第2話 天国か地獄か?

「§ΘΨΦεγЖЭЮф」

 

 意識が遠のくなか、意味は分からないけど、子どものような声がして頭を小突かれた。

 どうやら天国に着いたらしく、瞼を薄く開けると眼前で女神様が微笑んでいた。

 僕は、その絶世の美女に膝枕をしてもらい、仰向けで寝ている。

 天国って最高だなっ!

 つい見惚れていると、再び子どもの声がして、頭をど突かれた。

 我に返って視線を移すと、眉を吊り上げた金髪の少女が、横でしゃがんでいた。

 さっきから僕の頭を叩いていたのは、この子らしい。

 あどけなさが残る10歳前後の可愛い女の子で、まさに女神様に仕える天使……ではなさそうだ。

 頭には天使の輪でなく、角が付いている。

 羊のような丸まった角が、頭の両側に生えているのだ。

 まるで悪魔のような……容貌は天使級なのに。

 もしかして天国ではなく、地獄に落ちてしまったのか?

 きっと牛の怪物に殺されたのは、最初の責め苦だったのかもしれない。

 よく見ると僕は数名の女の子に、取り囲まれていた。

 10~20代くらいの美人4姉妹といった感じで、みんな角がありパレオのようなものを身に纏っている。

 膝枕してもらいながら美少女たちを眺めるなんてシチュエーション、まさか僕の人生で起こるとは、夢にも思わなかった。

 折角なので堪能したいけど、パレオの巻き方が各々違っていて、ビキニみたいに肌の露出が多い娘もいるので、目のやり場に困ってしまう。

 状況だけみれば天国、まさにハーレムなんだけど、此処は地獄なんだよな?

 この後どんな責め苦を受けるのか、気になって素直に喜べねぇよ。

 僕を叩いた末っ子? が、おもむろに何かを唱えながら顔を近づけてきた。

 他人を避けてきた僕にとって、たとえ相手が子供でも、見知らぬ少女に迫られたら動揺する。

 一体何をされるのかと、身構えていたら──

 

 ちゅばっ!

 

 いきなり僕の額に吸いついてきた。

 げっ!?

 もしかして脳みそを吸いとられている?

 想像しただけでも血の気が引いてきて、全身から嫌な汗が噴き出す。

 

「や、やめろっ! 悪霊退散!」

 

 思うように力が入らないけど、なんとか悪魔? の金髪少女を突き放した。

 すると彼女は一瞬驚いたような表情を見せた後、「きゃはははははっ」と、僕の顔を指しながら、腹を抱えて笑った。

 

「なんじゃ、その情けない表情は。まるでこの世の終わりみたいな顔をしておるぞ」

「当たり前だろ! 脳みそ吸われたら誰だって……あれ? 日本語しゃべれるの?」

 

 さっきまで意味不明なことを呟いていた少女が、流ちょうな日本語を口にしたのである。

 

「ニホンゴ? あぁ、お主が扱う言語か。わらわがニホンゴとやらを話しておるのではない。お主が妾の言葉を理解しておるのじゃ」

 

 ???

 困ったぞ。

 全く話が見えないんだけど。

 

「えっと……どういうことですか?」

 

 相手は年下に見えるけど、悪魔? の年齢は分からないので、念のため下手に出ておく。

 

「妾のユニークスキルで、魔族語を話せるようにしてやったのじゃ。本来ならお主のような下等種族に、施してやるような能力ではないのじゃからの。大いに感謝するがいいぞ」

 

 自慢げに少女は、ぺったんこな胸をそった。

 マゾク語ってことは、やはり悪魔なのか?

 

「全く姫様の好奇心にも困ったものね。こんなことに貴重な魔力を使うなんて」

 

 ため息交じりにオレンジ色した髪の少女が呟いた。

 

「姫様?」

「ふふん。聞いて驚くがいい。妾は偉大な魔王の一人娘、シャルロット姫である。魔族の中でパパに次いで偉いのじゃ。頭が高い。控えるのじゃ」

 

 地獄でも、水戸黄門の決め台詞みたいなものがあるんだな?

 ならば他のは助さん、格さん、くノ一のお銀といったところか。

 

「少しは反省しろ。今は状況が状況なんだからな」

 

 お銀──もといグラマラスで燃えるような赤い髪の女性が、尊大な態度で姫様の頭をペシッと叩く。

 

「何をする。痛いではないか!? 暴力反対!」

 

 先ほど僕をど突いた金髪の子がおっしゃられた。

 ん?

