第6話 魔族の御殿
一瞬立ち眩みのような感覚に襲われた後、視界にフェードインした光景は、石造りで西洋風の広い室内だった。
どうやら僕たちは、御殿の一室に転移したらしい。
部屋は扇形をしていて、中央に大理石で造られたような丸いテーブルがあり、五人の女の子が椅子に腰かけている。
壁や家具は豪華な装飾が施されていて、ちょっとした聖堂のよう。
これまで文明的なものを一切目にしなかったので、洞窟とかに住んでいるのではないかと心配したのだが、ちゃんとした建物なので安堵した。
「皆の者、戻ったぞ」
金髪の少女が、尊大な口調で告げた。
「お帰りなさい、シャルちゃん。キャンディ」
しゃんとした居住まいのムースさんが、満面の笑みで出迎えた。
「遅かったじゃないか。どこで油売ってたんだ? チビ姫」
テーブルに足を投げ出して、横柄な態度のフラム。
「此奴がグズグズしておるからじゃ。妾のせいではない」
姫様は僕を親指で指して弁明した。
「ところでお主、名はあるのか?」
「僕の名前は、
「ふむ。ではモアイ、まずは風呂に入るのじゃ。妾の御殿で不潔は許さぬ。案内するから、ついてくるのじゃ」
この世界にも風呂があるらしく、彼女らは綺麗好きなようだ。
潔癖症の僕には助かる。
姫様の後について行き、脱衣所に通されると、
「さぁ、早う服を脱いで、脱衣カゴに入れるのじゃ」
「……………………」
さすがに隣でじっと見られていては、恥ずかしくて脱ぎずらい。
いくら魔人でも、見た目は10歳くらいの人間の子とあまり変わらないし、好奇心旺盛らしいから僕の体を隈なく観察されてはたまらん。
「一人でも大丈夫なので、出て行ってくれませんか?」
「ふん。どうせ人族は、風呂の入り方も知らないのじゃろ。自慢の風呂が汚されては、かなわないからの。体の洗い方から湯船のつかり方まで、付きっ切りで指導してやる。感謝するがいいぞ」
僕は引きこもりだけど、毎日の入浴を欠かしたことはない。
「ちゃんと汚れを落としてから、湯船につかります。入り方くらい心得ているので、一人にしてください」
僕が頑なに拒むと、彼女は渋々脱衣所から出て行ってくれた。
懇願すれば、意外と聞き入れてもらえるようだ。
服を脱衣カゴに入れて、スマホを持って浴室に入った。
中は百人くらい入れそうな広さで、彫像やレリーフが凝った豪勢な造りになっている。
姫様が自慢するだけのことはあるな。
ちゃんと体を洗ってから、泳げるくらいでかい湯船に身を沈めた。
「あ゛~っ」
久々の入浴に、思わず親父のような呻き声をもらす。
お風呂がこんなにも、有難いものだったなんて。
日本の生活が、いかに恵まれていたのか思い知らされ、浴槽に身をゆだねながら物思いにふける。
どんな理由で、何が原因で、僕がこの異世界に転移したのか分からない。
それはすなわち、いつ元の世界に戻っても、おかしくないってことだ。
万が一そうなったとしても、ココアのことを忘れない、妄想だったと思わないように、スマホに愛娘の写真を大量に保存しておいた。
恐る恐るスマホの電源を入れると、正常に起動したので、ほっと胸をなでおろす。
魔力が
御殿に転移した時に故障したり、データが壊れたりしなかったか心配だったけど、とりあえず大丈夫そうである。
時刻は17時過ぎ。
現世に転移して1週間ほどになるが、幸いなことに時間は、元の世界とほぼ同じだと分かった。
ココアの画像や動画をチェックしていると、別れ際の泣き叫ぶ愛娘の姿がフラッシュバックして、胸が締め付けられる。
彼女にちゃんと説明しなかったから、もう二度と逢えないと思ったのだろう。
ロゼットたちが諭してくれたはずだから、大丈夫だとは思うけど、一刻も早く呼び寄せるに越したことはない。
しかし
だとすれば、ただ単に姫様に取り入っても、こちらの要求を呑ませるのは困難だろう。
確実に承諾を得るには、姫様と取引をするのが最善なのだが、こちらには交渉材料がない。
好奇心旺盛な姫様にスマホを差し出せば、二つ返事でOKしそうだけど、もうココアとの思い出が詰まった大切な宝物だから、手放したくはないのだ。
だけどいくら考えを巡らしても、他に良い手立てが思い浮かばなかった。
ならば材料を作ればいいのではないか?
魔族だって人には言えないような、恥ずかしい秘密や黒歴史があるはず。
ちなみに僕は山ほどあるのだが。
それを探り出して脅迫──もとい交渉材料にして、要求をのませればいい……わけないだろ。
そんな犯罪紛いなことをしたら、ココアに合わせる顔がなくなる。
僕は愛娘の誇れる父親でなくては、ならないのだから。
でも、どうしたらいいんだ!?
堂々巡りで一向に良い案が思い浮かばず、のぼせて溺れそうになったので、浴槽から這い出た。
はぁ、はぁ、はぁ。
やむを得ない。
とりあえず魔族に従順な態度を示して信頼を得ながら、念のため弱みも掴むことにしよう。
脱衣所に出ると、服の上に大きなタオルが置いてあったので、それで体を拭いた。
折角すっきりしたのに、また汚い服を着るのかと思うと、気が重くなる。
渋々とカゴの着物に手を伸ばして、異変に気付いた。
雑に入れた衣服が丁寧に畳まれていて、破れや穴などが全てなくなっているのだ。
半袖Tシャツとカーゴのショートパンツ、ブリーフが、すべて新品なのである。
シャツには、大好きなアニメ・魔法少女アリスの絵柄がプリントされていたのに……誰これ?
