引きこもりの異世界英雄譚

千耀

第1話 僕の身に何が起こった?

 膝がカクンとなり、僕は目を覚ました。

 ふらついた体勢を、慌てて立て直す。

 ふぅ。

 びっくりした。

 危うく倒れるところだった。

 でも、どうして立ったまま、眠ってしまったのだろう?

 辺りを見回すも、闇に包まれていて何も見えない。

 足元を確認しようと視線を落とした僕は、思わず息をのんで固まる。

 暗くてよくわからないが、金髪? で中学年くらいの女の子が、僕に抱きついていたのだ。

 少女は僕の胸に顔を埋め、幼子のように泣きじゃくっている。

 

「やっと……巡り合えた……ずっと……ずっと待っていた……モアイ……」

 

 顔が見えないので誰だか分からないけど、彼女に全く心当たりがない。

 

 僕は他人から忌み嫌われ、幼い頃から家族以外とはあまり関わってこなかった。

 その家族も、母親は16年前に、僕を産んで間もなく他界している。

 兄弟はなく、二人だけの父子家庭だ。

 父親の善哉ぜんざいは、今も亡き妻を愛していて、再婚もせず女っけはない。

 魔が差して一夜限りの過ちを犯すような男ではないことも知っている。

 だからこの金髪少女が生き別れた妹でも、父親の隠し子でもないことは明白だった。

 にもかかわらず彼女は、”百合もあい”という、僕の名前を呼んだ。

 誰かと勘違いをしている訳でもなさそうだ……などと女の子の素性について思索していると、ふと違和感を覚えた。

 金髪の少女に、強く抱きしめられているのに、その感覚がないのだ。

 すると意識を失う前の記憶が蘇ってきた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 およそ18年前、大島善哉は観光でイースター島を訪れ、偶然見かけた原住民の娘・ハニに一目惚れした。

 通訳を通じて交際を申し込んだのだが、族長は首を縦に振らなかった。

 閉鎖的な部族だったのに加え、彼女が族長の一人娘だったからである。

 何度も族長のもとへ足を運び誠意を示したが、日本という訳の分からない国からきた怪しげな男に、大切な娘を嫁がせるわけにはいかないと、突っぱねられてしまう。

 それでも通い続けた男の一途な想いが通じたのか、ハニもだんだん彼に惹かれていった。

 そんな娘の恋心に気付いた族長は激高し、善哉と会うことを禁じてしまう。

 善哉は諦めたふりをして日本に帰り、ハニが出国できるように手配した。

 その数か月後、ハニは迎えに来た善哉と駆け落ちをして、日本で暮らし始めたのである。

 だが幸せは、長く続かなかった。

 僕を産んで間もなく、彼女は亡くなってしまったのだ。

 

 その後、息子の幸せを願っていた母の想いとは裏腹に、僕は紆余曲折の人生を送ってきた。

 暗澹たる人生から脱却しようと、自分を見つめ直す旅──母の故郷・イースター島を訪れることにしたのである。

 しかし普段からあまり外出もせず、海外旅行の経験もない世間知らずな僕にとって、ハードルは高すぎた。

 そこで親父は休暇をとり、引きこもりから抜け出そうとする息子のサポートを、買って出たのである。

 ツアコン役として準備や手配等をして、旅に同行してくれたのだが……

 

「父さんは此処までだから、気を付けて行ってきなさい」

 

 と、経由地のタヒチで、微笑みながら手を振った。

 

「はぁ? ちょっ、どういうことだよ」

「父さんはまだ、最愛の人を失った悲しみから、立ち直れていないんだ。イースター島へ行けば、どうしてもハニのことを想わずにはいられない。きっと深い哀惜の念に、耐えられないだろう。だから済まない──」

 

 海外旅行初体験の引きこもり少年に対して、あまりに酷な無茶振りである。

 いきなり役目を投げ出したツアコンに、強く抗議するつもりだったが、彼の憂いを帯びた顔を見たら何も言えなくなった。

 未だに妻の死を引きずっていたとは、思いも寄らなかったのだ。

 この旅だって本当は辛いのに、僕のために笑みを絶やさず、ツアコン役を担ってくれたのである。

 自分がどれだけ親不孝なのか思い知らされ、強い自責の念に駆られた。

 

「親父……」

「それにハニが亡くなったことを族長に手紙で知らせたら、『イースター島へ来たら、命はないと思え』だって。あの爺さん、かなり根に持つタイプだからな。父さん、まだ死にたくないし~」

 

 と、軽口を叩いて肩をすくめる親父。

 本音はそっちかい!