 お銀がご老公様をひっぱたくなんて、ありえないよな。

 姫様が一人娘で魔王の次に偉いのなら、このグラマラスは──

 

「魔王?」

 

 赤髪の女を指差して尋ねると、

 

「はぁ? 誰が魔王だ。あんな変態エロジジイと一緒にするな!」

「でもさっき姫様の頭を、叩きましたよね?」

「それが?」

 

 何か問題でも? みたいな口振りである。

 うーん。

 どうも話がかみ合ってない?

 

「えっと、姫様の方が、身分は上なのでは?」

「無論だ。アタシはチビ姫の護衛だから、地位はかなり低いが、それがどうかしたのか?」

 

 何言ってんだコイツ? みたいな表情の赤髪。

 僕が理解に苦しんでいると、

 

赤髪フラムは、身分も家柄も気にしないというか、その辺の常識を著しく欠いているんだよね」

 

 オレンジ髪で17歳くらいの少女が教えてくれた。

 

オレンジ髪キャンディの言うとおりじゃぞ。フラムお主こそ反省しろ。妾の頭は叩くために、あるのではない」

 

 頭を抱えながら涙目で訴える姫様を、

 

「ふん。細かいことを気にしないのが、アタシの取り柄なんだよ。それに叩きやすい位置にあるのが悪い」

 

 と、再び姫様の頭をペシッと叩くフラム。

 

「わ~ん。ムース、ムース。フラムがいじめる」

「うげっ!」

 

 姫様は、僕のみぞおちを踏みつけて、ムースというピンク髪の膝枕をしてくれている女性に泣きついた。

 その重みでムースさんが前かがみになり、柔らかく程よい大きさの胸が、僕の顔面で弾む。

 僕は奈落の苦しみで悶えながら、震える手でグッジョブとばかりにサムズアップ。

 

「よしよし。痛いの痛いの飛んでけ~ぇ。ほら、もう痛くないでしょ。フラムもあまり意地悪しちゃだめよ」

 

 ムースさんは、金髪少女の頭を愛おしげに撫でた。

 おっとりとした彼女は、まだ20歳くらいなのに、まるで聖母のごとく慈愛に満ちている。

 心和む微笑ましい光景と、主に眼前の胸に見惚れていると、

 

「まぁ、大変。鼻血が出ているわ。鼻息も荒いし、どこか具合が悪いの?」

 

 興奮して出てしまった僕の鼻血を、ムースさんは優しく拭ってくれた。

 嫌らしい目で見ていた僕を、純粋な気持ちで心配してくれる彼女は、マジで女神様だ。

 

「だ、大丈夫です。それよりも、此処は地獄ですよね?」

 

 疚しい気持ちを誤魔化すように、僕は話を逸らした。

 

「はぁ? なに寝ぼけたことを言っておるのじゃ。お主はちゃんと蘇生しておる。此処は妾の領地、『ミュー』じゃ」

 

 と、姫様に蹴られた。

 フラムに叩かれた腹いせか、強めに蹴られたので、かなり痛いんですけど。

 暴力反対じゃなかったのか!?

 それにしても死んでいないのなら、この状況はどういうことだ?

 僕はハーフの日本人で、取るに足らない16歳の高校生。

 不登校の引きこもりだけど。

 旅行でイースター島を訪れただけなのに、どうしてファンタジーのような世界に?

 

「どうして僕は、此処にいるのでしょう?」

「そんなこと知るか! 妾の領地に侵入したミノタウロスを駆除しようとしたら、お主が勝手に襲われておったのじゃ」

「ミノタウロス?」

「あれじゃ」

 

 姫様が指し示す先に視線を移すと、黒焦げで煙をあげている物体が横たわっていた。

 さっき僕を角で突き刺した牛の化け物だ。

 てっきり僕は老婆に殺されて、あの世に行ったのだと思っていたのだが、訳が分からなくなってきたぞ。

 

ミノタウロスヤツを倒して、お主を助けてやったのじゃ。大いに感謝するがいいぞ」

 

 ドヤ顔で僕を見下ろす金髪少女。

 

「はん? なに自分の手柄のように言ってんだ。ミノタウロスを倒したのはアタシで、死にかけたコイツを蘇生させたのはムースの姉御じゃないか」

 

 赤髪フラムが、不満げに異議を唱えた。

 20歳前後のムースさんを姉御だって?

