第13話 姫様との交渉

「とーたん、とーたん。どこ行ったの? ココアを置いて行かないで」

 

 暗闇の中、幼い女の子が泣きじゃくっている。

 僕は彼女の元へ駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。

 

「ごめん、ごめんよ。ココア。もう二度と離さないから」

 

 僕は安堵するも、どこか違和感を覚えた。

 そして抱きしめた感覚が、ココアではないと気付き、目を覚ます。

 寝ぼけ眼で確かめると、抱きしめていたのは幼女でなく、僕と同い年くらいの見知らぬ女の子。

 この可愛い娘は誰だ?

 もしかして夢ではないかと疑うも、彼女の温もりや感触、息づかいまでがハッキリと伝わってくる。

 己の額に手を当て記憶をたどると……そっか、この娘はロゼットだ。

 すっかり見違えてしまったので、一瞬誰だか分からなかった。

 以前は何とも思わなかったけど、その天使のような寝顔に、つい見惚れてしまう。

 この場にブラウニーがいなくて良かった。

 もしこんなところ見られたら、激高して何されるか──

 

 ゴンッ!

 

 いきなり頭頂部に強い衝撃を受け、僕とロゼットのおでこがごっつんこ。

 彼女は目を覚まして、可愛い瞳をぱちくりさせている。

 ごめんと謝ってから振り向くと、魔王の娘が鬼のような形相で、仁王立ちしていた。

 その背後にはメイド長のセイラ──もといチャイナ風メイド服を纏ったタルトが控えている。

 彼女は身支度を整えているけど、姫様は寝間着のままだ。

 

「ロゼットがおらぬとタルトが心配しておったから捜してみれば、なっ、何をしておるのじゃ。年ごろの男女が共寝するなど、ふしだら極まりない。これだから下等種族は──」

「でも姫様だって最初、僕を寝床に招き入れたじゃないですか」

 

 僕は反論しながら体を起こして、ベッドの上で正座した。

 青鬼は赤鬼へと顔色を変え、体を小刻みに震わしながら僕を指差し、

 

「お、お主の心を読むために、したことじゃ。お主は妾のオモチャで、異性とは見なしておらぬのに……お、お主は妾をそういう目で、見ておったのか!?」

「見てません! それに人族はみんな家族のようなものだから、老若男女が寄り添って寝るのが普通なんです」

 

 女児に変態を見るような目を向けられた僕は、きっぱりと否定した。

 

「此処は妾の屋敷じゃ。そのような不品行は許さぬ。郷に入っては郷に従え!」

「す、済みませんでした。魔族様。私が心細くてモアイさんに、一緒に寝てほしいとお願いしたのです。もう二度としませんので、どうぞお許しください」

 

 ベッドの上で平伏し、恐怖におののくロゼット。

 

「姫様、そんな怖い顔して怒らないでください。ロゼットが怯えているじゃないですか。これからは一緒に戦う仲間なんですから、人族を威圧しないでくださいね。御殿を守るには彼らの力が、必要不可欠なんですから」

 

 いくら僕がヘタレでも、10歳くらいの女の子に強い口調で説教されるなんて、元の世界じゃあり得ない。

 だんだん腹が立ってきて、つい窘めるような物言いになってしまった。

 魔王の娘は下等種族に侮られたと受け止めたのか、

 

「むむっ。この妾に説教するつもりか!? 思い上がるでないぞ。お主は妾のオモチャじゃ。人族の分際で──」

 

 火に油を注いでしまったらしく、彼女は憤怒の表情で怒りを露わにした。

 侮ったつもりはないけど、ロゼットみたいに畏怖もしていない。

 だって相手は──実際にどれだけ長く生きているのか分からないけど──僕からすれば外見も中身も、10歳の女の子と変わらないのだ。

 それにフラムとは違い、死ぬほどボコられる心配もない。

 時々ど突かれるくらいだ。

 とは言え、心を読まれるのは、ある意味最も恐ろしい能力なんだけど。

 

「いえいえ、とんでもない。これは取り引きです。人族は大切な仲間だと、魔族に認めてほしいのです。そのかわり僕は、全力で魔族と御殿を守ります。さらにジェラートの魔力消費を、大幅に減らしてみせます」

