第32話 元の世界へ
閉じていた瞼に微かな明るさを感じ、ゆっくりと目を開けてみると、そこは夕暮れのイースター島だった。
僕が異世界に転移する前と同じ状況で、老婆に抱きつかれている。
その重みで後ろに倒れ掛かり、
「わあああああああっ!」
背後の崖から落ちそうになったけど、懸命に踏みとどまった。
僕が異世界を消滅させたせいで、この世界に戻ってきたのだろうか?
あるいは夢でも見ていた?
それを確かめるすべはないけど、夢であってほしい。
でなければ僕は、一生後悔することになる。
暗くなり始めたので、とりあえずこの老婆を町へ連れて行くことにした。
「ようやく逢えた」
え!?
日本語。
最初は訳の分からない言葉だったのに、かなり流暢な日本語を彼女は喋った。
そっと老婆を離して顔を確かめるも、やはり日本人ではない。
その時、僕は自分の着ている服が目に入り愕然とした。
Tシャツに描かれていた『アニメ魔法少女アリス』のアイリが、バッタ物のキャラクターになっていたのだ。
これは異世界でタルトが錬成魔法を使い、あつらえててくれたのと同じもの。
どうして!?
それに老婆が被っている麦わら帽子も、タルトに作らせたのと同じではないか。
僕は恐る恐る麦わら帽子を老婆からとった。
すると金髪の頭に、萎びた小さい角が2つ生えていた。
彼女は皺だらけの顔を、更に皺くちゃにして涙を零しながら、
「妾はずっと、ずっと待っていたのじゃ」
「姫様……なの!?」
老婆は頷くと、再び僕に抱きついて、胸に顔を埋めてきた。
彼女の話によると、僕が異世界だと思っていたのは1万年前の地球で、タイムスリップしたのだとわかった。
あの時ミュー大陸が一部を除いて海に沈んでしまい、最後にみんなで登った山の頂部分が、イースター島になったのだという。
ちなみにモアイ像はビスコッティのゴーレムで、僕を英雄として崇めるために建てられたのだそうだ。
それで僕の名前が付けられているという。
今でも人族の間で、僕の英雄譚が語り継がれているらしい。
「それじゃ、未来を変えると世界が消滅するというのは、間違いだったの?」
「それは分からぬ。まだ未来を変えては、おらぬからの」
姫様によると、大陸が沈んで魔族が滅ぶとは聞かされたけど、それがいつかは知らされていなかったという。
最後の生き残りである姫様が亡くなれば、魔族は滅ぶので未来は変わらないのだそうだ。
僕は姫様とビスコッティを助けた後、世界が消滅したと思った。
だけど消えたのは、僕の方だったのである。
あの時姫様は、自分たちが生き残ったせいで、僕が消滅したと考えて、かなり悔やんだという。
「みんなは、どうなったんですか?」
「魔人で生き残ったのは、妾とビスコッティだけじゃが、人族は全員助かったぞ」
よかった。
僕は涙が出るほど嬉しくなった。
その後について姫様の話をまとめると──
水が引いた後、木の枝に袋がぶら下がっているのに気づいた姫様。
その中を確認すると、幾つもの角と手紙が入っていた。
手紙によると、大陸が沈む前にムースさんたちは玉座の間に集められ、魔王から真実を告げられたという。
そこで彼女たちは僕に手紙を書いて、1万年後に渡して欲しいと、姫様に託したのだ。
魔人やエルフの寿命は約千年。
人族より長生きなのは、魔素によるものらしい。
その魔素を含む魔人の角を摂取すれば、寿命を延ばすことができるという。
1万年生き延びれるようにと、ムースさんたちは自らの角を切り落とし、手紙と共に袋へ入れた。
それをキャンディが転移して、木の枝にひっかけておいたのだ。
なので、キャンディを除く御殿のメンバー(エクレア・ムース・フラム・ジェラート・タルト)と、魔王の角が入れられていた。
魔王の角を摂取すれば、未来を見ることができるようになる。
シャルロットは、その場でそれを摂取すると、躊躇せずに未来を見た。
「決して好奇心からではないぞ。妾とビスコッティが生き残っても世界が消滅しないか、確かめるためじゃからな」
そう言い訳する姫様だけど、好奇心によるところが大きいと、僕は思っている。
未来で大人になった自分が、人間との子を授かり幸せそうに微笑む姿を見て、姫様は涙が止まらなかったという。
「ロゼットたちは?」
「お主が消えてしまい、ロゼットはかなり悲しんでおったの。ずっと寄り添い慰めていたブラウニーの伴侶になってからは、それなりに幸せそうじゃったがな。ちなみに、その子孫が妾の夫となったのじゃ」
ロゼットが幸せになって嬉しい反面、ブラウニーにとられたようで、ちょっと複雑な気分。
っていうか、彼が羨ましすぎるんだけど!!