 どう見てもフラムアンタの方が年上だろ。

 そのアラサーでないと出ないような色気は何なんだ。

 

「じゃが、此奴を救うよに命じたのは妾じゃぞ」

「あぁ、そうだったな。人族なんか救う必要なんて、これっぽちも無いのにな」

 

 フラムは肩を竦ませ、嫌味ったらしく返した。

 

「十分にあるぞ。こんな超激レア物、金輪際お目にかかれないかも、しれないのじゃからの。未知の言語を喋り、見たこともない奇異な格好をしておる。ただの新種でないのは明らかじゃ。これほど興味をそそる人族オモチャは他にはおらんじゃろ」

「ふん。アタシにゃ、ちっとも理解できないね」

 

 目をキラキラさせながら力説する姫様に、フラムは呆れたように返した。

 

「フラムの言う通りですよ。そんなのに興味を示すのは、好奇心旺盛な姫様だけです。その超激レア物とやらの命を救うのに、ムースさんは相当な魔力を消費したのですからね」

 

 キャンディに諫められた姫様は、ムースさんを見つめながら「そう……なのか?」と、心配げに尋ねた。

 

「瀕死の状態だったから、それなりに魔力を消耗したけど、無理はしてないから大丈夫よ」

 

 すまなかったと謝る姫様に、優しい笑顔でこたえるムースさん。

 その微笑みが僕に向けられ、ついニヤけてしまう。

 

「ごめんなさいね。時間と魔力が限られていたから、完治させることはできなかったの。だからまだ、あまり体を動かせないでしょ。それに体の穴を塞ぐことはできても、衣服は直せないの」

 

 これっぽっちも彼女は悪くないのだが、例えどんなに酷いことをされても、きっと許してしまうだろう。

 確かに力が入らず思うように動けないが、なんとか上半身を起こすことができた。

 服には穴があいているが、体は塞がっていて傷もない。

 

「姫様、新たな敵が御殿に迫っています。急いで戻りましょう。みんな早くウチに掴まって」

 

 キャンディが緊迫した口調で言った。

 

「うむ。御殿に戻るぞ」

 

 そう言って姫様は、僕の襟首をつかみ引っ張った。

 く、苦しいんだけど……。

 

「チビ姫、何してんだ!? 早くしろ」

 

 キャンディの右肩に手を添えたフラムが、姫様を急き立てる。

 

「此奴も連れて行くのじゃ」

「アホかっ! 今はそれどころじゃないだろ」

 

 フラムは眉を吊り上げ、姫様の頭をど突いた。

 

「せっかく助けたのに、置き去りにして死んでしまったらどうするのじゃ。そうでなくとも逃げられてしまうじゃろ」

 

 頑として引こうとしない涙目の姫様に、もう一発くらわそうとしたフラムは、思いとどまると大きく嘆息した。

 そして近くの森を睨み付け、

 

「木の陰に隠れている人族よ、今すぐ出てこい。さもなくばミノタウロスみたいに焼き殺すぞ!」

 

 と、大声で恫喝した。

 すると一人の男に続き、十数名が怯えた様子で姿を現した。

 幼児から30代くらいの男女で、動物のなめした皮のようなものを身に纏った、原始的な格好をしている。

 

「此処は我ら魔族の領地。侵入者がどうなるか、わかっているな」

 

 フラムが黒焦げの怪物を指し示すと、さらに震え上がる人族たち。

 先頭の代表者らしき男がひれ伏すと、他の者たちもそれに続いた。

 

「決して魔族様の領土を侵害すつもりはなく、ミノタウロスに追われて迷い込んでしまったのです。大変申し訳ございませんでした。私たちに出来ることであれば、何でもいたしますので、何卒お許しください」

 

 声を震わせながら必死に命乞いをする男。

 

「ならば暫くの間、コイツをお前たちに預ける。頃合いを見て引き取りに行くから、それまで世話をして逃げぬよう見張っていろ。それで今回の件は、水に流してやる。いいな」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 これでいいだろとばかりにフラムは姫様を見やると、キャンディに「やってくれ」と伝えた。

 姫様は未練たっぷりな眼差しで僕を一瞥した後、ひれ伏す人たちに対して、

 

「いいか! 必ず此奴を引き取りにくるから、それまでちゃんと面倒を見ておくのじゃぞ。さもなくばタダでは済ま──」

 

 と、全てを言い終える前に、魔族たちは眼前から消え失せてしまった。

 

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