 

 ムースさんの治癒で、負担が最も大きいのはジェラートだ。

 それを減らせれば、ムースさんの寿命が削られるのを抑えられる。

 もともとそうするつもりだったけど、折角なので交渉のカードとして使わせてもらった。

 臣下想いで、特にムースさんの身を案じている姫様が、食いつかないはずはない。

 彼女は言外の意味を汲み取ったらしく、しばし腕を組んで目を瞑り、思案顔になっている。

 

「……大きく出おったが、真にジェラートの負担を、減らせるのじゃな?」

 

 僕を真っすぐ見据えて、そう問うてきた。

 

「もちろんです」

 

 ハッキリ言って確証はないけど、相手に不信感を抱かせないよう、自信ありげに即答した。

 

「ふん。なかなかお主も食えぬ奴じゃの。よかろう。好きにするがいい。じゃが、その言葉を忘れるでないぞ」

 

 そう釘を刺した姫様は、眠そうに欠伸をしながら部屋を出て行く。

 タルトは一礼して姫様に追従した。

 このところ僕は、随分と大口を叩くようになったけど、こっちも命懸けだから仕方ない。

 とりあえず交渉は上手くいき、人族みんなの安全が担保されたので、一安心である。

 

 敵は毎日欠かさず朝8時半から夕方5時半の間にやって来る。

 マジメかっ!!

 今のところ敵の侵攻に大きな変化はなく、とりあえず撃退できているからいいけど、年中無休は勘弁してほしい。

 幾度かの戦いを経たお昼ごろ、人族がやってきたとキャンディが教えてくれた。

 それをスクリーンに表示してもらうと、族長のジェノワーズさんとブラウニーが大きなカゴを背負い、御殿ここに向かってくる姿が映っていた。

 どうやら食料を届けに来たらしい。

 ちょうど敵の進攻が途絶えていたので、気分転換に僕が出迎えることにした。

 いずれ戦うことを考慮して、人族の男性には迷彩服を着用してもらっている。

 彼らには、人族だけでも生き延びられるくらいの戦闘力を、身に付けてもらうつもりだ。

 身なりを小綺麗にしないと御殿には入れないので、男性は鬚を剃ってもらい、ボサボサで伸び放題だった髪も、短めに整えてもらった。

 僕が玄関の外に出ると、ちょうど彼らがやってきた。

 

「今日は二人なんですね。食材が多く取れたんですか?」

 

 人族は魔族を恐れているので、族長が一人で食料を届けることになっていた。

 

「そうじゃないんだ。ブラウニーがどうしてもロゼットに、会いたいと言うんでね」

 

 鬚を剃ったジェノワーズさんは、一瞬誰だか分からないほど若返っていた。

 二人とも垢抜けて、日本の自衛隊にいても、違和感ないくらいである。

 

「族長。その恰好、様になっていますよ」

 

 彼はガタイがいいので、戦闘服がよく似合う。

 

「そうかい? まだ着慣れないけど、このポケットとかいうのは便利だね」

 

 ジェノワーズさんは、両手をズボンのポケットに入れ、にこやかに返した。

 一方のブラウニーは、ずんずんと僕の眼前まで来て、掴みかかると開口一番、

 

「ロゼットは無事か!?」

 

 彼もシュッとした顔立ちの好青年になったが、よほどロゼットが心配だったのか、端正な顔にクマができている。

 

「うん。もう大丈夫だと思う。これからロゼットのところに案内するよ」

 

 ブラウニーは安堵の表情を浮かべ、僕を解放してくれた。

 二人を建物内に招き入れると、魔人に対する畏怖の念からか、彼らの表情が強張る。

 厨房の扉が開いていたので中を覗くと、タルトがロゼットに料理を教えていた。

 室内には竈や食器棚などがあり、中央にテーブルと椅子がある。

 大小の鍋が幾つかあるが、包丁などの刃物はない。

 食材のカットは、タルトの錬成魔法で自由なサイズに加工できるから、刃物は必要ないのだそうだ。

 僕のイチオシ魔法は万能ではないかと、あらためて感心する。

 また、加熱には『燃素』を使うので、薪などもない。

 

「タルト。食材が届いたけど、どこに置けばいい?」

「あ、百合様。テーブルのところにお願いします」

 

