第2話 コロナ禍のフードコート


「今日の新規感染者数、全国で千人超えだって」


 お盆に入ったというのに、ホームセンターの客足は少なかった。

 例年の賑やかさは鳴りを潜めて、落ち着いた空気が漂っている。


 その一角に設けられた小規模のフードコートは、座席数を減らしていることもあってなおさら顕著だった。家族連れや私服を着た学生といった少数のグループが、テーブル間隔を離して歓談をしている。

 オンラインゲームの密度と相反するその光景に、坂城は奇妙な錯覚がしたようだった。


「すごいね、あっという間に日本人全員感染するんじゃない?」


 この場所にいるほとんどの人が、もはや決まりごとのようにマスクを付けて、ソーシャルディスタンスを保っている。

 施設内には、アルコール除菌スプレーのボトルが配置されていないため、各自で持参したスプレーを手にふりかけてから食事をしている様子も見受けられた。

 そこまで警戒するなら、いっそのこと家にでも引きこもっていればいいのに。胡乱とした頭で、うっすらとそう思った。


「ねえアキ、聞いてる? おーい」


 丸テーブルの対面に座る中嶋なかじま夏代かよが、ひらひらと手を振っている。

 坂城は不機嫌さを隠そうともせずに、じろりと睨んだ。


「聞こえてるよ」


 明け方に受信した、中嶋からのラインを思い返す。


 バイトのシフトが減った数カ月間は、ずっとゲーム漬けの生活をしていた。

 より没頭するために、他人からの干渉が入らないよう、スマートフォンの電話やラインの通知をオフにしていたほどだった。

 そのはずなのに着信音が鳴ったのは、タカとのチャット後に、スマートフォンを床に落とした衝撃のせいだろうか。微睡みの中にいたこともあって、ついトーク画面を開いてしまった。


『お昼過ぎにいつものファミレス行かない?』


 絵文字や句読点すらもない、とても簡素で唐突な中嶋からの文面。

 すぐに既読をつけてしまったがために、返信をしないわけにもいかず、やることがなかったのも相まって、仕方なく付き合ってやることにした。

 だが実際にファミレスへ向かってみると、次に来たラインは『やっぱりホムセンのフードコートに変更!』という、これまた一行だけの至極簡素なものだった。


「ファミレスに行くって話だったのに、なんで急にフードコートに変えたんだよ」


 坂城は頬杖を突いて、ハンバーガーを包み紙ごと持つ中嶋を見据えた。


 新型コロナウィルスが蔓延した状況下で外食に誘うのは、自粛生活が長引いて退屈だからまだわかるとはいえ、フードコートを選ぶのは到底理解できなかった。

 せめてボックス席で人の往来が少なく、建物内の換気設備が整っていて、かつドリンクバーで長居ができるファミレスにするべきだろう。

 すると中嶋は、きょとんとした顔で首を傾げた。


「だって、ハンバーガーを食べたい気分だったから」


 そのままマニキュアが剥がれかけた指先で、細長いフライドポテトを摘む。


「最近誘ってもスルーだったのに、今日はよく来てくれたね。もしかして、タイミングよかった?」


 タカのことを話す気にもなれず、どう答えたものかと思案する。

 だがフードコート内の生暖かい空気と喧騒も相まって、意識がぼやけてしまい、いい考えが浮かばなかった。

 欠伸を噛み殺していると、中島は微かに眉をひそめた。


「なんだか眠そうだね。また夜ふかしでもしたの?」

「ああ」

「ゲーム?」

「そうだよ」

「なんてタイトル?」


 ただでさえ睡眠不足で頭が回らないというのに、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。坂城は内心、舌打ちをしたくなった。


