第31話 運命
ウェーブから1カ月が過ぎたある日、いつものように魔王城の玉座の間へ赴くと、
「モアイよ、そろそろ次の戦いに向けて準備をせねばならぬ。明後日に人族全員で魔石の採取をするので、通達しておくのじゃぞ。よいな」
いつものごとく姫様は、魔王の膝の上に座りながら僕に命じた。
会うたびに姫様が、益々甘えん坊になっていくような……。
「子供たちもですか? 足手まといになると思うのですが」
「うむ。子供たちもじゃ。ウェーブの後、妾は魔王城におったので、人族とはご無沙汰じゃったからの。今回は妾も同行して、人族と親交を深めたいと思っておる。人族は共に敵と戦う、大切な仲間じゃからの」
以前の姫様は、人族を敵視して駆除しようとしたこともあったけど、ウェーブを境に変わった。
人族の協力がなければ、みんな滅んでいたので、彼らの重要性を認識したのだろう。
積極的に臣下たちとも親睦を深めているというから、魔族の王女として自覚が芽生えてきたのかも。
そうは言っても、臣下にも甘えているみたいなので、一概に成長したとは言い難いのだが。
──その二日後の朝9時。
僕を含む人族全員が、御殿の外に集った。
ややあって、姫様とビスコッティを連れたキャンディが、僕たちの前に転移して現れた。
姫様は幼子のようにキャンディに抱きついている。
甘えん坊を拗らせ、抱きつき魔になっていると、聞いてはいたのだが……。
「姫様、もう行くね」
「うむ。ご苦労じゃったの」
姫様が離れるとキャンデイは、転移してどこかへ行ってしまった。
名残惜しそうな面持ちの姫様は、気を取り直したように振り向き、
「皆の者、待たせたの。早速、魔石を採取に行くのじゃ。妾について参れ!」
元気に右手の拳を掲げ、軽い足取りで歩きだす。
ビスコッティと手をつなぎ、まるでピクニックにでも行くようなテンションだ。
「姫様、どこに行くのですか?」
「あの山の頂付近じゃ。あそこに魔石があるからの」
僕が尋ねると、姫様はこの辺りで一番高いラパヌイ山を指した。
「あそこまで歩いて行くつもりですか? てっきり転移魔法で行くのかと」
「今日はお主たちと、親睦を深めると言ったじゃろ。歩けば道中も楽しめるし、苦労も共にすれば、絆が深まるというものじゃ。なんじゃ。もしかして登りきる自信がないのか? 男のくせに情けないの」
「ふふん。この僕を舐めないでください。この1カ月間、男性陣と共に畑を耕して、かなり足腰が鍛えられましたからね。あの程度の山、どうってことないですよ」
そう自慢してから1時間後──
「はぁ、はぁ、マジでキツイんですけど……」
「なんじゃ。もう音を上げておるのか。まだ道半ばじゃぞ。出発時の威勢はどうしたのじゃ。情けないの」
「僕の背中で言わないでください!!」
上り坂になると姫様は、疲れたので僕におんぶしろと、命じてきたのだ。
「これは、お主への御褒美じゃ。妾のような美少女に抱きつかれて、天にも昇る心地じゃろ。足取りも軽くなるというもの」
これがムースさんなら、舞い上がるような気持ちになるのだが。
背中の少女は僕に抱きつき、頬ずりしてきた。
キャンディに対してもそうだったけど、姫様は異様なくらいベタベタしてくる。
もしかして依存症になってしまったのか?