 男性二人を引き連れて室内に入り、指定された場所にカゴを置いてもらった。

 

「今日もたくさんの食材を、ありがとうございます」

 

 小走りでタルトがやってきて、ちょこんと頭を下げた。

 

「あ、いえ」

 

 堅い表情で返す族長に対し、ブラウニーは口を半開きにしたまま、チャイナ風メイド服の少女に、目が釘付けになっている。

 自分を見つめる青年と視線が合ったタルトは、目を細めて小首を傾げた。

 ブラウニーは顔が真っ赤になり、僕の肩に腕を回してタルトに背を向けると、

 

「お、おい。あの可愛い娘は誰だよ?」

 

 小声で尋ねてきた。

 

「彼女は魔人のタルトだよ」

「魔人だって? 冗談のつもりか」

 

 彼は訝しげな面持ちで返した。

 

「本当に彼女は魔人なんだけど」

「オレを見くびるのも大概にしろ。あの娘はお前を『百合様』と呼んで、お前は彼女を呼び捨てにした。そのやり取りだけで、お前らがどんな関係か、オレにだってわかる。お前ごときに魔人が、下手にでる訳がない。彼女が魔人でないのは明らかだ」

 

 タルトの方に向き直ったブラウニーは、

 

「コイツ、君のこと魔人だって言うんだよ。酷いよね」

 

 相好を崩して、僕を指差しながら言った。

 

「いいえ。私は魔人です。それに百合様は、こんな私を認めてくれた、優しくて、す、す、素敵なお方。ですから敬うのは、当然のことです」

 

 ん?

 なんか途中からタルトは俯いて、ゴニョゴニョと声が小さくなったので、聞き取れなかったんだけど。

 

「またまた。君みたいに華奢な娘が魔人だなんて──」

 

 タルトは人族の誰よりもか弱そうで、小動物のように守ってあげたくなるような印象。

 そのせいかブラウニーは、全く信じていないようだ。

 チャイナ風メイド服の少女は、魔人であることを証明するように、お団子カバーを外して角を露わにした。

 人族の中でもひときわ魔人を恐れるブラウニーは、微かな悲鳴をあげて尻もちをつきながら後退る。

 

「魔王の娘である姫様でさえ、百合様には絶大な信頼を寄せています。今朝もそうでした。ロゼットさんが見当たらなかったので百合様のお部屋に伺うと──」

「うわあああああああっ!」

 

 僕は大声で叫びながら、慌ててタルトの口を右手で塞いだ。

 姫様との取り引き──魔族に人族を大切な仲間だと認めさせた件──を引き合いに出そうとしたみたいだけど、ロゼットと一緒に寝たことがブラウニーに知られたら、何をされるか分かったもんじゃない。

 タルトと向き合ったので一瞬視線が合うも、すぐに逸らされてしまった。

 かなり驚いたらしく、八の字眉の彼女は、大きく見開いた目に涙を浮かべている。

 顔を火照らせよろめくチャイナ風メイド服の少女を、僕はとっさに左手を背中にまわして支えた。

 僕の衣服を誂えるためとはいえ、汚れたブリーフを隈なく観察しなくてはならなかったのは、思春期の女の子にはかなりショックだったに違いない。

 彼女は優しいから、姫様みたいに不快感を露わにしなかったけど、僕に嫌悪感を抱いているはず。

 そんな男がいきなり奇声を上げて飛び掛かり、口を塞いできたのだからショックに決まっている。

 

「ご、ごめん。大丈夫?」

 

 彼女は小動物のごとく小刻みに震え、頷くのがやっとである。

 タルトがどうにか姿勢を立て直したので、僕は手を放して後退りすると、土下座で平謝りした。

 族長とブラウニーが顔を引き攣らせ、何してんだ、コイツは? みたいな目で僕をじっと見ている。

 もしかして誤解されている?

 いくらタルトが可愛い女の子の姿をしていても、人族にとっては近寄るのも恐ろしい魔人。

 にもかかわらず『誰彼構わず、女の子に手を出す無節操な奴』とか、『いきなり襲い掛かり、泣かせたケダモノのような奴』とか思われていない?

