第8話:離れろ、コイツは俺のもんだ!

 捕えた犬頭野郎ヴォルフェンを先頭に歩かせて、俺達はゆっくりと、洞窟を進んだ。これまで自然洞だったのに、このあたりは削ったあとがある。間違いなく、誰かが棲み家とするために拡張したんだ。

 それほど深くまで潜ってきていないとはいえ、魔導灯デービーランプがなければ漆黒の空間になってしまうような場所に、人間が暮らしているはずがない。


「ほんとにこの道でいいんだろうね? その犬頭の罠じゃないだろうね!?」

 女法術師が、十分に一回は同じことを聞いてくる。今ではもう、無視だ。


 だってそうだろう、こっちだってそうでないことを祈るしかないのだから。

 とはいっても、じつはセファに【偽証探知】を時々やってもらっているが、全く反応がないそうだ。つまり、全く嘘をつこうとする気配がない。


 それどころか、なぜかコイツ、滑りやすいところとか、狭くて頭上注意なところとか、そういうのを律義に俺に教えるのだ。自分が頭を打ちそうにないところでも、俺の背の高さを踏まえて。


 つまりこのヴォルフェン、俺の機嫌を取り、仲間の命で自分の命を買うことを優先したようだ。しょせんはモンスター――とはいっても、じゃあ俺が逆の立場だったらどうしていたか。


 ああ、これがきっと、ストックホルム症候群というやつだろう。自分を監禁し脅威を与える犯人に優遇してもらうために、積極的に協力する心理状態ってやつ。

 俺も、自分の身可愛さに、こんな風に積極的に敵に協力するんじゃないだろうか。決してこのヴォルフェンを嗤うことなんてできないのだ。


 だからこそ、油断はできない。現に、さっき俺が背を向けたとたんにコイツは飛び掛かって来た。今は自分の命が可愛いから従っているふりをしていても、俺を倒して自由になれると踏んだら、その瞬間に襲ってくるはずだ。洞窟探検と同じだ、決して気を許してはならない。


「そんなに信じられないなら、放してあげたらいいのに」

「そんなことしたら、コイツ、あの三人に殺されちまうだろ。そりゃ下心があって助けたんだけどさ」

「……下心?」


 セファの目が、実に軽蔑的に細められた。


「……おい、変な誤解をするな。俺は、こうやって探索の役に立てたいっていう意味でだな……?」

「私は妹扱いで、そこの毛むくじゃらは下心をぶつける相手?」

「おーいちょっとまてーまずは話あおーか?」

「ヘンタイ、近寄らないで」


 ……くそう、俺がどれだけお前の為に頑張ってるか、分かっててその態度か。




 人一人がやっと通れる通路を、無言で歩く。

 小柄な犬頭にとってはそうでもないだろうが、俺たち人間にとってはかなり窮屈な通路だ。戦士男なんか、だいぶ鎧が傷つきまくっている。このクエストが終わったら、あの鎧はオーバーホールだな。だから革の鎧にしとけって言ったのに。


 それにしても、さっきから魔導灯デービーランプの炎が随分と明るい。

 つまりこの辺りは、非常に魔素マナが濃いということになる。

 もしかしたら、鉱山としても優秀な場所になるかもしれない。ギルドに戻ったら報告しよう――そう考えていたときだった。




 犬頭が、不意に足を止めた。

 こちらを振り返るが、俺はどのように報告しようかと思案中だったため、反応が遅れてしまって、犬頭にぶつかりそうになってしまった。


「どうした?」


 尋ねると、犬頭は震えながら首を振った。

 耳を後ろに倒し、しっぽを丸めて、ひどく怯えたような――いや、ほとんど犬の顔ながら、泣き出しそうだとはっきりわかる顔で。


 両手をこちらに突き出し、むーむーとしきりに何かを訴える。

 離れろ、と言いたげに。


 離れろと言われても、もう接触してしまっていることだし、何かあるならもう、巻き込まれ確定だ。


「どうした、なにが――」


 その瞬間。


 犬頭が俺とセファを突き飛ばしたのと、

 奴の頭の上に半透明のものがおちてくるのとが、

 ほぼ同時だった。


 飛び散った半透明のものの一部が、俺の服にも降りかかる。


 一瞬、目の錯覚かと思った。

 飛び散ってきたものが、ヒルのように這いあがろうとするのを見て。


「――粘獣!?」


 女法術師の悲鳴が上がる。


 ――嘘だろッ!?


 こんな、狭い通路で、後ろは三人が詰まっていて退却するにも容易ではなく、まして前進もできないこんなところで……!?


 チリ――

 腕に痛みを感じ、あわてて腕のヒル状のものを払い落とす!

 なめし革製の探検服に小さな穴が開いていた。なめし革の服を噛み破りやがった!