ずっと彼女は、自身や父親、そして臣下たちの死に怯えてきた。
まだ年端もいかない少女には、かなりのストレスだったと思う。
心のケアが必要かもしれないので、今度ムースさんに相談してみるか。
「そう言われると、なんか足が軽くなった気がする。まるで羽根が生えたようだ」
僕は明るく振る舞って、軽快に歩みを進めた。
それから1時間ほどして、ようやく頂上に辿り着いた。
山頂と言っても、岩だらけの尖った場所ではなく、なだらかで草木が生えている。
「なんて素敵な眺めなの」
ずっと僕の背中を押してくれていたロゼットが呟いた。
振り向くと、そこには絶景が広がっていた。
「どうじゃ、素晴らしい眺めじゃろ。これを
「はい。姫様」
しばし疲れを忘れ、思わず見入ってしまった。
山の西側に御殿が、東側に魔王城があり、三方を海に囲まれている。
この世界は文明が発達していないので、汚染するようなものはないはず。
きっと綺麗な海なんだろうと、想像しただけでウキウキしてきた。
「姫様、あれって海ですよね。今度連れて行ってくださいよ」
「うむ。さすがにあそこまでは、歩きじゃと行けぬから、キャンディに転移してもらうことになるがの」
「ありがとうございます。あと1つお願いがあるんですけど、もう降りてもらえますか?」
「……しかたないの。皆の者、昼食をとってから魔石の採取に取り掛かる。暫くしたらキャンディたちが、料理を運んでくるから、それまで自由にしてよいのじゃ」
そう述べて、渋々ながら姫様は、僕の背中から降りてくれた。
一人息を切らして汗だくの僕は、その場にへたり込む。
姫様とビスコッティは体を寄せ合い、魔王城の方を見つめている。
やはり心に傷を負っているのか、姫様の表情がどこか辛そうに感じられた。
ややあってキャンディたちが転移してきた。
タルトとジェラートの3人で、料理を持ってきてくれたのだ。
地面に敷物を広げ、みんなで楽しくランチを頂いていると、本当にピクニックのよう。
サンドウィッチにおにぎり、おかずも豊富で、デザートにはプリンもある。
前世の味に飢えていた僕は、この1カ月間タルトにいろんな料理を、覚えてもらったのだ。
天気のいい日に、眺めのいい場所で食べる料理は、格別である。
食事が終わると、子供たちが僕にまとわりついてきて、
「ねぇ、モアイお兄ちゃん。鬼ごっこやろうよ」
「ごめんね。これから魔石の採取を、やらなくちゃならないんだ」
こっちは筋肉痛だというのに、子供は元気だな。
前世じゃ僕も、まだ子供なんだけどね。
「なんじゃ? おにごっことやらは」
好奇心旺盛な姫様が、興味深げに聞いてきた。
「僕の郷土にある子供の遊びです。一人が鬼になって、他の人を追いかけるんですよ」
「面白いのか?」
「うん。面白いよ。姫さまもやろうよ」
子供たちが姫様にまとわりついて誘うと、
「よし、やるのじゃ」
「姫様、魔石の採取にきたんですよね。遊んでる場合じゃないでしょ」
「心配はいらぬ。敵が攻めてくるのは、まだ数ヶ月先じゃ。そう慌てる必要もないじゃろう」
心配だな……僕の身体。
体力に差がある僕にはハンディが与えられ、姫様を背負わされた。
またですか!?
この状態で走らされるのは、かなり大変だけど、姫様が楽しんでいるので、良しとしよう。
暫くするとタルトたちは後片付けをして、魔王城に戻っていった。
「はぁ、はぁ。姫様、もうそろそろ……魔石の採取をした方……がいいのでは? ここまで来て……大人たちに何もさせず……帰らせるのはどうかと」
僕はへとへとになりながら、背中の少女に訴えた。
「うむ。それもそうじゃの。ならば大人たちも一緒に、鬼ごっこをするのじゃ」
「違うでしょ! それじゃ僕の体が持ちませ──」
その時、あちこちの木々にとまっていた鳥が騒めきだし、一斉に飛び立った。
何事かと辺りを見回していると、
ドスン!!
突如、下から突き上げるような縦揺れが起きた。
地震だ!
