第3話 異世界転移ってやつ?

 まるで幻でも見ていたかのように、魔族は跡形もなく忽然と姿を消してしまった。

 呆気に取られていると、人族の代表者と思しき男がやってきて、僕の顔を覗き込んだ。

 顔の半分がヒゲに覆われているので判りにくいけど、30代後半くらいだろうか?

 額から左頬にかけて縦に大きな傷跡があり、左目は使えないのか閉じている。

 

「君、大丈夫かい? 動ける? いつまでもこんなところにいたら、身がもたないよ」

「はい。たぶん」

 

 日差しが強烈なので、このままでは干からびてしまいそうだ。

 立ち上がろうとするも、四つん這いのまま動けない。

 まるで生まれたての小鹿のようになっていると、見るに見かねたのか、彼が僕を背負ってくれた。

 ガタイのいい半裸の男に運ばれながら、僕は周囲を観察し状況を整理した。

 緑が豊かで多くの木々が茂り、それほど高くはないが山もある。

 一方で人工的なものは何一つ見当たらない。

 温暖で太陽や青い空に草木など、地球とよく似た環境だが、イースター島とは明らかに違う。

 此処の人たちは、ボサボサ頭で薄汚れているし、装身具類はなく素足という、原始人のような風貌だ。

 おぶってもらいながらなんだけど、僕は潔癖症なので、じかに触れるのは少し抵抗がある。

 男性の体には傷のある人が多く、彼らにとって生き延びるには、此処は過酷な環境なんだと推測される。

 角があり、耳が少し尖った魔族とは違い、彼らの見た目は普通の人間と同じ。

 21世紀になっても未接触部族はあるのだから、この人たちがどこかの部族だといっても通じるだろう。

 だがミノタウロスのような生き物や、姿を消すような魔族は、現実の世界では存在しないはず。

 まさかとは思うけど漫画やラノベの、死んだら異世界でしたみたいなパターン?

 だけど死んだ記憶はないんだよな。

 見知らぬ老婆に抱きつかれたところまでは、覚えているんだけど……。

 

 木陰に何かの毛皮らしきものが敷かれ、その上に僕は降ろされた。

 小汚くて少し臭うけど、直接地面に座るよりはマシだ。

 集まってきた人たちが、興味深げに僕を取り囲む。

 

「俺は、ジェノワーズ。この部族の族長だ。君は何者なんだい? どこから来たの?」

 

 背負ってくれた男が問うてきた。

 

「僕は、大島 百合おおしま もあいと言います。日本で暮らしてたんだけど……」

「ニホン? ニホンとは何処にあるんだい?」

 

 多分此処は21世紀の地球ではないので、言っても解らないだろう。

 

「ごめんなさい。ちょっと説明できないです」

「なら、どうやって此処まで来たの?」

 

 それが一番重要なのに、なぜかその記憶が全くないんだよな。

 この世界がどこなのか、どうして此処にいるのか、分からないことだらけ。

 

「すみません。なにも覚えてなくて……」

「そっか。そのうち思い出すかもしれないし、今はゆっくり休んでくれ。なによりも君の体を治すことが先決だからね」

「ありがとうございます」

「それじゃ我々は、食事をとるとしよう。みんながいたら百合君は、気が休まらないだろうからね」

 

 族長に促された野次馬たちが、連れ立って僕から離れて行く。

 

「あの、ジェノさん。その人のお世話、私にやらせてください」

 

 僕と同い年くらいの女の子が、介抱を買って出た。

 

「あぁ、頼むよ。まだ彼は体を動かすのも、大変だろうからね。君たちの食事は、こっちに運んでくるけど、百合君も食べるだろ?」

 

 そう言われると急にお腹が空いてきたのだが、何を食べさせられるのか分からない。

 TVで観たけど、とある部族が芋虫を食っていたんだよね。

 

「何を頂けるのですか?」

 

 アレだよ、とジェノワーズさんは黒焦げのミノタウロスを指し示した。

 嘘でしょ。

 アレ食うの?