僕のアイリが……。
ビスコッティも人間との子を授かり、その子孫と姫様の子孫が結ばれたという。
「そして、その子孫がお主じゃよ」
「ええええええっ! そ、それじゃ、姫様とビスコッティ、それにロゼットは僕のご先祖様なの?」
「うむ。じゃから大陸が沈んだ時、お主がゴーレムを動かして、妾とビスコッティをすくい上げることができたのじゃ」
えっ⁉
僕が?
「俄かには信じがたいけど、もしそれが本当なら僕も魔人ってこと?」
「それは違うの。同じように魔法が使えても、魔素を含む角を持たないエルフは、魔人とは呼ばないからの。妾の子は、まだ角もあったし寿命も長かったのじゃがな。その子孫たちが人間との交配を繰り返すうちに、角と寿命が短くなっていったのじゃ。今から300年ほど前には、角もなくなり普通の人間と変わらなくなったのじゃよ。お主も同じはずじゃが、魔人の遺伝子が残っていたようじゃな。どうしてかは分からぬが、お主はビスコッティの能力が覚醒したのじゃ」
あの時は二人を助けたい一心で、ゴーレムを操ったつもりは、なかったけど。
「それから、お主が他人の気持ちを分かってしまうのは、妾の遺伝によるものじゃろう。そのせいで辛い人生を、送ることになったのじゃったな。本当に、すまなかったの」
「いいえ。確かにとても辛かったけど、それでも今は良かったと、心から思っています。そのおかげで魔族や人族たちと出逢えたのだから、姫様にはとても感謝しています」
「モアイ……」
彼女は顔を皺くちゃにしながら、嬉しそうに呟いた。
「そうじゃ。お主に手紙を渡さねば、ならぬのじゃったの」
手紙を受け取ると、僕と老婆はその場に腰かけた。
彼女たちの想いが綴られた、1万年前からの便り。
魔力で保護されているので、保存状態が良くて、ちゃんと字も読めた。
この字も姫様との会話も魔族語だけど、姫様から与えられた能力のおかげで、理解できている。
最初の手紙は、タルトからの便り。
『百合様、本当にありがとうございました。ただただ、感謝の気持ちしかありません。可能ならば1万年後に人として生まれ変わり、生涯をかけて恩返しをしたいです。なのでその時は、私を百合様のお側に置いてくださいね。もっと、もっと、たくさん書きたいことがあるのに、もう時間切れです。百合様の幸せを、心から祈っています』
感謝するのは、こっちの方だというのに、本当にタルトはいい娘だったな。
僕の感覚では、ほんの数時間前に山頂で、彼女たちと一緒に楽しく、ランチをとったばかり。
あの時の彼女の笑顔が、ハッキリと思い浮かぶ。
それから数十分後に、彼女は大陸と共に、海に沈んでしまったのだ。
僕は遣る瀬無い思いで、いっぱいになった。
ムースさんからの手紙には、こう綴られていた。
『わたくしの母は、百合さんのことを、とても気に入っていました。もし魔族が滅ぶことが分かっていたら、母の望み通りに百合さんの妻となり、親孝行をしたかったです』
昨日も彼女に手を握ってもらい、治癒してもらったばかり。
あの癒される笑顔がもう見られないなんて。
「姫様、もう一度僕を過去に戻してください。そうしたらムースさんと、1カ月間の新婚生活が送れるんです」
呆れたように肩を竦める姫様。
キャンディは、
『ウチ、ずっと恋人がほしかったんだよね。短い間だったけど、恋人になってくれて、ありがとう。最後にいい思い出ができて良かったよ』
ジェラートは、
『私のこと可愛いと褒めてくれて、ありがとう。キャンディを通じて、聞こえてました。妹に付き合わされて、百合さんの恋人になったけど、決して嫌ではなかったです』
幾度となく双子に腕を組まれたけど、もう僕の隣に二人がいることはないのだ。
エクレアさん、フラム、ビスコッティ、それぞれの想いが綴られた手紙に目を通すと、彼女たちとの思い出が脳裏に蘇り、遣る瀬無い気持ちが募った。