それも立っていられないほど、かなり大きな揺れ。
顔面蒼白のロゼットが、僕にしがみ付いてきた。
子供たちは泣き叫び、大人たちも恐れおののいている。
地震大国日本で生まれ育ち、大きな地震も経験してきたけど、味わったことのない激しい揺れに、僕も恐怖で体が震えた。
徐々に揺れは小さくなってきたけど、静まる気配がない。
地鳴りのような音もしている。
「ロゼット。こういうことは、よくあるの?」
「ううん。たまに大地が揺れることはあったけど、すぐに収まるし、こんなに大きなのは初めて」
彼女は僕にしがみ付いたまま、恐怖で声を震わせた。
まだ大きな余震があるかもしれない。
歩いて帰ると、落石や崖崩れに、巻き込まれる危険がある。
キャンディが助けに来るのを、待った方が良さそうだ。
それにしても揺れが止まないのが気にかかる。
まさかこの山、噴火するんじゃ!?
だとしたら一刻も早く、下山した方がいいのだが──
抜き差しならない状況に考えあぐねていたら、いつの間にか姫様とビスコッティが、みんなから離れて魔王城の方を眺めていた。
「姫様、端の方は崩れるかもしれないから、危険で──」
連れ戻そうと二人に近寄り、僕は愕然とした。
苦労して耕した畑は水没し、御殿と魔王城も巨大津波に飲み込まれたのだ。
「姫様、
「他人の心配しとる場合じゃないじゃろ」
動転する僕に対して、姫様は淡々と言って、遡上する津波を指し示す。
姫様は、ビスコッティに数体のゴーレムを出現させて、その上に人族を次々と避難させた。
僕もゴーレムの大きな手に掴まれて、高々と掲げられる。
「姫様も早く避難してください」
「これでお別れじゃ。短い間じゃったが、お主と出会えて、心から良かったと思っておる。感謝しておるぞ」
姫様はビスコッティと抱き合いながら、僕を見上げて言った。
「えっ!? 何を言ってるんですか?」
「魔族は滅ぶ運命なのじゃ」
「早まらないでください。
魔王の娘は、諦めたように首を横に振り、
「避難できる場所は、此処しかないのじゃ」
それじゃ、ムースさんやタルトたちは、あの海の底に……
「どうして!? キャンディやガウラさんなら、全員は無理でも、多くの魔人を避難させられただろ!」
僕は取り乱して、思わず声を荒げた。
「パパには、魔王が代々受け継いできた、ユニークスキルがあるのじゃ。それは未来が見えるというもので、決して魔王以外に知られてはならない禁断の能力。じゃが妾は、他人の心を読むことができるので、偶然その秘密を知ってしまったのじゃよ」
俄かには信じがたいけど……。
「禁忌を破れば大きな代償を払うことになるのに、パパは誘惑に負けて未来を見てしまったのじゃ。妾が好奇心旺盛なのは、きっとパパ譲りなじゃろう。そして
それじゃ、僕が姫様たちと出会ったことも、みんなが此処にいるのも、偶然じゃなかったってこと?
姫様は、僕たちを救うために、此処へ連れてきたのか。
「未来が見えるなら、変えればいいじゃないか!」
「それは出来ぬのじゃ。変えられないし、変えてはならぬからの。もし未来を変えれば、この世界が終わるとの言い伝えじゃ」
「そんなの、ただの口承じゃないか! 真実とは限らないだろ」
「じゃが、その伝承の通りに、未来は見えたのじゃ。もし未来を変えれば、人族も滅びるかもしれぬのじゃぞ。それでもお主は、未来を変えようとするのか?」
ロゼットや僕を慕ってくれる子供たち、人族はみんな大切な家族も同然だ。
最悪、
その危険性が極めて高く、僕は言葉を失った。
「パパもそうじゃった。ママはオーガたちに凌辱され、惨い殺され方をした。それを知りながらもパパは、最愛の妻を救わなかったのじゃ。パパは父親として妾を、魔王として臣下を、守ることを選んだのじゃよ。ママが殺された時、狂ったように泣き叫んだパパの姿が、今でも脳裏に焼き付いておる」
最愛の人が殺されると分かっていても、何もできなかった魔王の苦悩は、想像を絶する。