 頭は牛だけど、身体はボディービルダーみたいにマッチョな人型だよ。

 共食いみたいで、とても口にする気にはなれない。

 まだ芋虫のほうがマシだ。

 

「すみません。食欲がなくて──」

「そっか。じゃあロゼット、何かあったら直ぐに教えてくれ。百合君にもしもの事があれば、我々もただでは済まないのだからね」

「はい」

 

 ロゼットという少女は、真剣な面持ちで頷いた。

 族長が去っていくと、彼女は僕の隣に腰を下ろす。

 胸と腰の部分に、なめした皮のようなものを纏っているだけで、他には何も身に着けていない。

 前髪で目が隠れているのもあり、控えめで大人しい感じがする。

 彼女の視線はわからないけど、身動ぎもせず穴が開くほど、じーーーーっと見入られているような気がして、だんだん居心地が悪くなってきた。

 

「お姉たん、いっしょに食べよ」

 

 ナイスタイミングで5歳くらいの子が、大きな葉っぱに包まれた何かを抱えてやってきた。

 半裸なのでわからないけど、きっと女の子だろう。

 二人は葉っぱを広げると、美味しそうにそれを食べ始めた。

 どうやらマッチョの肉らしい。

 まさかとは思うけど、このたち人食い族じゃないよね。

 

「いつもミノタウロスそれを食べているの?」

「ちがうよ。めったに食べられない、ごちそうだよ。ね、お姉たん」

 

 女の子は、口をもごもごさせながら言って、ロゼットに振った。

 

「ええ、普段は木の実とかを食べているの。稀に小動物を食べることはあるけど、お肉は滅多に食べられないわ」

 

 よかった。

 どうやら人食い族ではないようだ。

 僕は共食いせずに済んだので、安堵の胸をなでおろした。

 

「さっきからお姉たんって呼んでるけど、二人は姉妹なの?」

「そうだよー」

 

 妹が元気に返事をした。

 

「私はロゼット、妹はココアっていうの。両親はオーガに殺されたから、この子はたったひとりの肉親なんだ」

 

 それで彼女は、僕の世話役を買って出たのか?

 両親を殺され孤児となった少女が、村の牢獄にいる主人公の見張り役をやらされていた漫画を思い出す。

 ロゼットの境遇が、その少女と重なって見えた。

 それにしてもオーガまでいるなんて、ますますファンタジーな世界だな。

 だけど僕は、どうしてこんなところに……あれっ!?

 

「たしか君たちは、ミノタウロスに追われてきたんだよね。だったら怪物に襲われる前の僕を見たでしょ。それ以前の記憶がないから、教えてくれないか」

「ごめんなさい。逃げるのに精一杯で、気付いた時にはもう、モアイさんは角に突き刺さっていたの。多分みんなも同じだと思う」

「せっかく手がかりが掴めると思ったのに……」

「あたし、見たよ」

 

 ココアちゃんが肉を口いっぱいに頬張りながら、自慢げに片手を上げた。

 

「本当?」

「うん」

「そっか。ココアは私が抱いて逃げたから、後ろが見えていたのね」

「お兄ちゃんはね……んとね……いきなり湧いてね、はじめから刺さってたよ」

 

 なんかウジ虫みたいに言われてるな。

 つまり誰かに召喚されたわけじゃなく、転移によって突如として現れたってことか?

 それにしても異世界デビューが串刺しだなんて、どんだけツイテないんだ!?

 おまけに世界観も、想像してたのとは、かなりかけ離れているし。

 異世界の定番は、中世ヨーロッパ風の街並みと美少女だと思うのだが、此処は景色も人も原始的で文明の欠片もない。

 落胆のため息を漏らす僕に、ロゼットがその後の経緯を教えてくれた。

 僕が怪物に踏みつぶされそうになった時、魔族の御一行様が突然姿を現したとのこと。

 赤髪フラムの一撃でミノタウロスは激しく燃え上がり、断末魔の叫びをあげて絶命したという。

 あのとき聞こえた断末魔は、それだったのだろう。

 その後ピンク髪ムースさんが、僕の体を治してくれたらしい。

 あんな化け物をいとも簡単に仕留めるなんて、みんなが魔族に怯えるのも合点がいく。

 そんな恐ろしい奴らが、いずれ僕を迎えにくるのだから、気にせずにはいられない。

 ロゼットによると、角があり魔法が使える種族を、魔族と呼んでいるという。

 魔法が使えても角がないエルフは、魔族ではないそうだ。

 魔人は、それぞれ使える魔法は違うけど、詳しいことは分からないらしい。

 赤髪フラムは火属性の魔法で、ピンク髪ムースさんは回復の魔法といったところか。

 ぐううううぅ~

 腹の虫は正直で、声を大にして空腹を主張し始めた。

 すでに昼飯をとってからかなり経っているし、目の前で美味そうに食べられては尚更である。

 お腹の主張が二人にも届いたらしく、姉妹は肉をくわえたまま、こちらをじっと見ている。

 

「はい。あげるね」

 

 幼女があどけない笑顔で、自分の食べていた肉を差し出してきた。

 