「ハン・ハンⅢだよ」

「え、嘘、まだやってたの!?」


 中嶋はお腹を押さえると、ケラケラと笑った。その大袈裟な挙動に、一つテーブルを挟んだ席に座るカップル達が、驚いたように振り返っている。

 中嶋とは長い付き合いだから、彼女がこういったリアクションを取ることには慣れていた。だがそれでも、神経を逆なでされたように感じてしまう。


「悪かったな、まだやってて」

「いや、馬鹿にしたわけじゃなくて、その、ごめん、わはは」


 よほどツボに入ったのだろうか。中嶋は次第に咳き込み始めた。

 しばらく繰り返していたが、手元のコカ・コーラを飲むことでやっと沈静化した。


「なんかね、アキは変わらないなって思って。それが嬉しくなったの」


 ストローを咥えたまま、器用に喋る中嶋。


「今もフリーターって言ってたよね。本当に変わらないんだなあ」

「悪かったな」

「だから、べつに悪くないって。でも今の状況じゃ大変でしょ、出勤も減らされてお金稼げないよね」


 坂城は、既視感デジャヴュに襲われたようだった。

 だがそれは昨日の、タカと交わしたチャットの内容をなぞっているからだということに気付く。


「いや。出勤しなくても、普段の八十パーセントの給料が補填されているから、実際困ってないな」

「え、嘘。でもそれじゃ足りなくない?」

「俺、実家住まいだし。それに自粛しているから、金の使い道もないし。むしろ堂々と家に引きこもる大義名分が出来たから、親からの小言も減って、快適すぎるぐらいかな」


 余裕たっぷりにそう言うと、中嶋は悔しそうに、レギンスパンツを履いた足をバタバタさせた。


「ずるいずるいずるい、独身で三十路でフリーターの実家住まいとか、ずるすぎる。社会的信用のないダメ男ステータスの四冠王が、まさか羨ましくなるなんてえ」


 坂城は自然と腕を組んで、上体を椅子の背に反らせた。勝ち誇ったように、ふんと鼻を鳴らす。

 ひさしぶりの優越感に、気分が高揚したようだった。


「中嶋の仕事はどうなんだ、俺も言ったんだから教えろよ」


 仕返しとばかりに、わざと嫌らしく問い質す。

 すると中嶋は一瞬目を丸くして、すぐに視線を足元へ落とした。


「私の職場はさ、小さな広告デザイン事務所だから。コロナ騒ぎで東京オリンピックとか、大きなイベントが立て続けに中止になって、進めていた仕事も全部キャンセルになっちゃって。正直大変なんだよね」


 訥々と話し始めた中嶋。赤色のジュースカップから滴った水の粒を、指先でテーブルの上に伸ばしている。


「新しい仕事も全然入ってこないし、どうすればいいのかわからないんだよねえ。今度のボーナスは少ないだろうな、ないかもしれないなあ。それどころかクビを切られるかも。今の状況じゃ、デザイン業界はどこも閑古鳥で雇ってくれないだろうなあ。どうすればいいんだろ。ああ鬱だなあ」


 声のトーンが下がっていくのと一緒に、ショートレイヤーヘアの頭がだんだんと下がっていく。


「おい、大丈夫か」


 坂城が口を挟んだが、中嶋のその動きは止まらずに、そのままテーブルに突っ伏す形になった。坂城は慌てて、倒れそうになったジュースカップとフライドポテトが残ったトレイを隅へ退ける。


「でもお前、そんなに悪いことばかりじゃないだろ。ほら、今年の初めぐらいに街コンに参加して、彼氏が出来たって話していたじゃないか。それでさ、その相手に養ってもらえば、永久就職でもすればいいじゃないか」


 励ますつもりだったが、全くの逆効果だったようだ。

 中嶋は顔だけを横に向けて、自虐的な笑みを浮かべている。


「そんなの、もうとっくに別れたよ。自粛でどこにも行けなくてさ、ずっと会えなくて、ラインも少なくなって、自然消滅。来月には三十歳になるから、必死になって頑張っていたんだけどなあ。今はもう街コンにも人が集まらないし、仕事も婚活も、どっちも手詰まりだよ」