「どうしたのじゃ?」
「みんなのことを思い出して、切なくなったんです」
「そっか。でも羨ましいの。1万年はあまりにも長すぎて、妾はパパの顔さえも、忘れてしまったのじゃからの」
老女は寂しげに呟いた。
「姫様。みんなのことを、思い出させてあげますよ」
「それは無理じゃ。お主の心を読めば可能じゃが、妾の魔素はとうに使い果たしておる。もう心を読むことは、叶わぬのじゃ」
Tシャツのバッタ物キャラクターが、現世でも残っているのだから──僕はスマホを取り出すと、動画を再生して彼女に見せた。
ウェーブ後の宴で盛り上がっている、みんなの姿を撮ったものだ。
それを食い入るように見つめ、懐かしむように涙を零す老女。
泥酔した魔王が、スマホで撮影されていることに気付くと、
『シャルロット~、皆のために……よくぞ頑張った~ひっく。長い間、ご苦労だったああぁ。パパは~、うれしいぞ~っ。いつまでも、愛してるからな~~~』
ぶちゅ~っと、号泣しながらスマホに吸い付く魔王。
『や、止めてください。これは姫様じゃないです。壊れちゃいますよ』
魔王からスマホを引き離し、べちゃべちゃになったカメラのレンズを、拭き取る僕の姿が映っている。
もしかしたら魔王は、この動画を未来の姫様が見ることを、知っていたのかもしれない?
まるで現世の姫様に、宛てたようなメッセージを聞いて、老女は幼子のように、「パパっ、パパっ」と泣きじゃくった。
動画を見終わると、辺りはすっかり暗くなっていたので、町に帰ることにした。
姫様を背負うために僕が屈むと、
「町まで遠いぞ。大丈夫か?」
「平気ですよ。僕は姫様を背負って、ラパヌイ山の頂まで登ったんですからね。それに比べたら、大したことないです」
「そうじゃったかの?」
「それに姫様はあの時、こう言ったんですよ。『これはお主への御褒美じゃ。妾のような美少女に抱きつかれて、天にも昇る心地じゃろ』ってね。だから姫様を背負うのは、僕への御褒美です。なので遠慮しないでください」
「そうか」
嬉しそうに呟くと、姫様は僕の背中にしがみ付いてきた。
彼女を背負いながら、町に向かって歩き出す。
「動画を見せてくれて、感謝しておる。また見せておくれ」
「はい。まだ他にもいろいろと、撮ったものがありますよ。そうだ、姫様の家にTVはありますか?」
「それくらい有るわ。妾だって、ちゃんと文明生活を送っておるからの」
「なら動画をTVで見ましょう。そうすれば大きく映るので、みんなの顔もハッキリ見えますよ」
「うむ。それは楽しみじゃ」
しみじみと呟いたあと、姫様は欠伸をして、
「すまぬが寝かせてもらうぞ。いつもらな寝ておる時刻じゃからの」
「はい、どうぞ」
姫様が眠りについて会話が途絶えると、悲しみが込み上げてきた。
優しくて美しい、憧れのお姉様ムースさん。
彼女の柔らかな手で握られた時の、温もりが──
双子に腕を組まれた時の、感触が──
僕に尽くしてくれたタルトの、微笑みが──
次々と
1万年前の出来事でも、僕にはまだ1日も経っていないのだ。
数時間前まで、
僕はこらえきれず、涙が溢れてきた。
もし背中の温もりがなかったら、僕は泣き崩れていただろう。
姫様は、子孫の一人と一緒に暮らしているという。
きっとその人が、心配しているに違いないので、僕は帰路を急いだ。
どうにか姫様の家に辿り着くと、玄関先で僕と同い年くらいの少女が待っていた。
彼女の顔が一瞬ロゼットに見えて、思わずドキッとする。
「百合様ですね。シャルロット大御祖母様から、話は伺っております。どうぞ、おあがり下さい」
彼女は微笑みながら、僕を家の中に招き入れてくれた。
ロゼットとビスコッティの子孫だから、僕とは遠い親戚になるのかな?