「あ、ありがとう。でも、お腹に風穴開けられたから、胃の調子がよくないんだよね。だからお肉はちょっと──」

 

 腹部を手でさすりながら体よく断った。

 彼女の純粋な気持ちに良心が咎めるけど、他人の汚れた手で触れたものは、体が受け付けないのだ。

 それに衛生環境が優れている、日本育ちの柔な胃袋では、お腹を壊すのが目に見えている。

 

「とっても美味しいのにね、お姉たん」

 

 妹に振られて軽く相槌を打ったロゼットは、僕の方を向いて、

 

「どんなのなら食べられそう?」

「そうだな。木の実や果物なら大丈夫だと思うけど」

「わかった。探してくるから、ちょっと待ってて」

 

 そう言い置いて、彼女は族長のところに寄ってから、森の方へと走っていく。

 姉の方は、真面目で気の利いた働き者といった印象である。

 一方の妹は、とても無邪気で人懐こい性格のようだ。

 お喋りが好きで、二人だけになっても、沈黙で気まずくなることはなかった。

 僕は対人能力が乏しく、こちらからは話しかけにくいので助かる。

 しばらくするとロゼットが、息を切らせながら戻ってきた。

 皮の袋と、ひょうたんのようなものを、重たそうに抱えている。

 僕の目の前までくると、彼女はちょこんと腰を下ろして荷物を置いた。

 

「喉が渇いていると思って、お水を汲んできたの」

 

 どうぞとばかりに笑顔で、ひょうたんを差し出す。

 喉がカラカラで、飲みたいのはやまやまだが、我慢するしかない。

 わざわざ気を利かせてくれたので心苦しいけど、水あたりは避けねばならないのだ。

 あまり体を動かせないのに、下痢ピーになったら悲惨である。

 

「ありがとう。でも、水は後で頂くよ」

「それじゃ、此処に置いておくから好きなときに飲んでね」

 

 続いてロゼットは、袋からサクランボほどの粒を取り出した。

 

「この実は甘くておいしいの。私たちも好んで食べるのよ」

 

 僕は、差し出された赤い実を手にとり、皮をむいて口に入れる。

 

「ほんとだ。甘くておいしい」

 

 素直な感想を述べたのに、なぜか不思議そうな表情の姉妹。

 

「それ、皮ごと食べるんだよ」

 

 ココアちゃんは一粒手に取り、そのまま口に入れてニコリとする。

 

「えっと……皮は消化しにくくて、胃に負担がかかるから」

 

 お茶を濁すも、幼女には理解できなかったらしい。

 

「ショーカってなに? なに? なに?」

 

 無邪気に尋ねながら、じゃれついてきた。

 いきなり薄汚れた顔を近づけられ、僕は反射的に手で押し返しす。

 少女のあどけない笑顔が一変、戸惑いの表情となり、気まずい沈黙が流れた。

 純真無垢な幼い子を、汚物でも見るような目で拒絶し、傷つけてしまったのだ。

 他人と距離を置きながらも、本心では誰かと繋がりたいと渇望してたくせに。

 

「ココア、ダメよ。まだモアイさんは怪我が治っていないんだから、あっち行ってなさい」

 

 ロゼットが機転を利かせてくれた。

 僕の嫌悪感に、姉も気付いたたようで、わずかに動揺の色がうかがえる。

 ココアちゃんはしゅんとして、とぼとぼと去っていく。

 

「ごめんなさいね。あの子、父親が恋しくて男の人に甘えたかったんだと思うの。私は母親代わりにしかなれないから」

 

 ココアちゃんが、昔の自分と重なりショックを受けた。

 幼い頃の僕は、母親がいないことに加え、周囲から忌み嫌われていたので、とても寂しく辛い思いをしてきた。

 拒絶された辛さを誰よりも理解している僕が、無垢な幼女に同じ思いをさせてしまったのだ。

 自分の犯した過ちに、全身から血の気が引くのを感じた。

 これまで僕は、いろんなことから逃げてきた。

 必ずしも逃げるのが悪いとは思わないし、時にはそうする必要もあるはずだ。

 逃げるが勝ちということわざもあるもんな。

 だけど今回ばかりは、それを僕の良心が許さない。

 ココアちゃんは、食事をしている集団のところまで行くと、こちらの様子を窺うようにチラリと振り向いた。

 僕は出来る限りの笑顔で手招きをしたけど、彼女は慌てて視線を逸らす。

 ロゼットにお願いして彼女の妹を呼んでもらうと、幼女は俯きながら重い足取りで戻ってきた。

 僕の面前に座ったその子は、不安げに俯いている。

 

