コロナ以上友達未満

赤狐

第1話 マスクのいらない生活


『自粛生活、快適すぎるんだけど』


 二〇二〇年八月、コロナ禍の盛夏。

 陽射しが降り注ぐ公園は、多くの人々で賑わっていた。


 長身でロングヘアの女性や、茶髪でサングラスをかけた男性、白い口髭をたくわえた初老の男性が、楕円形の広場の中を行き来している。

 その群衆は、自然と肩がぶつかってしまうぐらいの密度だった。


 坂城さかき晃仁あきひとは文字を打ち込むと、膝の上にスマートフォンを置いた。腕を天に伸ばしてから、もう一度画面を見つめる。

 木のベンチに腰掛けたポーズでいると、モスグリーンのポンチョを着た男の子が走ってきて、脚に勢いよく衝突した。そのまま男の子は、振り返りもせずに去っていく。

 その後ろを、棒付きキャンディを咥えたおさげ髪の女の子が、左右にふらつきながら追いかけていった。

 目の前の光景をぼんやりと眺めていると、木立の陰から見知った顔が現れる。


『やっと見つけましたよ』


 古くからの友達で、いつも靴から帽子まで全身黒コーデの青年だ。今日はそれに加えて、鴉の嘴のような黒色のマスクを付けていた。


『てか自粛いい加減飽きません?』

『これぐらいで音を上げてたらニートになれないぞ』


 そう返してから、ベンチの端へと移動した。空いたスペースに、黒ずくめの青年が座り込む。


『まじすか、俺はニートになれないですわ。アキさんは仕事、飲食系でしたっけ?』

『ああ』

『飲食の方は最近どうですか。コロナの影響って続いています?』


 坂城は、スマートフォンを握ったまま腕を組んだ。

 伸びた無精髭を、指の腹で擦る。


『今は営業時間を短縮して、早めに店を閉めてる。特に夜はやばいね。酒を飲みに来る客が全然いないから。この前なんて、ディナーの時間帯に客一組しか入って来なかったよ』

『うわ、それはヤバいですね』

『逆に営業すればするほど、ホールとキッチンスタッフの人件費が賄えなくなって、赤字になっていく感じだな。そのせいで、俺も出勤時間をかなり減らされた』

『まじでヤバいじゃないですか』

『経営側はやばいだろうな。でもまあ、俺らはフリーターだから』

『ああー』

『むしろシフトが減って、昼間からダラダラしていられるんだな、これが』

『ですね』


 黒ずくめの青年はオーバーに膝を叩いた。笑いのリアクションだとは思うが、顔がマスクで覆われているため、表情を窺い見ることができない。

 坂城は、会った時から感じていた疑問を投げかけてみた。


『タカはなんで、今日はマスクを付けているんだ?』

『流行りですよ、流行り』

『いや、誰も付けてるやついないから』


 あらためて周りに視線を向ける。

 長身の女性や、サングラスをかけた男性、白い口髭を貯えた男性、ポンチョを着た男の子に、棒付きキャンディを咥えた女の子。

 まるで全員が示し合わせたように、マスクを装着していなかった。

 黒ずくめの格好をしたタカは、まるでおどけたように、尖ったマスクの先端を引っ張った。


『そんなこといったら、ソーシャルディスタンスを守ってる人もいませんて』

『そりゃそうだ』


 いつもは過疎状態になっているこの場所に、これほど人が密集しているのはとても珍しかった。記憶にある中では、全盛期のイベント以来だろうか。

 これもすべて、新型コロナウィルスによる自粛要請のおかげなのだろう。坂城は、自然と声に出していた。


「自粛生活、快適だわー」


 傍らの折り畳みテーブルに載っていた、コカ・コーラゼロの一・五リットルのペットボトルに左手を伸ばした。グラスに移さずに、そのまま口を付けてラッパ飲みをする。

 続いて、反対の手で割り箸を持ち、パーティ開けをしたコンソメ味のポテトチップスを摘んでいく。糖分が体に回って、頭が冴えていくようだった。


『それじゃあアキさん、俺はそろそろクエスト回ってきますね』


 二四型テレビの画面内で、黒ずくめの青年が手を振っていた。そのキャラクターの頭上には『TKansuke_Yes@2020』と小さい文字が浮かんでいる。

 坂城は菓子を食べる手を止めて、スマートフォンを取った。ゲーム機本体とブルートゥース接続をした文字入力アプリを使って、コメントを打ち込んでいく。


『わかった。後でまた合流しよう』


 タカが立ち去っていくのを見届けてから、スマートフォンをクッションの上にどかして、もう一度腕を天に伸ばした。

 長時間ゲームをやり続けていたせいで、肩が凝り固まっているようだった。座ったままの体勢でストレッチをする。


 エアコンでキンキンに冷やした室内で、しばらく体をほぐしてから、坂城はコントローラーを握った。

 アナログスティックで自分のアバター『疾風怒濤のレオンハルト』を操作して、村の路地裏にある酒場に入り、カウンター横のクエストボードをチェックする。タカと同じように、デイリークエストの消化に戻ることにした。


