第9話 残念ながらチート能力はありませんでした

 ココアは何者かに手を引かれ、どこかへ連れて行かれようとしていた。

 僕は愛娘を取り戻そうと藻掻いたが、何者かに拘束されて身動きがとれない。

 もう二度と会えなくなるような気がして、

 

 『行くな、行っちゃだめだ。ココア! 僕を見捨てないで!』

 

 必死に手を伸ばしながら泣き叫ぶも、彼女は振り返らずに去って行く。

 

「ココアっ!」

 

 僕はガバッと上半身を起こして、夢から覚めた。

 心臓はバクバクで汗だくになり、微かに手が震えている。

 とても寝心地の良い布団なのに、目覚めは最悪だ。

 薄汚れた毛皮一枚でも、ココアと寝ていた時の方が、どんだけ安らいだことか。

 まるで昨日のココアと僕が、入れ替わったような夢だった。

 彼女は僕に見捨てられたと、思ったのではないか?

 愛娘の心が、僕から離れてしまわないか心配になる。

 いや、大丈夫。

 僕たちの絆は、どんなことがあろうとも決して揺らぐことはない、そう自分に言い聞かせた。

 きっとこの震えは……禁断症状ってやつだろう。

 僕のココア依存症、ココア中毒は、かなり進行しているようだ。

 たった1日離れ離れになっただけで、この有り様なのだから。

 早く愛娘を呼び寄せないと、そのうち幻覚や幻聴に悩まされるかも。

 

 明るくなってきたので、ベッドから降りて窓から外を眺めた。

 まずは人族みんなが住むのに適しているか、確かめなくてはならない。

 御殿ここはやや高台にあるらしく、少し離れた低地にいくつかの建物が散見される。

 人族が暮らすのに問題はなさそうだ。

 コンコンとドアをノックする音が聞こえたので、僕は振り返り、

 

「はい。どうぞ」

 

 扉が開いてタルトという魔人の女の子が入ってきた。

 

「失礼します。お食事の用意ができましたので、食堂にお越しください」

 

 伏し目がちで、どこかぎこちなく一礼する少女。

 まだブリーフの件を、気にしているのだろうか?

 これから色々とお世話になるのだから、関係を改善すべきだろう。

 

「あの、ちょっといい?」

 

 立ち去ろうとする紫髪のおかっぱ少女を呼び止め、積極的に話しかける。

 

「はい。何でしょうか?」

 

 こちらに向き直るも、彼女の視線は斜め下のまま。

 

「あそこの建物は、なに?」

 

 窓の外を指さして尋ねると、タルトは僕の隣りにきて、

 

「あれは魔人の住居です。この御殿は小高い丘の上に建てられ、それを囲むようにして麓に、建物が点在しています」

 

 つまり御殿を中心に村が形成されているってことだろう。

 

「何人くらい住んでいるの?」

「今は誰もいません。戦況が悪化したので、皆さんは魔王城の方へ避難しています」

「そんなに情勢は悪いの?」

「はい。此処がいつ陥落しても、おかしくない状況です」

 

 衝撃の事実を告げられ、僕は愕然とした。

 この場所自体が既に安全でなく、人族みんなを呼び寄せるどころではないのだ。

 

「本来であれば、百合様を御殿にお迎えできる状況ではないのです。ですが姫様も心労が絶えないので、多少の我がままであれば、臣下の皆さんは目をつぶることにしたのです。つきましては百合様も、皆さんの負担にならぬよう、ご協力をお願い致します」

 

 彼女は深々と腰を折り、一度も僕と目を合わせずに、部屋をあとにした。

 せっかくいい物件が見つかったのに、このままでは僕の思惑が水の泡である。

 