「さっきは不快な思いをさせちゃって、ごめんね。僕のことを知ってほしいから、聞いてくれるかな。僕は潔癖症といって、不潔なものを極端に嫌う性質があるんだ」

「ココアは……汚いの? だから?」

 

 幼女は今にも泣きそうな声で呟いた。

 上辺だけ取り繕えば、これ以上嫌な思いをさせずに済んだけど、自分の犯した過ちを、嘘で誤魔化したくはなかった。

 

「ううん。みんな一緒よ。このところ生きるのに精一杯で、水浴もできてなかったから、少し汚れているのかもしれないけど──」

 

 とっさにロゼットがフォローしてくれた。

 

「君たちが悪いんじゃなくて、僕の感覚がおかしいんだ。本当にごめんね」

 

 そう。

 この世界の人は、それが当たり前で、元の世界とは違うのだから。

 姉妹に対して、土下座して詫びた。

 ややあって姿勢を戻すも、妹の方は俯いたままである。

 

「その償いのつもりじゃないけど、よかったら父親の代わりをやらせてくれないかな。ちゃんと務まるか分からないし、僕にそんな資格はないけど、ココアちゃんと境遇が似ていると分かったら、放っておけなくなったんだ」

 

 ココアちゃんは顔を上げ、驚きの表情を浮かべた。

 

「母親は僕を産んですぐに亡くなったから、彼女の記憶は何もないし愛情も知らない。幼い頃、母親に抱かれている子を見ると、とても羨ましかったよ。誰にも言えなかったけど、本当は母親が欲しくてたまらなかったんだ」

 

 自分をさらけ出すのは、とても勇気のいることだ。

 特に他人と壁を作ってきた、引きこもりの僕には尚更である。

 

「だから、ココアちゃんが誰よりも身近に感じられ、とても愛おしく思えたんだ。本当の親子のように、僕の一番大切な宝物に、かけがえのない存在になって欲しい」

 

 なんか恥ずかしい台詞だけど、嘘偽りのない気持ちである。

 一方的に思いのたけをぶちまけると、彼女は押し黙ったまま大きな瞳からぽろぽろと涙を零した。

 その姿が愛おしくて、気がつくと僕は目の前の幼女を抱きしめていた。

 

「わかんないよ。むずかしくて、わかんない」

 

 ココアちゃんは堰を切ったように泣き出し、ぎゅっと抱き返してきた。

 それだけで十分だった。

 気持ちが通じたことが、僕を受け入れてくれたことが、分かったから。

 夢の中の金髪少女とは違い、ココアちゃんの温もりや想いが伝わってくる。

 そんな幸せを噛みしめ、この幼い女の子の全てを受け入れ、大切にしようと心に誓った。

 ココアちゃんは泣きじゃくるのが落ち着くと、僕の顔をまじまじと仰ぎ見た。

 僕の着ているTシャツは、ミノタウロスに襲われたので、穴が開いてボロボロだ。

 彼女の顔があったところは涙で濡れ、おまけにびょ~んと鼻水が糸を引いている。

 ついさっきまでの自分が嘘のように、まったく嫌悪感はなく、それすらも愛おしいく感じてしまう。

 ズボンのポケットからハンカチを取り出して、鼻水を拭ってあげると、ココアちゃんは嬉しそうな表情を浮かべた。

 そして再び顔を僕の胸に埋めた後、見上げて鼻水の糸を引いてニコリとする。

 よほどハンカチで拭われるのが気に入ったのか、何度もそれを繰り返した。

 

「しょうがないな~」

 

 と僕は言いつつも、やぶさかでない。

 そこへ族長ジェノワーズさんがやってきて声を掛けた。

 

「百合君、もう日が暮れるから寝た方がいい。いろいろあったから疲れただろ」

 

 太陽が沈みかけて、だいぶ薄暗くなってきた。

 暗くなれば寝るのは、彼らにとっては当たり前なのかもしれないけど。

 

「まだ早くないですか?」

「他のみんなはもう寝ている。滅多にない御馳走をたらふく頂いたから、眠くなったんだろう。それに魔族の領地だから、敵に襲われる危険も少ないし」

 

 辺りを見回すと、僕たち以外はみんな横になっていた。

 彼らの安眠を邪魔したくはないし、いろいろと考えたいこともある。

 この世界のことや、これからどうすべきかなど。

 

「わかりました。それじゃ、寝かせてもらいます」

 

 眠くないけどひとまず横になろうと、膝の上に座っている幼女を降ろす。

 