 MORPG『ハン・ハンⅢ』は十年以上前に販売された、鋼と魔術と荒野のファンタジー世界で、賞金稼ぎバウンティハンターが主役のオンラインゲームだ。

 同時接続で世界中のプレイヤー達と協力し、鉱山遺跡の大蛇ウォームや古の都の魔術兵士ゴーレム、溶岩洞の不死鳥フェニックス氷結地獄コキュートス双頭狼オルトロス、天空神殿の神龍シェンロンといった伝承の魔物モンスターを討伐する。

 その報酬として受け取った素材で、武器やアクセサリーを錬成し、装備品を組み合わせて、キャラクターを強化させる。坂城は大学時代に、友達に誘われてからというもの、すっかりとハマってしまっていた。


 古いゲームだけに、通常時のプレイヤー人口はとても少ない。

 それなのに今アクセスが集中しているのは、新型コロナウィルスの影響で、外に出られない社会人達が暇を持て余していて、ふと思い出したように過去に遊んだゲームソフトを漁っているからだろう。

 数日前に、他のプレイヤーとパーティを組んだ時に、グループ内チャットで誰かがそう話していた。


『最近のゲームは進化しすぎてついていけない』

『新作を買って一から覚えるのは面倒だから、昔やっていたゲームの方が気楽に遊べる』


 坂城はその言葉に、どこか共感できるところがあった。

 特にハン・ハンⅢは、一世代前に発売されたゲームにも関わらず、最新の据え置きゲーム機や携帯ゲーム機、パソコン版と様々なプラットホームへ、バージョンアップを繰り返しながら移植されている。

 そのため購入がしやすく、操作性も変わっていないため、学生時代を懐古する元プレイヤー達にとっては、まさにうってつけのタイトルだった。


 そして十年近くもやり込んでいる坂城のキャラクター『疾風怒濤のレオンハルト』は、ひさしぶりに復帰したプレイヤー達にとっては、驚愕のレベルとパラメーター数値だった。

 見たことのないキャラメイクや豪奢な装備品、クエストの圧倒的な達成率、そして伝説のキャラクタージョブ『英雄ヒーロー』の称号。

 他のプレイヤー達に囲まれて質問攻めに遭い、クエストのパーティにひっきりなしに誘われる。まさに英雄のような扱いに、坂城はつい頬が緩んでいた。


 現実では勤勉に働いている社会人達が、フリーターの自分の下に集ってくる。


「やっぱり自粛生活、快適すぎるな」


 今日何度目かの台詞を呟くと、小鳥の囀りが聞こえた。

 窓の外に目を向けると、真っ暗だった夜空には、うっすらと朝日の色が浮かび始めている。


 そろそろ切り上げ時だな、と坂城は思った。ゆうに丸一日はプレイし続けていたため、眠気が限界に近づいていた。

 メニュー画面を開いて、一日の成果を確認する。アイテムや素材のドロップした個数も、充分な量だった。

 一緒に組んでいたパーティメンバーに別れを告げて、ログアウトの準備をする。すると突然、チャットメッセージが飛んできた。


『アキさん、まだ残っていますか?』


 送り主はタカだった。

 画面内にキャラクターはいないが、どこかのマップで休憩しながら文字を打っているのだろう。同じように徹夜でプレイしているゲーム仲間の姿を想像して、思わず苦笑が漏れる。


『そろそろ落ちようとしてた』

『あ、まじですか。もうきついですか?』

『いや大丈夫だけど、どうした?』

『少し話したいことがあって。無理そうなら、また今度でも』

『大丈夫だって。なんなら合流する?』

『わかりました。それならさっきの公園で落ち合いましょう』


 坂城は眠気覚ましのために、エナジードリンクを飲み干してから、コントローラーに持ち変えた。

 クエストの終了位置から、村外れのマップ『陽だまりの公園』へ移動する。

 多くのキャラクターが集っていたその場所には、ほとんど人影がなかった。夜のエフェクトがかかり、梟の静かな鳴き声がBGMの代わりに流れている。


 視点移動をしてフィールド内を見渡していると、その闇の中から溶け出てくるように、ふらりと黒ずくめの青年が現れた。その出で立ちを見るとあらためて、キャラクタージョブ『暗殺者アサシン』そのままだなと感じる。