 反省して損した。

 族長にしてみれば大切な一人娘を、親父に奪われたようなものだから、かなり恨んでいるに違いない。

 

「何でそんな大事なこと、黙ってたんだよ。そんなところへ僕一人で、行かせるつもりか!? 族長と鉢合わせしたら、どうするんだよ」

「大丈夫。お前の面は割れてないから」

「そんなの分かんねーだろ。もし僕が親父の子だってバレたら──」

 

 善哉は不安がる息子の目を見据え諭すように、

 

「お前は父さんの子だが、ハニの子でもある。つまり族長の孫だ。いくら族長でも、孫に危害を加えるようなことはない……と思うよ。多分。だから安心しろ」

「希望的観測で言うな!」

「何も心配は要らん。右も左もわからないお前のために、”旅のしおり”を作っておいたから。この完璧なガイドブックがあれば、恐るるに足らず。さぁ、我が息子よ、ミッションコンプリートして一皮剥けてこい!」

 

 自慢げにそれを渡すと、白い歯をみせサムズアップする親父。

 やけに浮かれた様子で去っていく中年男性の後ろ姿を、僕は呆然と立ち尽くしながら見送った。

 親父は、僕が戻るまでタヒチに滞在し、バカンスを満喫するつもりらしい。

 もしかして自分がタヒチに、行きたかっただけじゃなかろうか?

 そもそも今回の旅は、

 

「いつまでも引きこもっていないで、何か始めてみないか? 例えば旅に出るとか。父さんもイースター島を旅して、運命の人と出会ってから、大きく人生が変わったんだ。イースター島は、本当に素敵なところだぞ」

 

 と、親父が島を褒めちぎるのに加え、お惚気話を散々聞かされたのが切っ掛けである。

 一人息子に『百合モアイ』という、ふざけた名前を付けるくらい、親父はイースター島がお気に入りなのだ。

 今思うと迷える子羊だった僕は、いとも簡単に洗脳されてしまったのかもしれない。

 そういえば僕の目の前に、糸でつるした5円玉を振り子のようにしてたけど、あれは何だったんだろう?

 一抹の不安をかかえながらも、さっそく”旅のしおり”に目を通し、ひとりで飛行機に搭乗した。

 さすがに負い目を感じているのか、行動手順などが事細やかに書かれている。

 おかげで到着後も問題なく宿に辿り着き、チェックインもできた。

 

「さてと、まだ日が暮れるには時間もあるし天気もいいから、少し島内を散策するか」

 

 村から外れた野原の道を抜けて、人けのない海岸沿いで腰を下ろした。

 目の前は崖になっていて、果てしなく青い空と海が広がっている。

 僕は母の愛情を知らず、抱きしめられた記憶もない。

 幼い頃、他の子が母親に抱きしめられているのを見て、羨ましく思ったものだ。

 その母が生まれ育った地で、彼女も見たであろう景色を眺めていると、やたら感慨深いものがある。

 時を忘れ、嫌なことも忘れ、亡き母に思いを馳せた。

 それからどれくらいの時が経ったのだろう。

 日が暮れ始めてきたので、そろそろ宿に戻ろうとした時である。

 

「ざっ」

 