「ココアも一緒に寝る~っ」

「あうっ」

 

 彼女が懐に飛び込んできたので、僕はそのまま後ろに押し倒されてしまった。

 

「ココア、迷惑だから離れな……」

 

 妹を引き離そうと手を伸ばすロゼットに、娘は渡さないよとばかりにココアちゃんを抱え込んで抗う僕。

 言うだけ野暮だと悟ったらしく、姉は断念した。

 

「君たち二人は、すっかり仲良くなったようだね」

 

 そう言ってジェノワーズさんは目を細める。

 

「はい。今日から僕たちは親子になったんです。もちろん僕が親ですよ。たとえ族長でもココアちゃんをぞんざいに扱ったら許しませんから。もう牢番とか、させないでくださいね」

「牢番? 何のことだか分からないけど、我々は姉妹に対して本当の子のように、接してきたつもりだよ」

「そうなの?」

 

 僕がロゼットに尋ねると、彼女は口元を緩めて頷いた。

 どうやら本当らしいな。

 

「でも、これからは僕の子なので、その辺を弁えてくださいね。ココアちゃんを溺愛していいのは、僕だけですから」

 

 僕の親バカぶりに、めんどくさっと呟いた族長は、

 

「はい、はい。了承したから、ちゃんと寝てくれ。夜更かしは体に毒だからね」

 

 まだ夕暮れ時なのに、夜更かしだって?

 そんな時間に寝るような健康オタクじゃないし、長らく昼夜逆転の生活を続けた僕には嫌がらせでしかない。

 まぁ、彼の立場からすれば、僕の体を気遣うのは、当然なんだろうけど。

 僕にもしものことがあれば、彼らは魔族に消されてしまうかもしれないのだから。

 

「それじゃロゼット、俺たちはみんなのところへ行こう」

「あの、私はモアイさんに付き添い、見守っていた方がいいかと」

「それなら大人が交代で見張りをやるから心配ない。だから君も睡眠をとりなさい。でないと体がもたないぞ」

「でも……」

 

 もしかしてロゼットは、僕が逃げ出さないか心配なのか? 


「そうだよ。ココアちゃんを置いて、僕は逃げたりしないから、安心して皆さんも寝てください」

「いや、此処が絶対に安全とは限らないから、見張りは必要なんだよ。ミノタウロスも侵入してきただろ。今日は此処で一晩過ごすけど、明日はもっと安全な場所へ移動するつもりだ」

「なら私も、此処で休んでいいですか? もしモアイさんに異変があったら、すぐに対応できると思うので」

「そうだな。ロゼット、そうしてくれ。それじゃ俺は、みんなのところに戻るから」

 

 去っていく族長を見送ると、ロゼットはココアちゃんを挟んで川の字に横たわる。

 狭い毛皮の上なので寄り添う形になって、息が掛かるほど顔が近いんだけど。

 

「あの、本当に僕なら大丈夫だから」

「死にかけたんですから、油断は禁物です。少しでも具合が悪いと感じたら、遠慮なく私に伝えて……もしかして迷惑ですか?」

 

 心配しているのは、僕の体じゃなくて仲間の身の安全なのかもしれないけど、他人を気づかう優しい女の子に、邪魔だなんて言えない。

 それに姉妹は、いつも一緒に寝ているのだろうから、僕の方が邪魔なのでは?

 

「いや、問題ないよ。君さえ良ければ──」

「よかった。では安心して休んでくださいね」

 

 それはムリ。

 別に異性として見ているわけじゃないけど、ココアちゃんの実姉であっても、他人と寄り添って寝るなんて緊張するもん。

 

「これ、ふかふかで気持ちいいね。お姉たん」

 

 親代わりの二人に挟まれ、ココアちゃんは嬉しそう。

 

「そ、そうね」

「いつもは毛皮で寝ていないの?」

「そうだよ~。ね、お姉たん」

「毛皮はこれしかないから、普段はみんな草むらなどに集まって寝ているの」

 

 以前はみんな毛皮で寝ていたが、敵に襲われ着の身着のまま逃げたので、これ1枚になってしまったのだそうだ。

 どこか気まずそうにこたえるロゼット。

 もしかして彼女は、毛皮の上で寝たかっただけなのかもしれない?

 ジト目で見ると、不自然に顔を逸らされた。

 ま、いっか。

 たとえそうであっても、悪い子じゃなさそうだし。

 いろいろと考えなくてはならないことがあったのだけど、やはり疲れていたのと、ココアちゃんの温もりが心地よくて、すぐさま夢の世界に誘われてしまった。

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