11/11話 ゲームオーバー

「よし……!」雀雄は、上半身をガラスケースの大穴から抜くべく、体を引こうとした。

 腰の右側あたりが、とん、と何かにぶつかった。直後、がしゃっ、という音が、次いで、ちゃらじゃらじゃらん、という音が、右斜め後ろから聞こえてきた。

 思わず、そちらに視線を遣る。カップが、雀雄から見て左に倒れていた。その中に入っていたメダルのうち、数枚が、テーブル上へ零れ出ていた。

 目を凝らすと、カップは、リール停止ボタンの上に乗っかっている、とわかった。それから、ぴたっ、ぴたっ、ぴたっ、ぴたっ、と、リールが止まる時に鳴る電子音が聞こえてきた。

 ぱーぱぱー、という、耳にしただけで嬉しい気分になるようなファンファーレが鳴った。直後、女声による、「YOU CRITICALED!」というアナウンスも流れた。

 おそらくは、たまたま、ダイヤモンドシンボルが、すべて揃った状態になったのだろう。それで、クリティカル・イベントを引き当てた、というわけだ。

 次の瞬間、上段・下段プッシャーが、奥壁へ、がしゃこんがしゃこんっ、と完全に引っ込んだ。上層・中層フィールドにあったメダルが、すべて、下層フィールドへと落下し、ちゃらじゃらじゃらん、という音を立てた。

 非常に嫌な予感がした。急いで、上半身を、ガラスケースの大穴から抜こうとした。

 しかし、遅かった。それよりも先に、上段・下段プッシャーが、勢いよく飛び出してきた。

 それらは、雀雄の体に、どがどがっ、とぶつかった。

「が──」

 上段・下段プッシャーは、雀雄の体を押しながら、飛び出してきた。そして、下層フィールドの端すら越えると、ガラスケースぎりぎりの所で、ぴたっ、と止まった。

 彼は、後ろに、勢いよく吹っ飛び始めた。靴底が、床から、数センチ浮いていた。手足をばたつかせたが、空を切るばかりだった。

 数瞬後、雀雄は、後頭部に、強い衝撃を食らった。

 がああん、という高音が、フロアじゅうに響き渡った。ぎいいん、という鈍痛が、脳味噌じゅうに響き渡った。ごおおん、という振動が、頭蓋骨じゅうに響き渡った。

 雀雄は、眼球が飛び出しそうなくらい、両目を瞠った。無意識的に、呼吸を止めた。ほんの一瞬だけ、全身に存在するすべての感覚器が、活動を停止したかのように思われた。

 どしん、と左半身および左側頭部に衝撃を受け、我に返った。ばちばちばち、と、左右の瞼を、意識的かつ高速に動かし、周囲の状況を把握する。

 雀雄は、デストロイ・ランドマークⅡの前にいた。体の左側を床に接させた状態で、横たわっている。

 後頭部は、じいんじいん、と鈍く痛んでいた。おそらくは、アプローチエリアにセットされている金属球に、ぶつけてしまったのだろう。

 絨毯の上、顔の前あたりには、赤黒い染みが広がっていた。それの面積は、時間が経つにつれ、どんどん、大きくなっていっていた。強打した箇所から血が流れ出しているに違いなかった。

 そこまで把握したところで、意識に靄がかかり始めた。まさか、死んでしまうのだろうか。そんな恐怖に襲われた。それを振り払うべく、立ち上がるために、手足を操ろうとした。

 しかし、動かなかった。四肢だけではない。体の、どの部位にも、力を入れられなくなっているのだ。かろうじてできることといえば、瞼の開閉くらいだ。

 ええい、クソが。このままでは、なんとか死ななかったところで、そのうち、店に来た従業員に発見される。ひいては、ベールイ・レーベチのやつらに捕。そこまで心の中で呟いたところで、意識が途切れた。


 顔じゅうに、冷たい感覚、および、濡れた感覚を味わって、意識が覚醒した。

 ぱち、ぱち、と左右の瞼を開閉させる。最初にわかったことは、顔が何かしらの液体に塗れている、ということだった。

 眼球を、ぎょろぎょろ、と動かし、辺りに視線を遣った。雀雄は、今、どこかの部屋の中にいた。目に見える範囲に基づいての判断になるが、あまり、広くはなさそうだ。床にも壁にも天井にも、内装の類いは施されていない。灰色をした、汚らしいコンクリートが剥き出しになっている。