「私は大御祖母様のお世話をさせていただいている、エリカと申します。伝説の救世主様にお逢いできて、とても光栄です」
「そんな、僕は救世主なんかじゃないです。きっと1万年の間に、僕の英雄譚に尾ひれがついたのでしょうが、実際に人族を救ったのは姫様なんですよ」
それに僕は、ムースさんやタルトたちを救えなかった。
「いいえ、私は大御祖母様から直接伺っております。百合様が魔族や人族の為になされたこと、私は心から尊敬しております」
こんな僕を尊敬するなんて、まるでタルトのような娘だな。
物腰が低くて雰囲気がタルトにそっくりな女の子。
本当に彼女の生まれ変わりでないかと思えてしまうほどだ。
「すみませんが、そこのベッドに大御祖母様を、寝かせてもらえますか」
案内された寝室のベッドに、姫様を眠りから覚まさないようにそっと降ろす。
そして彼女の体を支えながら、慎重に寝かせて異変に気付いた。
「姫様……姫様っ! エリカさん、姫様が息をしてない。早く救急車を呼んで!」
「それは出来ません。大御祖母様は魔人ですから」
「え!? 知ってたの? もしかして君も魔人?」
気付かなかったけど、日本人じゃない彼女と言葉が通じるのは、それが魔族語だからだ。
「いいえ。私は人間です。大御祖母様から能力を授かったので、魔族語を話せますけど」
今はそんなこと、どうでもいい。
「死ぬな、姫様! 姫様!」
僕は心臓マッサージをしながら、何度も呼びかけた。
「もう諦めてください。大御祖母様が蘇生することはありません。とうに魔素が尽きて、寿命を迎えているのです。それでも百合様に逢うため、今日まで気力で生きながらえてきました。今まで生きてこられたのが、不思議なくらいです」
「そんな……一緒に動画を見るって約束したじゃないか。もっと、もっと、たくさん話したいことがあったのに。姫様に孝行して、恩返ししたかったのに──」
まだ温もりの残る姫様に縋り付き、僕は訴えた。
「百合様は大御祖母様に、充分孝行してくれました。大御祖母様の安らかな寝顔を見ればわかります。こんなに幸せそうな顔は、私の知る限り初めてですもの」
きっと姫様は、今日のことを予知していたのかもしれない。
エリカさんも、知らされていたのだろう。
僕が姫様の手を握り締めると、彼女はキラキラと輝きながら霧散した。
「姫様ああっ!!」
全てを失ったような喪失感で落ち込む僕を、エリカさんはずっと寄り添って支えてくれた。
姫様から僕のことを頼むと、言われていたらしい。
まるでタルトを彷彿させるようなエリカさんの献身ぶりに、僕は少しずつ元気を取り戻していった。
そしてイースター島に来てから1週間後、空港まで見送りに来てくれたエリカさんに別れを告げて、僕はタヒチ行きの飛行機に搭乗した。
タヒチの空港に着くと、バカンスを十分に満喫して日焼けした親父が、出迎えてくれた。
ココアと出逢って、少しは親の気持ちが理解できたつもりだ。
思わず僕は駆け寄り、親父に抱きついた。
「おい、おい。一人旅で一皮剥けるどころか、甘えん坊になっちまったのか? 勘弁してくれよ」
親父が困惑気味に、ため息を零す。
「そんなにガッカリしないでよ。親父の期待は、裏切っていないからさ」
親父を見据えながら、僕は自信ありげに笑みを浮かべた。
「そっか。ちゃんと成長してきたようだな。で、イースター島はどうだった?」
「最高だったよ。また行きたいからバイトするね。ずっと心配かけてきたけど、もう大丈夫だから。安心していいよ」
親父は満足げな笑みを浮かべ、僕の頭を撫でた。
引きこもりの異世界英雄譚 千耀 @ponpoco-rin
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