 あーあ、と投げやりな声が聞こえた。


「今回はけっこう本気で好きだったんだけどなあ。でも結局は、私達は自粛期間を乗り越えられなくて、コロナには勝てなかった。私達って、コロナ未満の関係性だったのかな」


 中嶋はそこで言葉を切ると、ぽつりと呟いた。


「消えてしまいたいなあ」


 坂城は、いたたまれない気持ちになった。なにかを口にしようとして、躊躇ってしまう。

 その逡巡を何度か繰り返してから、坂城はようやく声をかけた。


「ごめんな、調子に乗って」


 中嶋は、微動だにしなかった。

 彼女の横髪が目元にかかっていて、瞼を開いているのかさえわからない。肩を揺すって起こすべきだろうか、そんな考えが頭をかすめる。


「本当に悪かったって、思ってる?」


 しばらくしてから、中嶋がぼそぼそと返事をした。


「思ってるよ」

「本当に?」

「ああ」

「じゃあさ、一つ言うこと聞いてくれる?」


 坂城は、嫌な予感がした。


「今から海に連れて行ってよ!」


 中嶋は、勢いよく上半身を起こした。さっきまでとは打って変わって、にこやかな表情だった。


「は?」


 唐突な話に、思わず聞き返してしまう。

 中嶋は少し気恥ずかしそうに、ぽりぽりと頬を掻いた。


「なんか、いろいろと行き詰まっちゃってさ。今の私には気分転換が必要なんだよね、きっと。それにアキ、車持ってるでしょ。一緒に海までドライブしようよ」


 坂城は、椅子ごと体を後ろに引いた。

 全くと言っていいほど気分が乗らない。帰省は控えるように、と自粛呼びかけがされている中、なぜわざわざ遠出をしなければならないのだろう。そもそも、単純に面倒だった。


「一人で行ってくればいいだろ」

「だって私、運転免許持ってないし」

「べつに電車でも行けるだろ」

「それは乗客が多いから怖いし」

「だったら、わざわざ海に行かなくても……」

「さっき悪かったって認めたくせに」


 坂城の抵抗は、ああ言えばこう言う性格の中嶋に対して、全く意味を成さなかった。逆にじりじりと、逃げ場を失っていくようにも感じる。

 中嶋は両手を擦り合わせて、頭を垂れた。


「こんなこと、アキにしか頼めないから」


 そしてそのまま拝み倒す。


「お願い!」

「いや、いきなり言われても」

「お願いお願いお願い」

「勘弁してくれよ」

「お願いお願いお願いお願いお願いお願い、お願い!」


 こうなった彼女は梃子でも動かないことは、過去の経験でよく知っていた。それに加えて、周りからの奇異の視線が突き刺さってくるようだった。

 坂城は観念したように、ため息をついた。


「……わかったよ」

「やった、ありがとう!」


 中嶋は嬉しそうに椅子から立ち上がると、ガッツポーズをとった。

 その豹変ぶりを目の当たりにすると、先程の落ち込んでいた様子が、嘘のようにも感じられる。


「お前さては、最初から全部計算尽くだっただろ」

「なんのこと? それより早く行こうよ、善は急げだよ」


 さらりと聞き流しながら、中嶋はテーブルを片付けはじめた。ハンバーガーの包み紙や、手を拭いた紙ナプキンをトレイに纏めていく。

 坂城もつられるように自分のトレイを空けると、その上に中嶋のトレイを手早く重ねた。さらに隅に動かしていたジュースカップを載せて、持ちながら席を立つ。

 中嶋は、にかっと八重歯を見せて笑った。


「アキはやっぱり、優しいね」


 坂城は、トレイの返却口に向かう途中で振り返った。

 フードコートの出口へ歩いていく、中嶋。その後ろ姿を見つめながら、装着したマスクの下で、聞こえないように小さく呟く。


「優しくなんかないよ」

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