第10話 一番大切なものを失って
「ココアっ!」
前日同様、叫びながら上体を起こして目覚めたのだが、夢はさらに酷くなっていた。
禁断症状は一段と進行し、不安と手の震えが悪化している。
ココアを抱擁したくて、堪らず両手で自分の身体を抱きしめた。
誰か僕に、
日中は、幾度となく繰り返される戦いを分析し、敵の能力や行動パターンなどを調べ、時には魔人に教えてもらい、少しでも有益な情報を集めた。
きまって敵は、朝8時半から夕方5時半の間に攻めてきて、夜襲はない。
定時で帰宅するサラリーマンのような奴らだ。
ぐううううぅ。
腹の虫がもうすぐ夕食だと教えてくれた。
そろそろ今日の戦いは終わりかな、と思い始めたころ──
「も~っ、また敵が攻めてきたよ。本当にしつこいんだから」
キャンディがため息交じりに告げると、壁のスクリーンに侵入エリアが浮かび上がった。
「ふん。さっさと片付けて飯に……」
言いさして険しい表情でスクリーンを見つめるフラム。
その視線の先に映っていたのは人族だった。
それもジェノワーズさんたちが、ゴブリンに追われている姿。
「どっちから
「まずは人族から駆除する」
フラムの問いに、エクレアさんは何の迷いもなく答えた。
「ちょっ、ちょっと待って! あの人たちは敵じゃない。僕の仲間で、ゴブリンに追われて逃げてきたんだ」
「否、敵だ。よく見てみろ」
スクリーンの前でエクレアさんは、敵の列最後尾を指し示した。
そこには牛のような動物が荷車を引き、荷台に人族の子供たちが乗せられていた。
子供たちは折り重なるように横たわり、みんな意識がないようだ。
そのすぐ後を、巨漢の化け物が金棒のようなものを、担ぎながらついていく。
身の丈は2mくらいあり、でっぷりとした体は茶色の肌をしている。
「これは⁉」
「
状況が飲み込めない僕に、エクレアさんが説明してくれた。
人質なら、まだ生きているってことだよね。
良かった。
最悪の事態だけは、避けられたようだ。
「頼む。
「人族など害になるだけだ。わざわざ危険を冒してまで救う道理はない。それに人質がいるのに、どうやって助けろと?」
オーガはいつでも子供たちを、金棒で叩き潰せる位置につけている。
銀髪指揮官の言う通り、どうしたら救えるのか分からない。
縋る思いで姫様に視線を投げかけるも、彼女は首を横に振って、
「諦めるのじゃ。全力で戦わなければ、足をすくわれかねない。妾は魔王の娘として、魔族と
幼くても姫様が言っていることは、正論で否定のしようがない。
この状況で、二兎を追えば命とりになりかねないのは事実だ。
だからって諦められるわけねぇだろ!
何よりも大切な
そんな僕の気持ちなどお構いなしに、エクレアさんはフラムの転移場所を指し示し、
「キャンディ、此処にやって──」
「待ってくれ! 僕なら人族を救える。むろん魔人の被害はださないし、敵もすべて倒してみせる。だから僕に指揮を、この戦いを任せてくれ!」
銀髪指揮官の命令を遮るように、僕は叫んだ。
突拍子もないことを言われ、何言ってんだコイツは? みたいな冷ややかな視線を、僕に向けるエクレアさん。
「また随分と大風呂敷を広げたものだな。だが、お前の戯言に付き合ってる暇はない」
そう言われても仕方がないことだ。
何か策があるわけでもなく、ココアを救うために口から出任せを、言ったようなものだから。
だけど窮地に追い込まれた僕に、後先考える余裕はない。
「アンタにできなくても、僕ならできる。だから、やっかんでいるんだろ」
「はぁ!?」
「僕に指揮官の座を奪われたくないから、話を聞こうともしないんだ。そうだろ」
「ふざけるな! ただ逃げまわることしかできない、人族風情が──」
「此処と同じような戦いを、僕は幾千と指揮して勝ち抜いてきた。今では他の殿……戦士たちから一目置かれている。この三日間の戦いを見て分かったよ。僕の方が上手くやれるってね」
