最後人類

秋村 和霞

最後人類

 モニターを操作して、地球の軌道を周回する人工衛星から送信されてきた記録を確認する。


 それは、僅かに確認されていた生体反応が、三時間ほど前に消失した事を示すデータだった。


「これで、最後の希望も潰えたか」


 私は一人だけ残されたこの月面基地で、誰に言うともなく呟く。


 地球への帰還命令が下され、最後のスペースシャトルで月面基地のメンバーは地球へと帰って行った二年前。私は基地の設備維持の為、一人だけこの場所にとどまる事になった。


 それが幸いだったかどうか、今となっては分からない。二年間の孤独な仕事を終えれば、私は後任者と入れ替わりに地球に引き返し、一生では使い切れない程の報酬を受け取り、残りの人生を悠々自適に送るはずであった。


 しかし、そうはならなかった。一年ほど前、地球に衝突した隕石が環境を破壊し、生命の生きられない死の星へと変貌させてしまったからだ。


「さて……」


 私は、六分の一の重力の部屋で、残りの人生を過ごすことになってしまった。誰にも会わず、何も残せず、ただただ無為な人生を浪費し続けなければならないのか。


 生活に必要なものは、この基地の中に揃っていた。食事は味気の無いレーションと何の捻りも無いただの水しか無いが、向こう十年は私の命を維持できるだけの量は有った。


 しかし、ただ死なないために生きる事に価値はあるのだろうか。


 私は外域調査用のハッチに入り、宇宙服に着替える。

 端末を操作して、ハッチを開け、月面へと降りる。


 何処までも無限に広がる荒野。地平線の先は無限の闇。その闇の更に先には、変わり果てた姿の地球があった。


 私は地球に向けて歩み始める。


 我が懐かしき故郷よ。私はどう足掻こうと、その地を再び踏みしめる事は無いのか。


 ここで永遠の孤独を噛みしめ生きていかなければならないのか。


 そんな地獄に、私は耐えられるのだろうか。


 考えを巡らしているうちに、私は涙を流している事に気づく。


 軽い重力の中、涙は頬を伝ってゆっくりと流れる。


 私の心は決まっていた。人類最後の命のバトンを私一人で背負う事はできない。ならば、私も皆と同じところに行こうではないか。


 最後に、宇宙服のヘルメット越しではなく、肉眼に故郷の姿を焼き付けて終わりにしよう。


 外は真空。このヘルメットを取れば、間違いなく確実な死が訪れる。


 SF映画などでは、宇宙空間に投げ出された人間が即座に凍り付いたり、逆に血液が沸騰する描写がある。しかし、実際には真空状態を経験した実例では十二秒程は意識を保っていた例があるらしい。網膜に情景を焼き付けるには十分な時間だ。


 私は意を決して、ヘルメットを取る。


 呼吸ができなくなり、喉から肺にかけて引きつるような苦しさを感じる。

 その引き換えに、周囲の色彩が一層鮮やかに見える。


 私の涙が宙を舞い、気化熱で氷となり、太陽の光を反射してきらきらと輝く。

 その光の輝きの先に、私の故郷がある。


 ああ、私は最後の人類として、空からの地球を網膜に焼き付ける為に存在していたのかもしれない。そんな幻想を抱きながら、私の意識は緩やかに闇へと誘われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後人類 秋村 和霞 @nodoka_akimura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