 不意に背後から物音がして、僕は背筋が凍った。

 目の前は崖、突き落とされたら無事では済まない。

 おずおず振り返ると、そこには杖を突いて立つ、老婆の姿があった。

 鮮やかな花柄のパレオらしきものを、身に纏った小柄な女性だ。

 頭には麦わら帽子を被っている。

 それほど腰は曲がっていないし小綺麗な感じだが、一世紀以上は生きているような容貌。

 不審者や危険人物ではなかったので、僕は安堵のため息を漏らした。

 だけど此処は村から歩いて30分ほどかかり、周囲には何もない場所。

 歩くのもやっとだろうに、どうやって此処まで来たのか不思議なくらいである。

 それはそれで怖い気もするのだが……まさか幽霊じゃないよな。

 そういえば引きこもってた時に、高齢者の迷い人のお知らせが防災無線で流れてきたことが、何度かあった。

 迷い人が遠くで発見されたという、ニュースを見たこともある。

 きっとそれと同じかもしれない。

 彼女は救いを求めるように手を差し出し、涙ながらに何かを訴えてきた。

 どうやら現地の人らしく、全く言葉が解らない。

 出来れば関わりたくなかったが、下手したら崖から落ちてしまうような場所に、置き去りにはできない。

 前のめりで今にも倒れそうな老女の手を取ると、彼女は体を預けるように抱きついてきた。

 そこで何故か僕は意識を失ったらしく、記憶が途切れている。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 眠る直前の記憶が、夢に影響を与えるという。

 実際にホラー映画を観た後は、怖い夢を見たりすることがあった。

 だから今回もそれと同じく、老婆に抱きつかれた記憶により、そういう夢を見ているのだろう。

 まあ、そこは夢である。

 老婆よりも若いに抱きつかれたいという、健全な男の子としての欲望が現れたのだ。

 できれば年上の綺麗なお姉さんの方が、良かったんだけど。

 だけど夢ならば、何をやっても構わないんだよな。

 そう考えたら、この見知らぬ金髪少女を抱きしめたいという、欲求にかられた。

 現実なら捕まるような背徳行為に一瞬躊躇したけど、それでも愛情に飢えて誰かと繋がりたいという思いが勝り、僕は目を閉じると少女を包み込むように抱擁した。

 しかし期待は外れて、失意のため息を漏らす。

 肌の温もりや感触も、心地よさも何も感じず、侘しさが和らぐことはなかった──はずなのに、内臓が抉られるような、尋常でない痛みに襲われた。

 死を覚悟するほどの激痛に、走馬灯のように記憶が去来、老婆の顔が脳裏をよぎった。

 もしかしたらあの婆さん、僕を殺すために族長が放った刺客だったのではないか?

 刃物で刺された僕は、しばし気を失うも覚醒して、痛覚が戻ったのかもしれない。

 たまらず見開いた僕の目に映ったのは、老婆の姿ではなく、かなりデカい牛? の頭だった。

 その両側に生えているぶっとい角の片方が、僕の腹部を貫いている。

 何故こんなことに──と考える間もなく、牛が角を思い切り突き上げた。

 人形のように宙を舞った僕は、そのまま地面に叩きつけられ──

 

「ぐはぁ!」

 

 ドクッドクッと腹から吹き出す血で、地面が赤く染まっていく。

 意識が朦朧とするなか、ゆっくりとこちらに向かってくる牛の化け物を、視界に捕えた。

 3メートルはあろうかという巨体は、人型で二足歩行をしている。

 足は蹄なのに、手は人間のように5本の指がある怪物。

 まるでファンタジーな生き物に、やはり夢ではないかと、そうであってほしいと願うも、耐え難い痛みが全否定する。

 眼前で立ち止まった怪物が、とどめを刺すかのように、僕の頭上で片足を大きく上げた。

 僕の顔を踏みつぶすのに、十分なサイズの硬い蹄。

 ひとたまりもないだろう。

 恐ろしくて逃げ出したいけど、どうにもならない。

 観念して目を閉じると、焦げそうなほどの熱や衝撃音、瞼の裏に閃光を感じた。

 不思議なことに、断末魔? まで聞こえてくる。

 これが死ぬということなのか?

 感覚が麻痺してきたのか、激烈な痛みが徐々に和らいでいく。

 それどころか、だんだん心地よくなってきたぞ。

 もしかして天国に、向かっているのか?

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