戦ったというのはゲームの話だけど、幾千の件は本当だ。
魔人の戦い方は、タワーディフェンスゲームに通じるところがあるから、ソシャゲは実戦前のシミュレーションをしたようなものだと言える。
たくさんプレイして十分に経験を積んでいるので、それなりにやれる自信はある。
未だエクレアさんには劣るけど、地形や敵の情報を把握すれば、彼女よりも上手く指揮できるはずだ。
「ふん。何を言うのかと思えば、バカも休み休みに言え。人族が指揮官を務めたなどという話、聞いたこともない」
「
エクレアさんは、だてに指揮官を任されているわけじゃなく、そうそう僕の挑発には乗ってくれなかった。
頬を引きつらせながらも、瞑目して大きく息を吸うと強い口調で、
「キャンディ、とっととフラムを転送し──」
「待つのじゃ、エクレア。モアイの話を聞こうではないか」
もはやこれまでかと思った瞬間、姫様が待ったをかけてくれた。
「しかし姫様、こんな奴のハッタリを真に受けては……」
「誰に聞いたのか知らぬが、魔族が崖っぷちなのは事実じゃ。この三日間、此奴は戦況を観察し敵の情報を得ておったから、まんざら出まかせの法螺を吹いてるわけでもなさそうじゃ。聞くだけなら構わぬじゃろ。エクレア」
「……わかりました」
不承不承了解したエクレアさんは、僕の方に向き直り、
「聞いてやるから、手短に話せ」
僕は彼女たちとのやり取りの最中、頭をフル回転させて策を考えていた。
そしてどうにか頭の中でまとまった戦術を、僕は簡潔に説いた。
それは、フラムがオーガの後ろから気を引いている間に、エクレアさんが電気ショックで人族の大人を気絶させ、同時にキャンディが荷台に転移して子供たちを救い出す。
子供の救出を終えたら、エクレアさんとフラムが敵を殲滅するというものだ。
「ふざけるな! キャンディは戦士ではない。戦闘力がないのに出撃させるなんて、危険すぎる」
確かにキャンディは、転送能力以外はただの女の子。
敵がどんな攻撃をしてくのるか分からないのに、安全の保障はできない。
急ごしらえの場当たり的な策なので、僕はそこまで考慮していなかった。
エクレアさんの的を得た指摘に、僕は返す言葉がない。
「ん~、ウチなら構わないよ。そのかわり、無理だと思ったら即撤退するけどね」
深く考えていないのか、キャンディはあっけらかんと言った。
「もちろん、それでOKだよ。ありがとう。キャンディ」
僕は彼女に頭を下げると、姫様の方に向き直って、
「いいですよね、姫様」
「じゃが、どうやって御殿を救うというのじゃ。それを示さねば、認めるわけにはいかぬぞ」
「人族を戦士として育成し、最大の問題点である戦力不足を補います」
「ふん。話にならん。人族など使いものにならないどころか、足手まといになるだけだ。それにいつ裏切るかも分からないしな」
エクレアさんが、茶々を入れてきた。
「現状では役に立たなくても、訓練すれば立派な戦士になります。もし心配なら、子供たちを人質にすればいい。そうすれば親たちは絶対に裏切らないことを、エクレアさんも知っているでしょ」
「いくら訓練したところで人族など、たかが知れている」
「アンタは愚かだと言うけれど、人族の絆を侮らないでほしい。大切な我が子を守るためなら、どんなに厳しい訓練にも耐え、勝てないと分かっていても戦う。現に今でも彼らは、死を覚悟のうえで、魔族に向かってきているじゃないか」
食って掛かった僕に、エクレアさんは我慢の限界に達したのか、放電のようなバチバチ音をたてて睨んでいる。
以前に、彼女の電撃を見たいとは言ったけど、今はご遠慮願いたい。
フラムと同等の攻撃力を持つという
それでも僕は、一歩も引かず強気の姿勢を崩さなかった。
僕はココアの親になったことで、かなり強くなれた気がする。
女は弱し、されど母は強しである。
他人を恐れ引きこもっていた過去の自分が、まるで嘘のようだ。
