第11話 ムースさんの秘密

「うそだぁ!」

 

 これで三度目である。

 がばっと上半身を起こし、悪夢で目覚めるのが、毎朝の日課になってしまった。

 息は荒く心臓が早鐘を打ち、汗だくになっての目覚めは最悪。

 二度あることは三度あると言うけれど、こうも同じ朝を迎えると、これは無限ループの夢ではないかと疑念を抱いてしまう。

 ただの繰り返しならまだしも、夢の内容がどんどん酷くなってきている。

 どうやら僕のココア依存症は末期らしく、早く治療しなければ手遅れになりそうだ。

 手の震えを抑えようと握りしめていたら、扉を叩く音がした。

 

「はい、どうぞ」

「失礼します。意識が戻られたのですね。声がしたので──」

 

 もう4日目だというのに、タルトは伏し目がちのまま入ってきた。

 いつになったらブリーフの件を、忘れてくれるのだろうか?

 もしかして無限ループの夢だから、この状況は変わらないのかも?

 

「おはよう。なんか悪い夢を見ちゃって、それで叫んだらしいんだ。驚かして、ごめんね」

 

 僕は気恥ずかしくて、頭を掻きながら謝った。

 すると、ズカズカと姫様が入ってきて、

 

「目を覚ましたようじゃな。なら早う起きるのじゃ。指揮官がいなくては、戦えぬからの」

 

 ベッドの横に仁王立ちしながら言った。

 彼女に付き従いムースさんが、おしとやかに現れる。

 どうも屋敷中に僕の絶叫が、響き渡ってしまったようだ。

 

「あ、はい。すぐに……指揮官!? 誰がですか?」

 

 僕はベッドから足を降ろしながら聞き返した。

 

「何を寝ぼけたこと言っておる。お主に決まっておるじゃろ」

「はい?」

 

 それって夢の話じゃ!?

 

「昨日、人族を助ける代わりに、指揮官を引き受けたではないか。その後ココアとかいう娘の死を知って、ショックで死にかけたお主を、ムースが救ったのじゃぞ。心の傷も癒してあるから、昨日ほどは悲しくも苦しくもないはずじゃ。目覚めた後に、また発作を起こされたら困るのでな」

 

 そうか……これも夢の続きなんだ……そうに決まってる……無限ループの……

 

「寝るなっ!!」

 

 足を布団に戻して再び眠ろうとする僕の頭を、姫様が力いっぱいど突いた。

 痛い……夢なのに、どうして?

 おもむろに叩かれた部分を手で押さえて確認する。

 どうしようもないほどの喪失感と絶望感に襲われ、頬を涙が伝わり、全身がガタガタと震え出した。

 

「ごめんなさいね。身体よりも治すのは難しくて、心の傷は完全には癒せないの。特に傷が深いほど痛みが残ってしまうわ。でも命にかかわるほど辛くなることは、もうないので安心してちょうだい」

 

 いつもなら耳にするだけで癒されるムースさんの心地よい声音が、今はまったく響かない。

 

「嘆いでる暇はないぞ。さっさと支度をするのじゃ」

 

 姫様は僕の腕を引っ張り急き立てる。

 どうして愛娘ココアが殺されたのに、そんなこと平然と言えるんだよ。

 

「もうココアがいないのに……無理だよ……何もできない」

「……そうか。なら仕方ないの。人族は全て駆除することになるがの」

「なっ!? どうして?」

「お主が指揮官となり、人族を兵として育て上げ、御殿の窮地を救う。そういう約束で人族を助けたのじゃ。それを反故にするなら、人族を生かしておく訳がないじゃろ」

 