これが禁忌を破ったことによる、大きな代償だというのか。
もし僕が同じ立場で、ココアがオーガに食い殺される未来を見えたら、きっと耐えられなかっただろう。
姫様は、いくら魔王の娘とはいえ、まだあどけなさが残る女の子。
それなのに自身や大切な父親、そして臣下たちが死ぬことを、受け入れてきたというのか。
彼女が、苦悩しなかった訳がないのに、そんなことおくびにも出さず、僕たち人族を陰ながら守ってきたのだ。
そんな健気な姫様が、とても愛おしく大切な存在に思えた。
水が姫様の足元に押し寄せ、徐々に水位が上がっていく。
姫様たちは流されないようにゴーレムに掴まり、優しい表情で僕を見上げると、
「モアイよ、そんな悲しい顔をするでない。この1カ月間、妾はパパたちにたくさん甘えられて幸せじゃった。もしお主がおらぬかったら、妾たちは敵に滅ぼされ、この1カ月間の幸せはなかったのじゃからの。とても感謝しておる。もう思い残すことは何もない。じゃから最後も微笑んで、妾たちを見送ってほしいのじゃ」
「そんなの嫌だ! もう大切な人を失いたくない!」
「その言葉だけで充分じゃよ。妾たちを大切だと言ってくれて、とても嬉しく思うぞ」
姫様は幸せそうな笑み浮かべた。
「姫様……」
彼女たちを救おうと必死にもがくも、ゴーレムの手から逃れられない。
刻々と水位が上がり、飲み込まれていく魔族の少女たち。
水の中でも姫様は優しい眼差しで僕を見上げていたが、やがて二人は力尽きたように、ゆっくりと流され始めた。
「早く助けないと、お前たちの御主人が死んじゃう!! お願いだから、この手を放してくれ! 頼むよ」
僕はゴーレムの手を何度も叩き、涙ながらに懇願した。
でも心を持たない泥人形に、いくら訴えても無駄だった──はずが、突然別のゴーレムが動き出し、流されていく二人をすくい上げたのである。
そして二人を救ってほしいと言わんばかりに、姫様たちを僕の方に差し出してきたのだ。
さらに僕を掴んでいたゴーレムが、その手を二人のもとへ移動させ、そっと掌を広げて僕を解放してくれた。
すぐに僕は姫様たちの方に飛び移り、
「姫様! ビスコッティ!」
彼女たちの身体を揺さぶり呼びかけるも反応がない。
呼吸を確かめると、二人とも息をしていなかった。
こんな時、心臓マッサージをすることは知っている。
だけど、ちゃんとしたやり方がわからないし、人間と同じ救命処置が魔人に通用するとは限らない。
クソッ、迷っている場合じゃないだろ!
姫様を仰向けにして、記憶を頼りに、胸の辺りに手を当てて圧迫を繰り返す。
「頼む、死なないでくれ! 死ぬな、姫様!」
そう呼びかけながら、一心不乱にやっていたら、
「ごほっ、ごほっ、ごほっ……」
溺れて間もないからか、ほどなく姫様は息を吹き返した。
すぐさまビスコッティにも救命処置を施すと、同じように息を吹き返す。
よかった。
どうやら二人とも、大丈夫なようだ。
水位の上昇は止まり、
すると姫様が薄っすらと目を開け、
「う~ん……此処は?」
「姫様、助かったんですよ。このゴーレムが二人をすくい上げてくれたんです」
状況を確認するように、ゆっくりと辺りを見回した姫様は、
「なんてことを! この世界が滅んでしまうぞ!!」
目を見開いて叫んだ。
「大丈夫ですよ。息をしていなかった二人を、僕が蘇生させたんです。もし世界が消滅するなら、その時点で──えっ!?」
突如、視界と音がフェードアウトし、僕の体が消え始めた。
姫様が手を伸ばし、何かを叫んでるけど聞こえない。
これが世界の消滅!?
そんな……僕がとった行動のせいで、みんなの命を奪ってしまったのか!?
まるでブラックホールのように何もない空間で、僕の意識だけが存在し、深い後悔の念と絶望感に襲われた。
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