 食堂で朝食をとっていても、ココアのことが気がかりで、食べ物が喉を通らなかった。

 人族ココアたちが平穏無事で暮らしていくには、少なくとも魔族とその領地が安泰でなければならない。

 だけど魔人たちは、魔王城に避難しなくてはならないほど、窮地に追い込まれているようだ。

 魔族が滅べば人族も、同じ末路を辿ることになる。

 どうしたらよいのか分からず、僕はテーブルに肘をつき両手で頭を抱えた。

 こんな時、アニメとかなら救世主が現れて、助けてくれたりするのだが。

 そういえばロゼットが、僕を救世主だと信じてたみたいだけど、とんでもない勘違いである。

 僕は武術の経験もないし、体力や運動神経も人より劣っていて、人並み以上のものは何一つないのだ。

 ラノベの主人公みたいに、転生でチートな能力を獲得していれば話は別だけど?

 僕は居住まいを正して瞑目すると、ゆっくりと深く呼吸して意識を集中させた。

 

 ≪誰か、応えてくれ。頼む、助けが必要なんだ──≫

 

 何度も念じてみたけど梨の礫である。

 こんな時ラノベなら、何者かの声が脳に直接、聞こえてくるのだが。

 ため息とともに目を開けると、いつの間にか魔人みんなは食事を終えて、リビングに行ってしまったらしい。

 

「ステータスオープン」

 

 魔人たちに聞こえないように、小さな声で呟いてみるが、ステータス画面は現れない。

 これもテンプレ通りにはいかなかった。

 ならばと席を立ち、足を少し広げて腰を落とすと、両手首を合わして構える。

 そして掌を広げ、その中に気を集めるようなイメージで、腰付近に持ってくると、

 

「〇~め~〇~め~波っ!」

 

 両手を突き出し一気に放出……したけど何も起こらなかった。

 それがダメならと、今度は人差し指を立て、指先に気を集中させるイメージで、

 

「どど〇波っ!」

 

 指先を突き出して気を放出。

 やはり何も起きなかったけど、僕は大きく口を開けたまま固まった。

 突き出した指の先にタルトがいて、こちらを見たまま固まっていたのである。

 どうやら食器の後片付けをしてたらしく、僕の一連の愚行を見られてしまったらしい。

 慌てて視線を逸らした彼女は、

 

「ご、ごめんなさい」

 

 軽く頭を下げて謝り、お皿を手にしたまま動揺した様子で、部屋を出て行く。

 何故謝る?

 謝るなら僕の方でしょ?

 驚かしてごめんね。

 最後に詠唱して魔法が使えないか試すつもりだったけど、完全にやる気を削がれてしまった。

 そもそも呪文なんて分からないし、本当にチートな能力があるのなら、ミノタウロスに襲われて死にかけた時点で発動するのが、お約束ってものだろう?

 要する世の中そんなに甘くはなく、僕は物語の主人公じゃなかったということ。

 遅咲きの中二病から、早々に現実へと引き戻されてしまった気分だ。

 まだテーブルには食器が残っている。

 此処にいても決まりが悪いので、僕はリビングへ移動した。

 すでに戦いは始まっていたので、彼女たちの邪魔にならぬよう、僕はそっと見守ることにした。

 何もできない自分に苛立ち焦燥感に駆られながら、戦況を観察していたら気付いたことがあった。

 それは戦い方がシンプルで、侵入した敵の近くにフラムが転移して迎撃するだけなのだ。

 加えてタルトが言ってたほど苦戦していないというか、むしろ余裕があるように見受けられる。

 これなら僕にもできるし、もっと上手くやれるのでは?