 そっか。

 魔王の娘にとって役に立たない人族は、敵と見なして処分すべき存在なんだ。

 それじゃオーガと一緒じゃないか。

 だからココアがどうなろうと、関係ないんだ。

 そんな非情な奴らのために尽くしたくはないけど、人族みんなを見殺しにしたらココアは悲嘆し、絶対に僕を許してくれないだろう。

 どんなことがあってもココアの姉を、ココアの友達を、ココアの家族みんなを守らなくてはならない。

 それが僕の犯した罪──大切な娘を守れなかったこと──への償いなのだから。

 歯を食いしばり全身に力を込めて、萎えた心を強引に奮い立たせる。

 

「わかりました。指揮官をやらせていただきます。けど姫様、いくつかお願いがあります」

「なんじゃ?」

「ひとつはココアの姉でロゼットという子がいるので、彼女にも僕と同じ心の治癒をお願いします」

 

 唯一の肉親で誰よりも大切な妹を、眼前で喰い殺されたのだ。

 きっと僕とは比べ物にならないくらい、ショックを受けたはず。

 愛娘ココアの大切な姉は、僕にとっても大切な存在である。

 

「却下じゃ。どうして人族ごときに、ムースの貴重な魔力を使わねばならぬ」

「僕だって人族ですよ」

「お主は特別じゃ。もう指揮官として、大事な戦力なのじゃからな」

「いずれロゼットだって戦力になります。だから──」

「そうじゃな。お主と同じくらい活躍ができるようになったらの。じゃが、本当に戦力になるか分からないのに──」

「わたくしなら構いませんよ。その女の子も貴重な戦力になるのでしょ。それに百合さんにとって特別な存在のようですし、指揮官に気がかりがあっては、味方の大切な命を預けられませんもの」

 

 金髪少女の反対を制し、ムースさんは快く承諾してくれた。

 

「しかし、命を削ってまで助ける価値は──」

 

 泣きそうな顔で縋りつく姫様に、ムースさんは一瞬驚いたような表情を見せ、

 

「そうでしたわね。シャルちゃんは心が読めるから、知られてしまったのね。だけど決して誰にも言わないでちょうだい。特にフラムはヒーリングを拒むでしょうから。百合さん、タルトもお願いよ」

「それって、どういうことですか?」

「ムースは、自身の生命力を分け与えて、他のものを癒しておる。それだけ寿命が削られてしまうのじゃ」

 

 僕が問うと、姫様は辛そうにこたえてくれた。

 

「大丈夫よ。魔族は長生きだから、大したことではないわ」

 

 と、ムースさんは微笑むけど、彼女は二度も命を削って、僕を助けてくれたことになる。

 それも魔力を大量に消費したみたいなので、心配するなと言われても気になってしまう。

 

「一回の治癒で、どれくらい寿命が縮むんですか?」

「な・い・しょ」

 

 優しいムースさんのことだから、気を遣って本当のことは教えてくれないだろう。

 僕は、これ以上問うのを止めた。

 

「では二つ目のお願いなんですけど、麓にある建物にもお風呂はありますよね。人族が毎日風呂に入って清潔でいられるように、その建物を使わせてください。綺麗になれば彼らが御殿に入っても、かまわないでしょ? でないと今後の戦略に、支障をきたします」

「むむ。よかろう」

 

 不承不承といった感じで頷く姫様。

 

「あとタルトに、彼らの衣服を誂えてもらいたいんです。せっかく風呂に入っても、汚れたものを着ていては、意味がないですからね。彼女の負担が増える分、食材の確保などを人族に協力させます。当面は兵として力になれないので。それとタルトの負担軽減のため、ロゼットをお手伝いとして御殿ここに住まわせてください」

 

 本音は、ロゼットが心配なので、手元に置いておきたかったのだ。

 

「ああ、わかった、わかった。お主の好きなようにするがいい」

 

 矢継ぎ早にお願いしたので鬱陶しくなったのか、姫様は煩わしげに承諾した。

 

 その後、僕はムースさんに連れられ、人族みんなのところへ向かった。

 御殿が汚れるのを嫌った姫様は、昨日転移したみんなをすぐに外へ、追い出したらしい。

 まぁ、もともと外で暮らしていたから、問題はないのだけど。

 