「敵が結界地点に接近」
キャンディの警告に緊張が走る。
「妾がすべての責任をとる。すまぬが、モアイに従ってくれ」
魔王の娘は立ち上がり、テーブルに両手をついて臣下に頭を垂れた。
思いも寄らぬ姫様の言動に、エクレアさんは戸惑いの表情を見せた後、怒りを鎮めるように深呼吸をして、
「時間はない。早く指示を出せ」
そう僕に告げて魔法陣に移動した。
タルトによると、エクレアさんは自身から放電した電気を自在に操り、相手を気絶させたり仕留めることができるらしい。
ただし狭い範囲に限定されるのだとか。
タイミングを見計らい、エクレアさんに続いてフラムも送り出す。
襲い掛かる人たちを、銀髪の雷使いは次々と電撃で、気絶させていく。
オーガの背後からフラムが気を引き、怪物が振り向いて子供たちから目を離したのを確認すると、オレンジ髪の少女にGOサインを送った。
キャンディ自身の転移に魔法陣は不要で、彼女が触れたものと一緒に好きな場所へ移れるらしい。
一方、他者だけを転移させるには双子の姉が仕掛けた魔法陣が必要で、1ヶ所につき1名様限定、転送先の魔法陣からは出られないという制限がある。
いずれも魔力を消費するので、MPが足りないと転移はできないという。
一度には難しいので、2回にわけて子供たちを避難させることにした。
オレンジ髪の少女が無事荷台の上に転移、対象に手を伸ばした時だった。
荷車が大きく揺れ彼女はバランスを崩し、一人の幼い子が泣き出した。
それに気づいたオーガは振り返り、荷車に足を向ける。
遠距離攻撃ができないフラムは、必死に叫ぶもオーガを引き留めることができない。
全員に触れようと四肢を懸命に伸ばすキャンディに対し、巨漢の怪物が得物を振りかぶり襲い掛かる。
無情にもオーガは渾身の力を込めた金棒を振り落とし、荷台が木っ端みじんに吹き飛んで、砂煙が上がった。
「「「キャンディ!」」」
「ほ~い。ただいま~。いや~、ギリギリ危なかった~。死ぬかと思ったよ。でも安心して。全員連れてきたから。でも感動の再会は、敵を片付けてからにしてよね」
泣きそうになりながら詰め寄ろうとする僕を、キャンディは掌を突き出して制した。
彼女の言う通りである。
フラムとエクレアさん、そして人族の命がかかっているのだ。
今は戦いに集中しなければならない。
残るはオーガだけとなり、フラムが交戦中。エクレアさんを一度撤退させ、敵の近くに再出撃させて挟み撃ち、一気に倒した。
その二人を撤退させ、キャンディに人族を転移で連れてくるようにお願いすると、彼女は快く引き受けてくれた。
「ココアーっ!」
僕は、抑えていた感情が爆発し、横たわる子供たちのもとへ、号泣しながら駆け寄った。
愛娘を探して視線を巡らせるも……ロゼットを含めて9名いるはずなのに、1人足りない。
いくら確認しても、ココアの姿だけがどこにも見当たらないのだ。
手が震え、血の気が引くのを覚えた。
人族の大人を数名連れて戻ってきたキャンディに、僕は激しく掴みかかり、
「ココアがいない!! 全員連れて戻ったんじゃないのか! ココアはどうしたんだ!」
「し、知らない。痛いから、止めて」
「止めろ。ココアは死んだんだ」
背後からゼストさんが僕を羽交い絞めにして、キャンディから引き離した。
「え!? なに……言ってるの? 冗談は止めてよ……」
彼がそんな冗談を言わないことは、分かっている。
だけど、信じられない、信じたくない。
「俺たちが逆らわないように、見せしめをしたのだろう。オーガはみんなの前でココアを……ココアを生きたまま……喰いやがった」
ゼストさんは涙ながらに、震える声を絞り出した。
僕は全身が大きく震え力が抜けた。
呼吸ができず、心臓が抉られるような痛みに襲われ、視界が真っ暗に──
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