似た絵柄ではあるが、某国のバッタ物キャラクターみたいに、笑えるクオリティーの絵がプリントされている。
他に着るものが見当たらないので、とりあえずそれらを身に纏って、
室内に入ると、僕に気付いた姫様が、豪奢な椅子に体を埋めながら手招きした。
姫様の傍に行くと、彼女は僕を上から下まで舐めるように見て頷き、
「うむ。よかろう。そこに座るのじゃ」
僕は、言われるがまま姫様の隣席に腰を下ろした。
「姫様。僕の服がなかったので、これを着たんだけど……」
「お主の着物と同じようなものを誂えさせたのじゃが、魔族の衣の方がよかったか?」
「いや、さすがにその格好は恥ずかしくて無理です」
彼女のビキニのようなパレオ姿を指さし、大きく首を横に振る。
僕が身に着けたら変態になってしまう。
変な趣味に目覚めたらどうするんだ?
「アホか! 誰が妾と同じ格好をしろと言った。男物に決まっておるじゃろ」
「魔族にも男性はいるんですか?」
今まで女の子しかお目にかかっていないので、男がいるとは思わなかった。
「当たり前だ。女だけじゃ、ガキはできないだろ」
馬鹿にしたようにフラムが横からツッコんだ。
元の世界では、メスだけで繁殖する生き物もいたと思ったけど。
「そうなのか? 男がおらぬと子供はできんのか? どうしてじゃ? どうしてなのじゃ?」
好奇心旺盛な姫様が、目を輝かせながらムースさんに尋ねた。
「まだシャルちゃんには早いから、大人になったら教えてあげるわね。フラムもシャルちゃんの前で、余計なこと言わないでちょうだい」
それでも姫様の好奇心はおさまらず、僕にまで問うてきた。
「すみません。ちょっと分からないです。それよりも僕が着てた服は、どこにあるんですか?」
返答に困った僕は、話題を変えてはぐらかす。
「お主の衣は魔族のとは構造が違うから、仕立てるのに詳しく調べる必要があったのじゃ。事細かに観察してから、焼却処分しておいたぞ。あまりにも汚らしかったのでな。とくに白い肌着は、所々黄ばんでおったからの」
思い出したように、金髪の少女は顔を顰めた。
そりゃ汚れてますよ!
こっちの世界に来てから、ずっと履き続けた一張羅なんだから。
そんなブリーフを丹念に観察されて、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。
きまりが悪くて顔を逸らすと、隣席の少女に目が留まった。
彼女は俯いているので当初は気付かなかったけど、よく見ると
ただし髪の色が違っていて暗い青のせいか、肌の血色が悪くやつれているように見える。
とりわけ気になったのは、僕が
居眠りや瞑想しているようには見えないし、生命を宿しているようにも感じられない。
どうやら精巧につくられた人形のようだ。
「初めに
そう言って姫様は目を輝かせながら、ひじ掛けに乗せている僕の左手に、自身の手を添えてきた。
な、なんなんだ?
さっきまでと全然態度が違うんだけど、この子はツンデレなのか?
もしかして僕に好意をもっているとか?
上目遣いで見つめてくる彼女があまりにも可愛いくて、妹属性のない僕でも、こんな子が妹だったら欲しいと思えてしまうほどだ。
もちもちっとした透き通るような白い肌、大きくて可愛らしい瞳が、マジで天使級だなと見入っていたら、彼女は嬉しそうに、一段と顔を寄せてきた。
ち、近いんだけど……。
仰け反るようにして、思わず右隣にある人形の太ももに手をついた。
ん!? なんか生温かいし、この感触は……と、少し揉んでみた瞬間、どこからか「あん」と微かに可愛らしい声が。
まさかと思いながら人形の方に視線を向けるが、目を閉じたままで微動だにしていない。
気のせいだったのだろうか?
試しにもう一度揉んでみると、ばっと目を見開いた人形が、鬼気迫る表情で僕を睨んできた。
「ぎゃあああああああぁ!」
不意の怪奇現象に、僕は絶叫しながら大きく飛びのく。
昔、こんなドッキリ番組を笑いながら見たことがあったけど、まさか当事者になるとは思いもしなかった。
「何をするのじゃ! いきなり抱きつきおって」
姫様は眉根を寄せ、抱きついた僕を押し返した。
「ちょっと、ウチのお姉ちゃんに、嫌らしいことしないでよね!」
人形の隣席に座っていたオレンジ髪が、ばんとテーブルに手をついて立ち上がり抗議した。
「はぁ!? 人族の分際で、アタシの大切なジェラートに、如何わしいことをしただと? 許されぬ行為、死をもって償え!」
フラムが詰め寄り左手で僕の胸ぐらを掴み上げると、怒りで燃え上がる右手の拳を振り上げた。
「ま、待ってくれ。触れたのは不可抗力だ──」
揉んだのは故意だけど。
それも2回も。
問答無用とばかりに、ミノタウロスを一撃で倒したフラムの凶器が、振り下ろされる。
僕の人生、詰みました⁉
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