「ごめんなさいね。シャルちゃんがきつく当たったけど許してあげて。あの子なりに懸命なのよ。もともと百合さんには、救命の処置しかしていなかったの。心の傷までは治癒していなかったから、百合さんは意識を失っていても、酷く辛そうにうなされ続けていたわ。このまま目覚めたら今度こそ死んでしまうかもと、シャルちゃんはいたく気に掛けているようだった。夜中に様子を見に行くと、シャルちゃんが心配げに百合さんの手を握っていたのよ」

 

 ムースさんは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、話を続けた。

 

「それでわたくしの方から、心の傷を癒すことを申し出たの。そうしたらシャルちゃんは泣きながら謝ってきたわ。そして『もう誰も失いたくない。そのためにはモアイの力が必要なのじゃ』と弱音を漏らしたの。わたくしの命を縮めると知っていたから、シャルちゃんは治癒を頼めず、苦悩していたのね。百合さんにとってココアちゃんがとても大切なのと同じくらい、シャルちゃんは仲間わたくしたちのことを大切に思ってくれている。それゆえ非情になって、百合さんにつれない態度をとったのよ。わかってあげてね」

「はい。僕はココアを失って自暴自棄になったけど、まだ為さねばならない事があると、姫様に教えられましたから」

 

 ココアが悲しまないように、指揮官になって人族みんなを、守らなくてはならないことを。

 

 外に出ると芝生の上で寝かされているロゼットと、心配げに彼女の手を握るブラウニーの姿が目に入った。

 彼の話によるとロゼットは、ココアが眼前で喰われる姿に耐え切れず卒倒し、それ以来意識が戻らないのだという。

 ブラウニーはずっと彼女に付き添い、見守ってきたらしい。

 さっそくムースさんに治癒をお願いすると、ロゼットの苦悶に満ちた表情が、みるみる安らいでいった。

 

「それじゃ、わたくしはみんなのところに戻るから、あとは百合さんが彼女を支えてあげるのよ」

「はい。ありがとうございます」

 

 僕のせいで命を削らせてしまった女神様に、深々とお辞儀して見送った。

 彼女が屋敷内に入るのを確認すると、僕は人族みんなの方に向き直り、頭を地面にこすりつけた。

 

「ココアが死んだのは、僕のせいです。本当にごめんなさい」

「よせ。頭を上げろ。お前のせいじゃない。あの時俺たちは、お前が迎えに来るまでココアを託されたのだから、責任はこっちにある。それに俺は、ココアの両親とは誰よりも親しくしていた。だから彼らが殺された時、姉妹を立派に育てると誓ったんだ。それなのにココアを守ることができなかった。本当にすまない」

 

 ゼストさんは男泣きしながら、土下座した。

 

「でもあの時、僕がココアを一緒に連れて行けば、こんなことにはならなかったんです。あんなにココアは泣き叫んでいたのに……」

 

 愛娘の慟哭が、行かないでという声が、脳裏によみがえり胸が締め付けられる。

 

「ゼストの言う通り、百合君のせいじゃない。例えあの時ココアを連れて行ってたとしても、代わりに他の子が犠牲になったハズだ。それに魔族が教えてくれたよ。我々を助けてくれたのは、君なんだってね。みんな百合君には感謝している。みんなを代表して、お礼を言わせてくれ。本当にありがとう」

「ありがとうな」「あんたのおかげだよ」「助けてくれてありがとうね」

 

 ジェノワーズさんに続いて、他の人たちからも次々と感謝を伝えられ、僕は正座したまま彼らを見上げた。

 

「お兄ちゃん」「モアイ兄ちゃん」

 

 子供たちが号泣しながら、抱きついてきた。

 あぁ、そっか。

 この子たちの目の前でココアは……どんなに怖ろしかったことだろう。

 絶対に守ってやる、もう二度とあんな辛い思いはさせないからな。

 僕は愛娘ココアの大切なお友達を、ぎゅっと抱きしめて誓った。

 