 大樹の下で相対するタカのアバターの顔は、相変わらずマスクに隠されているが、どこか神妙な雰囲気が漂っているようだった。


『すいません、時間取ってもらって』

『気にするなって。フリーターの俺らには、時間はいっぱいあるんだしさ』


 タカから相談を持ちかけられるのは、初めてのことかもしれない。

 坂城もつい身構えて腹に力を入れる。すると途端に、急激な腹痛に襲われた。


 やばい、夜遅くまでジュースを飲み過ぎたかもしれない。


 タカの発言を遮るのもはばかられたため、坂城は立ち上がって、急ぎ足でトイレへ向かった。階下には両親の寝室があるため、極力音を立てないように廊下を歩く。

 この時間まで起きていることがバレると、後々面倒なことになる。トイレタンクの水を流すレバーも、慎重に押し込んだ。

 テレビの前に戻ると、画面内にはタカのメッセージがいくつも並んでいた。

 重たくなった瞼を指で擦りながら、一つ一つ読み取っていく。


『昼の話の続きで、仕事のことなんですけど。実は俺、もうフリーターじゃないんです』


『一昨年の今頃に、自分の会社を立ち上げたんです。といっても社員は他にいない、一人親方の小さな会社なんですけどね』


『最初は趣味の延長線で、売上も副業と足してやっと一人で生活できるぐらいで。あまり人に言えるような仕事や収入じゃなかったから、周りには秘密にしていたんです』


『でも今回のコロナで、大きな変化があって。給付金が国から出たじゃないですか。普通は十万円なんですけど、個人事業主は条件を満たせば、持続化給付金っていうのでさらに百万円もらえるんですよ』


『いきなり百万円がポンと手に入って、まじか、どうしようかなって悩んでいたんですけど。でもこれもいい機会かなって思って』


『これまで副業とかでダラダラやってきたから、この給付金を元手に、そろそろ自分の会社に本腰入れようって考えたんです』


『自分一人なら、今のまま適当に生きてもいいかなって思ったんですけどね。でも付き合って長い彼女もいるし。両親にも、生きている間にお返しをしたいなって。全然俺のガラじゃないんですけどね』


『今日からのお盆が終わったら、本格的に会社を動かすつもりです。ハン・ハンⅢにもしばらくログインしないと思います。だからその前に、ゲームでお世話になったアキさんに、お礼が言いたかったんです』


 坂城は、ゲームのコントローラーを握ったまま硬直していた。


 タカのメッセージを二度、三度と読み直す。文字と内容が、頭の中に入っていかない。だがそれでも、これ以上返信を待たせてしまうと気不味くなってしまう、ということだけはわかる。

 動揺して、指先にうまく力が入らない。それでもスマートフォンを手に取って、フリック入力をする。


『よかったな、おめでとう。頑張れよ!』


 かろうじてそう打ち込むと、コントローラーに持ち替える。

 もうタカと話し続けたくはなかった。彼の気持ちに反して、嫌な言葉を返してしまいそうで、慌ててログアウトの操作をする。

 その途中で、友達フレンドリストの一覧画面が目に入った。

 アルファベット順に並んだアカウント名の中から、無意識に『TKansuke_Yes@2020』へカーソルを合わせる。そして削除を試みようとして、寸前で思い留まってしまう。


 結局、友達フレンド登録はそのままにして、ハン・ハンⅢからログアウトした。

 坂城は、電源が切れたテレビモニターをぼんやりと眺めた。

 グレア処理がされた光沢のある黒い表面には、上下スウェットを着て、寝癖が髪に残ったままの自分の姿が反射して映っている。


「馬鹿みたいだ」


 堪らず、呟いていた。

 知らないうちに床に落としていたスマートフォンを拾い上げる。画面内では、文字入力アプリが開いたままだった。

 履歴表示をスクロールして、タカに送信したメッセージを遡っていく。


『むしろシフトが減って、昼間からダラダラしていられるんだな、これが』


『経営側はやばいだろうな。でもまあ、俺らはフリーターだから』


『自粛生活、快適すぎるんだけど』


 本当に、馬鹿みたいだ。


 坂城はおもむろに体を起こすと、這うような体勢でベッドに近づいた。

 衣服が散らかったマットレスによじ登って、仰向けになる。そしてスマートフォンを持ったまま、手の甲で目元を覆った。

 天井からのシーリングライトの光で、すぐに眠りに落ちることができなかった。半分覚醒したような意識の中を、ハン・ハンⅢでのタカとの出来事が過ぎって行く。


 コンビニでアルバイトをしていた頃に、ゲーム内で出会ったタカ。自分に近い年齢でフリーターだったので、とても親近感が湧いたことを覚えている。

 時には二人して、正社員になることの無意味さや、フリーターの自由さや気楽さを夜通しで語り合い、アバター同士で固い握手を交わしたこともあった。

 だがその彼も、かつてのゲーム仲間達と同じように、ハン・ハンⅢを卒業してしまう。より大事なものを手に入れて、自分を置いていってしまう。

 タカは唯一、現実リアル渾名あだなを教え合うほどの間柄だったというのに。


 ――対等な関係で、現実の友達以上の存在だと思っていたのに。


 坂城は深呼吸をして、空気を腹の底へと飲み込んだ。

 今日も明日も、バイトのシフトは入っていない。ゲームもしばらくはやりたくない。

 もちろんコロナ禍の最中さなか、一人でどこかに出かける考えもなかった。いっそこのまま、眠れるところまで熟睡してやろうか。


 そう決めて、やっと眠りに落ちる直前。

 握ったスマートフォンから、通知音が鳴った。

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