣を剥がせるように、ナイフをかざし続けた。
あまり刃を近づけると犬頭のチビ自身の毛が焦げてしまうから、もどかしいのが難点だ。こうしている間にも、痛みと熱さをこらえているのだろう、押し殺したような嗚咽を漏らし続ける。
「……痛いよな、熱いよな……。だけどもう少しだ、我慢しろ」
犬だけに毛深く、どうしても毛の中に埋もれている粘獣の小さな破片の全てを取り切れない。
だけど粘獣だって結局はただの生物。そこらへんのヒルと同じで、満腹になれば勝手に剥がれ落ちるだろう。小さな破片程度なら、とにかく数を減らせば、痛みはともかく、命の危険は減るはずだ。
「セファ! 俺の鞄から
俺の鞄の中には、気付け薬と消毒薬の意味で、
粘獣の直撃を食らって生き延びる人はほとんどいないが、たとえ生き延びたとしても、こういう不衛生な環境に生きる生物の咬み傷はシャレにならないリスクを持っている。
破傷風や狂犬病など、致死性の感染症にかかって死ぬ人は、現代の地球だってけっこういるんだ。ましてこの異世界だ、少しでも感染症にかかるリスクは減らすべきだろう。
セファが、足を引きずりながら持ってきてくれた金属の水筒を受け取ると、彼女の頭をわしわしと撫でた。
「ありがとうな」
「むふーっ」
嬉しそうに俺を見上げるセファだが、彼女の足の赤黒い斑点が痛々しい。でも、今、より重症なのはこっちの方だ。
まだ痛みに耐えている表情から、粘獣を取り切れていないのは間違いない。
だが、もう、毛に埋もれてどこに潜んでいるかよく分からない。粘獣の一匹一匹が満腹して自然に離れるのを待つよりほかないだろう。
「これは薬だ。沁みるけど、我慢しろよ? チビ、お前のためなんだからな?」
「……はァ? 今度は薬を使う? 犬頭に? アンタ、本当にバカだね。何がそう、ボウヤをバカな行動に駆り立てるんだい?」
女法術師が足元の粘獣を焼きつつ呆れてみせるが、これは俺のプライドの問題だ。この酒は俺の個人の持ち物だし、とやかく言われる筋合いはない。
それにこの酒は、本当は薬じゃなくて消毒のためのアルコールだが、この世界にはアルコールで消毒、という概念が薄い。薬と言ってやった方が、まだ理解してくれるはずだ。
ところが、チビのヤツはそれまでぎゅっと閉じていた目を「信じられない」といった様子で見開くと、首を振った。人間の薬など信用できない、ということだろうか。どうにも抵抗されるので、仕方なく、まず穴の開いた手袋の隙間から、自分の指にかけてみせる。
――ああ、痛い痛い! びりびりとくるこの痛み! さすが
「あ――」
ひどくうろたえるような顔をして、俺を見上げるチビ。安心させるために、やせ我慢して笑ってみせる。
「ケガをしたときの薬だ。沁みて痛い。でも、あとで病気にならない。お前にもそれを使う。痛くても我慢するんだ、いいな?」
「しゅー君が言うことに、間違いはないの。おとなしくしゅー君の熱いのを顔にぶっかけられてなさい」
セファも援護してくれる……が、ちょっと、言い方。なんなの、それ。
誰が何をどこにぶっかけるってんだ。言い直せ。
しかも妙に不満そうで、なぜかほっぺを膨らませてそっぽを向いてしまった。なにか不機嫌にする要素なんてあったか?
それはとにかく、このチビは俺たちをかばってこんな目に遭ったんだ。むしろ、自分だけ逃げることができたはずなのに。
見上げた根性を見せてくれたコイツには、その分だけでも応えてやりたい。
チビは少しの間、俺とセファの顔をせわしなく見比べていたが、俺の意図をようやく汲んでくれたようだ。目をぎゅっと閉じて、動きを止める。
――これマジで沁みるから、傷に塩を塗り込むようでちょっと罪悪感があるんだけど、しかたがない。ゆっくり水筒を傾けて、少しずつ、垂らす。
「きゃうっ!?」
えらく可愛らしい悲鳴を上げるが、耐えてもらうしかない。ごめん、と腹の中で詫びながら、少しずつ、まんべんなく、振りかけてゆく。
ああ、血まみれだ。スピリタス自体は透明な酒なのに、彼女の毛先から垂れる液体は赤く染まっていて、痛々しい。もっと早く来てやればよかった。
その時だった。
何かが跳ねてきて、俺の頬に当たる。
ぺち。
すかさずセファが反対側を平手打ち。
おい。せめてそっと取ってくれ。ていうかなんで反対側?
「触りたくないもん」
……あーそーでスか。
だけどセファは、触りたくないとか言ったくせに、はたき落とされたそれを指でつつく。そいつは、ヒル状の生物――粘獣の欠片だった。
赤く染まっていたそれは、見る見るうちにただれるように白濁していく。少しの間悶えていたそいつは、すぐに動かなくなった。
「しゅー君、死んだよ? お酒、嫌いなのかな」
「……粘獣はアルコールに弱い……ということか!?」
よく見ると、酒をかけたところから同じように飛び跳ねてくるのである。そのまま同じように、悶えながら白濁して死んでいく。
……そうか! こいつら、考えてみれば体表は粘膜なんだ。それをアルコールでやられたうえに、神経までやられているんだろう。
「粘獣には酒、それも酒精の度数が高い奴ほど効くぞ!」
「はァ? そんなわけ――」
「見ろって!」
足元でうごめく死にかけのヒル状の奴らに酒を垂らすと、見る見るうちに白濁し、悶え、動かなくなっていく。
「……あら、ホントだねぇ……!」
俺は急いで、チビの頭全体、首、肩にかけていく。無傷なところはそうでもないが、傷のある所はやはり沁みるらしい。それでも、沁みるということは噛まれたところだし、消毒できれば、コイツにとっても悪い話じゃない。
辛そうに身もだえするチビに、我慢しろ、我慢しろと呪文のように繰り返しながら、俺は少しずつ、酒を振りかけていった。
「もっと早く気づいていれば……。ごめんな、チビ」
酒をかけて、手櫛で粘獣の死骸を取ってやりながら、つい口から出た言葉に、ヴォルフェンのチビは、小さく首を振って、嬉しそうに俺を見上げた。
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