 そんな噂が広まれば、せっかく築き上げた人族との信頼関係は崩壊し、魔人には蔑むような目で見られて肩身が狭くなる。

 下手したらフラムに殺されちゃうかも。

 こっちの世界でも、引きこもりになりそうなんだけど。

 

「あ、頭を上げてください。百合様は何も悪くないですから」

 

 おぼつかない足でタルトは言った。

 あんな酷い仕打ちをしたのに、僕を気遣ってくれるタルトは、ムースさんとは別の意味で天使だ。

 

「お、おい。早くロゼットを連れてこい。こんな危険なところには、置いておけないから連れて帰る。なによりもお前と一緒なのが心配だ」

 

 這いながら僕に詰め寄ったブラウニーは、タルトに目を奪われて、奥で佇むロゼットの存在には、気付かなかったらしい。

 彼の声が届いたのかツインテールの少女がやってきて、腰を抜かしてへたり込むブラウニーに手を差し伸べた。

 眼前で微笑むオーソドックスなメイド服の少女に、ブラウニーは目が釘付けになり、口を半開きにしたまま、青ざめていた顔を赤く染めた。

 さっきも同じような光景をみた気がするけど。

 彼女の手を取り立ち上がったブラウニーは、

 

「あ、ありがとう。君は魔人じゃないんだね。オレはブラウニー。君の名は?」

 

 と照れながら尋ねた。

 一瞬目を丸くして、くすくすと笑う水色髪の少女がロゼットだと気付かないのか、ブラウニーは後頭部に手をあて、一緒にヘラヘラと笑っている。

 

「私よ。ロゼットよ」

 

 ブラウニーは、目をぱちくりさせた後、

 

「嘘だろ……本当にロゼットなのか?」

 

 信じられないといった表情で呟いた。

 

「ひっど~い。ずっと一緒に育ってきたのに、ちっとも私のことに気付かないんだもん」

「だって、あまりにも別人のように、なってたから……」

「それはあなたもでしょ。でも私はブラウニーのこと、すぐに判ったわよ」

 

 意地悪げに舌を出すロゼットの可愛らしい仕草に、ブラウニーはさらに顔を紅潮させた。

 間抜け顔で見惚れているブラウニー(と僕)に、彼女は「なに?」と小首を傾げる。

 

「いや、えっと、その……そ、そうだ。此処は危険だから、みんなのところへ行こう」

「私ならモアイさんがいるから大丈夫よ」

「それが心配なんだって。こんな節操のない奴と一緒にいたら、何されるか分かったもんじゃない」

 

 コスプレイヤーの美少女二人に、のぼせ上がった奴に言われたくない!

 

「う~ん、何が心配なのか分からないけど安心して。昨夜だって不安で眠れなかったけど、モアイさんが一緒に寝──」

「うわあああああああっ!」

 

 僕は大声で叫びながら、慌ててロゼットの口を右手で塞いだ。

 メイド服の少女たちは、わざと僕を困らせているのか?

 彼女はブラウニーの恋心には気付いてないみたいだから、故意ではないのだろうけど。

 

「気安くロゼットに触るなっ!」

 

 ブラウニーは僕の右手を強く掴み、ロゼットから引き離した。

 体の鍛え方が違う青年の、怒りにまかせた満身の力に、軟弱な僕の右手はへし折られそうになり、苦痛で悲鳴を上げた。

 驚いたロゼットが止めに入ろうとした時、食堂側の扉が勢いよく開いてフラムが入ってきた。

 

「なんか騒がしいと思ったら、なんで人族がいるんだ?」

 

 彼女は不機嫌そうに切れ長の鋭いつり目で、人族の二人を睨み付ける。

 ブラウニーは顔面蒼白になっておののき、まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。

 ミノタウロスを一撃で丸焦げにした、燃えるような赤髪の魔人は、最も恐ろしい存在として人族の記憶に、刻まれているのだろう。

 

「おぉ、お騒がせぇして申し訳ございませんでしゅたあぁ。食料を届けにきたのでしゅが、もう済みまひぃたので、しゅぐにお暇させてひぃただきます」

 

 族長は震え上がり、何度も噛みながら謝罪すると、立ちすくむブラウニーを連れて、逃げるように去って行った。

 

 

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