 頃合いを見て僕は、もう一つの用件について説明した。

 

「──そんな訳で、大変申し訳ないけど、大人は兵になる訓練を受けてもらい、いずれ戦闘に加わっていただきます。もちろん、可能な限り危険が及ばないように配慮しますので」

「百合君に救われた命、喜んで君に捧げるつもりだ。それに家族を守るためなんだから、たとえ討ち死にしても、君は気にする必要はないからな」

 

 族長の言葉に、他の人たちも思いは同じとばかりに頷いた。

 彼らのすべきことは、山ほどある。

 食材や衣服の素材集めから、お風呂に入って綺麗にする等々を伝えると、彼らは張り切って行動に移した。

 みんながココアのことで悲嘆に暮れないように、たくさん作業を与えて忙しくさせたのである。

 

「うわあああああぁ!」

 

 彼らの後ろ姿を見送っていたら、いきなりキャンディが目の前に現れたので、僕は悲鳴を上げながら尻もちをついた。

 

「もう、いつまで油売っているの? 敵が攻めてきたんだから、早くしてよね」

 

 キャンディが差し出した手に掴まった次の瞬間、僕と彼女はリビングにいた。

 

「なにボーッとしておるのじゃ。はよ指揮せい」

「あ、はい。すみません」

 

 姫様に尻を叩かれ、あわてて取り掛かる。

 敵の侵入したエリアが映し出されたスクリーンの前に行き、状況を把握。

 遠距離攻撃ができるエクレアさんをメインに、省エネかつ被害も少なくなるように心がけた。

 正式に指揮官となっての初任務。

 ゲームとは違い、みんなの命が掛かっているので、正直プレッシャーはある。

 だけどソシャゲをやり込んだ経験が役に立ち、無事にこなすことができた。

 

 本日の戦いが終わると、抜け殻になったジェラートを、ムースさんが抱き締めて回復させている。

 ムースさんの負担を少しは軽減できたと思うので、上々の出来だとは思うのだが、優しくて綺麗なお姉さんの命が削られていく姿は、見るに忍びない。

 この問題を最優先で解決し──

 

 ゴンッ! と、僕の頭頂部に衝撃がはしった。

 

「痛っ! 何すんだよ?」

 

 僕は両手で頭を抱えながら、ど突いてきたフラムに猛抗議した。

 この女の場合、洒落にならないのだ。

 下手したら灰にされちまうからな。

 

「姉御を嫌らしい目で、見ているからだ」

「嫌らしい!? 冗談じゃない」

 

 そりゃ、とても魅力的で理想の女性だけど。

 

「姉御たちが抱き合う姿を、舐め回すような目つきで、見ていたではないか」

「誤解だ。それはムースさんが……」

 

 僕が見ていた理由を察したのか、ムースさんはこちらに顔を向け、無言でゆっくりと首を横に振った。

 

「……ムースさんがあまりに綺麗で、つい見惚れてしまったんだよ」

「ふむ。それなら仕方ない。姉御の美しさには、万人が心を奪われてしまうのだからな」

 

 まるで自分のことのように、赤髪の女は自慢した。

 

「フラム。バカなこと言ってないで、あなたもいらっしゃい。癒してあげるから」

 

 ジェラートのヒーリングを終えたムースさんが、両手を差し伸べて招く。

 

「んー、今日はいいや。たいして出番もなかったし」

「でも負傷してるじゃない。遠慮しないで──」

「へっちゃらだよ。これくらい。かすり傷だから、一晩寝たら治っちまうさ。はははっ」

「どうしたの? いつもなら喜んでくるのに?」

「いや、その……、腹が減ったから、早く飯にしたいというか……」

 

 訝しむムースさんに問い質され、しどろもどろになるフラム。

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