 僕に指揮官をやらせてほしいと、姫様に申し出ようとして、思い止まった。

 此処がいつ陥落されてもおかしくない、というタルトの言葉が引っかかったのだ。

 まずは彼女に相談すべきだろう。

 厨房にいるタルトのところに出向き、事情を説明すると、いろいろと教えてくれた。

 

「魔族は長生きな分、繁殖力が弱いので個体数が少ないのです。それに比べ敵は短命ですが、繁殖力が強く凶暴な種族が多い。もし魔族に魔法というアドバンテージがなければ、敵の圧倒的な力と数により、とうの昔に滅ぼされていたでしょう。しかし元来は使えないはずの魔法を扱えるモンスターが出現したことにより、保たれていた均衡が大きく崩れてしまったのです。かつて支配していた領土は1%にまで激減し、魔王城と御殿の周辺のみとなりました。魔族といっても能力は様々なので、戦士は一部に限られてしまいます。ただでさえ少ない戦士は、あまつさえ討ち死にで数を大幅に減らしているのです」

 

 つまり御殿に戦士が少ないのは必然で、援軍も望めないということだそうだ。

 端的に言うと、八方塞がりで風前のともし火!?

 

 敵はゴブリン以外にも、オークやオーガ、ミノタウロスなど幾つかの種族がいるそうだ。

 さらに各種族には進化グレードアップしたモンスターがいて、厄介なことに魔法が使えるようになったものまでいるらしい。

 魔法の素である魔素は、魔人の角や魔石に含まれていて、敵はそれらを摂取することで進化しているのではないかと言われている。

 それが魔人の襲われる原因にもなっているのだと、紫髪の少女は嘆いた。

 僕が目にしたのはゴブリンザコばかりだったので、戦い方がシンプルで余裕があるように見えたのだろう。

 それで僕にも指揮官が務まると、安易に考えてしまったのだが、とんだ井の中の蛙である。

 浅慮だったと猛省し、改めて考察し直すことにした。

 タワーディフェンスにおいて、勝敗の鍵を握るのは、指揮官の采配だと言っても過言ではない。

 それは魔族の戦い方も同じはず。

 敵の力や数がこちらを圧倒していても、地の利や味方の能力などを最大限に活用すれば、勝つことは可能だ。

 裏を返せば、どんなに強い味方を揃えていても、采配がマズければ負けてしまうということ。

 それゆえエクレアさんは出撃せず、指揮に徹していたのだろう。

 しかしフラムと同等の戦闘力があるにもかかわらず、戦わないのは宝の持ち腐れとしか言いようがない。

 やはり僕が指揮官になって、エクレアさんには戦士として出撃してもらうのが、ベストだと思われる。

 それには彼女以上に指揮が務まることを、示さなければならないのだけど……。

 御殿で最年長のエクレアさんは、誰よりも戦の場数を踏み、冷静沈着で的確な判断ができるから、指揮官を務めているという。

 一方の僕は、地形や魔法陣の位置を把握していないから地の利を生かせないし、敵に関する知識がないので、力量差もはかれない。

 現状において指揮官としての技量に、雲泥の差があるのは明らかだ。

 ゲームでは、敵や味方の能力を知らずに挑んで、痛い目にあったことがしばしばあった。

 やり直しがきくゲームとは違い、これは味方が本当に死んでしまう、命懸けの戦いである。

 ただでさえ数少ない味方が、一人でも欠ければ致命傷となり得るのだ。

 

 僕はリビングに戻ると、指揮官の技量を習得すべく、戦況を観察した。

 課題の一つに、敵の知識不足がある。

 戦闘の合間に、その情報をエクレアさんから教えてもらったが、実戦を目にしないと、なかなか身に付かない。

 残念ながら、それらの敵は殆どお目にかかれず、本日の戦いは終わってしまった。

 指揮官として認めてもらうのに、どれだけかかるか分からない。

 僕は、焦燥感に駆られた。

 

「なんかゴブリンザコばかりでしたね」

 

 一刻も早く経験値を上げたい僕は、姫様に愚痴をこぼす。

 

「そういえば今日は不気味なくらい楽勝じゃったの。嵐の前の静けさかもしれんぞ。明日になったら、わんさかと強敵が攻め込んでくるかもしれぬから、気を引き締めねばの」

 

 望むところです──といっても、僕が戦うわけじゃないけど、ザコばかりじゃ課題の克服は出来ないのだ。

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