 粘獣――要は、スライムだ!

 ただ、こいつは、いわゆるザコなんかじゃない!

 大量の半透明のヒルみたいなものが寄り集まった、いわゆる「群体」とよばれるヤツで、ちょっとやそっとじゃ根絶できない恐るべき敵なんだ。


 剣で切っても切られた一部が死ぬだけで大半は死なず、ハンマーなどの打撃で叩き潰そうものなら衝撃で飛び散った奴らが個々に鎧の隙間から入り込んできて、収拾がつかなくなる。


 火で焼こうとしても表面の奴らが焼かれるだけで内部は死なないし、氷結術は一時的に動きを止められるがこいつら凍らせても死なない。雷撃術に至っては一瞬で木っ端みじんになるものの、それはつまり大量の粘獣を生み出すことになるという、本当に始末に負えない難敵なんだよ!


「ひぐっ!?」


 セファの悲鳴を聞いて、慌てて倒れ伏す彼女に駆け寄ると、足に十やそこらじゃきかない、ヒル状の破片がとりついていた。すでに赤く染まっている――セファの血肉をすすっているものもいる。


「ちくしょう! 離れろ、コイツは俺のもんだ! 離れやがれ、くそったれめが!」


 乱暴に彼女の足にとりついたクソ蟲どもを払う。剥がすたびに、セファの足に赤黒い点が現れ、血が流れ出る。それを狙って、さらに身軽に飛び掛かってくる粘獣のカケラども。

 セファの悲鳴が止まらない……だからちゃんと服を着ろっていつも言ってるのに!!


「ちくしょう、ちくしょう! やめろ! ああ、くそぉっ!! やめろォッ!!」


 薄い革の手袋は食い破られ、指に激烈な痛みが走る。

 だが、その痛みを今、セファも今、受けてるんだ!

 クソ、クソッ! コイツだって女の子なんだぞ!

 また傷だらけになっちまうじゃねえか、可哀想だろ、やめろよてめえらッ!!


 ワンピースだったことが災いし、足だけでなく太もも、臀部、腹――真っ白な、白磁のような肌に、赤黒い丸い点が増えてゆく。


「ボウヤおどき! まず大元を焼き払うよ!」


 見上げると、女法術師が杖を構えるところだった。

 ま、まて、何の術か知らないけど、こんな狭い通路で……!?


「――かのおぞましき不浄を薙ぎ払え! 火閃嵐フェイオ・ストゥラウム!」


 瞬間、強烈に目を焼く閃光が放たれて、俺は思わずセファに覆いかぶさる。

 じりっと肌を焼く熱波が一気に洞窟の壁をなめてゆく。

 ……手加減、した?


 しかし、声にならない絶叫が耳を襲い、振り返る。

 ――肩から上に粘獣をまとうようにした犬頭のチビが、身をよじりのけぞらせるところだった。


 火炎術の直撃を食らったはずだけど、術自体は粘獣の表面を焼く程度の火力に抑えられていたようだ。でも、だからこそあのチビは、今も顔にとりつく粘獣を剥がそうとして、悶えている。

 白濁してぽろぽろと落ちるヤツは、今の法術で焼かれた奴だろう。でも、表面を焼いた程度の火力では、あまり効果がなかったみたいだ。


「やっぱりこの程度の火力じゃどうしようもないね……。ボウヤ! 道案内の犬頭はもうあきらめな! 粘獣だって、ソイツを食い尽くすまではこっちに来ない! 一度戻って、通路ごと焼き払うよ!」


 女法術師はそう叫ぶと、男二人を蹴っ飛ばした。


「さっさとおどき! いったんズラかるんだよっ!」

「あ、アラホラサッサー!」 


 非情だが、実に合理的な判断だ。間抜けな三人組だと思っていたけれど、どう動くべきかを見極めているのはさすがプロの冒険者か。


 ……チビを見る。

 さっきから、悲鳴が、胸に痛い。


 口を結んでいた縄は焼け落ちたのかそれとも粘獣が食い破ったのか、自由になったチビの口から、悲痛な悲鳴が絶え間なく上がる。だが、それでも……それでも奴は、こっちに来ない。

 俺たちになすりつければ、少しは楽になるはずなのに。


 ――俺たちになすりつければ? 頭に浮かんだフレーズに、違和感を覚える。


 奴は、あの犬頭は、あの瞬間――粘獣に襲われる瞬間、何をした?


 これから何が起こるか、その恐怖に震え、泣きそうになりながら、それでも奴は俺とセファを突き飛ばし――


「セファ、ごめん!」


 俺はセファの肌に吸い付くヒルどもを払い落すと、そちらに駆けだした。


「な、なにやってんだい! ボウヤ、ほっときな! アンタが食われちまうよ!!」

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