 彼の数十センチ前方には、四角柱が置かれていた。高さは、一メートルほど。それも、コンクリートで出来ていた。

 雀雄は、その後も、辺りの様子を確認していった。十数秒後、今、自分は、デストロイ・ランドマークのマシン内にいる、とわかった。それも、アプローチエリアの上だ。四角柱は、ターゲットエリアに据えられていた。しかし、デストロイ・ランドマークにしては、全体的に、マシンの規模が、大きい気がする。

 彼は、周囲の状況をさらに把握するため、顔の向きを変えようとした。しかし、ほとんど動かせなかった。頭が、何かに包まれているのだ。

 いや。頭だけではない。全身が、何かに纏わりつかれている。

 しばらくして、雀雄は、今、自分は、網の中にいる、とわかった。しかも、その状態で、上のほうから、宙にぶら下げられている。

 彼は、なんとかして、そこから脱出しようと試みた。しかし、手足が、縄の類いで縛られているようで、できなかった。

 思わず、どうしておれはこんな所にいるんだ、と呟こうとした。しかし、口からは、「んん……」というような唸り声が漏れただけだった。上からガムテープを貼られて、塞がれているのだ。

「その反応……自分が、どうしてこんな目に遭っているか、わからないのか?」

 そんな、覚えのある声が、右方から聞こえてきた。雀雄は、ぎくり、として、無意識的に身を強張らせた。

 やがて、視界の右端に、誰かが現れた。そちらに、視線を遣る。

 その人物は、白戸禽一だった。白いシャツの上から、藍色をしたジャケットを羽織っている。黒いスラックスを穿いており、茶色い革靴を履いていた。

 右手には、蓋の開いたペットボトルを持っていた。中には、水らしき液体が入っている。彼が、雀雄の顔に、それを浴びせかけてきたのだろう。

 そこでようやく、雀雄は、クエル・マリラにおいて、皇二を殺害したことや、凶器に使用したメダルが散乱したので、回収していたこと、その途中で、後頭部を強く打ち、意識を失ってしまったことなどを思い出した。

「ん……ん……」

 顔から、血の気が、さーっ、と音を立てて引いていくのがわかった。鼻孔が、ぴくぴく、と動いたが、息は吸い込めなかった。

 おそらく、後頭部を強打した後、絶命したのではなく、気絶したのだろう。その後、ぶっ倒れているところを、クエル・マリラに来た従業員か誰かに見つかった。

 雀雄が皇二を殺したことは、予想どおり、すぐにばれたに違いない。最終的に、ベールイ・レーベチに捕まった、というわけだ。

「どうやら、思い出したようだな」

 そんな、禽一の低い声が聞こえてきて、雀雄は我に返った。おそるおそる、そちらに視線を遣る。

 彼は、完全な無表情だった。怒っても悲しんでもいないように見える。激情のあまり、そんな在り来たりの感情は、超越してしまっているのかもしれない。

 だが、雀雄に対して、復讐心、そこまで大袈裟ではないにしても、制裁の意思を抱いていることは、明白だろう。でなければ、彼を、こんな状態にはしないはずだ。

「このゲーム機は、『デストロイ・ランドマークⅢ』といってな。数週間前に発売された、同シリーズの最新作だ。なんでも、『Ⅱ』よりも、全体的な規模が大きくなっているとか……」

 禽一は、そう言うと、雀雄の視界の右端へと引っ込んだ。その後、右方から、かたかたかた、かちかちかち、という、パソコンを操作するような音が聞こえてきた。

「皇二のやつは、最近──おれが特定のマシンのメンテナンスを指示する前は、こいつの改造に取り組んでいたようだ。一般に流通している製品には存在しない、『連続スイング機能』なんて物が、搭載されていた。一度、スタートさせると、その後、操作者がストップさせるまで、振り子が、オートで動き続けるらしい……」

 そこでようやく、雀雄は、自分が入れられている網が、振り子の先端に取りつけられていることに、気がついた。

「前置きは、この辺にしておこう。さっそく、スタートだ」

 そう、禽一が言った、次の瞬間、振り子が動きだした。

 雀雄の入れられている網が、ターゲットエリアに置かれているコンクリートの塊めがけて、進んでいく。


   〈了〉

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